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「食べることは、生きること」 4カ月ぶりの食事に涙

2021-04-03 08:00:00 | 日記

下記の記事は朝日新聞デジタルからの借用(コピー)です

 「今後、口から食事をすることは難しいでしょう」
 24歳の冬、私は医師にこう言われた。それまでは食べることが好きでも嫌いでもなかったが、この事実は自分が思っていた以上にショックだった。だが、何とかしてもう一度、食べることを取り戻したいと願った。
食事も難しくなる病気
 生後10カ月のとき、私は障がいがあることがわかった。「脊髄(せきずい)性筋萎縮症」という遺伝性の神経難病だ。認知機能に症状はないが、徐々に全身の筋力がおとろえていく病気だ。
 子どものころは多少手先が動いたが、今ではそれもかなり制限され、自分で「寝たきり社長」と言っているようにふだんは寝たままの体勢で過ごしている。
 筋力がおとろえるということは、手足の自由がきかなくなるというだけではない。症状の度合いによっては、食事をすることや声を出すことも難しくなってくる。舌も筋肉の一部だからだ。
 私は子どものころから食が細かった。元々食べるということにあまり興味がなかった上に、食べ物をかんでのみ込むという動作への負担が大きかったこともあり、あまり食事を楽しめなかった。
 中学生ぐらいまでは家や学校の給食もふつうのものを食べていたが、だんだんと食事のスピードが落ち、のみ込みが悪くなってきたので高校生ぐらいからは刻み食になった。
 「あんまり食べないと、経管栄養にしてもらうよ」
 子どものころ、私の食の進みが悪いと、母は口癖のようにそう言っていた。経管栄養というのは鼻や口からチューブを入れ、胃や腸に直接栄養を入れることだ。そのときはまだ口から食べられていたので、経管栄養になるのはさすがにまだ先だと思っていた。
 ただ、その瞬間は突然訪れた。
 24歳の冬、私は体調を崩し、重篤な肺炎にかかってしまった。それまで比較的元気に過ごしていたにもかかわらず、一度体調を崩すと容体は一気に悪化した。医師からは、やせ過ぎて余力がないと言われた。
 数週間、集中治療室に入った私は自発呼吸ができなくなり、挿管をした。また、回復が見込めず気管切開することになった。挿管や気管切開によって声を出せなくなったが、もう一つできなくなったことがあった。
 食事だ。
つきまとう空腹感
 まだ先と考えていた経管栄養になった。さらに急激な体調悪化により、胃の働きも悪くなった。鼻からチューブを入れてもらい、腸に直接栄養を送った。集中治療室にいたころは意識がほとんどなかったこともあり、それほど栄養補給に関して違和感はなかった。ただ、一般病棟に戻るとそれは想像以上にこたえた。
 今までは少量とはいえ口から食事をとっていたが、水すら飲めない状況になった。また、胃を通り越して、腸に直接栄養を入れることでいつも空腹感があるというのもストレスだった。医師からは「退院しても今後、口から食事をすることは難しいでしょう」と言われた。
 入院中は気付けば、頭の中では食べもののことばかり考えてしまっていた。今までなら絶対に見なかった料理番組やグルメドラマをむさぼるように見た。
 「食べられないのに、そんなの見たらつらくならない?」
 母はそう言っていたが、それでも人間の三大欲求の一つである「食欲」というものを満たしたく、せめて擬似的に視覚や聴覚だけでも食にふれていたかった。
 そうして入院して4カ月が経ったころ、ようやく退院のめどが立った。その際、医師から胃ろうを作ることを提案された。胃ろうというのは鼻や口からのチューブではなく、手術で胃に穴を開け、そこから直接栄養を入れるものだ。手術は必要だが、口や鼻のチューブがいらなくなるので私はこの提案を受け入れた。そのころには胃の働きもよくなっていた。
 「本当にもう食事はできないんでしょうか?」
 胃ろうの手術前、私は医師に尋ねた。すると、「誤嚥(ごえん)性肺炎の危険はあるが、そこまで言うのなら一度のみ込みの検査をしましょうか」と言われ、検査をしてもらった。
 結果は、思っていた以上によかった。これなら無理のない範囲で食事をしても良いということになり、その後、少しずつリハビリを重ね、私は約4カ月ぶりに食事の許可を得た。
 口から食事をとった瞬間、涙があふれていた。何を食べてもおいしく、食事とはなんて素晴らしいものだと思った。
「生きる喜び」と気付いた
 退院してからの私は胃ろうからの栄養補給もしているが、入院前よりもはるかに食に対する関心が強くなった。新型コロナの感染が拡大する前までは毎日のようにグルメサイトを見ては飲食店に足を運んでいた。また、胃ろうからの栄養補給で体力がつき、食べる動作も楽になったことで、入院前よりも体重が10キロ以上増えた。
 食事ができなくなって、初めて気付けたことがある。口から食事をとらなくても生きてはいけた。ただ、私の生きていく活力は失われていた。
 よく、高齢者が最期に病院で「○○を食べたい」と言い、医師から誤嚥性肺炎のリスクでストップをかけられることがあるが、私は食べたいという欲求があるのであれば、一口でもひとかけらでも食べさせてあげたいと、勝手ながら考えてしまう。もちろん、私は医療者ではないので無責任なことは言えないが、食べることは「生きる喜び」だと自分の体験を通じて感じた。
 私はコロナが終息したら、また外食を楽しみたいと思っている。近い将来、自身の会社で障がい者や高齢者に楽しんでもらえるような飲食事業もやってみたいと考えている。
 当たり前になっているかもしれないが、あらためて食べることの素晴らしさをみんなに知ってもらいたい。
佐藤仙務(さとう・ひさむ)
1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。



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