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自ら望んだ「在宅ひとり死」をやり遂げた人の実際

2021-09-14 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です。

人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、いつの間にか死は「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと受け止め方がわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。
看取り士とは、余命告知を受けた本人の家族から依頼を受け、本人や家族の不安や恐怖をやわらげ、思い出を共有し、最後は抱きしめて看取ることをうながす仕事。家族がいない人を支えることもある。
田中雄一(仮名・65)に、家族や親族との付き合いはなく、終末期をワンルームの自宅アパートで、ひとりで過ごした。一見かわいそうにも見えるが、彼を見守った在宅医はなぜか、「最期まで自由に暮らして、よい看取りだった」と語ったという。
田中と看取り士との交流を軸に、在宅医の真意を探る。
人生最後に彼が書いた言葉は「テレビ見たい」
看取り士である西河美智子(58)に、顔なじみの女性ケアマネジャー(53)から依頼があったのは今年1月。通常の派遣依頼は高齢者の家族からの場合が多い。だが、自宅で過ごすことを希望する単身者の場合、介護プランの作成を担当するケアマネジャーから依頼されることがある。
「急変されました」
ケアマネジャーからの緊急連絡が、西河に入ったのが4月末。田中が亡くなる前日の昼下がりだ。午前中に訪問した男性の介護ヘルパーが、床で倒れている田中を見つけた。田中は膀胱(ぼうこう)がんのステージ4で、悪性腫瘍の切除もできない状態だった。
西河が田中宅に着くと、目に生気がなく、声かけへの反応はにぶく、呼吸も浅かった。西河らの後に到着した担当医は診察後に、「看取り期に入りました。あとはお願いします」と、西河らに告げた。
元看護士でもある西河らの懸命の支えで、田中はいったん持ち直した。西河が彼に「今晩はおそばにいましょうか?」と尋ねると、彼は首を小さく左右に振る。続けて「これから先のことはどうしましょうか? 私たちにお任せでいいですか?」と確認すると、今度は黙ってうなずいた。
その後、西河が耳を近づけても田中の言葉が聞き取れない。彼女がすかさずスケッチブックと黒ペンを渡すと、彼は「テレビ 見たい」と書いた。すぐにテレビをつけると彼は黙ってうなずき、しばらくするとすやすやと眠ったという。
「寂しいからテレビをつけるというのでは、たぶんないんです。普段からテレビを24時間つけっぱなしで過ごされていたので、『これでよし』と納得されたんだと思います。田中さんが最後までまっとうしようとされた暮らし方でした」
滋賀県で暮らす西河は、関西弁の抑揚でそうゆっくりと話す。田中の生き方に寄り添い、尊重する彼女の姿勢だった。
しかし、西河が田中にここまで信頼されるのは簡単ではなかった。
女性が苦手な男性宅の玄関で閉め出された日
西河が、ケアマネジャーから田中が極度の女性嫌いだと聞かされたのは、最初の面会後。ベテランの彼女も田中にはまるで取りつく島がなく、困り果てて西河に依頼してきたという。
定年退職後の田中は趣味の温泉めぐりに没頭し、車での移動生活を約5年間続けた。だが、がんが見つかって入院。放射線治療を受けて退院していた。
最初の面会から数日後、西河も1人で訪問すると案の定、田中に玄関ドアから閉め出された。彼は多少酔っていて、口から酒のにおいがした。
「自分で(生活)できるから迷惑なんだよっ!」
「はい、わかりました。今日は帰りますね」
西河は早々に退散し、数日後に素知らぬ顔で再訪した。
「また、来たんか。……仕方ないな」
田中はこのときドアを閉めなかった。室内に入ると飲みかけのパック牛乳からの饐(す)えた臭いと、アルコール臭が漂っていた。西河はちょっと窓を開けましょうかと言いながら換気をして、部屋をそっと片付けた。
この頃の田中は、まだ近所に歩いて買い物に行くことができた。配食サービスにはすぐに飽きて、毎回の食事はチョコレートと、ビールか焼酎のみ。
「田中さんが好きなものを摂っていらっしゃることを、とやかく言うことはありません。何を大事に思われ、どう暮らしたいのか。看取り士としては、ご本人の暮らしぶりをただ尊重するだけですから」(西河)
「幸せなひとり死」に必要なこと
やがて外出もままならなくなると、女性嫌いのはずの田中は、西河の訪問予定日を部屋のカレンダーに記入するようになる。さらにはトマトや梅干しなどの食べたいもののメモを、西河の訪問前に書きとめ始めた。
一連の変化を踏まえ、西河は訪問予定のない4月8日に2人の看取り士と一緒に田中宅を訪問。彼の誕生日サプライズだ。
田中は小さなアルミ缶のビールを手に「うれしいなぁ、うれしいわ」と、約1カ月ぶりの味に舌鼓を打った。自分が巡った中で印象深い温泉についても、機嫌よく話したという。
田中への対応を一任したケアマネジャーは、西河のねばり強い対応力を指摘する。
「最初に閉め出されても少しもめげず、最後は田中さんからとても強い信頼をおかれていました」
風呂好きな田中は、西河にすすめられて入浴を再開し、亡くなる3日前まで毎日入っていた。
「最後のほうは西河さんの訪問予定時刻の前に入浴されていて、やがて体力的にきつくて自力で(浴槽から)上がれなくなると、今度は西河さんに自分の身を委ねて、介助されるほどでしたから」(ケアマネジャー)
日本看取り士会の柴田久美子会長は、気持ちがころころ変わる、看取り期の人の端的な事例と指摘する。大好きなお風呂から自力で出られなくなった時点で、田中も支えてくれる人が必要だと気付いたのではないかという。
「認知症になっても自宅にいたいと懇願されていた別の男性も、希望通りに先日旅立たれました。どちらもご本人が最後まで続けたい暮らし方と、その尊厳をしっかりと見つめて寄り添う、看取り士が支えて実現したことと思います。支える人がいれば、誰でも在宅で幸せな死を迎えられるんです」(柴田会長)
もしも、家族がそばにいたらその都合や意向が優先され、本人が自宅にいたくても病院や施設に移されていたかもしれないと、柴田会長は補足した。
1つの生き物になっていたような無言の時間
5月1日の午前7時過ぎ、西河は田中宅に1人で来ていた。前夜の様子から、もう長くないと思ったためだ。西河は再びベッドに横たわる田中の頭を左ももにのせて、静かに呼吸を合わせた。
本人の死への不安や恐れを分かち合う「看取りの作法」だ。
取材に答える西河さん(写真:筆者撮影)
「田中さんが私のことをじーっと見つめられるので、私は時おり黙ったまま目で『どうしたの?』と尋ねるわけです。でも、彼は顔を小さく左右に動かして無言で、『なんでもない』と伝えてくれるだけでした」
最期が近づく田中は、西河の手をずっと握っていることさえ疲れる。だからその手を時おり放すのだが、しばらくすると西河の手を再び探す。彼女の手に触れると弱々しい力で握る。それが繰り返された。
「次第に人と人の垣根を超えて、1つの生き物になっているような気持ちになりました。ものすごく幸福な時間でしたね」(西河)
到着したケアマネジャーが玄関のドアノブをカチャッと回した瞬間、田中は大きな息を1つして旅立った。その後に駆けつけた在宅医は、「最期まで自由に暮らして、よい看取りだった」と、ケアマネジャーや西河らをねぎらった。
実は在宅医の彼も、診察前に田中が入浴したまま浴槽から出てこられなくなった際、怒ることもなく風呂場までやってきて、「入浴できるのは健康な証拠」と、田中に伝えたことがあったという。
彼が言った「よい看取り」とは、田中が最期まで自宅で暮らせるように尽力した、介護チームの全員に向けられていたのかもしれない。
荒川 龍 : ルポライター(=文中敬称略=)



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