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「あら、まだできてないの?」働く母に代わり夕食を作る高1長女を襲った過呼吸…生まれながら「よい子」はいません

2021-07-27 13:30:00 | 日記

下記の記事はヨミドクターオンラインからの借用(コピー)です

お母さんに代わって夕食の支度を
 菜月さん(仮名)は、過呼吸のために思春期外来を受診した女子高校生です。
 単身赴任のため不在のお父さんとパートタイム勤務のお母さん、それに2歳年下の妹さんとの4人家族。菜月さんは、小中学校時代を通して優等生で、クラスのリーダー的な存在でした。学級委員を任されることが多かったということです。お母さんは、そんな菜月さんのことを、これまで一度も心配したことがありませんでした。
 高校入学後、もともと音楽好きの菜月さんは、吹奏楽部に入部し、熱心に練習に打ち込んでいました。ちょうどこの時期から、お母さんがパートタイムの仕事に出るようになっています。お母さんの帰りが遅いので、菜月さんはお母さんに代わって夕食の支度をして、妹さんとお母さんの帰りを待つという生活を続けていました。
繰り返し襲った過呼吸
 高校1年の11月、菜月さんは教室で突然、過呼吸を起こすようになりました。その後も繰り返して過呼吸を起こし、そのたびに保健室に運ばれました。そのため、保健室の先生の勧めで、高校2年の4月、お母さんと一緒に思春期外来を受診しました。
 診察時の菜月さんは、過呼吸を起こす原因になるような悩みごとは何もないと話していました。
 同伴したお母さんは、
 「勉強も部活も親に言われなくてもまじめにこなす子で、自宅では夕食を作ってくれるのでとても助かっています」
 と述べていました。
 お母さんと一緒に、定期的に通院することになりました。
吹奏楽部の先輩の言葉に傷つき
 通院を始めて1か月後、菜月さんは学校でのできごとを少しずつ話してくれるようになりました。
 「吹奏楽部の先輩から、フルートの演奏が上達しないので、やる気がないのではないかと何度も注意されました。私は高校に入ってから吹奏楽を始めたので、そう言われることがとてもつらく感じました。それと同じころに、いつも一緒にいるクラスの女子から、私が他のグループの女子と仲良くしていることを責められました」
 と、泣きながら学校でのできごとについて話してくれました。さらに続けて、
 「でも、こんな話をお母さんにはできません。だって、家族のために働いているお母さんに迷惑をかけたくないから」
 と述べていました。
夕食を作るのは当たり前?
 通院を始めて3か月が 経た つと、菜月さんの過呼吸を起こす回数は少なくなってきました。このころになると、学校では、部活の先輩やクラスの女子とそれなりにうまくやれているということでした。
 診察室での菜月さんは、お母さんとのことについて初めて語りました。
 「お母さんは毎日、遅くまでパートの仕事をしています。それで私が夕食を作るのが当たり前だと思って、これまでお母さんに代わって夕食を作ってきました。でも、お母さんに感謝されたことは一度もありません。先日、部活で帰りが遅くなって、夕食ができる前にお母さんが帰ってきました。その時にお母さんから『あら、まだ夕食ができてないの?』と言われて、とてもショックでした。お母さんは私が夕食を作ることを当たり前だと思っている」
 と言って泣き出しました。
 お母さんに面接すると、菜月さんが何も話してくれないので、何で悩んでいるのかがわからないと言います。
お母さんと一緒に支度を
 通院が始まって5か月後、菜月さんはお母さんに、夕食の支度をすることの大変さを初めて打ち明けることができました。
 その直後の面接で、お母さんは、
 「菜月は私に気兼ねして、我慢してきたんですね。パートから帰ったら、『疲れた、疲れた』とは言わず、もっと真剣に菜月の話を聞いてあげなくてはいけませんね。夕食のことも菜月に頼り過ぎていたと思います。これからは私が早く帰宅して、菜月と一緒に夕食の支度をしたいと思います」
 と述べました。
 その後は、一緒に夕食を作りながら、菜月さんと話をするようになりました。菜月さんも、学校でのできごとを、以前よりもよくお母さんに話しているようです。通院を始めて9か月後には、菜月さんの過呼吸はほとんどみられなくなりました。
つらい体験がこころの対処能力を超え
 菜月さんは部活やクラスでのつらい体験を、誰にも話すことができず、こころのなかにため込んでしまいました。ため込んだ気持ちが菜月さんのこころの対処能力を超えてしまって、過呼吸が起きるようになったと考えられます。通院を始めてから、菜月さんはその気持ちをお母さんに打ち明けることができました。
 生まれながらにして手のかからない子なんて、実は存在しないのではないでしょうか。家庭での親の様子を見て、子どもたちは「手のかからないよい子」という仮面を自然と身に着けてしまうのだと思います。親はそれが当たり前と思い、そのような子どもに特段、関心を向けることもなく、親自身の仕事や趣味に没頭しているわけです。
 しかし、子どもたちが思春期に至ると、手のかからないよい子としてだけでは生きていけない家庭や学校の問題に次々と直面し、子どもたちのこころを揺さぶり、よい子という生き方の裏側に潜む問題が 露あら わになります。
 菜月さんのお母さんは、これではいけないと立ち止まり、菜月さんと関わる時間を増やして、その気持ちを大切にするようになりました。よい子と言われる子どもたちは、親にもっと自分の気持ちを聞いてほしいのです。「どんなにひどいことを言っても親は自分を見放すことがない」という安心感があって初めて、子どもたちは本音を語り出すのです。(武井明 精神科医)



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