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家のお風呂から旅立った母、私の介護は間違っていたのか

2021-04-25 13:30:00 | 日記

下記の記事は日経ビジネスオンラインからの借用(コピー)です

「母親を看取ることができなかった私は、親不孝なのだろうか……」
 私は、この問いに対して、なかなか答えの見つからない日々を過ごしていました。
 いつもは川内さんのお話をまとめているライターの岡崎杏里です。
 今回は、私の話にお付き合いください。
 2020年12月、要介護2だった私の母が、自宅での入浴中に亡くなりました。
 たった一人で、浴槽の中で最期を迎えていました。
 自身も両親の介護の真っただ中(父の老人ホーム探しを書かせていただいたこともありました→「実録・父のために介護施設7カ所を一気に見学」)で関わることになった、この連載。毎回、自身の介護と照らし合わせながら記事をつづっています。
 介護のその先にある「親の死」に関する内容にも触れることもありました。そのたびに、両親共に要介護状態だったため、常に自分の問題としても考えてはいましたが。
 まさか、この連載中に、直面することになるとは。
 さらに、母の最期を看取ることができないなんて。  それは私が“イメージ”していた、母との別れとはあまりにもかけ離れていたのです。
 「同居すべきだったのだろうか」「私の母への介護は、何かが間違っていたのだろうか」など、母の死から間もないころは、自分を責め続けました。
 母の死の様子を知った人から、
「親の最期を見送れず、また、お母さんも見送られることができなかったのは、お互いにかわいそうだったね」
 といったような声をたびたび掛けられました。そのたびに深い心の闇に沈んでいく私。
 ですが、ある日。
「お母さんは最期まで自分の思った通りに生きられて幸せだったね」
 と、母の親友とも呼べる人が、私にそう声を掛けてくれたのです。
 この声によって、私の中に「“最期を見送れない、見送られない”のは、本当にお互いがかわいそうなのだろうか?」という疑問が生まれてきたのです。
 私はこの連載から“介護の要”は、「介護される人の気持ち、望むことを大切にする」ということだと学んできたつもりです。
 以下に述べる私の考えに対して、「ただの言い訳だ」「自身の介護を正当化している」と受け取る方もいるでしょう。価値観はさまざまですし、実は私自身も、今なおそちらに気持ちが動いてしまうことがあります。
 皆さんがどう思われるのかは分かりません。以下、淡々とこれまでの経緯と、自分の気持ちを綴らせていただこうと思います。
母が自宅での暮らしにこだわった理由
 母は、認知症の父が施設に入所して、要介護で独居となっても、訪問ヘルパーや福祉用具をフルに利用して、それまで暮らした家での生活にこだわっていました。
 その一方で母は、育児やこれまで父親の介護をしてきた私に、自分(母親)の介護までさせたくない想いや、そもそも、私と母は性格的な面で合わないところもあり、物理的にも心理的にも一定の距離を取ることの大切さはお互いに心得ていました。
 私が、川内さん的に言えば「母が安全に暮らせるのか、という、自分の不安を解消するために」同居を提案しても、母は利点よりも欠点が多いことを見抜き、拒否しました。
 時間を拘束される“デイサービス”の利用も、ご近所にたくさんいる母の友達が、しょっちゅうお茶を飲みに来るような環境を手放したくない、という理由で拒否し続けました。
 母がデイサービスを嫌がる理由も、よく分かります。でも、パーキンソン症候群により、著しく低下した運動機能を心配するケアマネジャーは「お風呂だけは1人では危ないので、ヘルパーかデイサービスを利用してください」と訴え続けていました。
 私もそこはケアマネジャーに同意して、2人であの手この手を使い、時には衝突をしながらも、説得を試みました。それでも、なかなか首を縦に振らない母には、大きな理由があったのです。「お風呂は寝る直前に入りたい」という長年の習慣を変えたくないこと。そして何よりも、母のお腹には卵巣がんなど2回の手術でできた十文字のような大きな傷があります。私や友人が温泉旅行に誘っても「傷があるから、人とお風呂に入るのはイヤ」と気にしていました。
 「本人の気持ちを一番に考えよう」というケアマネジャーの助言で、一度は諦めたデイサービスの利用。それでも、こちらの気持ちを少しは察してか「半日タイプのデイサービスになら」と言ってくれて、見学の予約を1週間後に控えていたところで、母はこの世を去ってしまったのです。結果的に、母はデイサービスを利用しない、という意思を貫いたわけです。
 「もっと、早く、無理やりにでもデイサービスに行かせていれば……」と後悔したこともあります。一方で、その決断に半年も要するほど“嫌だったところ”へ行かせずに済んだ、と、安堵している気持ちがあることにも気がつきました。
母はどちらを幸せに感じたのだろうか
 “介護の要”を理解できていなかった、この連載に関わる前であれば、母が大切にしたかったことよりも、「同居をしていたら」「デイサービスに行ってもらっていたら」「ヘルパーさんにお風呂をお願いしていたら」と、自分が介護で後悔したくないための思いにしか目が向かなかったことでしょう。
 母の思いを自分の考えで押し切ることができれば、母は今も生きていたかもしれない。事故(お風呂での溺死は事故扱いになります)ではなく、天寿を全うして、病院のベッドで家族に見守られて、私が“イメージ”していたように、母の手を握り、看取る。
 母もそれを望んでいたかもしれません。一方で、娘の“イメージ通りの看取り”のために自分の希望を通せなかったとしたら、母はそれを幸せだと感じたのかどうか。
 こればかりは、母はもう、この世にいないので、正しい答えを知ることができません。要介護状態で一人暮らしを選んだ段階で、母なりにそれなりの覚悟をしていたのかもしれない。どんな思いを抱えていたのか、今は知る由もありません。
 正直、「一人で旅立たせてしまった」ということに、現時点ではまだ心の整理ができていません。
 どんなに悔やんでも、浴槽に浮かんだ、すでに逝ってしまった母を一番に発見したことが、私にとっての“看取り”という現実は変わることがないのです。
 それでも、「一人で入浴する」ことを含めて、「自分の譲れない部分を貫き通すことができた」ということに母は納得していて、私も(結果的に、ではありますが)彼女の意思を尊重できたことは、意外にも母の「介護」に関しては、後悔は少ないのです。
 父の介護も合わせて、人生の半分以上を介護と共に歩んできた私は、ずっと「介護が終わる日」の後に来る焦燥感におびえていました。
 でも、今は少しずつ前を向くことができています。それは、この連載に参加することができ、川内さんから“介護の要”について考える機会を与えてもらっていたことが、大きく影響していることは間違いありません。
 今、介護中の方がそこまで先を考えることは難しいかもしれません。
 ただ、この連載には「介護が終わる日」の先のこと、さらには親の介護を通して「自分はどう介護されたいか」「どんな最期を迎えたいか」までを包括する内容になっている。それを改めて、自身の体験から気づかされ、読者の皆さんにも伝えたく、今回、記事を書かせていただきました。
 この連載から学んだことと母の死により考えたことを、川内さんに話しました。
 すると、川内さんは、
「“介護”や“看取り”は、皆さんが思い描いているようなイメージ通りでないと、ダメですか?」
「“介護”や“看取り”って、誰かが近くにいてあげることが、正解なのでしょうか?」
いい介護、いい人生、いい旅立ち方とは……。
 他人から見たら、どんなにつまらないことでもかまわない。自分の本当に好きなことを、思い通りに貫いて生ききることができたら、それは、ご本人にとっても、ご家族にとっても、いい介護、いい人生だったと言えるのではないか――。
 人生同様、死に方もその人だけのものなのだ。
 川内さんはそうおっしゃっているのだと思います。
 きっと、「これが正解だ!」というものはありません。そんな中で私は自らの経験から考えた答えは、“介護”も“看取り”もイメージ通りにならないことが多く、現実に起きたことを受け入れていくしかない。誰も近くにいなくても、本人が大切にしていたことに気づき、家族として少しでも寄り添うことができれば、「介護が終わる日」の先も前を向いて生きていける、ということでした。
 あなたの答えはどうでしょうか?
 私の話にここまでお付き合いくださった読者の皆さんには、この機会に川内さんからの問いに対して、“イメージ”にとらわれず、“介護の要”である「介護される人の気持ち、望むことを大切にする」を真ん中に、“介護”と“看取り”について、それぞれの答えを考えていただければと思います。
 ぜひ、皆さんが感じたことをコメントに投稿してみてください。“介護”と“看取り”について、一緒に考えていきましょう。



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