鮎毛バリ釣りと金沢サクラマス情報その2

金澤孔雀鮎毛バリ本舗 「けばりや中山」
加賀伝統工芸研究所 ・毛バリ部門

白山市手取川夫婦岩下流の川幅狭い場所

2013-08-24 05:01:00 | 「魚道」と「河川整備」の問題点と対策案
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2013年8月20日
石川県白山市

ゲリラ豪雨
 テレビで全国放送さた。

 


2013年8月4日

市長様が防災ヘリコプターで視察された。

下記は手取川でも国が整備しないと放棄した区間

洪水で氾濫しても、国も県も市も責任はだれもとらない区間。

視察したけど、何もできない。

手取川第1ダムの一番頂上の水門から放水したら、堤防ないから氾濫するかもしれない。


ジオパークで見栄えのいい、巨大堤防作らないと、洪水大事件と膨大な保証金いります。





手取川夫婦岩下流の川幅狭い場所
2012年春作成記事
 

手取川の一番、氾濫しやすい場所

国土交通副大臣在任中(辞任した)

に予算つけていただきましょう。

昭和九年の大雨で氾濫した場所です。

何の対策もされていません。

氾濫する前に、対策お願いします。

氾濫してからだと、予算が数倍いります。

河川氾濫前に工事を行えは、負傷者がでません。

河川改修予算の許可で


予算が通れば、数十億円になります。

手取川は、元県議会議長のお膝元。

対策案を議員はまったくださなくていい。

指摘するだけで、対応はお上の仕事。


3年前の手取川鶴来河川工事の陳情書の写真は、

昭和9年の洪水の写真が使われていました。

それでも、工事許可おりました。

予算3億円

白山堰堤改修工事の予算70億円も通りました。





 

写真1 手取川白山市河内町夫婦岩
 川幅広く水量少ないようにみえる。

200mほど下流の河内図書館横の橋の上から見ると

川の水満水状態で危険でした。


写真2 手取川 白山市福岡・河内図書館横橋上流
川の水が流れる幅が20mほどしかない。
水深も深くない。
手取川本流の問題箇所

考察
 手取川第3ダムが作られたのは、この狭い川幅の為か。
 手取川第1・2ダムから水を放水した場合に
 下流14kmのこの川幅で川が氾濫する恐れがある。
 江戸時代からの年表を見ても手取川の氾濫は、
 数年に1度割合で頻発している。
 その為古くから民家は、河岸段丘の高台に集中している。
 瀬木野、河合、吉岡 岩盤が固いこの橋の付近は、
 川底が浅く、川幅が狭すぎる。
 2011年の中宮の赤川の土砂崩れによる
 尾添川(スパー林道奥)の土砂が雪解け水で流されて
 川底を浅くしている。
 早く黄色○印の区域を広くしないと
 「想定外」の事が起こる。


写真3 福岡橋の下流は川幅が200m深さも40mほどある。


問題点3
 わずかの増水で川が溢れて、河内図書館が水没するかも。


 増水すると人命が危ない。
 古来この図書館の地域は元は河原
 増水で水没した。古来民家は高台にしかない。
対策1
1.川幅を広げる

 河内地区からせりだしている岩盤が大きく水の流れる幅が
 10mほどしかない。
 岩盤を削るか、岩盤の下にトンネル掘る。
 土建関係者が潤う
 一度でも川が氾濫すると、白山市と上流の住宅団地の
 イメージが悪くなる。
 手取川は、1級河川。国土交通省の管理。
 1級河川の管理者の給料は、河川のある県民の
 税金からでてる。県議会で問題になっている。
 地方の税金で国土交通省の国家公務員の給料を
 出している。
 何もしないと数年で、霞ヶ関にご栄転される。
 川の氾濫が起こる事が江戸時代、
 明治時代から分かっているのに何もしないのはおかしい。
 手取川第1ダムは、治水ダム。
 2012年3月、石川県議会で西監理官が、
 白山の噴火もありえると述べられています。
 白山は、1600年まで噴火していた。
 佐久間盛政の弟が勝山から白峰に攻めいってきた
 1560年頃にも白山は噴火していた。
 土石流や噴煙が手取川第1ダムに入るとダム放水にが
 必要になる

○白山の砂防新道の土石流の監視は、白山市白峰風嵐に、
 24時間体制で国が監視しています。
 いつ土石流がくるかわからないから、
 国が24時間体制で監視しているのでないのか。

土石流がきたら、いつも満水の手取川第1、第2ダムから
放水するしかない。

川幅の狭い所は、氾濫するかもしれない。

参考
昭和9年7月11日の大洪水河内福岡発電所
吉野谷村の下吉野黄門橋付近で、大氾濫し、
水力発電所を2箇所浸水させ、河内村吉岡、
江津付近の耕地を埋没し、福岡第1発電所は、
1丈6尺(約5m)浸水し第2発電所は流失しました。


現在の同じ福岡第1発電所.

横の渓谷の大きさは半端でないほど深く広いです



***************************
◎河川工事する時には、有識者会議などの意見がいります。
 法律が変わって、近隣住民の代表者や漁協関係者が
 有識者会議に参加できるようになりました。
 しかし、法律が変わっても、前例がないと漁協関係者も、
 近隣住民も会議に呼ばない。

参照 いいたい放題「漁道見聞録」
   著者 和田吉弘
   発行所 株式会社山海堂
   2003年1月15日発行
  ISBN4-381-01599-1
  定価 (本体2800円+税)


対策2.川底を深く掘る

狭い場所の景観が問題ならば、川底を深く掘る。

対策例

金沢市を流れる犀川

犀川大橋下は、民家が多く川幅が広げられないので
10m深く掘った。

昭和30年頃

土砂4万トン分

掘った土砂は、土塁にされ、現在犀川河川敷室生犀星碑横の
桜並木になっている

☆桜を植えた先輩から直接聞いた

考察

対策しないと、危ない。

河川工事の予算を使うのここしかない。

手取川が河内町付近で溢れると手取沿い
少し雨で川が満水。大きな木が流れてひっかると、
たちまち氾濫か。




写真:福岡橋上流の手取川で一番狭く一番浅い場所


「桐の里」の団地まで水が遡る
  元副知事の住まいがある。

有史以来、人が住んでなかった所は、
 何か問題点があるから人が住んでいなった。

  「金沢大学の市民講座」にて聞いた


手取川 中流鶴来・天狗橋付近は、川幅が500m程あるが
ほとんど流れていないように見える。
上流で河川が溢れそうでも下流に水はない。

写真の天狗橋は、
河内町で川が満水の時に、下流の天狗橋では
ほとんど水がない状態でした。
昭和9年の白山の土石流

で流されて落ちた

手取川の天狗橋の架け替えの数年後に
水の事故が発生してます。


水難難事故がありませんように


昭和9年の水害の後の復旧計画を調べてみると。
鶴来から下流しか改修計画がありませんでした。



昭和9年の大洪水からの復興
手取川改修12年間計画

昭和9年の大水害を受けて、内務省新潟土木出張所は、
昭和9年より20年までの12か年事業として
総工費495万円にて、鶴来町より海に至る16km区間の
工事をおこなう事にしました。

・高水流量を4500立方メートル
・鶴来町の川幅が狭い2.5km区間の引き堤、
 それより下流11km区間は堤防の嵩上げ、
 河口2.5km間は新しい堤防を作り
 まっすぐにして川幅を広げる。
・川幅は、上流付近は200mとし、
 12km付近は300m、
 8km付近では330~350m、
 4km手取川橋付近では、450mとし、
 河口は水深を深くし川幅を400mとする。

これらの計画は、昭和9年度以降順次進められました。
以上



(^^旧河内村は、何も対策なし。
なんと、国土交通省の管轄外の区間
県の管轄は、1級河川の管轄外

増水で河内町の河川が氾濫しても、誰の責任でもない区間。

せめて大規模堰堤でも、


国土交通省の管轄外の区間。




鶴来町の川幅を200mとし、高い堤防を作りしました。
5km上流は無視。

☆大日川と手取川の合流した下流の20mの
 川幅の狭い所は、いまだ改修されず。
 10分の1の狭さ。鶴来で川幅200mなのに
 河内で川幅20m。
川幅20横にある。河内図書館と保育園。大丈夫?



☆川幅が急に狭くなった所は、水止めになって洪水が、
上流に逆流していきます。
水の逆流が止まると。水嵩(みずかさ)が高くなり、
勢いをつけて下流を破壊しながら川津波となって
手取川を下ります。
手取川の鶴来には、「川津波(くつなみ)」という言葉が
伝わっています。


☆川の水が上流にさかのぼる現象は、2008年の
浅野川氾濫時に支流:源太郎川でおきました。


関連記事↓クリック
《「魚道」と「河川整備」の問題点》の記事一覧 「新規ウィンドウで開く」のアイコン

参照
白山砂防の歴史:手取川流域で起こった主な災害 「新規ウィンドウで開く」のアイコン

手取川災害略史
西暦 月日 災害記事
1659万治2年4月21日
  白山噴火(最も新しい噴火)
1668寛文8年6月11、12日
  手取川洪水、
  死者8名、流失家屋39戸
1671寛文11年8月9日
  手取川洪水、死者32名、流失家屋88戸
1855安政2年8月26日
  手取川出水、川北村朝日で18戸流失
1858安政5年  
  飛越地震、柳谷、甚之助谷崩壊
1877明治10年5月5日
  手取川出水
  北市、上清水、山田先田、吉原
  赤井に堤防が切れる。
1881明治14年4月29日
  手取川出水
  能美郡三ツ口、岩内村、
  清水村等46カ村の田畑被害
7月2日
  手取川出水
  粟生村、家屋10戸、倉庫3戸、水車1を流失
  浸水家屋180戸に及び、女子2名死亡
  田畑の損失100町歩
1890 明治23年10月6日
  手取川洪水、
  吉田村、吉井村一帯が氾濫
1891明治24年10月28日
  美濃大地震、家屋全壊25戸、半壊80戸
1894明治27年 8月11日
  手取川
  堤防失潰10カ所、粟生橋破壊
1896明治29年 8月2日、9月7日
  手取川出水、
  死者84名、負傷者185名、家屋全壊・流失320戸
1902明治35年7月14日
  手取川出水、
  粟生堤防900メートル決壊
1934昭和9年 7月11日
  手取川出水、
  家屋流失172戸、浸水家屋586戸、
  死者97名、負傷者35名、行方不明15名
1958昭和33年7月26日
  手取川出水、
  死者5名、負傷者12名、
  全壊・流失家屋40戸
1961昭和36年9月16日
  第2室戸台風
1976昭和51年9月8日~14日
  手取川出水、
  県道(白山公園線)
  一部欠潰し交通不能となった。
1985昭和60年7月11日~13日
   同上
1999平成11年9月15日
  別当谷で泥流発生、
  甚之助谷で土石流発生、
  とかち橋~細谷10号線堰堤付近まで
  土石流が到達した。
2004平成16年5月17日
  別当谷で土石流発生、
  別当出合付近の砂防新道の吊橋流失、
  上流の工事用道路の仮設橋流失、
  別当谷砂防堰堤23基破損
2006平成18年9月7日、15日
  別当谷で山腹(約5000立方メートル)
  が崩壊

聞き書き
☆明治時代の手取川の氾濫で、
白山町ローソン辺りの村が水没村ごと移転転居先不明
広瀬町の川沿いの村住民が洪水で家を流され神社のご神体を広瀬神社に預けて北海道留萌に移住今でも交流あり
  
河内町支所手取川向かい瀬木野にあった村が洪水で村ごと現:内尾町の奥に村ごと移住
聞き書き終わり
 

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