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父島事件は処刑した捕虜の人肉食事件にすり替えられ・・・

2014年12月24日 00時00分00秒 | 歴史・動画 

http://www.powresearch.jp/jp/activities/workshop/chichijima.html

転載、させていただいた記事です・

父島事件 真相の一端


〜米捕虜の処刑に立ち会ったある少尉の証言〜

澤田 猛

2008年10月25日 場所:大阪経済法科大学麻布台セミナーハウス
 

はじめに

父島事件とは第二次大戦末期、東京都小笠村の父島で起こった米国捕虜将校らの一連の処刑事件。

BC級戦犯裁判の一つとして知られるが、本日の報告では処刑事件のうちの一件に立ち会ったというある少尉

(正確には少尉候補生)の目撃証言の内容を伝えたい。

同候補生は日弁連元会長で、戦後補償裁判の一つで現在係争中の重慶大爆撃訴訟の弁護団長を務めている

土屋公献さん(85歳)。この事件の青年・土屋に与えた影響は大きく、弁護士活動の原点になった。

 

父島へ

旧制静岡高校時代の1943年11月に学徒出陣し、訓練を経て1945年1月に東京から南約1300キロの

小笠原諸島・父島の第二魚雷艇隊に配属された。ちなみに同島の南約200〜300キロにある硫黄島に米軍が

上陸したのは同年2月、翌月に同島の日本軍守備隊は全滅している。

父島事件については米軍の捕虜パイロットを追跡調査した『父親たちの星条旗』の著者で知られる

ジェームズ・ブラッドレーの二冊目の著作『FLY BOYS』に詳しく書かれている。あいにくこの著作は邦訳されていない。

著書の内容をちょっと紹介したい。父島周辺で墜落し捕虜となった米軍パイロット8人のその後の運命を日米双方の

関係者の証言をもとにまとめたものだ。海上に着水したため、米潜水艦に救出されたジョージ・ブッシュ(米元大統領)

も出てくる異色ドキュメントである。8人の中にウオーレン・アール・ボーンという捕虜将校がたびたび登場する。

土屋さんが会話を交わすことになったのはこのボーンだった。

 

捕虜との一週間

捕虜のパイロットは父島に配置された部隊ごとに一人ずつ預かったという。魚雷艇隊ではボーンを預かった。

処刑までの期間は少なくとも一週間はあった。この間、つたない英語でボーンと会話を交わす機会があった。

ボーンは海軍中尉で22歳。土屋さんは少尉候補生で21歳。当時、日本は数えで年齢を言う習慣があったから、

ボーンには「The same age」(同い年だね)と言ったことを覚えている、と土屋さんは語っている。

処刑当日(ブラッドレーの著書によると、3月17日)、土屋さんは当直将校だった。ボーンの目隠しをし、

処刑場所に連れていくのも土屋さんの任務。既に処刑されることを覚悟しているとみえて、騒がず、わめかず、

従容として処刑場所に臨んだ姿が忘れられない。「母一人、子一人」「国(米国)では母が首を長くして待っている」。

土屋さんはボーンとの会話の中でいまでも脳裏から離れない言葉だと話した。

こういう人間をむざむざと処刑するのかと思ったという。

 

戦犯容疑と紙一重

土屋さんは当初、捕虜の首を切ることを命令されていた。土屋さんは学生時代、剣道をしていて二段だった。

上官はそれを知っていてそういう命令が出ていた。軍隊では上官の命令には逆らえない。ところがその後、

学徒出陣組の中に四段のいることが分かり、彼がボーンの首をはねた。戦争が終わり、彼は戦犯容疑に問われ、

逃げ切れずに郷里で自殺した。土屋さんはもしあのとき、当初の命令通り自分が切っていたら、自身が

殺人容疑の戦犯になっていた。土屋さんは父島事件の真相の一端を以上のように語った。

実際、戦場とはむごく、愚かなもの。そういう現実を目の当たりにしたことが、戦争を繰り返してはいけないという

思いにつながり、弁護士への道を歩むことになったと土屋さんは締めくくった。

 

記録と表現

土屋さんの証言から考えなければならない点がいくつか挙げられるように思う。

父島事件は処刑した捕虜の人肉食事件にすり替えられ、事の真相があいまいにされてきたきらいがある。

例えば、秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う(下)』(文春文庫)の第32章「人肉事件の父島から生還したブッシュ」で、

秦氏は「殺害したあと、ボーンの肉や内臓を摘出して死体を損壊」との米軍事法廷の起訴状を引用しながら、

「人肉食への言及はないが、関係者の回想によると…」とし、

人肉食に結びつけようとする文脈でこの部分は構成されている。

土屋さんの証言によると、ボーンの殺害された日、土屋さんは当直将校で、その深夜、飢えに苦しむ兵2人が

ボーンの遺体を掘り起こし食べようとするのを戒めており、またボーンの首をはねた場所は「砂浜」(秦氏)でなく、

米軍の砲弾で穴の開いた土の上。ボーンの肉を食ったというのは事実に反する、と土屋さんの語気は鋭かった。

今後の私の課題の一つは、父島事件の戦犯裁判は米海軍のグアム軍事法廷で開かれており、この記録をあたる

必要がある。

しかし戦勝国が敗戦国を裁いた戦犯裁判である以上、判決が必ずしも公正な裁きを反映しているとは限らない。

土屋さんの証言には、記録と表現の上で考えなければならない問題があることを提起していると私は

受け止めている。しかし、土屋さんの証言によって、事件の真相の一端が明らかにされたように思う。

以上をもって、土屋さんから聞いた「父島事件 真相の一端」の中間報告としたい。




 

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3 コメント

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Unknown (英)
2014-12-24 15:16:04
捕虜と交流すれば、

まあ、いろいろ日本人だから、情がわくのは

当然だろう。

しかし、母一人子一人を殺すのか。

というが、それは、ある意味お互い様だ。
Unknown (泣き虫ウンモ)
2014-12-24 20:59:12
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の延長にあると思うので、こういう主張をされる方は必要ですね。

旧日本軍と国民の対立構造に持ち込みたいという思考なので、実際はGHQの洗脳あるいは米国の策略と日本の戦いですね。

話は変わりますが、兵站を攻撃したのを米国は忘れたのかなぁ。
そりゃ、ネズミぐらいは食べるでしょう。
Unknown (Unknown)
2018-10-12 11:40:43
日本軍が人肉を喰ったと言うストーリーはかなり拡散されているようです。その殆どはデマでしょう。私は、オランダに亡命しているパプアニューギニアの原住民の総首領のお孫さんと日本で会見した事があります。彼は、オランダ生まれでお爺さんが病気で、もう長くない、お爺さんは、いつも日本軍と過ごした懐かしい日々を孫たちに聞かせてくれていたと言っていました。彼が日本に来た理由は今のパプアニューギニアを救ってくれるのは日本軍しかない、オランダ政府は何もしてくれない、日本軍に窮状を話せばきっと助けてくれるといって日本まで来たそうです。私は、当時、ある政党の本部に在籍していました。紹介者は超大手企業のオランダ支局長でしたが、彼が、今の日本には、そんな力は無いと言っても、お爺さんは聞き入れずに日本に行って伝を探せと言われて来日したそうです。日本軍は戦争中ジャングルの中で食糧を求めて来たので現地人の食べるものを一緒に取りに行き食べ方もお爺さんが教えたそうです。大人数なので十分に食べ物が行き渡らなかったが何とか食いつないでいたと言っていました。ただ、日本軍に協力した事が敵にバレルと大変な拷問が待っていたそうです。たくさんの原住民が虐殺されたと言っていました。日本軍の人肉を食らうと言うのも、恐らく、この事実を隠蔽するために作ったアメリカのデマゴーグだと思います。

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