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舛添要一「私は『文春砲』を絶対に許さない」

2018年02月03日 00時00分00秒 | 政治・拡散記事・報道・海外

2018.2.2 11:18http://www.sankei.com/entertainments/news/180202/ent1802020015-n1.html

舛添要一「私は『文春砲』を絶対に許さない」

 有名人の不倫スキャンダルを数々報じた『週刊文春』が逆風に立たされている。きっかけとなったのは、音楽プロデューサー、小室哲哉の不倫報道だった。報道後、本人が電撃引退を発表したことで、これまでは文春の不倫スクープを持ち上げた世間の風向きが一変。「不倫は他人が糾弾すべきことか」「優れた才能がまた一つ消された」「他にも暴くことあるだろ!」。読者だけでなく、芸能界や著名人からも厳しい声が上がり、炎上した。

 当の文春側は、トークイベントに出演した同誌編集長が「不倫摘発雑誌のようにとらえられるのは切ない」「こちら側の意図するものと、伝わり方に大きなギャップが出ている。予想できなかった」などと苦しい胸の内を明かしたが、ネット上では今も文春叩きが鳴り止まない。スクープ連発で話題を集めた「文春砲」はなぜ批判の的になったのか。

 2016年、その文春砲の餌食となり、後に東京都知事を辞任した舛添要一氏は、オピニオンサイトiRONNAに手記を寄せ、「不倫疑惑を報じる週刊誌などはパパラッチと同じ。読者の好奇心を刺激して金もうけをたくらんでいるだけの話である」などと痛烈に批判。また、心理学者の藤井靖氏は「なぜ日本人は芸能スキャンダルが好きなのか」という視点で“文春逆炎上”の深層を読み解く。他にも、女性文化史研究家の佐伯順子氏や芸能ジャーナリスト、佐々木博之氏も論考を寄せ、文春バッシッングの背景を鋭く考察した。

 詳しくはiRONNA最新テーマ《「文春砲」が許せない》でお届けする。

主な記事は以下の通り。http://ironna.jp/article/8829?p=1

誰がなんと言おうと、私は「文春砲」が許せない(前東京都知事・舛添要一)

舛添要一(前東京都知事)
『週刊文春』に自らの不倫疑惑を報道されたことで、「責任を取って」小室哲哉氏が音楽界からの引退を表明した。これに対して、引退を惜しむファンをはじめとして多くの人々から、文春批判の声が上がっている。

会見場に入る小室哲哉氏=2018年1月19日、
エイベックスビル(撮影・佐藤雄彦)会見場に入る小室哲哉氏=2018年1月19日、 エイベックスビル(撮影・佐藤雄彦)
 今回の件以外にも、これまでさまざまな有名人の不倫報道が週刊誌で流されて大きな話題となり、渦中の人物が世間のバッシングにさらされ、人生を大きく狂わせられる事態が続いてきた。世の中に「魔女狩り」のような空気が漂い、閉塞(へいそく)状態になっているのは愉快な話ではない。
 
 第一に、有名人であれ無名人であれ、不倫といったプライベートなことは、配偶者や家族との間の問題である。他人が容喙(ようかい)してとやかく言う話ではない。妻の介護を含め家庭内の事情を、他人が詮索しても意味のないことである。
不倫などというものは、人間が生物である以上、古今東西どこにでもある話である。そうでなければ、文学作品の多くは成立すらしないであろう。かつては、芸人の浮気などは「芸の肥やし」だと、当然視する風潮が支配的であった。
 
 何人かの国会議員もこの問題で指弾されたが、かつて三木武吉は「妾(めかけ)」に関する立会演説会でのヤジに対して「実は、4人ではなく5人おるのであります」と切り返して喝采を浴びたという。また、フランスでは、ミッテラン大統領が愛人との間に生まれた娘について質問されたとき、「それがどうした」と答え、質問した記者のほうが社会から批判を浴びた。浮気や家族など私的な事項についての質問を記者がすると、「それはあなたには関係ない話だ」と逆襲されて終わるのが常であった。
 
 しかし、日本はもちろん、「大人の国」フランスでも、もはやそのような応対が許されるような時代ではなくなっている。アメリカの悪しき影響なのか、「非寛容社会」が到来したと言ってもよい。
 
 第二に、このような時代風潮の背景には、いつまでも続くデフレ、そして格差の拡大がある。所得が増えれば、それは自分の欲する財やサービスの購入に向かい、他人の私事を詮索するような余裕などなくなる。しかし、今や消費に向かうべき熱情は鬱積(うっせき)してしまい、そのはけ口が有名人のバッシングに向かっている。格差は、貧しい者の豊かな者に対する怨嗟(えんさ)の情を生む。
 
 戦後の高度経済成長時代には、人々は物質的豊かさを求めて全速力で走り、他人の生きざまをコメントする暇はなかったし、仰ぎ見るのはスターダムに登っていく芸能人や野球選手などの晴れ姿であった。そういう右肩上がりの繁栄の時代は終わり、低迷する経済に対する怨念が鎌首を持ち上げてきたのである。
 
 第三に、格の違いが整合化された時代ではなくなったという点を指摘しておきたい。野球でも、1軍と2軍、プロ野球と草野球の違いは歴然としている。繁栄の時代には、週刊誌はマスコミの中では二流であり、いわば「日陰者」の立場にあった。堅気の人間は、そこに掲載された記事など信用せず、話題に上らせることすら恥だとされた。ところが、その週刊誌記事が大マスコミ以上に世の中を動かす時代になり、全国紙もテレビもその後追いに走るという奇妙な状況になってしまった。
 
テレビのワイドショーは、不況で制作費が不足しているのか、週刊誌報道を元ネタにして番組を作り、不倫スキャンダルを全国に広める役回りになり下がった。世間の人も、週刊誌を買えば400円程度の出費になるが、テレビは無料である。
 
 「日陰者」が日の当たるところに出て、大手を振って公道を歩くような時代は尋常ではない。たとえは悪いが、極道がマスコミに出て自らの仁義を開陳するようなことがあれば、それはもはや極道ではない。
 
 その点では、不倫疑惑を報じる週刊誌などはパパラッチと同じである。大義や正義があるわけではない。読者や視聴者の好奇心を刺激して金もうけをたくらんでいるだけの話である。しかも、パパラッチ以上に始末に負えないのは、検察官であるかのように正義を振りかざし、不倫の当事者を断罪しようとすることである。
 
 取材した記者は、実名を公開し、顔を全国にさらすわけでもない。陰に隠れて書いている。だから「日陰者」なのであり、そう言われるのが嫌ならば、正々堂々とテレビの画面に顔を出し、名を名乗ればよいだけの話である。自分が他人を断罪できるほど、品行方正な道徳人とでも思っているのであろうか。
 
 第四は、ネット社会の到来である。みんなが元気に前を向いて進んでいた高度経済成長時代には、インターネットは存在していなかった。今のツイッターと異なり、つぶやいても周りの数人にしか届かない。むろん、発信者が誰かもすぐ分かる。

週刊文春に不倫疑惑を書かれたことを受けて開いた会見で芸能界引退を表明した小室哲哉=エイベックスビル会見で芸能界引退を表明した小室哲哉氏=2018年1月19日、
エイベックスビル
 しかし、今はネット全盛時代である。匿名でツイートする個人的意見や、偏向どころか嘘の情報が大手を振って世間に流れていく。そして、その真偽も確かめられないまま、世論形成に一定の影響力を持ってくる。フェイクニュースの大御所、トランプ米大統領が「フェイクニュース大賞」を発表するという皮肉な時代である。
 
 今回の小室報道は、「文春砲」の成功に酔いしれた週刊文春が、大衆の反発を招き、逆噴射して自らに襲いかかったものである。小室氏の引退表明がなければ、そうはならなかったかもしれないが、週刊誌の居丈高な臆測記事でひとつの才能が消されていくことに、大衆は大きな怒りを感じたのである。金もうけ目当ての、この程度の不倫記事で優秀な人材が活躍の場を失われるような非生産的なことは、「もうやめたらどうか」という思いが、世の中の主流となってきているとすれば、それは健全な流れであろう。
 
 第五に、日本は法治国家ではなく、相変わらず「空気」に支配される国だということである。日本国憲法31条は「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めてある。姦通(かんつう)罪があった時代ならいざ知らず、小室氏とその「愛人」は刑法を犯したわけでもない。それにもかかわらず、「法律の定める手続き」ではなく、週刊誌が作り出す空気や世論によって断罪されるとすれば、日本は法治国家の資格がない。
 
 今回の騒動が、憲法が国民に保証する基本的人権の大切さをみんなに知らせたことの意義は大きい。
 
 
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