桜井聖愛教会バイブルブログ

桜井聖愛教会から発信される聖書からのメッセージ(日々のデボーション・礼拝説教)がアップされていきます。

[神に仕える決断] ヨシュアの迫り

2025-02-14 06:00:00 | 日々のデボーション

2025年2月14日(金)

今週の主題「神に仕える決断」


ヨシュア記 24章14~18節

「ただし、私と私の家は主に仕える。」(15節)


23~24 章に記されているのは、ヨシュアがその生涯の終わりにイスラエルの民らに語ったことばです。

その最後の説教も終わりに差し掛かり、ヨシュアは民らに、生活の中から徹底的に偶像を取り除き、主にのみ仕えなさいと迫ります。

ヨシュアには、彼らがこの後に主を捨てて偶像を拝むようになることがわかっていました。

だからこそ、ヨシュアは、エジプトの地での神々とイスラエルの主、どちらを選ぶのかを今日はっきりさせよ、とできる限りでの強いこ

とばで民らに迫っているのです。


私たちの身の周りには、異教の神だけでなく、お金、名誉、成果など、私たちの心を神から離させようとする様々な偶像的存在があります。

それ自体は良いものでも、私たちがそれを偶像化させるのです。

絶えず、私たちは自らの主である神の御前に立ち、神にのみ仕えることを告白しましょう。


<明日の聖書箇所 詩篇 43:1〜5>


[神に仕える決断] 愛の配慮が理解されない時にも

2025-02-13 06:00:00 | 日々のデボーション

2025年2月13日(木)

今週の主題「神に仕える決断」


コリント人への手紙第二 1章15~24節

「あなたがたに対する私たちのことばは、『はい』であると同時に『いいえ』である、というようなものではありません。」(18節)


パウロは、コリント人への手紙第一を書いた時点で、その後の伝道旅行の行程としてコリントを2回訪ねることにしていました(コリント第一16:5~7)。

しかし、事情があってそのうちの1回の訪問をキャンセルしたのです。

おそらく、そのことについてコリントの教会にいるパウロの反対者が、パウロに抗議したのでしょう。

パウロは、神の誠実さにかけて、この変更について、二枚舌で最初に「はい(行こう)」と言ったわけではないと強く弁明しています。


クリスチャンとしての愛の配慮をもって取った行いが、相手に理解してもらえないということがあるかもしれません。

それでも、私たちは神と人との前に誠実に振る舞うことを諦めないようしましょう。

そして、その振る舞いの意味を求められたときに、いつも弁明できるようにしておきましょう。


<明日の聖書箇所 ヨシュア 24:14〜18>


[神に仕える決断] 自ら体験したことへの確信

2025-02-11 06:00:00 | 日々のデボーション
2025年2月11日(火)
今週の主題「神に仕える決断」

使徒の働き 4章13~22節
「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。」(19節)

ペテロとヨハネが神殿内の「美しの門」で足の不自由だった者を癒し、そこから集まって来た群衆にイエスこそキリストであると説き勧めました。
すると、ユダヤ人指導者たちが、神殿で騒動を起こしたという門で、彼らを捕えてしまいます。
ユダヤ人指導者たちは、2人をユダヤの議会に引き出し、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしないように威しました。
しかし、彼らは、神に聞き従っているのは、あなたがたではなく自分たちだと言わんばかりに、キリストを語ることをやめないと断言したのでした。

彼らは威しかけてくる者たちより、自分たちがキリストを語らなくなることの方を恐れました。
それほど自ら体験した恵みが絶大だったのです。
キリストの証人として、キリストの恵みから目を離さないように心を守りましょう。

<明日の聖書箇所 ルカ 12:1~12>

[神に仕える決断] 強く雄々しくあれ

2025-02-10 06:00:00 | 日々のデボーション

2025年2月10日(月)

今週の主題「神に仕える決断」


ヨシュア記 1章1~9節

「ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。」(7節)


ここまでずっとイスラエルの群れを導いてきたモーセが死に、ヨシュアが後継者として立てられました。

そのヨシュアに対し、主はただ一つのことを求めます。

それは「強くあれ。雄々しくあれ。」ということでした。

目の前に現れる敵が恐ろしく思えるかもしれない。

目に見える満足を求める民の声が誘惑となることがあるかもしれない。

それでも、神のことばによって神と共に歩むことこそ自分たちの力なのだという確信に立つように求められたのです。


目に見える安心が身近になければ、恐れを抱くかもしれません。

しかし、主は生きておられ、主が私たちと共におられます。

主への信頼に堅く立ち、心を強くさせていただきましょう。


<明日の聖書箇所 使徒 4:13〜22>


[回心] 主イエスをm停める心

2025-02-07 06:00:00 | 日々のデボーション
2025年2月7日(金)
今週の主題「回心」

ルカの福音書 19章1~10節
「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(10節)

ザアカイは取税人のかしらで、皆が彼のことを知っており、裕福な人でした。
しかし、ローマに寝返った裏切り者、あるいは不正で富を築く罪人と、皆彼に後ろ指をさしていたのでした。
そんな彼は、主イエスがエリコの町を訪れた際、自ら人だかりの中に飛び込んでいきます。
さらに、彼は背が低くて主イエスを見ることができなかったので、木に登ってまでして主イエスを見ようとしました。それは、主イエスを必要としている彼の思いの強さのあらわれです。
主イエスはその彼に歩み寄り、他の人から陰口を叩かれても気にせずに、彼の家の客となりました。
彼の人生は、そこから新しくなったのです。

失われた者とは、神のもとから離れてしまっている者のことです。
しかし、神は失われた者でさえもご存じで、ご自身を求める者には確かに応えられるお方です。
どのような時も、主イエスを求めることを見失ってはなりません。

<明日の聖書箇所 詩篇 6:1~10>