Sakura De Prog!

プログレ(伊)などの日本未公開記事のインタビュー, オフィシャル情報をご紹介します。無断転載・複製を禁止します。

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ジャンカルロ・ゴルツィ、64回目の誕生日にあたり、モレノ氏から

2016-02-10 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

今日はジャンカルロ・ゴルツィ氏の64回目の誕生日にあたります。昨年8月、あまりにも急に去ってしまわれたゴルツィ氏に、盟友のアルベルト・モレノ氏の送る言葉をご紹介します。(一部抜粋)

ムゼオ・ローゼンバックのアルベルト・モレノが語るジャンカルロ・ゴルツィとの思い出(記事抜粋)

 

私たちが出会ったのは、ビート・ミュージックの夜明け、The Rokesが流行ったころです。当時のリヴィエラは当時多くのバンドが誕生していました。私たちもそんな新参バンドのひとつでした。私は当時のムゼオのキーボード・プレイヤーとして紹介されました。ジャンカルロはスタジオに来て、すぐに音の相性がぴったりだとわかりました。素晴らしいドラマーとの前評判どおりでした。それからはThe Fifth Avenueとバンド名を変えました。68年頃です。多くの変化があった年でした。

 

ジャンカルロとの忘れられない思い出は東京でのことです。ツァラトゥストラ組曲発表から実に40年経った時でした。日本で私たちの演奏を20年間待ち続けいた観客の前でフルで演奏を要請されたときのことです。まさに開演の幕が上がろうとする直前まで、私たちは買い物をしていました。ジャンカルロは笑ってこう言いました。「さあ、いっちょやるか!」何十年もムゼオの完璧な演奏を待ち構えて、一音一音を身構えて聴こうとするお客さんたちを前にして、これは大きな賭けとしか言いようがありませんでした。

もうひとつの思い出というと、1973年にサンレモの劇場でツァラトゥストラ組曲をプロモーションで完全再現したことがありました。当時は大物が見に来てくれました。イ・ジガンティ、イル・ヴォーロのヴィンス・テンペラ、フランチェスコ・グッチーニ、アントネッロ・ヴェンディッティなどです。ここでも、並み居る大物たちを前にして、ジャンカルロは平静を保っていました。舞台でもスタジオでも同じ心構えなのです。で、何が起こったかといいますと。

サンレモ音楽祭での事です。当時、ムゼオは人気歌手のDrupiと同じレーベルに所属しており、彼は突如としてコーラス人員が必要という事態になりました。大ヒット曲の’Vado Via’を演奏するために必要だったのです。当時のムゼオのメンバーは全員テストされました。勿論私はおじけづいて、すぐに選からはずれ、変わりにジャンカルロとギタリストが選ばれ、晴れの舞台でDrupiと歌ったのです。サンレモ音楽祭においてです。それはテレビでも放映されました。これはミュージシャンにとって芸術的な感動です。

 有名な司会者のカルロ・コンティにアリストンでのステージについて、ジャンカルロについて一言コメントしてくれるといいと思います。マティア・バザールとして1978年と2002年の2回大成功を収めていますからね。2002年はジャンカルロの「音楽の娘」であるシルヴィア・メツァノッテと出演しています。この大会場で2回も舞台で大成功を納めたバンドは歴史上他にありませんから。

私はアントネッラ・ルッジィエロ時代のマティア・バザールでロード・マネージャも務めていました。ジャンカルロはマティアにこの重要な任務を任せてくれるようにグループを説得してくれました。この経験から多くの事を学びました。当時の音楽業界の中心でしたから。

そして2012年再びムゼオは復活しました。ジャンカルロと共に、このプログレの火を絶やしてはいけないと語りあっていました。私たちはジェノヴァに渡り、今のPFMのマネージャを紹介してもらいました。これにより、アルバムBarbaricaをリリースすることができました。また、ツァラトゥストラ組曲のスタジオ・ライブも制作できました。そしてムゼオの傑作とも言える「Live In Tokyo」を発売しました。日本での記念すべきコンサートを収録したものです。これは単なるリヴァイヴァルではありません。プログレの進化形なのです。ジャンカルロ、元気でやってるかい!

http://www.lindro.it/sanremo-ricordando-giancarlo-golzi/2/#sthash.hoMrooJQ.dpuf

#giancarlo #golzi #museorosenbach 


ゴルツィ氏の遺志を継承するポップ・ロック・バンドMADとムゼオのモレノ氏からのメッセージ

2015-10-30 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

http://www.riviera24.it/video/video-la-mia-bugia-mad/

故ジャンカルロ・ゴルツィ氏の遺志を継承するポップ・ロック・バンドMADとムゼオのアルベルト・モレノ氏からのメッセージ

 イタリアのサンレモに近いボルディゲーラはマティア・バザールの故郷として有名ですが、新たに若手バンドが誕生しました。平均年齢25歳のMADです。

キャッチ-であるが、骨があるロックと、メンバーの1人のミュージシャンでもある父親は語りました。しっかり大地に足をつけたままで、ヒット・チャートをも狙うことができると。

MADのメンバーは、

David Golzi (ダヴィデ・ゴルツィ g)

Andy Senis (アンディ・セニス b)

Richard Sasso (リッカルド・サッソ dr)

Nino Zuppardo (ニーノ・ズッパルド g)

 

今のイタリアの音楽シーンについてダヴィデはこう語りました。

「今のイタリアにはもう‘バンド’の実体が消えつつある。ここ数年はもう最低レベルだ。髪の毛を突っ立てたハンサムなフロントマンとバッキング・ミュージシャンだけ。」

 

MAD誕生のきっかけは、ダヴィデの父のミュージシャン、故ジャンカルロ・ゴルツィ氏でした。ゴルツィ氏は亡くなる日も、5年かけて育ててきたMADに情熱を持って関わっていました。

「父のアドバイスは今、本当に必要になっています。父のアドヴァイスはすべて貴重なものでした。押しつける感じは一切ありませんでした。」(ダヴィデ)

MADのリハーサルを見守るゴルツィ氏

今、大きく前進しつつあるMADはさらに上の段階を目指しています。自分たちのため、ゴルツィ氏のため、そしてファンのために。

「イメージは重要だと思います。MADもスタイルがあります。」(ダヴィデ)

「MADでは全員ヴォーカルがとれるという強みがあります。また、イタリア語でも英語でも歌えるという強みを活かしていきたいです。」(アンディ~現ムゼオ・ローゼンバッハ兼任)

 

Carried Awayはブリティッシュテイストの曲で、テーマは死刑についてです。

「よく話題になります。バンドとしては興味のあるテーマを歌いたいと思います。」(ダヴィデ)

「音楽を聞く人がそれぞれの解釈をできる余地を与えるものです。MADはひとつの見解を歌います。あらゆる出来事は肯定と否定の両面があります。」(ダヴィデ)

「重要なことだけをテーマにします。表面だけでなく、ずっとプロジェクトを追い続けていきたいです。

‘私の嘘’というタイトルの曲も二面性の現実の巧妙さを歌っています。

 

嘘って何?

生きるためには必要なもの

良きにつけ、悪しきにつけ」 (ダヴィデ)

 

「嘘」を擬人化して歌っています。嘘は人がいつも自分を探していて、自分なしでは生きていけない、でも嘘は人に近寄りたくないのです。人は嘘をつくことに慣れています。これは人の習性なのです。」(アンディ)

 

制作中のフルアルバムのテーマは2人の個人が成長していくことのようですが、まだ機密事項とのことです。アルバムは10曲全曲が完成しています。

「どの曲を使うか選んでいる段階です。」

フルアルバムはMADのエッセンスが詰め込まれたものになるそうです。勿論、このアルバムは亡きゴルツィ氏に捧げたものになります。

 

「マティア・バザール、ムゼオ・ローゼンバッハの皆さんには父と仕事をしていただき、大変感謝しています。この方々(アンディは除く)とのコラボは考えられませんが、素晴らしいスピリットは影響を受けています。イタリアに生まれ、生きていることを強調したかったのです。今では若い人への機会がかなり減っていますが。ビデオではこのことを強調したかったのです。」(ダヴィデ)

 

「‘私のうそ’」では、段ボールをかぶり演奏しました。曲を作っているときにこのアイデアが浮かんできました。コンセプトの‘真実の嘘’を十分に表現できたと思います。

 

☆ムゼオ・ローゼンバッハ創始メンバー、アルベルト・モレノ氏からMADへのメッセージ☆

マティア・バザール、ムゼオ・ローゼンバッハ、そしてMAD-それぞれがポップ、プログレ、ビート・ポップなど異なった指向の音楽ユニットです。アンディ・セニスはベースプレイヤー、そしてMADにおいてはヴォーカリストでもあります。MADはマティア・バザールとムゼオ・ローゼンバッハのドラマーのジャンカルロ・ゴルツィの息子であるダヴィデ・ゴルツィの一声で結成されました。私、アルベルトはマティア・バザールのロード・マネージャーをしていた時代、そこにはアントネッラ・ルッジィエーロもいました。つい最近まで、ジャンカルロとは一緒に仕事をしていました。ジャンカルロのムゼオでの役割はもう皆さんはよくご存じでしょう。今となっては、ジャンカルロは素晴らしい友人で、私の兄弟のような存在になりました。そのジャンカルロはMADの誕生にあたっても、大きな役割を果たしていました。音楽と愛情が絡み合っているストーリーなのです。

 若き日のモレノ氏(左)とゴルツィ氏

 

MAD リンク集
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Alberto Moreno アルベルト・モレノ 26 July 2013 インタビュー 日本じゃスーパースター扱いだよ!

2013-07-31 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

Top photo by Max Mencarelli (c)

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2013年7月26日 アルベルト・モレノ最新インタビュー サマリー

日本ではスーパースターのような扱われ方だったよ!!!

日本における、音楽フェスティバルで最も重要な位置づけとされるイタリアン・プログレッシブ・ロック・フェスティバルから帰国したモレノ氏はつぎのようにその興奮を語りました。

「日本公演は新生ムゼオにとって最初の洗礼ともいえるライブで、それは素晴らしかったよ。日本のファンはムゼオをスーパースターを迎えるように歓迎してくれた。ムゼオはもともとイタリアよりも日本で人気があるんだ。素晴らしい体験だったし、ツァラトゥストラを40年の歳月を経て再演することにはもう大満足だったよ。今でも十分受け入れられているということだね。音楽はサイクルで輪廻しているんだ。70年代のプログレは今の人の耳にはちょっとヴィンテージに聞こえるかもしれない。でも、多くの若いファンもいたんだよ。おそらくツイン・ギターの効果だろうね。メタルではないけれど、絶対にハードロック面は強化されていると思う。あと、誰もが言うことだけど、日本は運営面が完璧だよ!(笑)」

さらに、モレノ氏は立て板に水の如く、ムゼオの再生について熱く語りました。

「ムゼオの再生はパズルみたいなものだった。まず、最初の2ピース、僕とドラムのジャンカルロ・ゴルツィだ。僕は彼とずっとベースを弾いてきて、セッションをやっていた。すごく長い友情だよ。シンガーのルポはこの年月自分の道を歩んでた。イル・テンピオ・デッレ・クレッシードレに参加して、ツァラトゥストラのカバーをやっていた。このとき、ジャンカルロと僕はよく会って、ムゼオの再結成のプランを練ってた。そう、自分たちのカバーを自分たちでしようとしてたんだよね(笑)!で、あとのオリジナル・メンバー2人に声をかけたけれど、事情によりかなわなかった。なので、新生ムゼオに向けて動き出したんだ。キーボードにはファビオ・メジェットをいれた。僕はもうセカンド・キーボードに格下げさ!(笑)で、ギターの人選になった。そうだ、ツァラトゥストラを演奏してた当時、すごくオーバーダブをしてたことを思い出したんだ。とにかく、バンドではギミックなしで、ダイナミックなインパクトを出したかった。だから、スタジオ・ライブではツイン・ギターにしたんだ。Barbaricaでも同じ手法だけれど、よりポスト・プロダクションに時間をかけたかな。まあ、だから、新生ムゼオはイル・テンピオ・デッレ・クレシ―ドレの刺激を受けて大きく前進したって感じかな。」

モレノ氏はさらに73年当時のツァラトゥストラの誕生まで遡ります。

「僕がツァラトゥストラのコンセプトの責任者なんだ。当時、シナリオがすでにあったんだ。イデオロギーで固めた主題よりも、ツァラトゥストラがその時代にしては、エコロジカルな人間という側面を表現したかったんだ。

当時のムゼオの過ちは、「超人」という言葉を適切に使わなかったことだね。Barbaricaはツァラトゥストラの進化系として誕生した。2000年に発表したExitはもうちょっと感情的なテーマで、現代文明における愛の難しさを表現しようとしてるんだ。そこでは、同じ問いかけをしている。「僕たちはこの文明のどのあたりの段階にいるんだろう?」という。答えはアルバムのタイトルどおり、「僕たちはまだまだ野蛮なんだ!Barbaricってことだよ。」文明の底辺ではいつも人間は武器を持ったり、暴力が横行している。Barbaricaのコンセプトは文明の二面性を表現している。戦争が人間に及ぼす影響は危険で暗黒になればなるほど、人間はむしろ「地球が与えてくれる呼吸」によってより明るい面を見ていかなかければならないってことだよ。

ツァラトゥストラはジャケットの絵が原因で放送禁止などになった。絵は何百の言葉よりも雄弁だんだ。ツァラトゥストラの頭部はよく見ると、ギリシャの遺跡の寺院や、柱のコラージュだ。当時、僕たちがメジャーレーベルでレコーディングができた最初の20代のバンドだったんだ。でも、僕たちは無知だった。だから、その頭部にもうちょっとインパクトを与えてしまったのだよ。当時の状況は今とは違うけれど、ナチスとファシズムが、あのイラストから彷彿とさせられたのは確かだったのかもしれない。いまだに、当時のことを思い起こすと眠れなくなるよ。ま、そんな逆境に追い打ちをかけたのが、それぞれの個人の事情だね。兵役に行ったり、大学に戻ったり。世間をあっと言わせるつもりの冒険が未遂で終わってしまったわけだ。それは後悔してるよ。でも、重要なのは、ツァラトゥストラの音楽は40年間衰えていなかったってこと。レコードとしてずっと長生したってことだ。だから、今でもライブに耐えうる音楽だってことがわかるよ。」

モレノ氏はイタリアでのプログレをライブで演奏することの困難について、このように語りました。

「(プログレを)今のイタリアでライブ演奏することはすごく難しくなってきている。もう特定のイベントやフェスティバルの形態でしかライブができなくなってきてる。ムゼオは9月に国内の小規模なツアーを予定している。来年は日本で披露した内容と同じものをまた海外で演奏しているかもしれないよ!」

 

Rockprogresso補足:

モレノ氏はツァラトゥストラのジャケットが結果的にバンドの進路を限定的にしたことはあらゆる場面で語っています。それだけ、今日ツァラトゥストラが再現できる現状に大満足していることが伝わってきます。

イル・テンピオがツァラトゥストラの再現を先駆けて演奏した経緯は別途、イル・テンピオの歴史をご紹介する際にご披露したいと思います。テンピオのメンバーは当然、ツァラトゥストラを再現すると決めた時、モレノ氏に話をしています。その時、モレノ氏はテンピオの申し入れを快諾し、奨励していました。しかし、時が経過し、自分たちこそツァラトゥストラの元祖なのだから、またオリジナル・メンバーで再現しようと決意したようです。ライブ録音に当たっては、テンピオのエリーザ・モンタルドに当初キーボードを依頼する考えもあったようですが、テンピオの活動が軌道に乗り始めていたため、エリーザはオファーを断りました。ルポがムゼオに戻ってからは、テンピオはレパートリーからツァラトゥストラは抹消し、新しいシンガーを迎え入れ、新たな道を進んでいます。

オリジナル・メンバーであったギターとキーボードの2人も事情により新生ムゼオには参加しませんでしたが、昔のムゼオ・フレーバーを維持するために、リハーサルには何回も同席し、音作りに関してアドバイスをしていました。ですから、正式メンバーとしてラインアップされてはいませんが、実質今のムゼオのメンバーは、オリジナル・ムゼオとあまり変わらないのではないかと思います。

新譜Barbaricaも、ハードになったギターを除いて、魔法のように昔のムゼオの雰囲気そのままです。何か魔法の公式でもあるのかとモレノ氏に聞いたところ、

「オリジナル・メンバーの僕とジャンカルロが全部音を最終仕上げで“ムゼオ風”に聞こえるように仕込んでいくんだよ!」とお答えいただきました。 

http://cultura.panorama.it/musica/Museo-rosenbach-intervista-zarathustra

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Alberto Moreno アルベルト・モレノ 2013 June インタビュー(ムゼオ・ローゼンバッハ)

2013-07-17 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

<Top photo by Teru Ohara (c)>

Alberto Moreno Interview -アルベルト・モレノ インタビュー  ムゼオ・ローゼンバック 2013/June

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インタビュー:Athos Enrile/MAT2020

日本文:rockprogresso

Question: 新譜BarbaricaとZarathustraとの関連はありますか。

Alberto Moreno: 新譜Barbaricaはとても苦く、厳しい趣がある。それに対してZarathustraは過去の記憶やイメージに言及している。今回は音楽という言語をこの2方向に捻じ曲げ、ムゼオの音楽性のアイデンティティを保とうとしたんだ。

Barbaricaはムゼオの実質的なセカンド・アルバムなんだ。しかも短期間に集中して制作した。ここ一年間はすごく高い密度でジャンカルロ、ステファーノと僕で仕事をしてたよ。併行して、新しいメンバーのファビオ、サンドロ、マックス、アンディとの絆も深めていったんだよ。もう今のムゼオのように年齢の幅があり、それぞれのキャリアも異なる多様性を持ったバンドを結成するのは難しいよ。でも、いい結果になったのは、お互いを理解しあい、音楽的にも、人間的にもいい融合ができたことなんだ。

 

Q: 若いメンバーを導入していますね。重要な役割を担っているのですか。

A:言い意味でとらえてほしいんだけど、若い人っていうのは常に老人をわくわくさせてくれるんだ。がっかりさせることなくね。老人をいつも歩いている道に押し出し、新たなことを気づかせてくれるんだ。若い人は老人があまりにも懐古モードに浸りすぎていると叱咤してくれる。若い人そのものが、原動力になるんだよ。 

Q: Barbaricaでの主なテーマは何ですか。

A: 主題は人間と環境の関係だ。Il respire del pianetaがそれで、残りの4曲が人間同士の関係だ。Barbaricaはもし、この汚染された世界と欲にまみれた人間にも未来があるのかどうかを問いかけているんだ。その答えは、希望だ。地球というものは強い。だから、壊滅的なダメージは受けないんんだ。天体レベルからすれば、地球のダメージは、ほんのひと季節のダメージにすぎないんだ。でも、人間が戦争を避けようとする気持ちを亡くすと、希望は消えていく。残酷な影が人間の心を痛々しく汚染していくんだ。タイトルは挑発的だけれど、人間の文明の状態をまとめているんだ。人間の進歩はまだ疑問視されているんだ。まだ人間が自然の支配権を掌握しているという考えに囚われている。どんなにテクノロジーが発展しようと、人間がお互いに危険な存在であれば、テクノロジーは意味を持たない。かえって、人間のほうが、こういう意味では原始的かもしれないね!

ZarathustraとBarbaricaの間に概念的な橋渡しをしようと思ったんだ。そうしたら、まるでZarathustraが自分の掲げたメッセージを確認しようと戻ってきたって、感じかな。そうしたら、明らかに、世の中は幸せじゃなかったことだ!自分の住む場所を愛しなさい、と提唱したけれどね。

Zarathustra(ツァラトゥストラ)は預言者としてドグマや偽善から解放されようとしたが、結局はこれは達成していなかったというこだね。

こういう歌詞があった。

世界は秋を迎えるかのように消えていきたいと願っている

やがて、自らの人間性を殺してしまう

Zarthustraは首を横に振るけれど、常に、新しい方向を向いているんだ。

 

Q: ジャケットのアートワークが説得力がありますよね。色、そしてインナーの写真は実に絶望的な気分にさせてくれます。このモチーフを選んだきっかけはなんですか。

A: これは前の質問の答えとなるかな。ジャケットのアートワークはカラフルで天体的でもある。平和で、宇宙の素晴らしさを表現しているんだ。いろいろな色は人間性の多様さを表しているんだ。なんて言ったらいいかな。このジャケットの胸像はこの世に存在するすべての美を象徴しているんだ。インナーブックレットの写真は、退色した写真、醸し出す雰囲気が厳しいものだ。そのメッセージは悲愴だ。これがBarbaricaの二極なんだ。

Q: 今後はライブの予定がありますか。

A: もちろんだよ。Barbaricaはほとんどライブ同様にレコーディングしたからね!

(Photo by courtesy of Alberto Moreno)

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ムゼオ・ローゼンバッハ、ルポ インタビュー - Stefano 'Lupo' Galifi Interview June 2013

2013-06-28 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

Interview edited by Psycanprog © Dino Ruggiero/Japanese digest by rockprogresso © - All rights reserved

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 ムゼオ・ローゼンバッハ、ステファノ・ルポ・ガリフィ インタビュー - June 2013

(文中の表記はムゼオ・ローゼンバックとしました。)

本日ここにムゼオ・ローゼンバックの歴史的シンガーのステファノ・ルポ・ガリフィをお迎えできて光栄です。ルポはイタリアン・プログレッシブ界の黄金時代に輝くベスト・ヴォイスのひとりです。ルポの力強い声は名盤Zarathustraに多大な貢献をしました。このアルバムは当時年間ベストとして評価されました。

Q: Zarathustraから40年が経ちました。当時の経験を聞かせてください。

A: ずっとジェノバでR&Bバンドをやっていたんだ。ジェームズ・ブラウンやウィルソン・ピケットがレパートリーだった。たまに、シカゴのカバーもしたね。前のキーボードのピットもジェノバに住んでたんだ。彼はまたボルディゲーラ(訳注:現ムゼオの本拠地)で新曲をレコーディングしようとしてた。ある晩、彼は僕の声がブルーズなので、そのバンドでちょっと歌ってみないかと言われたんだ。興味本位でやってみたら、それがいい塩梅だった。で、すぐに音をかためて、それがムゼオ・ローゼンバッハとなったんだ。曲をカセットに録音して、アルベルト・モレノが持ってきた。数週間後にバンドして録音してたよ。いい感じだったよ!

Q: Zarathustraではニーチェの引用や、ムッソリーニの胸像で、右派のレッテルを貼られてしまいましたね。そのために、政治団体や国営放送までもから、厳しい扱いを受けることになりました。特に、放送禁止にまで追い込まれましたね。フェスティバルの中には参加拒否もありました。あれから時間が経ちましたが、当時をどう思いますか。

A: ジャケットのカバーに書いたメッセージをきちんと読んでないんだよ。当時、ムッソリーニの胸像だけでも、もうどんな言葉より強烈なメッセージになっていたんだ。おまけに、黒いジャケット(訳注:ファシストを連想させる)とニーチェときたら、もう論争の的だね。当時、僕たちは世間知らずだったよ。

Q: これまでに再結成しようとの試みはありましたか。もし、あったがうまくいかなかった場合は、何が障害となっていたのでしょうか。もう70年代から社会情勢や、考え方も変わりましたよね。

A: もう再結成しようとしなかったよ。各自がそれぞれの事情があって、もうしばらく再結成の考えすらなかったよ。でも、年月につれ、たまに集まることはあっても、具体的に何かを始めることはなかったね。そう、2012年1月までは。古い友人にZarathustraを歌ってくれと頼まれたんだ。

当時僕はイル・テンピオ・デレ・クレッシードレに在籍してて、Zarathustraはそこで歌っていたんだ。でも、その時、過去の情熱を取り戻すのも悪くないと思ったんだ。

Q: 今ではイタリアン・プログレファンにとってはZarathustraは史上最高のアルバムとされています。これは遅すぎた評価だと思いますか。

A: ファシストの誤解でかなりの損を余儀なくされたよ。音楽じたいの評価はいいものだったのに、アルバムは日本で再販されるまでは眠っていたんだ。それから、徐々にムゼオへの興味が広がって言ったんだ。もう思想にとらわれず、純粋に音楽が評価され始めたんだ。

Q: ニーチェを引用するのは誰の考えですか。誰か大学で哲学を学んでいたのですか。

A: Zarathustraは確かにニーチェに捧げられたものだ。それは間違いないよ!ニーチェの作品にインスパイアされたのであって、政治家の思想を代弁してるんじゃないんだ。当時、ロベッショ・デッラ・メッダーリヤは‘La Bibbia’(教典)を発表してたけど、だからといって、キリスト教原理主義者だってわけじゃないんだ。ニーチェを選んだのはアルベルト・モレノだ。彼はほとんどの曲を作り、大学でニーチェの勉強をしたんだ。でも、強調したいのは、ムゼオはニーチェの内容よりは、もっと音楽的なものに興味があるのは確かだよ。ニーチェというコンセプトに音楽をのせたんだ。

Q: 他のイタリアのバンドと交流はありますか。何かエピソードがあったら教えてください。

A: ジェノバの音楽シーンはもう全員知り合いだよ。当時は盛んだったよ。いいバンドがあると聞くと、練習してる地下室まで聞きにいったもんだ。同じバーやクラブでも演奏してたよ。例えば、僕はニュー・トロルズやJet(のちのマティア・バザール、デリリウム、ガリバルディなんかを追っかけてたよ。

Q: 1974年の歴史的なVilla Pamphiliのフェスティバルには参加しましたか。これはもう超アナログ時代ですが、何か録音とは残っていますか。

A: いや、参加してないよ。当時はナポリのロック・フェスティバルに1973年6月に参加したよ。たしか、ニュー・トレンド・フェスティバルとかいう名前だった。

Q: イル・テンピオでの経験をお話していただけますか。

A: いい経験だったけど、もう過去の話だ。

Q: 2012年には、ムゼオはオリジナル3人に若手を迎え再結成しました。スタジオ・ライブ、そして新譜Barbarica。 

A: Barbaricaは嬉しいサプライズだよ!バンドでサンプル曲を作ったとき、僕はすぐに最高のレベルで歌えると直感したよ。Il Respiro Del Pianetaでは、Zarathustraの魔力が復活した。他の曲では、曲に必要なドラマを歌で表現したよ。ギターはエッジーでロックしてて、いいねえ。僕の今のレパートリーはZarathustraとBarbaricaだよ。本当にBarbaricaの価値をじっくり味わってもらいたいね。

http://www.psycanprog.com/interviste/intervista-a-stefano-lupo-galifi-storico-cantante-dei-museo-rosenbach/

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Museo Rosenbach, Alberto Moreno 最新インタビュー

2013-05-12 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

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アルベルト・モレノ、最新インタビュー・ダイジェスト

* 対訳ではありません。

「70年代の素晴らしい音楽」

ムゼオ・ローゼンバックは日本公演を成功裏に終え、帰国しました。5人の若いミュージシャンとバンドの設立者でもあるモレノは、のちに最も伝説的、しかし不運なバンドを結成しました。ファースト・アルバム、ツァラトゥストラはかく語りきのファシズムの主導者の胸像により、これほど高い音楽性にもかかわらず、不運な時代を迎えたバンドはないでしょう。しかし、アルバムの不朽の価値を放ち、イタリアン・プログレッシブ・ロックの象徴とも称されることになりました。

Q: 今、若い人たちがプログレに回帰しているようです。なぜでしょうか。
A: そうだね。いい現象だね。音楽を聴くことには多様性があるはずだからね。プログレは聴く人のイマジネーションを呼び起こすんだ。また、構成も複雑だから、お気楽な音だけを求めるリスナーは大変だと思うよ。 ヴィデオ・ゲームのサウンドトラックはよく大げさで仰々しいけれど、おそらく若い人にプログレ・リスナーを増やすのに一役買っているような気がするんだ。

Q: 今度のムゼオも若い才能を導入しているわけですね。

A:ああ。何十年も経過しているってこともあるけれど、ムゼオではもう新しい、フレッシュな感性をとりいれているよ。

Q: なぜ今日本でプログレの殿堂のようなステージに立てたのでしょうか。
A: それはミステリーなんだよ。70年代はイタリアで人気があったのはジェネシスやジェントル・ジャイアントだった。日本ではおそらくいわゆるマイナーなジャンルに人気が集中してたのかもしれないね。

Q: ファースト・アルバムのジャケットのムッソリーニの胸像が、ムゼオの成長を止めたとも言えますね。それがなかったら、おそらくムゼオはもっとすごい音楽を発展したかたちで提供できていたでしょうね。

A: ムッソリーニの胸像がすべてをストップさせたんだ。ムゼオはずっと人の入れ替えなどはそれなりにあった。プロフェッショナルな要因よりも、むしろ継続できないのは他の要因だったんだ。

Q: 70年の音楽と文化の問題についてはどうお考えですか。
A: ああ、70年代には音楽よりも、イデオロギーの誤解が大きく影響したよ。ロックにニーチェの思想をぶち込んだのは、冒険ですらあったんだ。でも、主張は、超人が議論の余地なく、もう自滅の道への進んでしまった結果になったんだ。

Q: と、いいますと?
A: 今ちょうど、ライナーノーツに、こう書いたことを思い出したんだ。このレコードは人種差別を主張しているのではなく、預言者が超人となって、あらゆる偏見や偽善を克服し、世界を変えようとすることを表現しているって。

Q: この路線を継承したいということがよくわかります。

A: 新作Barbaricaでは、ムゼオの主張はこうだよ。長いこと栄えてきた文明でも、より改善しなければならないということ。組曲では、音楽の限界に挑戦して、ツァラトゥストラですでに歌っていた環境問題について触れた。預言者のことばを借りると、自然環境と調和している生きる道を選択しなければならないと、すでに歌ってきた。それが人間のサバイバルに必要なことなんだ。で、40年後のBarbaricaでは、惑星の健康状態を問い直しているんだ。母なる地球は安心するような息遣いで応えてくれる、というものだ。

Q: 未来に希望はあるのでしょうか。

A: おそらく未来は人間が築いてきた人工的なものも、まだ自然に回復できるチャンスがあると信じているよ。Barbaricaでは、この現実の世界を厳しく現実を見つめなおすことを主張している。環境を救うことができなければ、人間も生存できなくなることだろう。そして、人間は忌まわしい戦争などすぐにやめなければいけない。憎悪、復讐、暴力などはすべて人間の品位を失わせ、愚かさと暴力に結論を持って行ってしまう。Barbaricaでは、ツァラトゥストラのことは直接には触れていないけれど、過去に人間が犯した過ち、愚行、自分たちの意にそぐわない者をすべて暴力で抹消しようとする愚かな行動、考えを改めなければいけないことには、終始触れているよ。

http://www.ilmessaggero.it/spettacoli/musica/prog_musica_anni_settanta/notizie/273229.shtml

 


ムゼオ・ローゼンバッハ オリジナル・メンバーのつぶやき

2013-04-24 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

ムゼオ・ローゼンバッハ オリジナル・メンバーのつぶやき

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ムゼオ・ローゼンバック

アルベルト・モレノ

70年は極端に政治色が強かった。しかし、それは当時のメンバーのたった1人だけに限ったことだった。MRはグループとしては、独自の音楽方向性を追求していただけだ。イギリスやアメリカのポップ・ロックやイタリアのバンド、そうPFMやバンコのようなバンドだ。アレアは政治に関しては非常にオープンだったが、そういったバンドは例外的だった。アレアの政治的主張は知っていたけれど、特に右翼思想でそれに対抗しようとは思わなかったよ。ジャケットのムッソリーニのコラージュはアート・デザイナーの選択だった。アルバムでは、ニーチェの主張は明解で、バンドの重要なメッセージでもある。オリジナルのジャケットで言わんとしたことは、ニーチェをナチズムの啓蒙者のように解釈してはいけないということだ。ニーチェにはずっとそのような評価があった。MRではニーチェをよりソフトに解釈し、何の政治的解釈も強要していない。ただ残念なことに、当時のMRの説明は理解されなかった。本当に、時として画像が言葉より強力だと実感したよ。ジャケットの黒い色調とムッソリーニの胸像によって、MRは思うようには発展しなかったことは認める。でも、このうまい思いつきへの授業料はもう十分に払ったと思うよ。  

 

ジャンカルロ・ゴルツィ(ムゼオ・ローゼンバックとマティア・バザールのドラマー)

ムゼオからマティア・バザールのポップへの転身はどうだったかって?ごく自然な進化だよ。あと、選択しなければいけない道でもあったんだ。プログレのおかげで、もう何でも演奏できたよ。僕たちの世代は若い頃、地下室で練習しまくった。なんとか練習してより高い音楽性を目指してたんだ、それで当時のイギリスから何でも吸収してやろうと貪欲だったんだ。でも、ある日突然、模倣は自分たちのするべきことじゃないってわかって、何かオリジナルなものを創造していかなければならないと思ったんだ。

2012年12月のジャンカルロのコメント:

僕は本能的なドラマーなんだ。ビートとロックの両方を経験してきた。マティア・バザールでは、それまでよりも, より歌を尊重し、曲になじむドラム・ビートを生み出してきた。今度の再結成ムゼオでは、これまでのロックの経験を発揮して、よりアグレッシブなエッジの利いたドラムを披露する予定だよ。マティアとムゼオは異なる世界だけど、その両方に属することができて、ラッキーだよ。

 

 ステファノ・ルポ・ガリフィ

 子供のころからずっと音楽や歌うことが好きだった。この情熱はのちに地元ジェノバで開催されたいろいろなイベントやセッションへとつながっていった。


ブルーズやハード・ロックに影響を受けているが、何よりもソウル・ミュージックがいちばん好きだな。ジェノバの有名なミュージシャンとずっとライブで歌ってきた。ジェノバでは活発に音楽活動を始め、そして“Museo Rosenbach”に参加して、伝説の"Zarathustra"を歌った。自分のブルージーな声がプログレを歌うとどうなるか、というおもしろい試みだった。
...
もうちょっと若い時は毎晩リハーサルを行い、お互いのアイデアを出し合い、実験的な試みもしてみた。

"Zarathustra"はそう大ヒットにはならなかった。Museo Rosenbachとして数回ライブを行い、解散後はジェノバでカバーを歌い続けた。何年か自分のライブ・ミュージック・パブを持っていたこともある。また、昼間の仕事もした

私はプログレ・シーンに戻ってた。自分自身の人生の新しいステージでの再発見でもある。音楽に自分の愛をすべて注ぎのみ

 

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新譜Barbarica

2013-04-14 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

(from Museo Rosenbach Official Release)

新譜Barbarica (バルバリカ)はドラマティックなシナリオの構成です。
人の本能に潜む凶暴性が牙をむき、あらゆる文明を原始的で野蛮な状態に退化させてしまうというシナリオです。ムゼオ・ローゼンバッハは戦の悪魔に引き裂かれ、もはや自然と共生することができなくなった世界を表現します。
ドラマティックなシナリオは組曲で幕を開けます。人は自らが引き起こした環境破壊に気づき、自然に救いの光を探し求めます。大地は母なるエネルギーと愛で、人の救いに応じます。
未来に希望はあったのです!
しかし、人の存在とは不確かなものです。偏見で汚されたモラル、戦う人間同士の憎悪はとどまることなく、その痛みから逃れようともがき続けるのです。
ムゼオ・ローゼンバッハが荒々しいサウンドのBarbaricaの4曲で表現するフレスコ画の世界とは、敵を暴力で破滅させ、問題を解決しようとするこの地球という村の人々の狂気に満ちた野蛮な誘惑なのです。


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祝来日!Museo Rosenbach - Alberto Moreno 2013 インタビュー

2013-01-22 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

(Photo) Max Mencarelli (c)

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ムゼオ・ローゼンバッハ 2013 インタビュー

アルベルト・モレノ

ツァラトゥストラ組曲のライブ・イン・スタジオでシーンに返り咲いた伝説のバンド、ムゼオ・ローゼンバッハ(イタリアではローゼンバックの発音が一般的)。その中枢のブレーンであり、哲学者、総合芸術監督でもあるアルベルト・モレノ(Alberto Moreno)に話を聞きました。

Q:          解散後長年経過してから、あえて今回の再結成の引き金になったものはなんでしょうか。

AM:     ムゼオの再結成は突然沸き起こったものじゃないんだ。結束してたゴムバンドがちょっと緩んでたって感じかな。それぞれが自分たちでやるべきことがあったからね。ジャンカルロはマティア・バザールでプロの道に進んだし、ルポはしばらくカバー・バンドで歌って、僕は作曲を続けて、Exitを制作した。まあツァラトゥストラ組曲を再演するということは割と突発的に起こった話かも。ほんの1年前に「ムゼオはデビューアルバムをちゃんとやり直してもいいんじゃないの?」ってね。当時は技術上の制約があって、必ずしも満足行く録音じゃなかったからね。

Q:          何十年も経った今、自分たちを見つめ直してみるとどんな風に見えてきますか。

AM: 1973年に書いた曲なのに、自分の音楽ルーツが全部表現されていることに驚いたよ。ジェントル・ジャイアント、ジェスロ・タル、ジェネシス、バンコなど。当時は曲を緻密に組み立ててから、直感的に演奏したよ。今回は新しいミュージシャンをムゼオに追加投入したのは、人的、音楽的双方の面でより手厚くしたかったからだよ。ベースの若いアンディが演奏してるの聞いて、もう、自分(アルベルト)はベースを彼にまかせるべきだと実感したよ。当時の楽曲をライブで忠実に再現するためには、ギターとキーボードをツインにすることにしたんだ。バンドの音に厚みを出さないと再現できないんだ。アンディはすごく若いけれど、すごいミュージシャンだ。彼の声が年輪を重ねたルポの声にかぶさって、とてつもないサウンドになるんだよ。

Q:        現代の機材を使って、ツァラトゥストラ組曲を忠実に再現にあたり、大きな違いはなんですか。

AM:     まず、メロトロンM400が大きな違いだね。もうテープで苦しむことないよ!今の音はサンプリングだけど、昔はテープがライブのネックだったよ。今ではより正確に出したい音を出せるし、サンプリングも簡単だ。また、調整もしやすいよ。

Q:        スタジオ・ライブをする発想はどこからきたのですか。

AM:     イル・テンピオ・デッレ・クレッシードレが、ツァラトゥストラ組曲をカバーしているのを聞いてからだよ。あれ聞いて、僕たちは自問自答したんだよ。で、ジャンカルロが僕たちは70年代には一度もきちんとツァラトゥストラ組曲をライブ録音していない。急ぎでメロウ・レコード盤を録音したことだけだ。で、ルポが変わらず素晴らしい歌いっぷりなので、僕たちの構想が加速したんだ。で、それからは映画を撮影するように、再結成への動きが加速化したんだ。

Q:        40年間の歌詞のメッセージはマウーロ・ラ・ルーチェは自己を見つめるためのきっかけという感じがします。平穏を得るためには、「超人(スーパーマン)」にならなければならないということですね。

AM: 言葉の遊びのような感じだけれど、超人は普通の人なんだ。偏見や偽善の強い影響を受けていない人のことだ。そして、自発的に無垢な心で自然と共存する。自分の持てる能力や才能に感謝しつつ、自然の前では人の力は無力だということを悟ることなんだ。自分の運命を許容することから、平穏は生まれるんだ。

Q:        アルバム・ジャケットのコラージュは衝撃的なインパクトがあり、なんか古代文明のイメージがあります。ジャケットはどのような経緯で作成されたのですか。

AM:     まずムゼオのイメージはジャケットからだ。ムゼオは、ツァラトゥストラのイメージを音楽やアイコンでまず世界を映し出す小さな鏡になるような場所を作りたかったんだ。現在の世の中にデカダンスは存在できない。これは払わなければならない埃のようなものなんだ。

Q:        ムゼオの三本柱(ルポ、ゴルツィ、モレノ)に与えた時間の影響とはどのようなものでしょうか。錆びついて消えてしまったプログレだったのか、もっとポジティブに音楽の経験値を積み重ねていったのでしょうか。

MR:     二番目だよ!ムゼオに限らず、音楽はとてつもなく深いものだから、いくら経験を積んでも、十分ということはないんだ。演奏はいくつになっても楽しいものだし、ムゼオの三本柱も時の流れでより豊かになったよ。

Q:        今回はAerostellaからCDをリリースしています。ここでの仕事はいかがですか。

MR:     とても有能なスタッフがいて、心地よく仕事が進められるよ。親身だし、明確だし、いいチームワークに必要な要素が全部ある。

Q:        現在のプログレをどう評価しますか。この時代にプログレ返り咲き、という感じがしますか。

AM:     変だと思うかもしれないけれど、僕はあんまりプログレは聞かないんだ。特に、曲を書いているときは、聞かないようにしてる。聞くのはもっぱらクラシック・ロックか、クラシック音楽だ。

Q:        春には東の方に行かれますね。日本ではプログレがどんどん求められているようですね、それもイタリアン・プログレがすごい需要みたいですね。ルポはこの辺の事情をよくご存じでしょう。ムゼオは今回、再出発地点にいると思いますが、この先の活動予定はあるのですか。

AM:     新譜はほぼ完成しているよ。これはツァラトゥストラ組曲と同じような構成だ。組曲とあと個別の曲が数曲。ファースト・アルバムがこの構成で成功したから、似たような構成にしたのかもね。ラフな音を作り上げていくのは新鮮な気持ちになれるよ。歌詞も預言的だしね。

日本の皆さんにはこれまで沢山レコードやCDを買っていただいて、今でも注目してくれるので、嬉しく思ってるよ。春には呼んでもらったので、ぜひその期待には応えたいよ。

 

Interviewers: MAT2020 Team, Athos Enrile, YPK(Additional info) - All rights reserved MAT2020


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Museo Rosenbach 2013 - Official Release (日本語)

2013-01-09 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

MUSEO ROSENBACH  2013 (オフィシャル・リリース)

ムゼオ・ローゼンバッハ(イタリアではムゼオ・ローゼンバックと発音)は70年代初期にジェスロ・タル、ジェネシスやキング・クリムゾンのカバーバンドとして発足しました。当時のメンバーはステファノ・ルポ・ガリフィ(ヴォーカル)、ジャンカルロ・ゴルツィ(ドラム)、アルベルト・モレノ(ベース、ピアノ)、エンツォ・メローニォ(ギター)、ピエルイジ・ピット・コラディ(キーボード)でした。

1973年にRicordiレーべルからアルバムZARATHUSTRA(「ツァラトゥストラ組曲」)を発売し、イタリアのみならず、海外でのシンフォニック・ロックの名盤となりました。このアルバムはニーチェ著の「ツァラトゥストラはかく語りき」をコンセプトのベースにしています。簡単に言うと、老いた預言者が人類に対して権力の濫用と暴力を避けて、自然界と調和を保ちつつ、楽しい人生を送ろう、という問いかけです。

このアルバムはリスナー及び評論家から大変な称賛を受けました。ラテン系の熱い音と英国由来の構成が巧妙にミックスされた音が高く評価されました。

1973年にはムゼオはナポリのFestival of New Trendsに出演しました。しかし翌年にメンバーは音楽活動を休止しようとの結論に至りました。それぞれの仕事の道を究めるためでした。

1982年には「ツァラトゥストラ組曲」はCDでリマスター再発売されました。LPはコレクターのカルト的アイテムとなっていました。

90年の始めにはベーシストで、ムゼオの創設者であるモレノはゴルツィに新しいアルバムを提案しました。全曲が新曲でした。この呼びかけにメローニォ、ルポ、ピットは参加しませんでした。

1999年にムゼオはEXITを発売しました。参加ミュージシャンはモレノとゴルツィに加え、マルコ・バルボ(ギター)、マルオルカ・バリオーナ(キーボード)、アンドレア・ビアンケリ(ヴォーカル)が参加しました。これはいくつかの独立したエピソードを集めたコンセプト・アルバムです。ツァラトゥストラほどの有名人ではありませんが、普通の人が日常生活で向き合う事象をテーマにしています。

2002年にムゼオはフィンランドの雑誌“Colossus”から北欧叙事詩カレワラをロックで演奏するというプロジェクトのオファーを受けました。EXITと同じメンバーにアンドレア・パヴァンをベースに追加し、FIORI DI VENDETTAの組曲を録音しました。これは兄弟間の重苦しい戦を描いた音楽です。

2012年にはモレノとゴルツィはツァラトゥスラの世界をステージで再現しようと決め、歴代シンガーであるルポとコンタクトを取りました。

バンドはフォーメーションの変更を決め、新しいミュージシャンを加え、オリジナル楽曲をより豊かに演出するようにしました。ライブでも、73年の雰囲気をアルバム通りに再現することにしました。

ギターはツイン体制にし、マックス・ボレッリとサンドロ・リブラを起用。2人とも独自の個性に加え、楽曲にニュアンスやヴァリエーションを加えています。キーボードにはファビオ・メジェットを起用。高い演奏能力とヴィンテージの音を再現するスキルがあります。モレノはキーボードセクションにメロトロンとシンセサイザーを追加し、かってはベーシストでしたが、ベースは若手のアンディ・セニスに託しました。アンディは才能があるミュージシャンであるだけでなく、ムゼオに新しいヴォーカルの可能性を与えたのです。

ライブではオリジナル盤のB面の3曲を拡大して演奏することになります。よりダイナミックで、劇的なメリハリをつけます。長い組曲の中で、大変人気がある3曲です。1973年のトラックは忠実に再現されますが、オリジナルをより‘プログレッシブ’に仕上げる、つまり時代に合わせる必要はありました。ムゼオはこの再現の日を記憶しなければいけないと感じました。そして2012年10月にツァラスーストラ・ライブ・イン・スタジオをリリースしました。リハーサルでは、ムゼオの今後の広がる世界をお届けするつもりです。

Photo: Rudy Campovono (c)

右から: ファビオ・メジェット(キーボード)、アンディ・セニス(ベース&ヴォーカル)、アルベルト・モレノ(キーボード)、ステファノ・ルポ・ガリフィ(ヴォーカル)、ジャンカルロ・ゴルツィ(ドラム、パーカッション)、サンドロ・リブラ(ギター)、マックス・ボレッリ(ギター)

 

 

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【祝来日!】ムゼオ・ローゼンバッハ Museo Rosenbachとサンレモ音楽祭1973

2012-05-12 | Museo Rosenbach - ムゼオ・ローゼンバック

バンドの呼称ですが、イタリア人の多くが”ローゼンバック”と読みますが、ここでは日本の通称の”ローゼンバッハ”としました。

 

= 本記事・写真は無断転載禁止です。Photos and contents belong to Alberto Moreno (Museo Rosenbach). All rights reserved. =

Museo Rosenbachとサンレモ音楽祭1973

ペンネーム「老虎」こと、Alberto Moreno (Museo Rosenbach) – 2012年2月のエッセイから。

(対訳ではありません。) 

1970年代初頭は‘混沌’の時代でした。

 当時の少年はモッズやロッカー、つまりストリート・ギャングを演じていました。

イギリスのモッズ族

 

ロッカーズ

 

サンレモ音楽祭では当時最先端の音楽の最も荒削りなビートやロックの形を体験できました。やがてそれがサンレモ音楽祭の売り物のポップに成長したのです。


Museo Rosenbachのメンバーの出身地はべースがBordighera, ドラマーがVallecrosia, ギターとヴォーカルがサンレモ、キーボードがジェノバという構成でした。1973年にRicordiから、33回転レコードを作成し、それがデビュー作のZarathustraとなりました。

 

今でもちょっと誇りにしている思い出があります。Museo Rosenbachが当時の大物アーティストがフランク・シナトラの曲などを歌った後に、突然登場することになったのです。(本当にそうでした!)

ある日の午後、オーディションがあるというので、幹部の方に呼ばれました。もう息の音が聞こえるくらいに緊張していました。

.幹部の方は、緊急に人気シンガーのDrupiと’Vado Via’を歌うバックコーラスシンガーを探していたのです。幹部は私たちに誰か挑戦しないかと聞いてきました。

私たちの脳内ではイージーライダーや、ウッドストックの光景が渦巻きました。すぐにこのオファーは

「テレビに出られる!サンレモ音楽祭に出られるんだ!!」

ということが理解できました。短い時間かもしれないけれど、すごい栄誉だよ!!

Drupi

よく聞くと、どうやら二人しか必要でないようでした。オーディション会場はグランドホテル。芸術的なくらい美しい海の光景が見えました。Museo Rosenbachの5人は時間ぴったりに会場に到着しました。会場には、ピアノに合わせてシナトラの歌を歌っている有名な歌手がいました。

5人はそれぞれコーラスのどのパートを歌うかを指示されました。
ヴォーカルのStefano Lupo Galifiは、メイン歌手のDrupiと声質が近すぎて、ブルース調やしゃがれ声などはもう殆ど同じ声に聞こえました。

ご機嫌斜めのLupo


キーボートのPit Corradiは、メンバーの中ではいちばんの保守派なのですが、もう歌っているという定義からはほど遠いものでしたが、選ばれなくても平静を装っていました。結局、サンレモの舞台に立てたのは、ギターのEnzoとドラムのGiancarloでした!

無関心を装うPit

Enzo

選ばれて、余裕のGiancarlo

このとき、Museo Rosenbachを巨大地震が襲いました。

これがバンドの根底を揺るがす出来事になるとは。

テレビ出演!しかもサンレモ音楽祭!!登場時間はわずかだけど!少しですが、二人はフラッシュのようにステージに登場しました。

そのときのMuseo Rosenbach

自分はというと、そのステージに魅了されていました。もうDrupiのバックで歌う二人がうらやましくて。

  うらやましい「老虎」


ところが、残念なことに、Museo Rosenbachが出演していたためか?テレビクルーは殆ど撮影しませんでした。Raiテレビは最後だけを少し放送して、Drupiはすぐに画面から消えてしまいました。 ラジオでは、せっかくステージに上がった二人に対するやっかみも、ラジオを聞いてるだけでは、何がなんだかわからず、羨ましい気持ちも消えてしまいました。

なんだか、これはZarathustraの歌詞の比喩、しかも、暗喩のような出来事でした。

当時の「老虎」


フェスティバルを実現させるのは第一にアーティストと、そのアーティストに成功か、己の理念に忠実でいることを迫る選択のせめぎ合いなのです。次に、稀ではありますが、最後の者が最初の者になることです。

Drupiが歌う“Vado Via”が本当にフェスティバルの最後に登場しました。この歌はヨーロッパで大成功を収めたZuccheroなどと同じく、非イタリア語圏のヒット曲のひとつになりました。(注:Drupiはファイナリストでした)

Drupi Vado via 1973

この出来事の最大のメッセージは、実は未来への警告だったのです。

のちの大成功の予感のGiancarlo (左)

このGiancarlo Golziはのちに何回もフェスティバルのスポットライトを浴びることになったのです。バックコーラスとしてではなく、スターとして!

老虎はここにMatia Bazarの2012年の大活躍を祈念するのでありました。

 

 Alberto Moreno/Museo Rosenbach (All rights reserved.)

http://www.museo.it/

 

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