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傾聴

今日の富士山の表情は透き通って見え快晴。
午前は掃除や洗濯、片付けをしているときりなく終わりがないのでケジメをつけ
正午近い時間になって義母の家を訪ねていった。

日当たりのよい部屋のソファーで靴下の繕いをしている義母の手は丸くふっくらと
していて巧みに動き優しさを感じた。

一日のほとんどをリビングで過ごす義母のコンロの上にはおでんと煮豆が出来てい
て、持って行きなさいよ!とタッパーに入れてくれる。

「私は暖房代わりに煮豆やおでんをコトコトと煮るのがいいのよ・・」と言う。

今年84歳になろうとする義母の手によって珈琲の生豆のハンドピックもしてもら
うのだが、きれいに仕分けしてくれ、リビングの隅に置いてあった。

「こんなにやってもらってすごくたすかるわ!」と言うと、

日当たりの良いこの場所で豆はじき(ハンドピックと我々は言うが義母は豆はじき
と言う)をひとり静かにしていると、「この世に生かされている!」と言う実感が
あると言う。

それは明日死ぬかもしれない、明日は生きていないかも知れない事を考えるように
なったこの年で感じる実感だと話してくれる。

今感じていることを一生懸命に話してくれる義母の話をうなづきながら傾聴してい
ると理解出来そうな気がして、返す言葉をせずに黙って聞いていた。

ひとりというのがとてもいいと言う。環境や社会、遠くに住む家族、近くに住む家
族、隣人、多くのものによって今生かされていると言う実感がひとりで生活する空
間で感じられると言う。

今日の義母には充実した自立感を感じて、妙に心に残る日曜の午後だった。




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