迷宮映画館

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アメリカの50年

2014年02月21日 | お勉強コーナー
映画のモデルとなったユージン・アレン氏は1919年、ヴァージニアで生まれ、1952年にホワイトハウスに入り、34年間勤め、1986年のレーガン大統領の時まで働いていた。

映画冒頭の1926年当時は、第一次世界大戦の被害をこうむらず、経済的に大成長を遂げ、さらに恐慌前のアメリカがもっともよかった頃。しかし、悪名高いKKK(クー・クラックス・クラン)復活し、その勢力をどんどんと拡大していた。

*クー・クラックス・クラン・・・Ku Klux Klan。白人至上主義団体。南北戦争後、1865年テネシー州で結成された。黒人に対する暴行、殺人を行い、黒人を恐怖に陥れた。

南北戦争は、奴隷廃止を主張した北軍が勝利はした。しかし黒人がすぐさま市民権を得、アメリカ合衆国の国民となったわけではないのは、周知のこと。戦争後、さらに差別が激しくなったり、奴隷として働くことができなくなり、仕事もなく窮する黒人が一層増えたのも事実である。

南北戦争についてはこちらに述べてありますので、ご参照ください。

1868年に、憲法修正第14条で黒人の市民権が承認され、1870年には修正第15条で選挙権も承認された。しかし、それは制限のあるもので、選挙権には【祖父条項】というものがあり、南北戦争終了時、祖先が選挙権を持っていた者のみに与えるというものだった。選挙登録には読み書きのテストがあり、さらに有料であった。


加えて、存在していたのが【ジム=クロウ法】である。一般公共施設の利用を禁止制限した法律の総称であり、異人種間結婚禁止も含まれている。南北戦争後、国全体の再建が必要であったが、特に荒廃した南部では急務であった。忙しい連邦政府は、それほど強い干渉を南部に与えられない隙に、南部諸州各地で、この法律が制定された。これは、いわゆる南アの悪名高いアパルトヘイトと同様のものだ。

これらの法律や、因習、KKKなどが厳然としてあったのが、南部であり、この問題を解決しようという考えさえない。黒人問題が存在しているという概念すらなかった。それが、19世紀後半から20世紀の初めにかけてのアメリカだった。

20世紀に入り、1909年に全米黒人地位向上協会が設立されるが、改善は遅々として進まない。第二次世界大戦後の様子は、「42 ~世界を変えた男~」でもわかるように、まったく変わらず、旧態依然としていた。

大きく動きが出てくるのが1950年代に入ってから。ここからがいよいよ映画で表されるところとなる。

1953年にアイゼンハワーが大統領(共 1953~1961)に就任する。




映画ではロビン・ウィリアムズが演じていたが、トルーマン大統領の方によく似ていたもんで、てっきりトルーマンかと思ってしまった。トルーマン時代は、とにかく【赤狩り】が忙しく、黒人問題に目を向けることがなかった。しかし、きっかけとなったのが1954年のブラウン判決である。


こちら、トルーマン大統領(民 1945~1953)




*ブラウン判決・・・「公立学校における人種分離は違憲」という最高裁判決。公民権運動の第一歩。黒人少女リンダ・ブラウンが原告であった。しかし、南部の知事や議員らは、抵抗を続け対立、問題が表面化してきた。(公式パンフレットより)

これを皮切りに、次々と事件が起きる。55年にミシシッピ州で起きたのが【エメット・ティル事件】。14歳の少年、エメット・ティルが、白人女性に話しかけたという理由で、リンチを受け殺された後、川に流された。エメットの母メイミーは事件の残虐性を世に示すため、棺を開いたまま葬儀を敢行した。これが8月。そしてその年の暮れにアラバマ州でバス・ボイコット事件が起こる。

バス・ボイコット事件を描いた作品はこちら。




アイゼンハワー大統領の副大統領を務めていたのがかのニクソンであった。次期大統領として、最有力だった彼の慇懃ぶりをキューザックが好演。・・・でも、一番似てなかった気もする。

57年に起きたアーカンソーの【リトル・ロック高校事件】。ブラウン判決を受けて、分離教育は違憲となったが、アーカンソーで黒人の入学を拒否したために、学校に行こうとする黒人側の間で激しい対立となった事件である。当初、アイゼンハワーは無視を決め込んでいたが、騒動が報道されるにつれ、動かざるを得なくなり、軍を派遣して黒人の護衛をすることになった。初動の遅れはもちろん非難ごうごう。映画では、実は悩んでました・・・という姿をちらっと見せる。

お次は、かの有名なJ・F・ケネディ(民 1961~1963)。ニクソン優勢と言われた中、ホワイトハウスの新しい住人となったのは、美しい妻を連れたアイルランド系のカトリック。歴代の大統領は、ほとんどがWASP。白人のアングロサクソンのプロテスタント!仰天ニュースだった。革新的な大統領の誕生に、公民権運動は最高潮に盛り上がった。しかし、外交問題でも数々の難問を抱え、最も難しい時期のかじ取りをとることになった。




意欲的だったケネディは議会に公民権法案を提出し、大きな進歩をもたらすか!!と皆が思ったときに、あの悲劇が起きる。ケネディ暗殺。

ケネディを演じたのは、何とサイクロップス!!じゃなくて、ジェームズ・マースデンだったのにはびっくり。似てないのに、見えてくるから不思議だ。ケネディは、とんでもないほどの腰痛持ちだったってのが、表されてた。ものすごい数の薬を飲んでいてたのも知られているが、さりげなくその辺も挿入。

さて、任期途中で暗殺されたケネディに代わって、副大統領のジョンソンが大統領となる(民 1963~1969)。




もともと不人気で、棚ぼた的に大統領になったわけだが、国民的な人気を誇っていたケネディの後、それも悲劇のヒーローの後を受けての就任であったことを考えれば、無難に難局を乗り切ったともいえる。ケネディ暗殺の影の首謀者などとも言われたが、人気のない国民の声の裏返しなのではないか。ベテランの政治家で、人種問題に関しては、積極的に解決の努力を行い、この時期に画期的に進展する。しかし、ベトナム戦争を拡大させてしまったというのが、不人気の最大の理由だ。

リーブ・シュレイバーがびっくりするほど似てた。おまけにジョンソンは、リンカーンに次ぐ長身だったということで、佇まいも似てるかもしれない。ただ、立ってるシーンは少なかったが。

さて、1964年にミシシッピで、公民権活動家の3人が行方不明となり、一か月以上経ってから遺体で発見された。KKKによるリンチと判明するが、付近は一触即発、憎しみのぶつかり合う、醜い争いの場となった。

その様子は「ミシシッピ・バーニング」で表された。当時の異様な雰囲気、ねっとりとまとわりつくような悪意と熱気が印象深い作品。




しかし、この年に念願の公民権法が制定され、晴れて黒人も白人と同等の権利を得たはずなのだが、人間の価値観というのは、そんなに簡単に変わるものではない。私たちがよく知ってるヘイトクライムと呼ばれる暗殺事件などは、この法律が制定されてから起きているのだ。

1965年にマルコム・Xが暗殺され、キング牧師の暗殺は1968年である。かの有名なキング牧師の「I have a dreem!」は1963年の演説である。

ケネディと争い、やぶれたニクソンは、1968年の選挙で勝利。第37代の大統領となる。



とにかく【ウォーターゲート事件】が有名で、任期途中で辞職した大統領ということで名前が残ってしまい、悪い印象が強いが、泥沼にはまったベトナム戦争から撤退し、冷戦下にあったソ連・中国との関係回復と、それなりの成果を上げていたのだった。キューザックよりも、もうちょっと線の太い役者にやってほしかったなあ。

ウォーターゲート事件と言ったら、何と言ってもこれ。事件から数年後で、よくもこんなにすっぱ抜けたと思うくらいによくできている。とは言いつつ、奥歯になんかが挟まってるという印象はぬぐえず。



その後、フォード(共 1974~1977)、カーター(民 1977~1981)を経て、レーガンに至る(共 1981~1989)。強いアメリカをうちだし、軍備拡大、対ソ強硬政策、宇宙開発にレーガノミックスと、今思い出しても印象深い。アメリカに自信を持たせる!という一点に関しては、成功した実力の持ち主だった。

しかし、映画の中でも悩んでいた南アのアパルトヘイト政策に対する態度。映画を見ている私たちにとって、黒人に対して迫害し、とんでもなリンチを加え、同じ国の中の同胞を隔離していたのは、つい1時間前のことだ。自分たちがやってきた闇の歴史をかの国も繰り返している。まるで、自分たちがずっと昔から、正義の国であるかのように。

奴隷は、太古の昔から存在していた。人間同士が争い、相手を負かし、組み伏せたとき、相手の力をそぎ、支配する。同じ立場だったことを忘れさせ、尊厳を奪い、かしずかせる。えいえいと人間がやり続けてきたことを、いまだに続けている。唾棄すべきことだ。それをやってきた人間にとっては見たくない醜い歴史でもある。しかし、絶対に忘れてはならず、繰り返してはならない。こういう映画をぜひとも作り続けていただきたい。

いろいろと懐かしい顔に、よく似てます!!と思ったり、全然似てないやん・・・と、別の意味でも楽しませていただきましたが、なんといっても一番は、ナンシー・レーガンでした。ジェーン・フォンダ!お見事。



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4 コメント

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TBありがとうございました。 (小米花)
2014-03-11 23:36:27
とても興味深く記事を読ませていただきました。

>ケネディ暗殺の影の首謀者などとも言われたが

オリバー・ストーン監督のJFKではそういう考え方だったと思います。

私もジョン・キューザックは似てないと思いました。
そして、ジェーン・フォンダ、本当にお見事でした。
優しい気品まで、出ていましたもの。
>小米花さま (sakurai)
2014-03-17 17:25:26
勝手にTBしてしまいまして、恐縮してます。
ウォーレン委員会の解除が2039年で、それまでなんとか生きていたいもんだと思ってます。
あと、25年か。。。
ぼけてないことを祈りますわ。

ナンシー・レーガンは、ほんとにぴったりでしたね。お見事でした。
家族の物語…… (hori109)
2014-07-07 22:18:19
……とアメリカ史をシンクロさせるのは、よくある手だと
いってしまえばそうかもしれないけれど、それだけ
執事の人生とアメリカ史は怒涛でしたね。
執事としての誇りを捨て去ったかのような主人公が、
最後の最後に胸をはってホワイトハウスを歩む姿は
観客まで誇らしくさせました。
あ、いかん。こんないい人っぽいコメントでは。
歴代の大統領では、レーガンがいちばんわかんないっす。
いまでもみんな好感をもってるみたい。
クリントンといい、やっぱりどっか壊れてる方がいいのかなあ。
>hori109さま (sakurai)
2014-07-08 10:48:24
えーー、いい人コメント、いいじゃないですか。
そんなふうに素直にさせてくれる、まっすぐ素直な作品だったと思います。
わたしは、ニクソンあたりからしか、印象にないのですが、幼心に、こいつが世界を牛耳ってるのか・・・などと思った覚えが。
あとは、女性の大統領を待つばかりですね。どうなることやら。

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