迷宮映画館

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蕨野行

2003年02月01日 | わ行 映画
山間のとある村、あまり豊かな地とはいえないが、上ノ庄、中、下庄と3つに分かれていた。中ノ庄の庄屋、弾衛門の後添いに来たのが20も年下のヌイ。若い娘のようなヌイに姑(ババ)のレンは何かとこまめに教えていた。夏の天気を予想する山の雲の動き、畑に何を植えるべきなのか、いつもは口を出さないレンが珍しくその意志を示していた。

この村には秘された約定があり、60の齢を迎えたジジババたちは蕨の山に入ることになっていた。食べ物はいつも不足していた。里の者を生かすか、ジジババを生かすか、これは自明の理。簡単な荷物で山に入っていくジジババたち。生き延びるためには日に一度、里に下りてきて、食べ物をいただく。足が萎えて歩けなくなれば、すなわちそれは死を意味するのだった。

とにかく今まで必死に日々を生きてきたジジババたち。山に入った彼らのなんとなく生まれる連帯感、開放感、紛れもなく生きている姿だった。生の義務をとかれたような姿がそこにあった。

やはり冷害を迎えてしまった村、中ノ庄はまだましながらも人々は飢えていた。里の者を生かそうと山に入ったのに、なぜ里の者が飢えなければならないのだとジレンマを感じるジジ。しかし、山の生活も厳しさを増していた。次々と倒れるジジババたち。そんなババを心から待っているのはヌイ。わずかな間の義理の親子でも、ヌイは信頼を寄せ、レンは彼女のことだけが心残りだったかもしれない。

雪解けの春のせせらぎから始まって、田起こし、種まき、味噌仕込み、春の仕事が終えた頃に山に入っていくのだが、その四季の移ろいの様子のこまやかな事、我が山形をロケ地に選んだというのだが、こんなところがあったのかと思うほどの繊細さだ。山が青々としていく様子、花の芽吹き、夏の水のきらめき、秋の訪れの空気の透明さ、紅葉に初雪。2時間4分の上映時間にこれだけの移ろいを映しこんでいる。さすが。

しかし、美しい自然は美しいだけではなかった。すさまじい厳しさも共存していた。すべての人が生きていける余裕などない。年寄りは死ぬ、その自明の理をジジババたちは、身を持って体現しなければならない宿命を持つのだ。そのあまりの潔さに驚愕の思いを抱いてしまった。またそれを演ずる市原悦子の突出した演技力。この天才の間は陶然となるほどだった。すごい。


いかに死ぬか、いかに生きるか。どうも今年の映画はいかに死ぬかと問われるものが多くて、少々身に重い。いろいろな死に方があった。いろいろな死を見てきた。願わくば人に迷惑かけずに死にたいものだが、このババのようには、きっとなれない私。醜く執着しそう。いや、彼らも執着していたはずだ。誰よりも生きたいと願ったはずだ。死ぬまで生きなければならない。簡単なようで難しい。しかし、あまりにつらい生から解き放たれたときの、心からの笑顔がまぶしかった。

最後の監督の舞台挨拶にどうしても行きたくて、ダッシュで行った私。どうにか挨拶を聞くことが出来た。これはやはり、我々は見なければならないと思ったのだが、たくさんの方がいらしてて、ありがたいばっかり。でもどうやら映画館に不慣れな方が多いようでジュースやら飲物やら・・・。お飲みになるのはいいのだが、あまりに途中で皆様立ち過ぎ。自分の膀胱と相談して飲みましょうよ。

「蕨野行」

監督 恩地 日出夫  
出演 市原 悦子  清水 美那  石橋 蓮司  2003年 日本作品

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