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女王陛下のお気に入りの時代

2019年02月20日 | お勉強コーナー
「女王陛下のお気に入り」を拝見して、またぞろ悪い癖がむくむくと湧き上がってきた。この頃のイングランドのドッロドロ具合と言ったら、もう私の大好物!!ご覧になった方にも、なんだか時代がよくわからん~と、頭の中に?マークがいきかった方がいたとか、いないとか。勝手にやってしまいます!!イングランドのステュアート朝の歴史でございます。

イギリスの王家といえば、昔っからいろんな逸話がありすぎて、話題に事欠かない。今回の主人公であるアン女王(1665~1714)は、ステュアート朝の最後の王になる。王に即位したのが1702年で、亡くなるまで在任した。

日本人にとって分かりにくいのが、王朝の変遷という仕組み。なんせ日本は王家がたった一軒だけ。万世一系ということで、変遷がない。こっちのほうが珍しいのだが、外国の王家は何度も何度も変遷を経るのが当たり前。途中で殺されたり、断絶したり、後継ぎがいなかったりと、ころころ変わってきた。世界史の面倒くさいとこがそこで、王朝を覚えないとならないのだ。中国の場合は、それが隋とか、唐とかの国の名前になっている。隋は楊家、唐は李家だ。

これがヨーロッパになると、王家のファミリーネームが王朝の名称になる場合が多い。かの有名なエリザベス1世のファミリーネームはテューダー。よって、エリザベスの時代はテューダー朝となる。




エリザベス1世



このエリザベス1世に後継ぎがいなかったことが、ステュアート朝の始まりとなる。この辺の顛末は、「シェークスピアの時代」と、「エリザベス」に書いたので、よければ参考にしてください。エリザベス1世のライバルと目されていたスコットランド女王のメアリ・ステュアート。本当にメアリにイングランド侵攻の意志があったのかどうかは微妙なところだが、メアリはエリザベス暗殺未遂の罪で断罪される。首チョンパだ。そしてその息子のジェームズがエリザベス亡き後のイングランド王になるという歴史の妙だ。ステュアート朝の始まり、始まり。

「愛すべき女王ベス」の後の王なんてのは、いかにやりにくかったか、容易に想像がつくが、初心者マークのジェームズの慣れない政治に、イングランドの人々も、一応は目をつむった。しかし、次のチャールズ1世まで、イングランド国民の神経を逆なでするような政治を続けたのには、我慢がならなかった。【ピューリタン革命】で殺された王が、チャールズ1世だ。民もやるときはやる!と。王だって、殺しちゃうよ、と。



王がいない期間が若干続く。イングランドの歴史では珍しい共和政の時代である。この間、政治の実権を握ったのは、クロムウェルというこちこちの清教徒(ピューリタン)である。当初は、嫌われチャールズを追い出して、人気も最高潮だったが、結局、独裁に走ってしまった。クロムウェルは、亡くなるまで護国卿という名の王みたいなもんに就任する。ここは、共和政(王がいない)の時代といいつつ、中身はクロムウェル朝といってもよかったかもしれない。

クロムウェルの死後、彼の息子が後を継ぐに至って、イングランドの人々は、完全に愛想をつかす。自分たちが殺してしまったチャールズ1世の息子を王として迎え入れた。帰ってきたのは、兄チャールズと、弟ジェームズ。兄がチャールズ2世として即位する。

もうちょっと違う名前を付けてくれると、区別がしやすいのだが、出てくるのは、ジェームズとチャールズだけ。順番でいうと、ジェームズ1世⇒チャールズ1世⇒クロムウェル⇒チャールズ2世⇒ジェームズ2世となる。

もちろん老練なイングランドの民が、やすやすと王を迎え入れたわけではない。約束をさせ、親父さんのような二の舞だけはないようにと、宣言をさせるのだ。もちろんチャールズは、王に返り咲くために、どんな約束でも結んだ。王になるために!!しかし、王になったチャールズは、ことごとく反故にする。この辺の顛末は「リバティーン」という映画で、なかなかうまく描かれている。

さて、チャールズとジェームズ兄弟だが、親父さんのチャールズ1世が処刑された後、イングランドを追われ、各地で転々と亡命生活を送った。フランスではかなり飲んだくれていたようだ。チャールズにはかなりの数の愛人がいたが、正妻との間に嫡出子がおらず、後継ぎ問題がおこった。弟のジェームズである。

イングランドの王とキリスト教問題は、切っても切れない複雑な絡みがあって、本当に面倒くさくて、分かりにくいので超ざっくりいうと、イングランドの民は、王がカトリックであることをとにかく望まず、カトリック・アレルギーみたいなもんだった。チャールズも隠れカトリックで、死ぬ直前にカトリックに改宗した。

どうも、次のジェームズはカトリックらしいぞ・・。ここにきて、イングランドの民は、行動に移す。どうしてもカトリックを受け入れがたい人々は、ジェームズの王位継承に反対する。これがホイッグ党といい、のちの自由党になる。

片や、血筋を大事にし、ジェームズの即位を擁護する人々は、トーリ党と呼ばれた。のちの保守党である。どちらも一方から呼ばれた蔑称で、その名を自分たちに冠するという度量の大きさも見えないでもない。

世の中は盛り上がってきたが、結局チャールズの死後、王に就いたのはジェームズ2世であった。民の嫌うカトリックのジェームズ王の政策は、ことごとくカトリックを擁護するもので、国民からどんどんと乖離していった。しかし、彼の後を継ぐのは、非カトリックである娘のメアリのはず。今だけ我慢すれば、次はメアリだ!カトリックじゃない・・・。それだけを支えにしてきた国民を奈落の底に突き落としてしまった出来事がおこる。ジェームズに王子が誕生したのである。もちろんカトリック!!




ここで国民はジェームズとたもとを分かつことを決定する。ジェームズを追放し、娘のメアリと、夫のオランダ総督オラニエ公ウイレム夫妻を王として迎えた。これがかの有名な【名誉革命】である。国民にそっぽをむかれたジェームズは、失意の中イングランドを離れ、赤ん坊とともにフランスに亡命する。もちろん黙っていたわけではなく、何度か王権を取り戻そうと戦いを画策したが、ことごとく失敗した。

さて、プロテスタント(非カトリック)の王を戴いたイングランドの民は、この王夫妻を歓迎する。言うことちゃんと聞くし、国民を慮った行動をとる。しかし、夫妻に子供はおらず、夫婦仲もあまりよくなかったようだ。ということは、次の後継者は・・・・。

長らくお待たせしました。やっとアンの登場です。アンはメアリの妹で、メアリ夫妻の後の王として、決定していたであります。父親は、カトリックのジェームズ2世。でも、自分はプロテスタント。かつ、姉について名誉革命の時から、メアリ夫妻に臣従すると誓っていたのです。



アン女王



心情を察するに、王になりたくてなったわけではないけど、成り行き上、王に即位した流れ。夫のデンマーク王の次男・ジョージとは、とっても仲が良かったようで、そこは不仲の姉夫婦とは違っていた。なんと17回も懐妊したが、どの子供も成長しなかった。母になれない悔しさ、子供を次々に亡くす歯がゆさに、哀しみ。酒におぼれ、動物を溺愛し、なんともできないこの境遇を嘆くこともできない。

横柄で、わがままで、自分の思い通りにならないと、ヒステリックに描かれていたが、さもありなん、とも感じてしまう。周りに群がるのは、どんな人物たちだったか?そこも容易に想像がつく。きっといろんな鼻の利く人たちが、目先の欲に駆られて、おべっか使って、お追従を並べてたんじゃないかと。一体、自分が信頼できる人はいるのか!!などと、勝手に考える。



唯一成長したけど、やっぱ死んじゃった王子様


映画で、夫のジョージ公が一切描かれていなかったが、調べると、夫婦仲は良かったようだし、亡くなったのが1708年なので、さっぱり登場がなかったのは、ちょい解せないが、夫婦仲が良かった~にしてしまうと、面白くなくなってしまうのかしらと。

アン女王にも後継ぎはできず、今度はそのあとの王探しとなるが、まずカトリックはダメ。そういや、名誉革命で亡命したジェームズと、その息子の生まれたばっかのジェームズ(またもや)がいるが、もちろんイングランドの国民が許すはずがない。

カトリックの王が即位するのを阻止するために、まず王位継承法という法律を制定した。それによって、王に即位できるのは、本当にごく一部の血縁のものだけとなり、今や、ハノーファーの選帝侯、ゲオルグしかいない。アン女王の後を継ぐのは、英語もさっぱりしゃべれない、ドイツ人(?)を迎えることになる。これがゲオルグ=ジョージ1世、ハノーファー朝の誕生だ。

現王室もこのハノーファー朝なのだが、名称は第一次世界大戦の時に、ウィンザー朝と変えた。敵国の地名を名乗った王家ではちょいと都合が悪いということだ。

映画の中でイングランドはフランスと戦争状態だったが、それはスペイン継承戦争(1701~1713)というやつで、当時のぐっちゃぐちゃのヨーロッパの王家のつながりから起こったスペインの王位継承にまつわる複雑な国同士の戦いであった。ヨーロッパの王家は、国の枠にとらわれず、自国の力を何とか保つために外国の王家のお姫様やら、王様やらが結婚していたわけで、「後継ぎがいない!」なんてことになると、我こそは!!と名乗り出て、うまくいかなければ、即戦い!!という流れだった。

アン女王の功績となるのは、彼女の時に成立したのが、大ブリテン王国の誕生である。イングランドとスコットランドの合併で誕生した国が、いわゆるグレートブリテンというやつ。ステュアート朝の始まりのジェームズ1世の時から、同君連合という半端な形をとっていたが、アン女王の時に正式に合併の運びとなり、今に至る。最近、スコットランドが独立・・などという話もあるようだが、どうなることやら。

ホイッグ党とトーリ党の対立やら、カリブ海で活躍していた「アン女王の復讐号」とか、いろいろと話題に事欠かない時代。そんな時代のお話でした。

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