それが「跳びはねる」理由なのだそうです。
『自閉症の僕が跳びはねる理由』という本、読み終わりました。
実は、文字も大きくページ数も180頁に満たないので「ただ読むだけ」なら数時間と掛からないはずなのですが・・・
私には、一行読んで本を閉じ、いろんな思いを反芻しながら、時には泣きながらしか読み通すことが出来なかったので2日ほど掛かってしまいました。
同じ自閉症とはいえ個体差があるのは当然なので、著者の直樹くんとトシヤの行動や理由がまったく同じとも限らない、ということは踏まえての感想です。
まず思ったのは、トシヤが幼い頃に私が選択した教育の道は間違ってはいなかったのだ・・・という安堵感です。
私は通常の親御さんとはちょっと違う方向で育ててきました。
詳しいことは自分の本にも書いていますが、シュタイナー教育による療育を選んだことが、トシヤをスポイルさせずに来れた最大の成果だったのだとこの本を読んで確信しました。
というのは、直樹くんは「自閉症についてどう思いますか?」という問いにこう答えているのです。
「自閉症とはきっと、文明の支配を受けずに自然のまま生まれてきた人たちなのだと思うのです」
「人類は多くの命を殺し地球を自分勝手に破壊してきました。人類自身がそのことに危機を感じ自閉症の人たちを作り出したのではないでしょうか」
これと同じことを私も考え、シュタイナーの教師たちもこのスタンスで接してくださっていたのです。
ただ、そういう安堵感ばかりでは済みません。
「何が一番辛いですか?」という問いに彼は答えます。
「僕たちのようにいつもいつも人に迷惑をかけてばかりで誰の役にも立てない人間が、どんなに辛くて悲しいのか、みんなは想像も出来ないと思います」
「一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです」
私はそこまで考えてやれてなかった。
そして周囲の人間(主に近い家族)が平気で息子を傷つけるような言葉を使うことを、私は深刻に受け止めてやれてなかった。
大反省です。
彼らには私たちのような身体感覚が無いといいます。
自分の思うようにならない身体、伝えられない気持ちを抱え、いつもギリギリのところで生きているんだという彼ら。
自然の中にいるのが一番好きだとも書いてあります。
何も言わずに自分たちを包んでくれるからだと。
これにも思い当たることばっかりです。
シアトルの大自然の中で、小笠原の海の中で、トシヤが見せた顔は柔らかく幸せそうでした。
言葉がうまく使えず、行動も幼さを感じさせるので、心も幼いままと周りの人間は思ってしまいがちだけど、実は深遠な精神活動をしているのだと改めて思い知らされました。
巻末に彼が書いた短い小説が収められています。
これは、長く精神世界を歩いてきた人が行き着くような世界観でしか書けないストーリーです。
もし、生まれつきこういう世界観を持っていたのだとしたら・・・
やはり彼らは必然的に使わされた人々なのかもと思ってしまうのは、私が当の母親だからというばかりではない気がしますが、いかがでしょう?
この本を息子に身近に関わってくださる人たちに薦めたいと思います。
『自閉症の僕が跳びはねる理由』という本、読み終わりました。
実は、文字も大きくページ数も180頁に満たないので「ただ読むだけ」なら数時間と掛からないはずなのですが・・・
私には、一行読んで本を閉じ、いろんな思いを反芻しながら、時には泣きながらしか読み通すことが出来なかったので2日ほど掛かってしまいました。
同じ自閉症とはいえ個体差があるのは当然なので、著者の直樹くんとトシヤの行動や理由がまったく同じとも限らない、ということは踏まえての感想です。
まず思ったのは、トシヤが幼い頃に私が選択した教育の道は間違ってはいなかったのだ・・・という安堵感です。
私は通常の親御さんとはちょっと違う方向で育ててきました。
詳しいことは自分の本にも書いていますが、シュタイナー教育による療育を選んだことが、トシヤをスポイルさせずに来れた最大の成果だったのだとこの本を読んで確信しました。
というのは、直樹くんは「自閉症についてどう思いますか?」という問いにこう答えているのです。
「自閉症とはきっと、文明の支配を受けずに自然のまま生まれてきた人たちなのだと思うのです」
「人類は多くの命を殺し地球を自分勝手に破壊してきました。人類自身がそのことに危機を感じ自閉症の人たちを作り出したのではないでしょうか」
これと同じことを私も考え、シュタイナーの教師たちもこのスタンスで接してくださっていたのです。
ただ、そういう安堵感ばかりでは済みません。
「何が一番辛いですか?」という問いに彼は答えます。
「僕たちのようにいつもいつも人に迷惑をかけてばかりで誰の役にも立てない人間が、どんなに辛くて悲しいのか、みんなは想像も出来ないと思います」
「一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです」
私はそこまで考えてやれてなかった。
そして周囲の人間(主に近い家族)が平気で息子を傷つけるような言葉を使うことを、私は深刻に受け止めてやれてなかった。
大反省です。
彼らには私たちのような身体感覚が無いといいます。
自分の思うようにならない身体、伝えられない気持ちを抱え、いつもギリギリのところで生きているんだという彼ら。
自然の中にいるのが一番好きだとも書いてあります。
何も言わずに自分たちを包んでくれるからだと。
これにも思い当たることばっかりです。
シアトルの大自然の中で、小笠原の海の中で、トシヤが見せた顔は柔らかく幸せそうでした。
言葉がうまく使えず、行動も幼さを感じさせるので、心も幼いままと周りの人間は思ってしまいがちだけど、実は深遠な精神活動をしているのだと改めて思い知らされました。
巻末に彼が書いた短い小説が収められています。
これは、長く精神世界を歩いてきた人が行き着くような世界観でしか書けないストーリーです。
もし、生まれつきこういう世界観を持っていたのだとしたら・・・
やはり彼らは必然的に使わされた人々なのかもと思ってしまうのは、私が当の母親だからというばかりではない気がしますが、いかがでしょう?
この本を息子に身近に関わってくださる人たちに薦めたいと思います。
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