桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

たった20年前

2005-08-13 20:16:34 | 自閉症のtoshiya
昨日12日は、あの日航機墜落事故から20年目ということで、新聞でもテレビでもさまざまな企画が見られて、もう20年!?という思いを抱かれた方も多かったのではないでしょうか。

オギャアと産声を上げた赤ん坊がハタチになると言えば、相当の時間の長さを感じてしまうけれど、いざ自分の子どもが18歳になることを考えると、日々その姿を見ているせいか生まれたのはついこの前のような感覚にもなります。


昨日、toshiyaの学校の校長先生にインタビューをした際、事実としてあったというひとつのエピソードに愕然としました。

それはまさに、20年ほど前にあったことだといいます。

当時の知的障害者の教育環境は今とは比べ物にならないほど蚊帳の外に置かれ、ある程度の能力がなければ就労することも出来ず、いや、就労する場がそもそもないという時代だったといいます。
重度の障害者は、必然的に入所施設に入るか、もしくは自宅で暮らす以外に生きる道はなかった。

自宅で家族に囲まれて暮らせるのは一見幸せじゃん!と思うでしょ?
とんでもない!
家の一角に幽閉されていた人も数多くいたのです。

座敷牢ってわかりますか?
ただ死なないように食事だけをあてがわれ、外にも出さず、人にも会わさず、何年も・・・・。

先生が実際に関わったという人は、実に生まれてから36年間もそういう所で生きながらえていたのだそうです。


障害者が家族にいるということは実に不名誉なおぞましいことと思われていたせいですが、それは何百年も前の話じゃないのです。たった20年前のこと。


36年間お日様を見ることも出来ず、動物のように生きねばならなかったその人はいったい何のために生まれてきたのでしょう。

無知は罪です。

たくさんの理不尽な仕打ちも舐めてきた私が出来ることは何?

まだ20年前の余韻がなくなったわけではないことを時々感じるだけに、自分の役割を改めて考えました。