さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

「天国への扉」 ~イタリア紀行13

2010年07月24日 | イタリア




サンタ=マリア・デル・フィオーレの教会は、クーポラが美しい本堂と、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニの洗礼堂の3つから成り立っています。八角形の洗礼堂には、旧約聖書の話をモチーフとした、ブロンズの彫刻が美しいギベルティ作の「天国への扉」があります。





この扉の名誉ある製作者を決めるのには、なんと大がかりな公開のコンクールが行なわれました。著名な芸術家たちが参加するなか、その最終審査に残ったのが、ギベルティとブルネレスキという二人だったのです。この二人にまつわる興味深い逸話が残っています。

ギベルティは課題作の審査にかかわる高名な彫刻家や工芸家に前もって意見を聞き、その助言に従って伝統的な中世的工芸趣味の強い、繊細な作品を完成させました。当然審査員たちは、その作品が提出されたときにギベルティを絶賛しました。

しかし次にブルネレスキの近代的な、激しくドラマチックな作品を初めて見たとき、審査員たちはこちらのほうがすぐれていると驚いた。しかし自分たちの助言通りに作品を完成させたギベルティを褒め称えたあとで、それを落とすのは心苦しい。悩みに悩んだ結果、優勝は二人で分け合い、門扉の製作も共同で行なうこととすると決定したのです。

ギベルティはその決定を受け入れたましたが、ブルネレスキはつっぱねたとのことです。

                             *                       *                       *

まだ話は続きます。栄誉あるコンクールの優勝者ギベルティには、あの大聖堂の巨大なドーム製作の仕事が回ってきました。それには名誉だけでなく、高額の報酬も約束されていました。

しかし直径42メートルにも及ぶ巨大な空間に、方形から円形に移行しながらドームを立てるという作業は大変至難な仕事で、ギベルティには仕上げられなかったのです。実はギベルティは、建築においては実力が足りなかったのです。そこでコンクールのあとにローマで建築学を学んでいた、ブルネレスキが登場します。彼はいずれこうなるであろうことを予測していたのでしょう。ブルネレスキはギベルティのあとを受けて総指揮者に任命され、独創的な二重構造になったドームを完成させたのです。

大聖堂の内側から天井を見上げてみると、よくもまあ仕上げることができたものだ、と感動しますよw

委員会は、契約をしてしまったギベルティに、しかたなく高額の報酬を払い続けたそうです。でもブルネレスキは、そんなことより心の底からしてやったり、と思ったことでしょう。

このクーポラは、お椀を二つ重ねたような構造になっています。だから登るには、内側のお椀の上をつたってゆくような感じで上がります。頂上に辿りつくと展望台からは、フィレンツェの街並みが360度見渡せる素晴らしい眺めが広がっています。さらにこの丸屋根の表面を近くで見ると、石が大変複雑な形で組まれています。天蓋の途方もない重量を支えるため、このような方式が取られているとか。ブルネレスキは天才だったのです。



ふうふういいながら登りつめると、突然爽やかな風を受けて視界が開け、この素晴らしい景色が待っています。まだ行っていない人は、この経験を初めて味わうことができるという喜びがあるのですよ(^益^)b



「天国の門」は、長い間風雨にさらされて劣化してきたので、本物はこのように博物館に入っているのですよ(^益^;



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
天国への扉とは (ゆくえ)
2010-08-17 11:03:54
ロマンを誘うネーミングね
ギベルティ&ブルネレスキのエピソードもドラマチック
日常と伝統建築が一体化してるとか、屋根の色が統一されてるの、すごっ
返信する
毎日がタイムスリップ (さきち・)
2010-08-17 13:45:35
うん~。こういう街に住んでいると、毎日が博物館の中に暮らしているというか、いや街が生きているから、タイムスリップして中世の世界に暮らしているようなものでしょうか。
さらに天国の門を目の前にして、過去だけでなく天井の世界にもつながっているというわけだね(^益^)
返信する

コメントを投稿