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イエス様を十字架から降ろします。(その2)

2018-12-26 | 文学
 12月26日 水曜日

 おはようございます。 ミーム(遺伝子)です。


まずは一曲。

♬~♬「きっと、誰かに逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて」

♬~♬「僕は此処に来たんだ。なぁ、そうだろう?」

♬~♬「過去がくれたのはボイス。明日に導くボイス。」

♬~♬「ミーム(遺伝子)は近くにいる、感じる。」♬~♬。


この世の唯一の絶対。

他に絶対が無い以上、これが真理であるはずです。

その唯一の真理を無視するのは、大脳の発達と感情によるもの。

つまり、頭がいい人、長生きする人ほど死の恐怖を感じやすい訳です。

いっそ、知らなければ良かったのにね・・・。


結論から言います。

死を無視するのではなく、無中、夢中です。

「あっ、忘れてた!」 「気づけば死んでた!」 です。

死ぬ瞬間はミーム(遺伝子)に任せれば怖くない。

死とは、与えられた命、生かされている命を元に戻す、

生死は自らの為の生死であり、生命同様、死は神からの贈り物ですから、

死ぬ瞬間は恐怖ではなく、最高快楽。

人生の最後に経験する神秘的な快楽。ミーム(遺伝子)のおかげです。

逆に、恐怖を感じるのは大脳ですから、

死から逃げずに一歩踏み出す先に極楽が待つ。

長寿の一時期が常に逃げ得る価値はなく、何よりも恐い。

そして一番の関心事と言えば、「予測不能」 だと思いますが、

この世は全てにおいて必然で必要、生と死の相互作用ですから、

生命の驚くべき姿は、驚くべきものであり続けはしないというのが、

生命境遇にまつわる事実であるように、ミーム(遺伝子)とプロセスその意義は

自己成長を経て、集団に貢献し、大いなる連鎖となって、不滅性(魂説)に至る。

死は特別でもなければ謎めいたところもない。ただ平等、それだけのことで、

気になるのは、心の奥底では誰一人自分が死ぬとは信じていない不滅説です。

実際、死を受け入れた多くの先人たちから学ぶべきは、

生きている間には自分自身、死を伴わないのだから死は無く、

死が訪れた先には、私自身が存在していないが故に、

死は生者にも死者にもよく判らないという、

生者にとっては存在しないし、死者はもはや存在しないのだから、

「いずれ死ぬ」 という事実に大きな影響を受けうることだけが自然的です。

事実、死は天命であり運命であり宿命なのだから、

私たちの生き方は死を直視する勇気から生まれる物語だと魅了されるように、

死に対する恐れが適切な応答か、理に適った感情かどうかが何よりも重要です。

未熟な大脳による恐怖の感情は、本当に適切な情報なのかどうか、疑問です。

もしも仮に、AIに感情入力するなら・・・。考えただけでも恐ろし過ぎます。

また、自殺や自決、死刑についてですが、

私たちは目には見えない何者かに生かされているのですから、

そう簡単には死ねないのと同時に、死は神様からの贈り物ですから、

その時がいつ来るのか楽しみにしておくのが人生の醍醐味であり得策で、

死刑は極刑ではありませんから、犯罪者に対し死刑は安易で大反対します。


これらの一連の流れは、長きにわたり、死想論として考え出されたものなのですが、

ほんの少しでも、時代が死想論に追い付いてきた様に感じて嬉しく思います。

これくらいでは、イエス様が十字架から降りては来られないと思いますから、

「死の恐怖を克服した人類は次のステージへ!」

今後とも、宜しくお願い致します。



    つづく。