角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

「粒揃い」の弊害。

2006年11月30日 | 家族の話
今日の草履は、一昨日の「今日の草履」のお客様の、お子さん用2足です。
すでに出発しています、間もなく到着ですヨ。

どうやら秋田市では雪がちらついたようです。角館は今のところ降ってはいませんね、日中は日も差してくれました。週末から週明けまでが冬将軍のようで、このあたりに2~3センチの積雪になるようです。

一昨日のブログに関連するのですが、常々思っているのが、「すべての人間をまずは認める」ということなんです。日ごろの周囲にさえ様々な人間がいるのに、実演では全国の人たちと出逢います。そりゃあもう、十人十色なんて言葉では表現し切れませんね。
そのすべての方々が、自分の意思を持って、職業に就いて、家族構成を成して、そして生きているわけです。

今日のラジオで、永六輔さんの話に耳を奪われました。「粒揃い」という言葉、大きさ形が整っていてムラがないという意味ですから、これは誉め言葉でしょう。永さんが言うのは、これを人間社会、中でも子ども社会に当てはめても誉め言葉なんだろうか?ということでした。
たとえば、『あのクラスの子どもたちは粒揃いダ』とか、『今年の野球部は粒揃いが集まった』とか。これは裏を返すと、「個性がない人間の集団」とも受け取れるということですね。

様々な人間がいて社会が成り立っている、そしてどんな人間も生きる権利があるということを、もっと子どもたちに教える努力や工夫が要るんじゃないですかね。

私が路上ライブに一種のこだわりを持っているのは、世の中にはいろんなおとながいて、いろんな職業があるということを、世の子どもたちに知って欲しい一面があります。
路上で草履を編み、いろんな人たちとおしゃべりして日を過ごす、そしてそれが生業でもある。まず一般的な世の職業からは、少し離れた環境と思います。

もちろん草履を編んで飯が喰えるなら、学校の勉強なんかしなくてイイという話じゃないですよ。ただ、学業やスポーツの成績だけで人生が決まるなんてことはゼッタイにないこと、そして万に一つともだちがひとりもいないとしても、多くの人たちが声を掛けてくれる、あるいは応援してくれる環境が必ずあるということを、見て話して感じてもらえたらと思ったりしますね。

わが家の娘たちが、「粒に揃わない」私をどう見ているかは分かりませんが、少なくとも草履実演を嫌がってはいませんね。
あっ、双子から『もぅ~、作務衣着て学校へ来ないでよぉ~』って怒られましたけど、言っても無駄ということも娘たちは良く知ってますヨ。怒りながらも目は笑ってましたから。

コメント (2)
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