Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

バウスシアター閉館の報

2014-02-13 | Weblog
吉祥寺バウスシアターが5月末をもって閉館するという。
正確な理由は公表されていないが、お客が入っていなかったからということではないはずだ。
1984年3月にオープン。30年の歴史に幕を閉じる。
初めからミニシアターを併設していて、都心で公開された小品や当たらなかったが評価の高かった映画を上映してくれた。
ここでやってくれたから見逃さなかった映画が多々ある。
最近で思い出深いのは『ドッグヴィル』だ。
もうだいぶ前だが、昔はレンタルの「アコム」だった隣のテナントを借りて映画館をひとつ増やしたのにも驚いた。そんなことができるのだと感心した。これで3スクリーンになった。
劇場を作ったH社長は演劇に理解のある人だった。オープン当初から「パパ・タラフマラ」がまだ「タラフマラ劇場」を名乗っていた頃に、相当な支援をしていたのは有名な話だ。私が初めて小池博史作品に触れたのはこの劇場だ。オーケストラ付きだったので劇場自体がばかばかしいほど大きく見えた。
最前列に「カップルシート」があった。間に手摺りのない二連席である。最前列だった。確か伊丹十三監督の映画でも撮影に使われていた。『タンポポ』だったか。
劇場のミニコミも作っていた。
演劇に理解があるというのは、本当に徹底していて、屋上に演劇の時に便利なプレハブの楽屋を立ててくれていた。
H社長兄弟は、私が屋上で野外劇をやりたいという要望を聞いてくれた。
『オルレアンのうわさ』という劇である。1984年9月。
そのレンタルの「アコム」だったところの上の屋上に客席とオペルームを作った。イントレを立てて照明を吊った。
劇場の更に奥の高い層を使い、ラストシーンは少女が真っ赤な傘を持ってそこに立った。
商店街に近い小さい棟の上も使わせてもらった。この上で最初メガホンで台詞を言うのが町内会長役で出演しこの作品が舞台デビューだった猪熊恒和である。当時二十五歳。
商店街から観客以外の人も見上げていた。「空中野外劇」と名乗った。
件の楽屋は廃材とトタンで囲って掘っ立て小屋に見えるようにした。
原発の島を舞台にした劇で、私は原発作業員の役だった。
雨が降って一日巡演になった。
本番中に来年一緒に仕事をしようと約束していた舞台美術家の手塚俊一さんが亡くなった。お通夜にも行けなかった。
社長にお世話になったことはもう一つある。そんな秘密にすることではないけれど、時効だろう。稽古場不足に悩む小劇場の私たちに、親しかったらしい某政党の選挙事務所(選挙期間以外は空っぽだ)に話を付け、1時間五百円で提供してくれたのだ。どれだけ助かったことか。

「公共」の充実は、いい。しかし官製の「公共」だけではなく、「民間の人間がする仕事の公共度の高さ」を、ゆめゆめ忘れてほしくない。金と知名度、コネ人脈におもね、官の気まぐれに踊らされていては駄目だ。このままでは多くのものを失ってしまうと思う。

http://www.bakuon-bb.net/
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首相の傲慢は許せない

2014-02-13 | Weblog
報道によれば、安倍晋三首相は十二日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり「(政府の)最高責任者は私だ。選挙で国民から審判を受けるのは(内閣)法制局長官ではない。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と述べたという。
憲法はそもそも政治に対して優越するものであり、政府は内閣法制局と確認を重ねてようやく「解釈」の微妙な変更を認めてきた歴史がある。
首相が勝手に解釈改憲を進めることなどできないのだ。
慎重論が強い公明党から入閣している太田昭宏国土交通相は「(集団的自衛権の行使容認に向けて検討を進めている政府の有識者懇談会の)報告が出た後、与党間で、また国会の中で論議を深めていくことが重要だ」「これまで政府見解として『認められない』という答弁が出ているのは事実」と、拙速は避けるべきだとの認識を強調した。
しかし首相は「(内閣法制局の議論の)今までの積み上げのままでいくのであれば、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会をつくる必要はない」という。
集団的自衛権の行使については、過去のどの政権も、戦争放棄と戦力の不保持を定めた憲法九条から「許容された必要最小限の範囲を超える」と解釈されることを尊重し、一貫して禁じてきた。
選挙で選ばれたのは自分だからとする首相の発言は、憲法を普通の政策と同じようにとらえようとするもので、あまりにも憲法を過小評価しているわけで、この独断は目に余る。断じて許してはならない。
マスコミの扱いも小さすぎる。
もっと「あり得ない発言」であることをとことん示すべきだ。

そして経団連が武器輸出拡大を提言している。なぜ経済団体が「武器輸出」を、と違和感を感じない世の中になったのだろうか。
長いものには巻かれろ、金になるならなりふり構うな、声の大きいやつが正しい、というわけだ。

都知事選でも思ったが、確かに説明が足りないのかもしれない。
同じ情報でも昔の人間の常識なら敏感に反応できただろうとも思う。
ただ、情報が隠されていること、扱いを小さくすることが問題点を小さく見せているという現実は、ある。
報道側の、自粛なのか、まさか、確信を持ちにくいのか。
これに秘密保護法案の施行が加わったとき、どんな世の中になるのか。

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「日本の政治の未成熟さ」と十代のメダリスト

2014-02-12 | Weblog
東京都知事選で「脱原発」候補一本化を呼びかけたルポライター・鎌田慧氏が朝日新聞に選挙結果を受けた「総括」を載せているというので読んだ。
私は鎌田氏のこれまでの活動に対する敬意は持っている。
しかし将来、この文章に書かれていることが、ある立場から見れば間違いではないということになるのかもしれないが、この時代の大局を正確に語っていると誤解されないためにも、私の考えを記しておきたい。

「細川氏は起ち上がりの遅さを最後まで挽回(ばんかい)できなかった」「街頭演説では、小泉氏と細川氏の元首相コンビが、圧倒的な人気をみせていた。どこでも千人を超す人垣ができた」「それが票となって表れるなら、細川氏が舛添氏に圧勝していたはずだ」「が、東京の地下深くに延びている、保守的な岩盤、自公の組織票を崩すことができなかった」というのが鎌田氏の選挙の分析だ。
「細川氏と小泉氏は原発ゼロの経済効果を説くばかりではなく、政治の流れを変える、とも語った。保守派からの「安倍右傾化」批判でもあった」というが、「政治の流れを変える」根拠が、「なにはともあれ脱原発」というお題目のみだったことを有権者が見抜いていたとは考えないのか。
「自民党から除名された舛添氏を、安倍首相が担いで選挙を戦ったのは、ほかに勝てそうな候補がいなかったからだ」「日本の将来よりも当面の利益を保証する、という公約が、原発依存と建設ブームに期待する大企業や、不況と失業に打ちひしがれている中小業者や若者たちの期待感を引きつけたのは事実だった」という認識があるなら、多くの支援者を細川氏陣営に奪われたにもかかわらず、宇都宮候補が善戦したことの理由を考えるべきだ。「中小業者や若者たち」一般から、さらに多くの「弱者」の期待と支援を得たのが宇都宮氏だったことに気づかないのか。
「選挙戦がはじまったとき、細川選挙事務所にいってみると、運動員はいない、ビラはない。街宣車のマイクが小さい。指揮系統がはっきりしない。集まってきたボランティアは、仕事がなく、すごすご帰るありさまだった。「地上戦なしの空中戦」が、選挙責任者の方針だった、という」「態勢を組み直されたのは、当初の運動責任者が一掃されてからである。そのときは、もうすでに一週間がすぎていた。つまり、「舛添が勝った」というより、細川選対の準備不足の敗北だった」という。
つまり、「選挙のプロが支えていなかった」と八つ当たりしているのだ。
私も初動のぎこちなさに「ネット中心の選挙」を企てることが自民党の息のかかった人たちが「細川氏を勝たせすぎない」ために紛れ込んでいるのではないかと疑惑を持った。そして選対のトップの素性の怪しさを指摘した。結果として選対トップは交替した。それに連なって、残っていたらもっと働いたはずの一部の人も切られたという意見もある。その真偽はそこにいなかった私には判断のしようがない。
「せっかく、二人の元首相が、「原発を認めたのは無知だった。間違いだった」と公衆の面前で重大な告白をしても、宇都宮氏を推す共産、社民の陣営はかつての小泉政治を批判して聞く耳をもたず、共倒れとなった。日本の政治の未成熟さだった」という文が、もっとも引っかかる。
スポニチの言うことだから信用できないという人もいるらしいが、都知事選の投開票から一夜明け、細川氏を支援した小泉純一郎元首相が「もう外に向かって選挙戦をやることはない」と終戦を宣言したという。細川氏をスタートに、「これから各地を回って脱原発候補を支援していく」はずじゃなかったのか。
こんな小泉に翻弄されたことが「日本の政治の未成熟さ」というならわかる。だが、鎌田氏の言い分はそうではないみたいだ。
「宇都宮氏を推す共産、社民の陣営」というが、これは「宇都宮陣営」=「共産、社民の陣営」でしかない、という「詐術」である。宇都宮氏は「無所属」で、両党には入っていないし、「共産、社民」は、支援団体の一部であるに過ぎない。
「日本の政治の未成熟さだった」というのは、つまり「共産、社民」のせいで一本化ができず、「脱原発」陣営が敗れたことだと、どうやら本気で言っているらしい。
「脱原発」の細川・宇都宮両陣営を合わせても桝添に届かなかった。そのことを虚心坦懐に受け止める気はないらしい。
共産、社民の両党に対しては私も言いたいことはある。今までも言ってきた。
確かに、この国が議会制民主主義であり、現在の選挙制度を取る以上、「政党がなければたたかいにくい」というのは事実だ。
では新たに立ち上げる「政党」はあり得るのか。
「社会党」が崩壊したこの四半世紀の歴史について皆、ちゃんと検証できているのか。
私たちはよりきちんと現実を見なくてはならないし、もっと超然としているべきなのではないか。

鎌田氏が「本気」で取り組まれたと多くの人が言う。だからきっとそうなだろう。
しかし、氏の過去の数々の活躍と比べての、今回の選挙戦がらみの、不用意でぎくしやくした態度は、かといって、かつて私たちを『「反核」異論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』で困惑させ、「私たちはオウムに殺されても仕方がない」と言い放って唖然とさせた、かの吉本隆明氏の晩年期を彷彿とさせるわけではない。もう少し「現実的」なのだろう。
だがその誤謬は、私に何かの刺激を与えてくれるわけではない。この国がどこまで駄目になったかを、その示す方向の中で、くっきりと教えてくれただけだ。

「建国記念の日」のせいか、オリンピック中だからか、「愛国心」というコトバをよく聞く。「海外に行くとみんな愛国者になる」などという人もいるが、逆の人もいるはずだし、そういう意味ではなく、どこにいようと自分の国のことを客観的にも語れることこそが、たいせつな、正しい「愛国心」の必須条件であると私は思う。冷静で論理的な裏付けのない「愛国心」など、意味がない。
逆に言えば、海外に行っても自分の国について冷静かつ論理的に語れる者こそが、私の思う「愛国心」を備えていることの必須条件である。その意味では、私は海外ではじゅうぶんに「愛国心」の持ち主と思われているはずだ。「自分の国のことをちゃんと見ている」「こういう日本人がいることがわかって安堵した」ということを、よく言われた。海外数カ国で「講演」もしてきたが、私に「愛国心」がないと思った聞き手は、ほとんどいないのではないかと思う。

「日本の政治の未成熟さ」という言い放ち方には、冷静さも論理も感じられない。「未成熟」、そんなことは初めからわかっている。おそらく鎌田氏がジャーナリズムで活躍を始められた頃からそうなのだろう。ただ、今回に限っていえば、鎌田氏こそがその「日本の政治の未成熟さ」を利用しようとしたのではないのかと、私は思う。
そして、細川氏と小泉氏には、東京に対する「愛」は感じられなかった。そういうことが大切なのではないかという気がする。

オリンピックなどどうでもいいし、国がこんな状況では「国を代表する」リアリティがわかる人には切なく、かえって可哀想な申し訳ないような気がするだけなのだが、ソチ五輪第5日の11日、スノーボードの男子ハーフパイプ決勝で、日本の15歳、平野歩夢が2回目に93.75で2位となり銀メダル。18歳の平岡卓は2回目に92.25点を出し、3位で銅メダルを獲得。日本選手団の今大会初メダルとなった。平野は冬季五輪の日本勢最年少メダリストとなるそうだ。
金メダルは2回目で94・75点を出したユーリ・ポドラドチコフ(スイス)。五輪3連覇を狙った年収八億円の大富豪・アメリカのショーン・ホワイトは2回目の90.25点で4位に終わったという。

テレビなど見ている暇はないが、競技後とセレモニーの十代の二人をちらりと見ると、なんとなくめんどくさそうにいる感じが素敵だ。
それでいい。
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祝日返上

2014-02-11 | Weblog
根拠のない「建国記念日」など祝日にする必要などない。天皇誕生日とかと並んで、お休みになって嬉しい子どもたちを洗脳するために作られたのだろう。

舛添「新都知事」は、あれほど批判していた自民党の要望を丸呑みにし、首都機能移転や道州制などの政策を取り下げ、「生まれ変わった」御陰で当選できた。人間は権力を握るという誘惑のためには自分の持論さえ捨てるという醜悪さをこそ、子どもたちは学んでほしい。というか、そういう報道は一つもないね。
マスコミは桝添が告発されていることをちゃんと報道するように。
本当にマスコミの責任は重い。

20代の投票先が、田母神氏2位で27%の支持(毎日新聞2月10日朝刊、出口調査)。脱原発派二人の倍近いのだという。
日本全国に約250万人の「ネット保守」が存在し、その勢力は社民党の約2倍、日本共産党の約半分、国会議員にして2~3議席分の勢力だと分析する人もいる。
どんな国になってもいいのか。
若い世代は自分から進んで徴兵制の時代を招こうとしているのか。

選挙が終わったから「ノーサイド」というが、初めからそんな「対立」があったのか?
私はとくに細川陣営にいろいろ意見を言ったが、合理的な疑問さえ受け付けられないのはおかしい。立候補初期に当時の選対トップ馬渡氏への疑惑についてこのブログに記したことは、一部から馬渡更迭に役に立ったと思われたりもした。細川氏の「クリーンイメージ」を傷つけないためにということか。
「ノーサイド」も知らないし、「対立」も知らない。
それでも「一本化」できなかったことでいろいろ言う人がいるなら、そして「脱原発」、右傾化する安倍政権に「NO!」がそれだけ大切なら、先に立つ宇都宮候補を応援すればよかったのだと繰り返すしかない。
「一本化」しなければ勝てない、という言説が流布されたこと自体が有権者に信頼されなかったということに、気がついていないのだろうか。
小泉の街頭演説は選挙演説ではなく結果として「小泉の人気取り演説」になってしまっていたと言う人も多い。多くの聴衆もいたが、有名な人が喋っているから見てみようと思った、という声も聞く。国政には戻らないというのが嘘とも思わないし、小泉に政界再編への意志があるかどうかもわからない。そういうことを問題にしているのではない。
「脱原発」に対して「徐々にでいい」と応えた有権者が半数なのだ。悔しく情けないが、その現実に向き合うことが大切だ。
言いかえよう。「一本化」騒動で、「脱原発」メッセージが「政治に利用された」という印象を持つ一般有権者が多いということだ。
その印象じたいがねじ曲がったものだ。だが、そう取られた理由はある。
また、「元首相二人の揃い踏み」は、反骨でも何でもなくて、「力に縋った」という印象でも取られているのだ。
これは私の意見ではない。
「原発は国政ではない、都知事選で焦点になることに違和感がある」という多くの有権者たちの声を、「脱原発」を主張に抱えた候補者を応援した私たちは、本当に理解しないといけない。
「脱原発」の逼迫と重要性が理解されていないことを思い知らされたわけだ。
原発「即ゼロ」が、193万票、舛添氏得票211万票に迫ったなどという脳天気なことを言っている場合ではない。
「宇都宮氏が細川氏に勝って喜んでいる共産党」には、私も激しい違和感がある。
宇都宮氏は「共産党の候補者」ではない。
ではどうする。
建設的な議論以外は無意味だ。
次にどうするか、でしかない。

ソチ五輪で日本人選手の活躍が期待される中、「明治天皇の玄孫」で、日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田恆和氏の息子でもある竹田恒泰なる人物が、ツイッターで選手に「注文」をつけているという。
「メダルを取る可能性がある日本選手」は、オリンピックでおなじみの光景となっている「メダルを噛む」行為をしないこと、理由は「品がない上に、メダルを屈辱することになる(原文ママ)」だそうだ。さらに国歌が流れたときは「聴くのではなく歌え」「日本には国歌斉唱時に胸に手を当てる文化はない」「直立不動で歌うこと」という。「予選落ちしてヘラヘラと『楽しかった』などと語った選手」に対して、負けた場合は「思い出になったとか、楽しかったなどはあり得ない」「日本は国費を使って選手を送り出してます。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません」。
メダルを噛む習慣は私にもよくわからないが、本人の勝手だろうし、歌う歌わないもその人の自由だろう。
こういう言説が平気で出てくることじたいに違和感がある。
選手も、選手を応援する人も萎えさせる。
私はテレビなど観ている余裕がないが、そもそも一般の人たちの気持ちが、「自分たちの国」「自分たちの国の選手」と素直に思うことができなくなってしまっているのではないか。

「建国記念日」は廃止すべきだ。私たちが「自分たちの国」のイメージを共有できないなら。
コメント (1)
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劇作家協会がロゴを作った

2014-02-10 | Weblog
「日本劇作家大会2014 豊岡大会」を開催することが決まったのは既報の通りだが。それにあわせて、「大会」のためのロゴを作った(写真)。
ロゴと、大会情報の現時点で決まっている詳細を紹介しよう。
正式な記者発表は4月になります。

大会ロゴは、「コウノトリ」と「戯曲執筆=ペン」を象徴したデザイン。
劇作家の未来と暮らしを守り、新たな作品を育む、というニュアンスです。
開催地の豊岡市は、コウノトリの野生復帰プロジェクトに取り組み、成功させてきました。
いままた、アーティストの滞在育成にも力を入れようとしています。
大会開催地、豊岡・城崎のシンボルであるコウノトリと、劇作家協会の精神が合致することから、このデザインを選びました。

デザインを担当されたのは三田晴代さん。ロゴは今後作成のチラシやパンフレットでも使用されます (色はケースによって変わる予定です)。

…………………………………………………………

日本劇作家大会2014 豊岡大会
Japan Playwright Association Congress 2014 inToyooka

演劇と温泉にどっぷりつかる!

   日程:2014年6月12日(木)ー15日(日)
   会場:兵庫県豊岡市
      城崎国際アートセンター、
      豊岡市民プラザ、
      他

2014年6月。劇作家大会を開催します。
上演やドラマリーディングやワークインプログレス、ワークショップやシンポジウムや講演などなど、30前後の企画が目白押しの4日間。

劇作家大会は、劇作家協会設立翌年の1994年に北九州市、96年に盛岡市、99年に札幌市、2005年に熊本市と長久手市で開催されました。
以来9年振りとなる今回の開催地は兵庫県豊岡市。メイン会場は城崎温泉街です。

総勢200名以上の劇作家と、俳優や演出家など豪華ゲストが豊岡に集結。
開会式や閉会式、レセプションもある楽しい催しです。
詳細は近日オープンの特設サイトでお知らせします。
お日にちをお空けおきのうえ、ぜひご来場ください。

[主催] 日本劇作家大会2014豊岡大会実行委員会/豊岡市/豊岡市教育委員会
   兵庫県/一般社団法人日本劇作家協会/他

http://www.jpwa.org/main/activity/convention-toyooka

※豊岡市のサイト

http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1380623475616/index.html

※過去の劇作家大会の記録 (今回は地域特性を活かした形式・規模となります)

http://www.jpwa.org/main/activity/convention
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東京は恥ずかしい

2014-02-09 | Weblog
東京都知事選は9日午前7時から投票開始。
都選挙管理委員会によると、午前11時の推定投票率は4・10%。
午後3時現在の中間投票率は20・52%。
5時現在、28・23%。
午後7時30分で34・14%%。
投票率は50%を割り込む見通し……。
最終の数字を確かめる気もしない。
投票率の低さは予想通り。
雪のせい? 知るか。
オーストラリアは投票が義務で、棄権すると数十ドルを支払わなければならないそうだ。その方がマシな気がしてくる。

都知事選特番は、ゆえあってBS朝日を中心に観た。番組としてBS朝日のものは、独自の呼吸があって、いい。

開票結果に感想はない。
いままで呟いてきたとおりだ。
選挙違反と公金流用の桝添が逮捕されるのを待つ。

宇都宮けんじ氏の公式ツイッターに、「大阪市長選に出てください」とツイートが複数来ているという。だったら細川氏が行くべきだろう。宇都宮氏が東京の「地回り」の「顔」として都民を支えていくことは、今後も変わらないだろうから。

真面目に一つだけ言えば、マスコミによる操作が顕著だ。操作とも思っていない。どこかタガが外れている。
NHKが自白したように、不当な検閲が行われたのだ。
争点が「脱原発」一本でも困るが、「脱原発」は本当に意図的に隠蔽されたのだ。
そして、史上最悪の原発事故を起こした国が、再稼動を進めようとしている。

未来に顔向けできるのか。
知恵だ。知恵がないと。

今日一番膝を叩いたニュースは「米国で死刑執行用の薬物調達が難しくなっている。製薬会社の販売拒否が原因だ。代替薬や従来と異なる組み合わせの薬物注射で処刑は続けられているが、新たな手法は死刑囚に激しい苦痛をもたらす恐れがあるなどとして、差し止めを求める訴訟も相次いでいる」というやつ。
要は、米国では1980年代以降、薬物注射が処刑の主な方法で、ほとんどの州で麻酔や心停止などを目的とする3種類の薬物が同時に使われてきていたが、主な調達先である欧州の複数の製薬会社が2010年ごろを境に、使途が処刑の場合の販売を拒否するようになったというのだ。
オハイオ州では1月、過去にない組み合わせの2種類の薬を注射された受刑者が、激しい苦痛によるとみられる症状を呈しながら死亡したため弁護人は「州による苦痛に満ちた実験だ」と批判。米憲法は「残虐で異常な刑罰」を禁じており、遺族は州を相手に訴訟を起こす構えだという。
結果として一部の州では刑の執行が滞るのを避けるため、電気椅子や銃殺の復活を求める動きも出始めたというが、それはやがて反対の声が出てくるはずだ。
……この話の肝は、死刑廃止でかたまったEUが、アメリカに対して「死刑執行用に使うなら製薬会社に販売拒否させる」という挙に出たことだ。

ちゃんと知恵を使えば、大きな相手にもダメージを与えられる。
島国根性を捨て、柔軟な動きを見せる他の社会に学ぼう。

個人的には今回の選挙を通して、少しは新しい、あるいはあらためての、いろいろな出会いがあった。
大切にする。
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これが「暴風雪」なのか

2014-02-08 | Weblog
折しも雪、昨夜の天気予報の「暴風雪」というコトバに驚いた。
雪じたいに驚いていても仕方がない。年間何ヶ月も雪に包まれたままでいる地方もあるのだ。問題はこちらの生活エリアに雪への備えがないということである。予定調整、家屋や道路の雪への対応もついつい遅れてしまう。
もちろんこの雪の中にも放射能は含まれているだろう。

都知事選については、いくらか記してきた。
私も「わからない」からではあった。前回の選挙前に私に声をかけてきた人たちの大半も今回は「わからない」ところからスタートしたようだが、できれば「当選する可能性のある候補」を推したい、という声がよく聞かれた。
確かにそういう考えも出てくるだろう。しかし、皆にとって「当選してほしい候補」と「当選する可能性のある候補」は、なぜそうも初めから違ってしまうのか。
「当選する可能性」を度外視するならなおさらだが、推すなら、めざましい根拠がほしい。それはわかる。

「脱原発」も大切だが、本当にそれのみを課題にされても困る。
私は2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催は避けた方がいいと思っているが、「主要な候補者」でそう思っている人はいないのだった。「オリンピック中止」のみを謳う候補もいるようだが、それだけでも困る。
開催するしかないにしても、新国立競技場の建設計画については、各候補にはっきりと個人差が出た。ただむやみに新しい物、必要以上に大きい物を作ればいいという話ではない。そこに考え方の違いは表われるし、それぞれの意見はほぼ予想通りだった。

一昨夜のテレビのニュース番組「報道ステーション」に「主要候補者」四人が出ていた。
もちろん「脱原発」が話題になる。「福島の原発周辺は放射能的に危なくない」「韓国も中国も使っているのに、日本だけ止めたってどうにもならない」と狂気の持論を展開する人がいて、さすがに司会の古館氏や他の候補者にも批判されていた。
古館氏はどの候補者にも公平というか厳しめであった。
マスコミには最有力とされている、桝添候補。にも関わらず、駅構内でJR職員に「公職選挙法を勉強し直せ!」と怒鳴ったり、「女性」「老人」を蔑視する発言を非難されそれが世界中に紹介され、銀行から借りた2億5000万円を税金が原資の政党助成金や「立法事務費」で違法に返済したのではないかと疑惑を持たれ、有権者に五輪バッジを配布した件が選挙法違反ではないかと問題視されていたりする、いわば世間から見れば絶体絶命の立場にある彼の、決死の(?)作り笑いにも、古館氏はにこりともしないで対応していた。
このニュース枠の前任司会者・筑紫哲也さんのことを少し思い出した。ぜんぜん違うキャラクターだが、「古館色」が出ているからこそ、受け継ぐということは、ちゃんと自分流を発見するということなのかもしれない、と思った。

「原発ゼロ」にはこだわるべきだが、都知事選の結果と「実現」についてはまた別な問題だ。政府が「そこに向かっている」と称しさえすればいくらでも遅延を許しかねないし、「すぐには無理でも徐々に」と言っている保守陣営と変わらなくなる。安倍政権にダメージを与える、というが、幾つかの具体提案は出たものの、まだまだイメージ戦略で言っていることが多いようで、実はそれはマスコミ型の思考に囚われていることでもあるということが、多くの人にはわかっていない。政策は具体的でなければならない。

日本の長所たる、戦後培ってきた郵政や保険の仕組みを幾つも潰してアメリカの言うなりにし、原発を推進し、自衛隊を戦争に参加させ、社会的経済的弱者を排斥し、靖国に参拝してきた人物(以上をやってないとは言わせない)である小泉氏を信用するかどうかという問題については、その人物がまず自分のもともといた党の内部を改革するつもりがないしそもそもなかったらしいということをどう考えるかが肝要であろう。どういうことか答えられますか? その人がそれだけの人物なら自分で自分の党をぶっ壊した後に、きちんとした新しい党が作れているはずでしょうが。派閥の力が弱くなったことが成果? それが国民の利益になっていますか?
祭り上げられた人は「脱原発」だし瓦礫処理で堤防造りに乗り出すこともいいと思うが、じつは憲法は少しは変わっても仕方がないと思っているようでは、どこまで信じていいかわからず、どうしようもない。
「都知事選が脱原発の最後のチャンス」という言い方もどうかと思う。ほんとに。
「脱原発」は正しいことなのだから、「打倒××」とか、何かの代償行為に使うのはどうなのか。向こうは「相手していません」というポーズをいくらでも取れるのだから。
事実として個別の問題で勝ち、追い詰めるしかないのではないか。

「開会式」など興味ないがたまたまソチ五輪でスタジアム建設までの過程を自慢する映像が式中に流れるのを目にした。なるほど立派なスタジアムを作ったのが自慢なのだ。
2020年の東京オリンピックの新国立競技場建設計画は見直しすべきだと私は思う。行われるとなったとしても現在の国立競技場をオリンピック用に直せばいいだけである。無駄はしないほうがいい。

そもそもこの間の経済の動き、株価の世界じゅう軒並み下落でアベノミクスの化けの皮が剥がれそうなことについて、もっと言及されていいと思うのだが。
ソニーのパソコン事業は営業赤字に陥り、VAIOブランドが売却された。たいへんなことだと思う。だが周囲にはあまり驚いている様子がない。
「ヤバイ」と思っている人が少なすぎないか。
このまま現状に寄りかかっていていいはずはないという認識を共有して持ち得ていなければ、世の中はそうそう変わらないということか。

それにしても新聞社での拳銃テロ事件を称賛し問題となっている埼玉大名誉教授の長谷川三千子NHK経営委員が、1970年の「三島事件」について称賛し、三島由紀夫が「日本の国柄というものは、本来、国民が天皇のために命を捧げる、そういう国体」であることを自らの行動(割腹自殺)で示したと主張していたという。もちろん憲法の中心である国民主権を否定している。政教分離にも反している。罷免しない方がおかしい。
彼女を真っ先にクビにすべき立場の籾井勝人NHK会長自身が就任会見での問題発言でボロボロである。「個人的見解」として発言を取り消したのは、従軍慰安婦問題、特定秘密保護法、靖国神社参拝、番組編集権(彼は番組について「私の了解を取ってもらわなきゃ困る」と言った)、国際放送等々についての5項目ということだ。
取り消したらすむのかよ、であり、本人も問題を起こした委員も、責任取ってまとめて役職を離れなければならないはずだ。
マスコミの追及は甘くないか。このまま居座ったら認めてしまうことにならないのか。自分たちの姿勢も問われているのだ。どんどん責め続けてくれなければ困る。あなた方も当事者なのだ。
「発言を撤回」といったって、五項目もである。こんなに撤回しなくちゃならないんじゃ会見した意味がない、っていうか、不適任だろう。
そして、「内心は思っているけど言わなきゃいいんだ」ということになってしまっていいのか。教育上悪くないのか。「道徳」の授業を義務化とか言っている場合だろうか。子どもたちが真似したらどうするのだ。そして思っている以上、今後もそれに基づいて振る舞うだろうし、言っても差し支えなさそうだったら次は言うつもりなのだ。安倍首相ののように。

安倍首相は参議院予算委員会で、特定秘密保護法をめぐるメディア報道について不満を吐露している中で、自分に批判的なメディアの実名を取り上げて露骨に批判するという挙に出た。朝日新聞を取り上げて「安倍政権打倒が社是と(聞いた)そんな新聞だと考えながら読んでいる」と話したのだ。
具体的な事象の事実関係の確認を越えて、特定メディアを「ある思想の持ち主」として非難したのだ。
自分と近いNHK経営委員、新会長の暴言を庇うかのような、彼らの人選をちっとも反省していないという証左だ。
少なくとも三十年前だったら、これらの件だけで彼らを潰せるはずだ。

今の日本は戦後でいちばん良くない、おかしい。それは、一部の人たちや指導者層がヘンなのだ、ということ(だけ)ではない。この国の圧倒的多数の人々が、よくなさそうだとわかっていながら、それを受け入れてしまっているようにも見えるから、なのである。そこをよく考えなければならない。
以前の私たちが、「こんな国がある」と現在の日本の詳細を聞いたら、信じがたい、何か悪い冗談と受け取るしかないような出来事に満ちている。そうなってから久しい。「トンデモ国」であり、そこを支配しているのは「愚かさ」である。

都知事選の話題に戻る。
「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」の実体は、宇都宮陣営に対して、細川陣営の「勝手連」が、細川陣営に「一本化」するよう要求していたのであり、公正中立ではなく、非合理な要求である。
宇都宮候補は、大江健三郎さんらと早くから「脱原発」の運動に参加し、前回の都知事選でも「脱原発」を掲げ97万票を得た人である。「脱原発都知事を実現する会」の第1回の申し入れは告示前の1月13日。このとき既に出馬表明していた宇都宮選対は、「オープンな場での話し合いに応じる用意がある」「公開の場での討論を通じて有権者に判断してほしい」という趣旨の回答をしたが、話し合いが実現しなかったのは、ひとえに細川陣営側の問題である。細川氏正式出馬表明の前だから「脱原発都知事を実現する」ことが究極の目的なら、公約のはっきりしない細川氏でなく、その段階で宇都宮氏を「脱原発」の統一候補とすれば良かっただけなのである。
ここにきてまた妙な誤解を呼ぶ言い方が飛び交っているが、宇都宮氏は決して「二位争い」をしているわけではない。勝たねばならないと思っているはずだ。
二回目の呼びかけは告示後で法的にも不可能であり、期日前投票をした有権者の意思が無視される。それでも宇都宮氏はきちんと返事をした。
その「回答」があまり世間の人の目に触れていないらしいので、あえて紹介する。

______________________

脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会からの、都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書について、本日、(宇都宮氏側が)以下のように回答致しました。

______________________

2014年2月6日
(宛先)脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会 世話人 鎌田慧様 希望のまち東京をつくる会

都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書について(回答)

貴会から2014年2月3日付「2014年東京都知事選挙候補統一に関しお願いの件」を受領し、慎重に検討を行いました。貴会のみなさまの記者会見の様子も確認させていただきました。貴会に集まられた皆さんの脱原発政策実現にかける熱意、安倍政権の危険な暴走に対する深い懸念について、私たちも心から賛同します。しかし、残念ながら選挙終盤の現時点では、このような申入れを受けることはできないという結論に達しましたことをお伝えします。
理由は以下の通りです。

ï 前回申入れ時とは状況が違う

前回(1月13日)、「脱原発都知事を実現する会」から同様の申し入れをいただいたときは、告示前の状況であり、当方からは、オープンな場での話し合いに応じる用意があるという趣旨の回答を致しました(別紙)。それにもかかわらず、結局のところ、この話し合いは実現しませんでした。なお、「脱原発都知事を実現する会」は細川支持の勝手連として活動されているものと理解しています。

今回の申し入れは、すでに告示後であり、いったん立候補した後に立候補を辞退できるのは、届出期間中(告示日の午後5時まで)に限られています。既に、期日前投票もはじまっているという状況下である点が前回と大きく異なります。

いまこの申入れを受け入れることになれば、宇都宮候補にすでに期日前投票してくださった支持者のみなさん、応援してくださっている多くの支持者のみなさん、寝食を忘れて選挙活動を手伝ってくださっているボランティアのみなさんの想いを裏切ることになることとなる点、どうかご理解ください。

2.政策が一致していない

細川候補が正式に出馬を表明し、政策を公表されたのは、告示前日の夕方であり、政策のすりあわせなどは到底不可能でした。細川候補と宇都宮候補は脱原発政策の一部において一致するものの、他の多くの基本政策において見解を異にしています。たとえば、貧困、雇用、福祉、教育などの都政の根本にかかわる政策、さらに国家戦略特区、憲法、集団的自衛権、秘密保護法、TPPなども、本来国政の課題でもありますが、都知事としての姿勢が問われる重要な分野についてです。

脱原発が極めて重要な喫緊の課題であることはいうまでもありません。一方で、貧困に苦しみ、追い詰められている生活困窮者や、ブラック企業の被害に遭っている若者、保育所の入所を認められない保護者などの多くの都民は、貧困・雇用・福祉さらには首都圏直下型地震に対応する防災等の政策の充実を待ち望んでいるのです。東京が抱えるこれらの切実な問題に、私たちは目を背けることはできません。

3.必要とされるのは公開の場での議論

東京が抱える問題や、それを解決するための政策について、公開の場で、徹底的に議論することこそが必要なのではないでしょうか

選挙戦での公開討論会やTV討論は多くの有権者に政策を訴え、フェアな議論を通じて、自らの考えに近い候補を選ぶための重要なプロセスです。宇都宮候補は、これを重視し、他の予定はすべてキャンセルして、すべての公開討論に出席するという方針でスケジュールを組んで臨んでいました。1月28日までに、キャンセルされた公開討論企画と番組は合計15件に及びました。これについては、1月28日に私たちとして声明をだしておりますので、ご覧ください。

私たちは、宇都宮候補の掲げる政策に自信をもっています。多くのボランティア・スタッフが、人格、識見、政策実行力において秀でた宇都宮候補こそが、都知事に適任であると考え、日夜精力的に活動しています。

候補の一本化=立候補の取り下げは、公開の場で政策を議論し、有権者が考える機会と選択肢を都民から奪ってしまうものであると考えます。

4.脱原発の結束のために

貴会の記者会見で落合恵子さんなども指摘されていましたが、私たちはこの間の「一本化」をめぐるさまざまな論争が、脱原発に関わる市民運動に亀裂を生み、将来に禍根を残すことの危惧については私たちも共有しています。今回の申し入れを受けて、両選対同士で話し合いを持ち、今後の選挙運動において、このような事態を生じないようにしようということを確認しました。

細川・宇都宮両陣営に加わった脱原発を願う市民が、これらの論争で生じたかもしれないわだかまりを解消し、強固な結束により、原発事故の被害者の支援と全国の原発の再稼働に反対し、原発ゼロを実現する取り組みをともに続けていくことを心より希望するものです。そのような活動の一環として、この選挙の終了後に、選挙結果にかかわらず、両候補の胸襟を開いての懇談の場を設けることも両選対の間で合意されたことを付け加えます。

以 上 

______________________

都知事選投票率は、無党派層の比重が強まる「50%台後半」に達するかが勝負の分かれ目という意見がある。
二十代の投票が増えてほしい。我が家にも一人いるが、初めて投票する新成人も、進んで投票を体験してほしい。
若い層にもいろいろな人たちがいる。先行世代に対する意見も様々だ。……時代は戦争に向かっている、先行世代は逼迫感乏しく見える、という者。先行世代は社会的な正義を信じているようで、左翼的になりがちなのはどうかと思う、という者。「戦後民主主義」の直接の恩恵をイメージできない世代にも、そんな真逆の二種類が共存しているということを、忘れてはならない。

明日は雪はやみ、午後には晴れ間が出るという。投票率アップを信じたい。

ついでに。「舛添に投票する男とセックスしない女達の会」というのも困ったものだ。わかるけど。これも海外紙を賑わせているようだ。舛添氏のことが知れ渡り、万が一彼が都知事になったら、世界の女子選手はオリンピックをボイコットするんじゃないかという意見には、「笑えないなあ」という笑いしか返せない。
と思ったら、「市民連帯の会」(代表・三井環元大阪高検公安部長)は、個人演説会で来場者に「五輪バッジ」を配っていたとして、舛添本人と演説会の受付スタッフを、公職選挙法違反(寄付の禁止)の容疑で、8日警視庁に告発状を送付したという。
例の公金での借金返済問題もあるから、この人は猪瀬と同じことになるのか、こんどは選挙中だから仕方がないとして、庇われることになるのか……。

さて。
選挙対応でここしばらく長々と書いてきてしまったが、この先、当分は、こんなに長くは書きません。

…………

別な話題。
交響曲「HIROSHIMA」で知られる佐村河内守氏が、実は自分で作曲していなくて、「ゴーストライター」と呼ばれる実際の作曲者が桐朋学園大学講師・新垣隆氏であった問題が、音楽界のスキャンダルとしてメディアを賑わしている。
知己の、私より年少の音楽家T君は、かつて佐村河内守氏を紹介するテレビ番組を見て驚愕したのだという。「これは、もう僕は作曲をやめようかと思うような体験でした」というのを聞いて、どうにも罪作りなことだと思った。
正直に名乗り出た新垣氏を評価する声も多い。もちろん責任も重いし問題も多いと思う。しかしこの人を社会的に抹殺していいのかどうかは、また別な話だ。
この人がどうやら、社会に向けて、自分から表明しなければならないと思ったということが、大切な気がする。未来や、若者に対しての義務としての表明であるなら、むしろその問題意識を共有してゆく必要もあるのかもしれない。

…………

雪の中での訃報。
私が一年だけ在籍していた大学劇研の先輩で、東映に就職された、南太郎さん。
大学一年の最後、私の初演出作に主演してくれた。
一年生が演出するなんて前代未聞だったが、応援してくれたのだ。
自由ヶ丘のやきとん居酒屋のバイトは、彼の後を受け継いだのだった。
大昔だが、南さん新婚の千歳烏山への引っ越しを手伝った。
その時いただいた冷蔵庫は、今も梅ヶ丘BOXで使用している。
私たちはナンタローさんと呼んでいた。
ご冥福をお祈りいたします。
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日本劇作家協会 戯曲セミナー 本年度概要

2014-02-07 | Weblog
日本劇作家協会 戯曲セミナー、今年度ももうすぐ終わり。
私の最後の講座は来週です。
そろそろ出身者が活躍し始めています。
今年の受講生の中からも今後どういう才能が出てくるか、楽しみです。

もちろん新年度もやります。
発表された要綱を記させていただきます。

…………………………

日本劇作家協会 戯曲セミナー

戯曲の書き方を学ぶ 演劇の楽しみ方を学ぶ
日本でただ一つのセミナーです

時代が変化しています。新しいドラマが生まれています。
いまは、戯曲の書きどき、かもしれません。
新しい「芝居の書き手」の登場を期待します。

[主催] 一般社団法人 日本劇作家協会
[提携] NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
[後援] 杉並区


 戯曲を書くということは、小説を書くということとも、詩を書くということとも、少しばかり違います。その扉を開いてみることで、あなたの劇作家としての眠れる資質が花開くかもしれません。
 このセミナーは、現在第一線で仕事をしている劇作家が、講師として勢揃いおります。そして数多くの新しい劇作家を世に送り出しつつあります。
 扉を叩き、開いて、更なる新しい劇作家を目指してください。 
                                別役 実


日本を代表する劇作家たちが、あなたに直接、教えます
 
 [参考:2013年度の講師]
 *講師の顔ぶれは年度によって変わります。ご了解のうえお申込みください
 横内謙介 鈴木聡 青木豪 川村毅 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
 鴻上尚史 故林広志 坂手洋二 扇田昭彦 竹内銃一郎 土田英生
 永井愛 中津留章仁 中屋敷法仁 西山水木 長谷基弘
 平田オリザ 前川知大 マキノノゾミ 松本修 丸尾聡 渡辺えり


概要

   期間
     2014年5月中旬より2015年3月上旬まで
   会場
     座・高円寺 (JR中央線 高円寺駅 北口より徒歩5分)  
   募集人数
     45名
   日程
     水曜/19時から21時
      全30コマ+公開講座2日

応募条件
 
   応募資格・試験等
    特になし
   募集期間
     2月17日(月)受付開始 定員になり次第 締め切ります

申込み方法

    お申込み
■ 申込みフォームに必要事項をご記入のうえご送信ください。
■ フォームがご利用になれない場合は、郵便・ファックス・メールで、「戯曲セミナー受講希望」とご明記のうえ、下記をご記載のうえお送りください。
・記載事項:お名前、ふりがな、郵便番号、ご住所、電話番号、ファックス番号、メールアドレス、ご年齢、性別、このセミナーを知った媒体名
・宛先:日本劇作家協会事務局
 〒166-0002 東京都杉並区高円寺北2-29-14-501
 FAX:03-5364-9205
 MAIL: office@jpwa.jp


http://www.jpwa.org/main/activity/seminar
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「脱原発」と「軍国化阻止」の「優先度」

2014-02-06 | Weblog
この国の総理大臣安倍晋三は、ついに北朝鮮からも軍国主義熱に浮かされた「ファシスト狂人ヒットラー」に例えられ、酷評を受けた。
そして、例えば、「ザ・ガーディアン」紙は、NHKの二人の委員、百田、長谷川の暴言を見逃さなかった。ところが日本政府は、天皇主義者の「報道へのテロ」を賛美し、南京大虐殺をなかったと言いつのり、従軍慰安婦(性奴隷と訳されていることを忘れるな)はどこの国でもいたとしている。政教分離が果たせていない、歴史の事実に向き合わない、そういう連中を「認める」としてしまったのだ。
もちろん安倍首相も同じ考え方だからだ。
イギリス政府は、海外旅行者のための各国の安全状況を知らせるページの中で、日本を訪れる旅行者に向けて「外国人排斥を掲げたデモ」への注意を呼び掛けている。
「日本はしっかりした民主主義のある国ですが、暴動や過激なデモ活動がたまにあります」「ときどき、極右勢力による外国に対してヘイトをむき出しにしたデモが頻発しています」「身の安全を確保するための情報を逐一入手し、デモに気づいたらただちにその場所を離れてください」、とある。
いったいどんな国だと思われているのだ。
この数日間での世界への「壊れてしまった国・ニッポン」の浸透度は、おそろしいものがある。
逆に、これがこの国にとって最悪の「非常事態」に繋がっていることは、国内には浸透していない。
日本の報道機関はこの国の現在の国際的孤立について、きちんと紹介できているといえるだろうか。
そしてこの国の社会は、そこに生きる者たちは、この恐るべき右傾化に対して、厳しく批判する良識を失ってしまってはいないか。
それは「黙認」ということだ。

「南京大虐殺はなかった」という発言に対し官房長官が「個人的な演説は放送法に違反しない」というのは、「個人的意見としてはあり得る」と言っているわけで、「この国ではその考え方も一つの選択肢としてあり得る、だから彼は免職されない」ということであり、国際社会で「南京大虐殺はなかった」と考えている国は他にないはずなので、この国がそのことの証明をする必要がある。
ティム・ヒッチンズ駐日英国大使が「過去の過ちを挽回する最善の方法は、犯した過ちを認め、より良い未来を積極的に築くことだ」というのは、基本的にこれまでも日本社会が「常識」としようとしてきたはずのことであり、「過去の過ちを認め、繰り返さないことを約束する」こと、それが国際社会から信用されることによって初めて、過去の過ちを挽回する道が見つかるはずだった。過去の人たちはそこに向けて努力してきていた。
だが、それが覆されている。
「犯した過ちを認め」をスルーしてどんな綺麗ごとを言っても駄目だ。

過去のことを誤魔かす者は現在のことも誤魔かす。
NHK籾井勝人会長は五日午前の参院予算委員会に参考人として出席、東京都知事選が終わるまでは原発問題に触れないよう出演者たちに要請していたことを明白にした。
NHKのFM番組にレギュラー出演中の音楽評論家ピーター・バラカン氏は先月下旬、都知事選が終わるまで原発の問題に触れないよう複数の放送局から求められていたと表明していた。
籾井会長は「放送法は政治的に公平であること、意見が対立している問題にはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすることを定めている。都知事選では原発問題が争点の一つとなっており、期間中の番組はより公平性を期する必要性があり、いろいろ検討した結果、出演が取りやめられた」と言う。NHKラジオ第一放送で先月末、経済学の観点から脱原発について語ろうとした中北徹東洋大教授に発言をやめるよう求めたことについても「選挙期間中でもあり、テーマの変更を求めた」と認めた。

呆れるしかない。そんな理屈が通るなら、何ごとも発言できなくなる。
この世の物事に、国政・地域政治とまったく無関係なものなどありはしない。ルールとして成立していない。
何を禁止するかの尺度に、恣意的な政治判断が持ち込まれている。
「脱原発」の表現が駄目、という立場が罷り通り、原発推進以外の立場が存在しないようにされてしまう。その気運を公共放送が推進している。
表現の自由はどうなる。そして国民・都民の「知る権利」は?
これがこのまますまされるようでは、憲法違反である。特定秘密保護法以前に、システムの側が厚顔無恥にも「保守の強制力」を隠していないのだ。

そう思っていた矢先の百田、長谷川の連続暴言である。
民主的な社会なら、彼らはNHKの役職どころか社会的地位を失うはずである。
この国は彼らにお墨付きを与え、その意見が国家の意見と同じだと思われている。
結果、日本は孤立を深めている。
愚かな安倍、自民党を中心とした右寄り一派のせいである。もちろんそうだ。
予算委員会での安倍は、自分に都合の悪いことは知らぬ存ぜぬ、あるいはただ言わせておいて無視、でしかない。
話し合いになっていない。
一方この国のマスコミは、きちんと海外の声も国内と同等に紹介し、日本がいかに異常な思想に染められようとしているかを批評的に見ることができるように、つまり、世界の良識・常識に沿うこともできるように、報道できているだろうか。
黒い物も白いと言っていれば白くなる、と言わんばかりに、ここまで歴史をねじ曲げ、憲法の精神も民主主義の基本も踏みにじった喧伝を、あたかもそれも一つの言説として通用しているかのように、垂れ流していないか。
今まさに、若い世代、子どもたちが洗脳されようとしているのだ。家庭の親たちや、教員たちは、きちんと今の異常事態に対峙し、子どもたちが狂気の軍事国家思想に侵されぬよう、指導できているだろうか。
できているはずがない。
長いものに巻かれてきた。目先のことばかりに囚われてきたのだ。誰かが民主主義の基本的なことを言えば勝手に「左翼」のレッテルを張られてしまうのが、現実だ。
この二十年余の、否、「戦後」のツケが回ってきたのだ。

「脱原発」は大事だ。それは認める。
しかし今、この国のアイデンティティが、こんなにもわかりやすく失われ、その指針が明らかに誤っているとき、なぜ「命が大事」とだけ言って、他の要素を見なくてもいいとでもいうような言説が出てくるのだ。
安倍からすれば、片側ではしっかり不都合を隠蔽しておきながら、「脱原発に気を取られてくれていて、ありがとう」だろう。
一部の人が言う「今が戦時」という感覚は間違っていない。
だが仮に「脱原発」候補が都知事選に通ったということで、ただそれだけで、はたして安倍自民党に対して圧倒的なダメージを与えられるのか?
「原発の危険性はわかっています、だから私なりに考えています」と、かわされるだけだ。
今の厚顔無恥ぶりを見ていればよくわかる。
「脱原発」一本に絞った候補が負けたら?
安倍政権は「原発推進のお墨付きをいただきました」と言いつのるだろう。

もちろん「脱原発」どうしがいがみ合うことには、何のメリットもない。
ただ、本当に、「非常事態だから」と言い、本来は認めていないはずの保守の力を借りてまで、と言ってきた人たちは、自分の後ろを振り返ってみればいい。

「子どもたちが洗脳されてゆく社会」は、原発同様に危険だ。
人が死ぬのは放射能のせいだけではない。
軍国主義化の趨勢に巻き込まれかけている子どもたちに対しても、「命が大事」と思うことを、そのことが浸透しづらくなっていることを、忘れてはならない。
「民主主義の正当性」をあらゆる方向性で知らしめる以外に、より良い勝ち方があるはずがない。
力の論理でなく、平和と平等、自由と解放を守る人たちが勝ち得た方が、結局は「脱原発」も早い。

この国は完全に「まともな国」と見られなくなっている。
万が一偶発的な衝突があったとして、国際的な審判から見れば、「軍国化」を進めるこの国に分はないだろう。むしろこの国の中枢部はそれを狙っているかのように見える。あまりにも異常だ。
「軍国化阻止」の方法は何か。
生活の場では、まずは、周囲に流されないこと、個人の尊厳を大切にすることだ。
コメント (1)
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「不戦の誓い」を捨てるのか

2014-02-05 | Weblog
自民党は2014年運動方針で、靖国神社参拝に関し、原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との文言を削除し、「(戦没者に対する)尊崇の念を高め」との文言を追加。「日本の歴史、伝統、文化を尊重し、靖国神社への参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に対する尊崇の念を高め、感謝の誠を捧げ、恒久平和への決意を新たにする」との文言に落ち着いた。「尊崇の念」は安倍晋三首相が参拝理由として繰り返し強調する言葉で、「安倍カラー」を強めたものだとされている。
「不戦の誓い」を削除した理由について、原案に対し「靖国神社は犠牲になった方に尊崇の念をささげるために作られた。不戦の誓いと混ぜないほうがいい」との意見が出たからという。党の総務会で「靖国神社は不戦の誓いや国家の平和を祈るところではない」などの異論が出て、一方で「自衛隊員にもしものことがあった場合、靖国神社に奉る覚悟を示すべきだ」と表現を強めるよう求める声も出たため、最終的に石破茂幹事長に一任され、決まったらしい。「前文に入れた」という言い訳も聞こえてくるが、前文は「平和の維持こそわが国の繁栄の基礎」との表現で、「不戦の誓い」という言葉はない。都合良く翻訳して理解しろということか。
「時代に即した現実的な改正」というが、安倍首相は昨年末の参拝後に「不戦の誓いをした」「二度と戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代をつくる。その決意を込めて不戦の誓いをした」と記者団に語っており、「不戦の誓い」を削除したことは、首相発言とは食い違う。靖国参拝を非難されて「いいえあれは不戦の誓いです」と、さんざん言い訳に使ってきたが、そろそろ削除しても平気だろうと高をくくったということだろうか。

私は先日、戦場で多くの戦友の死を見て生き残った元兵士の方に取材した。彼は東京に行くたび、靖国神社で戦友のために手を合わせる。彼は戦友たちのことを「かわいそうでしかたがない」と言う。「命令に従わねばならないことは残酷なこと」「二度と戦争はあってはならない」とも言った。
「不戦の誓い」そのものは、そのように成立する。靖国神社に「A級戦犯」がいなければそのことはより明確になる。

「不戦」といっても、日本が振り返るべきその戦争は、ただの戦争ではない。「侵略戦争」ということである。
中国では靖国神社は「東方ナチス」と呼ばれている「A級戦犯」を祀っている場所である。そこを参拝することは「ナチス」「ファシスト」による「侵略戦争」、「人類の暗黒史」を、肯定することになるとされている。
先月8日、国連の安全保障理事会中、中国の劉結一国連大使が「戦争犯罪人(A級戦犯)が合祀された靖国神社に参拝することは、第2次世界大戦後に戦争と決別し平和を掲げて創設された国連の理念にも反する」と批判、「安倍氏はいったい日本をどこに導こうとしているのか。国際社会は協力して一国が再び危険な道へと向かうのを防ぐべきだ」と訴え、国際社会に中国の立場を理解し歩調を合わせるよう要請し続けている。
対する日本の吉川元偉国連大使の「安倍総理大臣の靖国神社参拝は、戦争の犠牲者を敬い、日本が二度と戦争をしないと誓うためのもので、決して軍国主義をたたえるものではない。安倍総理大臣は、中国とお互いに尊重し合い、友情を築くことを望んでいる」と返答した。
これがいったいどのくらい受け入れられるものだろうか。
「A級戦犯合祀」の問題を避けていては、日本の立場は悪くなる一方だ。
「侵略」の問題については、岸田外務大臣は安倍総理の靖国神社参拝が諸外国から「軍国主義と侵略の歴史を美化している」と批判され続けていることに関連して、「いわゆる村山談話や河野談話を含め、歴代の内閣の歴史認識を引き継いでいる」としている。ならば「侵略」の事実を率直に認め、「戦犯」がいることを認めなければおかしい。
なにしろ、満州国の建設者にしてA級戦犯の罪に問われた安倍の祖父・岸信介も、インタビューなどで「侵略であった」とはっきり認めているのだ。
安倍総理は今後の靖国神社参拝について、「国のために戦ったご英霊に対して尊崇の念を表し、一国のリーダーとして手を合わせ、ご冥福をお祈りする。この気持ちは持ち続けていきたい」「参拝自体が、残念ながら外交問題、政治問題化されており、その観点から、今の時点で今後、参拝するかしないか申し上げるつもりはない」と言う。
公明党の山口代表らが検討を求める「新たな国立の追悼施設」の設置については、消極的な姿勢を崩さない。

相変わらず、表面だけを取り繕っている。この言語感覚で「改憲の実現に向けて党全体として取り組む」と掲げられてはたまらない。
安倍自民党は、憲法96条を変える話をまた持ち出し、集団的自衛権を容認し、国家安全保障法制を整備し、「積極的平和主義」によって、中国の尖閣諸島上空への防空識別圏設定などを受け、国家安全保障会議(NSC)を司令塔として「領土・領空・領海を守り抜く」との決意も打ち出した、としている。
しかし国内での「主観」の対立ではなく、もはや外交問題としての靖国問題である。「不戦の誓い」ではなくなった靖国参拝とは、何か。「侵略」の歴史を直視することを避け、「戦争のできる国」にしようとしながら、「不戦の誓い」を捨てることが、何を意味するか。

2月3日の衆議院予算委員会でも、安倍首相は、靖国参拝を高く評価すると言う、元杉並区長である維新の会・山田宏議員の質問に答え、「二度と人々が戦禍に苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて不戦の誓いをした。私の姿を見て頭を垂れた方もいた。一国のリーダーが自分の愛する人のために手を合わせている姿を認めることで、気持ちに癒やしがあったと推測する。中国や韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くない。礼儀正しく誠意をもって説明を続けていきたい。誤解を与えることのないようしっかり説明をすることで、日米の絆を揺るぎないものにしたい」と答えた。
自分の姿、行為が、「癒やし」を与えた、というのは、なかなか常人が口に出せる感覚の言葉ではない。
また、生活の党・畑浩治氏の「憲法の性格をどう考えるか?」という質問に対して首相は、「国家権力を縛るものだという考え方があるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と返答した。
これは憲法の精神というより、その意義と仕組みをまるごと否定するものだ。国民主権下の憲法が国家を縛るのが間違っているなら、国はやりたい放題ではないか。

同日、昨年11月、「安倍カラー人事」になったとされる「NHK経営委員会」の一員である作家・百田尚樹氏が、東京都知事選の田母神俊雄候補の応援演説に立った。
特定候補の応援をすることについて百田氏は「思想信条の自由。NHK経営委員はあくまで放送法によって縛られています。つまり放送に関しては徹底して不偏不党、あるいは中立。僕のプライベートな行動まで縛る法律ではないですよね」とした。
彼は米軍による東京大空襲や原爆投下を「悲惨な大虐殺」とし、東京裁判のことを「これをごまかすための裁判だった」と断じた。
また「1938年に蒋介石が日本が南京大虐殺をしたとやたら宣伝したが、世界の国は無視した。なぜか。そんなことはなかったからです」「極東軍事裁判で亡霊のごとく南京大虐殺が出て来たのはアメリカ軍が自分たちの罪を相殺するため」と、「南京大虐殺」をまるごと否定した。
第2次世界大戦での日本の真珠湾攻撃について、「宣戦布告なしに戦争したと日本は責められますが、20世紀においての戦争で、宣戦布告があってなされた戦争はほとんどない」「(米軍による)ベトナム戦争の時も湾岸戦争の時もイラク戦争もそうです。一つも宣戦布告なしに戦争が行われた」「第2次世界大戦でイギリス軍とフランス軍がドイツに宣戦布告しましたが形だけのもんで宣戦布告しながら半年間まったく戦争しなかった」と、「宣戦布告」を否定し軽く見せようと躍起になった。
「憲法改正派」だというが、「今の憲法は戦争は起こってほしくないなあと願っているだけの憲法」と言い、「絶対に戦争を起こさせない。そういう憲法に変えるべきだと僕は思っています」と言う。この「絶対に戦争を起こさせない」という言葉が彼の中では「積極的平和主義」にすり替わっているらしいのだから、不気味だ。
「戦争では恐らく一部軍人で残虐行為がありました。でもそれは日本人だけじゃない。アメリカ軍もやったし、中国軍もやったし、ソ連軍もありました。でもそれは歴史の裏面です。こういうことを義務教育の子どもたち、少年少女に教える理由はどこにもない。それはもっと大きくなってから教えれば良い。子どもたちにはまず日本人に生まれたこと、日本は素晴らしい誇り高い国家であること、これを教えたい。何も知らない子どもたちに自虐史観を与える必要はどこにもない」と、「子どもの純粋さ」を利用して持論を展開した。
「何も知らない子どもたち」=「自然と自分の国を愛する子どもたち」だとしたら、子どもたちを信じていないにも程がある。意識がかたまる前に子どもたちは洗脳してしまえ、と言っているのは百田のほうだ。
私はネットの映像で見たのだが、その後は被災地の救援物資を受け取る人々や、閉店せず人々に物資を渡したコンビニなどを賞賛、他の国なら人間が殺到してたいへんなことになるはずだがそうではなかった……、云々、被災地のこともダシに使っているとしか思えない自分本位の話が続いた。
「震災津波の後の本当の恐怖が「暴動」であるというが、日本では起きない。仮に中国で大津波、大震災があった後どういうことになるか、想像するだけでおそろしいことになる、地獄絵図が繰り広げられると思います」と、あからさまに中国の人たちに対して差別発言をした。この件については、毎日や朝日も触れていない。なぜだ?
NHK経営委員について放送法には「政党の役員は経営委員になれない」「委員12人のうち5人以上が同じ政党に属してはいけない」といった規定があるという。けれど党員でも委員になれるし政治献金も政治活動も制限されていないという。
経営委員会事務局は「個々の委員がどんな信条を持っていたとしても、経営委員会全体が偏らない判断をするならば問題ない」「ほとんどの経営委員は兼職が認められており、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられない」と話しているというが、現実に経営委員会の圧倒的多数が偏った考えの持ち主ではないか。
菅義偉官房長官は4日の記者会見で「放送法に違反するものではない。個人的な発言で、政府としてのコメントは控える」と述べ、問題視しない考えを示している。
百田氏は演説の中で自らが政治的発言をすることについて「プライベートで誰を応援しようが自由。もしこれで『経営委員にふさわしくない』と言われたら、いつクビになってもいい」と言う。
NHKの籾井勝人会長は、就任会見での政治的中立性が疑われる発言について国会で陳謝したが、百田氏は「思想信条の自由。NHK経営委員はあくまで放送法によって縛られています。つまり放送に関しては徹底して不偏不党、あるいは中立。僕のプライベートな行動まで縛る法律ではないですよね」とも言っている。

かつて前田武彦氏が「共産党バンザイ!」とやってテレビから干されたのは、番組中であり民放だったからということか? 考えてみれば昔はのどかだった、と言っていいのか? 日本では人権や自由への感覚は、現在よりも自明のものとしてあった。そのことが諸外国の信頼を得ていた。

フランスのル・モンド紙は早速、百田発言を記事にした。タイトルは「憎悪を保つ技術について」だそうだ。国営公共放送上層部の人物が南京虐殺を全面的に否定したこと、昨年の終戦記念日に「民族主義的な安倍晋三首相」が、通例となっていたはずの「日本がアジアにもたらした苦難についての悔悟の言葉」を口にしなかったことにも言及している。
この件は英BBCも報道し、シンガポールでも記事になっている。世界的に、批判的視点から注目されている。
言うまでもなく彼らは、この国が「不戦の誓い」を捨てようとしていることを、問題視しているのだ。

毎日新聞の報道によれば、1993年に抗議先の朝日新聞東京本社15階応接室で拳銃自殺を図り、死亡した新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長について、NHK経営委員の長谷川三千子埼玉大学名誉教授が昨年10月、元幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛したという。
長谷川氏は野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。
また、朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と不信感をつづっている。つまりメディアへの暴力による圧力を肯定しているのだ。
長谷川氏はNHK経営委員としての資質を問う毎日新聞の取材に「非常勤のNHK経営委員には自らの思想信条を表現する自由が認められている。自らの仕事として精神思想史の研究を行ったり、民族主義者の追悼文を書いたりすることは、経営委員としての資格とはまったく無関係のこと。経営委員には番組作りに関与する権限はなく、追悼文を書いたからといって意図的な特集番組を放送することはありえない。経営委員は常にルールに従って行動している」としている。
こういう人もいたのだ。
「NHK経営委員会」は、安倍首相陣営によって、そうとう「厳選」されていたのだなあと思う。

私は野村元会長自決の数ヶ月前、出演したテレビのモーニングショーで同席する予定があったが、結局、その日は野村元会長が現れなかった。確か、彼が製作に関わった映画が公開される前の頃で、その関連での出席だったのだと思う。実現していれば、どういう話になっていただろう、と、時々思い返すことがある。

身辺のことも少し。

芸能事務所であり制作プロダクション「アトリエ・ダンカン」が、1日付で事業を停止し、自己破産申請の準備に入ったという。私も昔お世話になっただけに、衝撃を受ける。

風邪がひどく、寝つけず、午前からの夕方までの会議には出かけたものの、睡魔とたたかって無理矢理テンション上げ、なんだか毒舌癖も出て、いささか反省。会議中に窓外を見ると、雪。
ほうほうのていで帰宅。
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本当に「脱原発」が大事なら

2014-02-04 | Weblog
えらく日本列島をあちこち移動しているので、ニュースに疎くなっている。

今日、「脱原発都知事候補」について一本化に向かう会見があったという、ルポライターの鎌田慧氏ら細川陣営側の勝手連的な有名人たちが動いたと聞いた。そうか、考えてみれば先に出たのは宇都宮さんだし、細川陣営側が同じ「脱原発都知事候補」の宇都宮さんに後を託して、細川氏に潔く身を退くよう進言するのかと思ったら、どうやら逆なのだった。
「(各候補に)脱原発以外はたいした政策の違いはない」と言っている細川氏が、八ッ場ダムや築地市場の豊洲移転、労働特区問題など、東京都政についての細かい質問に対して明確に答えることのできる宇都宮氏に敬意を払い、「脱原発は同じだ。後から割り込んで悪かった。世論調査でも細川氏が圧勝するかと思っていたら宇都宮氏と支持率は変わらないどころか、負けているデータもある。やはり脱原発以外をちゃんと考えている人に譲ろう」と思った、というわけではないらしい。
鎌田氏は「宇都宮、細川両氏を足した票が最多なら歴史の悲劇だ」と話しているらしいが、後出しジャンケンを仕掛けた側が言うことではない。「このままでは共倒れになる」は、わかる。しかし「話し合いの機会を作ってほしい」と言いつつ、細川氏寄りなのは、明白。先んじて正当に選挙に出馬していた人に対して「邪魔だから降りてくれ」というのは、あんまりというものだろう。細川勝手連は「候補者の一人は、当選の 可能性が高く、もう一 人の候補者は、当選の可能性がゼロである」と、傲慢な物言いをしていたが、都民は自分の目で見、自分の耳で聞いていた。その結果が世論調査だ。
都政について細川氏は「就任後に皆様のご意見も参考にしながら、検討し、判断」と、現時点では態度を濁している課題が多すぎる。主張は「脱原発」のみで、知名度や政治慣れをしていることから有利だという傲慢さが招いたことだ。
「小泉・細川は命を賭けている」と言う細川支援者がいるが、どういうことか納得できる説明を聞いたことがない。
それにしても勝手連的な有名人たちは、公示後に「脱原発」候補の一本化ができるわけもなく、ぎりぎり選挙違反でもないらしいが、とんちんかんなことをするものだ。
「脱原発」は大事だ。それは大前提だ。この件について、私はいつも通り素朴な感想を記しているだけだが、それにしても、細川支援者たちに、背後にいる小泉という人間を信用しないことも含め、とやかく言われる憶えはない。私は、小泉の「威」を借りるような真似はしたくないと思うだけだ。「大きなうねり」を創り出せないでいるとしたら、細川陣営が、人民の力を信ずることなく、小泉におもねているからだ。
そんなに「脱原発」だけが大事なら、細川氏は初めから小泉と手を組まず、宇都宮氏の支援に入れば良かったではないか。
鎌田氏らの会見は、「脱原発」のみに踊らされている人に向けては、「アンチ宇都宮氏」の宣伝として機能している。本当にフェアではない。
そして宇都宮陣営も、「共産・社民寄り」と言われないための努力を、もう少しした方がいいのではないか。その枠を越えた言動がもっと出て来ないと、強力な支持は得られまい。

選挙といえば橋本徹大阪市長が任期途中で辞職して「出直し市長選挙」に出るという。自民、公明両党などの抵抗で頓挫しかねない情勢となっている「大阪都構想」に対しての民意を問うためというが、維新幹事長の松井一郎大阪府知事は出直し知事選をするわけではない。橋下氏は「松井氏には支えてもらいたい。私だけで十分だ」「もし自分が負けたら松井氏にも知事を辞めてもらう」そうだ。
11年秋の大阪ダブル選で都構想を掲げ、市長選も知事選も制していたが、昨年9月に行われた堺市長選挙では敗北した。苦し紛れのような一手で、事態は前に進むのか。
公明党をあしざまに罵り、自分の都合だけで選挙をする。自公は候補を出さない。信任投票? 無意味だ。数億円かかるというが、非情にも、定めた売上額に達しなかった文楽への助成をなくした男が、自分の不人気については、それを補うために金を盛大に使おうというのだ。どう見たって、おかしいだろう。
また、どうしても「大阪都構想」について民意を問いたいなら、「府民投票」をしてはどうか。首長選挙なら勝てる、という計算が、あまりにも自分本位だ。

フィリップ・シーモア・ホフマンが死んだ。この人、すごいおじさんなのかと思っていたら、私より五歳以上も若いのだった。
強烈な印象を残したのは、『ハピネス』。しっかり変態だった。あと、『脳内ニューヨーク』の世界は、インテリジェンスを感じさせる方向の彼の独壇場だ。

ところで、恵方巻きって何だ?
海苔巻きは切って食おうよ。

家族か長久手の疲労軍団(?)に風邪をうつされていたらしく、旅先で潜伏期間が切れたようだ。昨朝からふらふらしている。それでも、昨日は意義深い取材をした。へとへとだ。しかしやることは山積。まだまだこれからだ。
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東海支部イベント終了

2014-02-02 | Weblog
長久手演劇王国vol.14 日本劇作家協会東海支部プロデュース「どしのぎ祭」 ~劇作家が頭と体を使って凌ぎを削る~
無事に終了。
佃典彦、鹿目由紀と共演の<アドリブ劇>は何とか終えた。佃君は私が手塚とおるとやった二人芝居・半分が即興劇の『男の一生』(もう十七年前だ)に協力してくれていたのだが、やはりその時同様の、三角関係テーマになっていく。拗ねる男のやせ我慢、的な。いや、もちょっと不条理に映ったみたい。鹿目ともっと、からんどくんだった。
別な組では芥川賞作家である諏訪哲史さんがアングラ的熱演。すがすがしい。
<劇作家大喜利>はかなりちゃんとしていた。
広島、札幌から参加の短篇劇も真摯で、平塚君の新作短篇は独自の方法でスケールを感じさせ秀逸。
<その場で書く短編戯曲>も示唆に富んでいた。写真は、佃、平塚、鹿目揃い踏みの、そのリーディング。
さすがは東海地区。世代交代順調というより、オール世代の充実。
ゆるキャラ「もみやまん」もついに登場。(わかる人にはわかる)
件の<アドリブ劇>でこの寒空に自らパンツ一丁になった佃、トライアスロン状態の平塚、最終的に二人とも風邪気味でへろへろとなった。
ほんま、おつかれさま。おだいじに。
私は本日の打ち上げには出ず、東京に戻らず、某所へ移動。
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よくぞここまで間違ってきたものだ

2014-02-01 | Weblog
国会では安倍首相の施政方針演説に対する各党代表質問が始まっている。すべて聞いたり読んだりできているわけではないが、答弁の内容は相変わらずのようである。
しかし様々なことを数日間のあいだに振り返るということにもなっていて、これだけ悲惨な状況なのかとあらためて思う。これらの全てを修正しなければならないのだと考えると、気が遠くなる。この国は、よくぞここまで間違ってきたものだ。

安倍首相は原発について「海外からの化石燃料への依存度が高くなっている現実を考えると、そう簡単に『原発はやめる』と言うわけにはいかない」「電気が足りているとの指摘もあるが、発電所の定期検査の繰り延べや老朽火力発電をフル稼働した結果であり、電力需給は予断を許さない状況が続いていると考えている」「日本は昨年、化石燃料の輸入に27・4兆円も払っており、原発がないことで3・6兆円も多く支払っている。徹底的な安全審査を行い、これに合格した原発について再稼働を判断していく方針だ」としつつ、都知事選で原発問題が争点化するのを避けて新しいエネルギー基本計画の閣議決定を先送りした。
このエネルギー基本計画閣議決定先送りの間に、電力会社などでつくる電気事業連合会が自民党議員に原発の「新増設・リプレース(建て替え)の必要性を明確化する」文書を配っていたことが発覚した。同党が計画内容について行った党所属国会議員へのアンケートについて、原発推進の立場で答えるよう促す内容だという。文書は核燃料サイクルも「着実に推進する」としている。内容はもちろん絶望的に最悪だ。そして、なぜ業界から政党が命令されなくてはいけないのか。こんなことは自立しているなら政治家自身が一番怒るべきではないのか。

安倍首相は、NHKの籾井勝人会長が従軍慰安婦問題について「戦争地域にはどこの国にもあった」などと就任会見で発言したことについては、「政府としてコメントすべきではない」と発言。そのうえで、なんと「NHKの皆さんにはいかなる政治的圧力にも屈することなく、中立・公平な放送を続けてほしい」だと。「どの口が言ってるんだ!」とはこのこと。かつての従軍慰安婦についてのNHK番組への自民党による弾圧の歴史を忘れたのか。開き直っているというよりも、自分のやった悪行を他人のせいにして自分が正義の味方もどきのふりをするとは! 嘘も大声で言えば本当になると思っているのではないか。過去を知らない若い世代が騙されることだけは避けたいと、心から思う。
市民団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が27日、籾井会長の辞任を求める申し入れ書を提出した。申し入れ書で同団体は、経営委員会が作成した会長の資格要件「政治的に中立である」「公共放送の使命を十分理解している」に反している点などを挙げ、「会長に不適格であり、視聴者・国民の信頼を著しく損ねたことは明らか」と指摘した。また、会長の任免権を持つ経営委に、籾井会長の解任を求めている。これが「政治的圧力」なのか? こちらが市民の声である。
放送の「従軍慰安婦タブー」は、世界の目から見ても不合理だろう。従軍慰安婦問題を巡っては、米下院で2007年、日本に公式謝罪を求める決議案が可決されている。あらためて、米上院が16日に可決した2014会計年度歳出法案の付帯文書に、旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題に関し、米国務長官が日本政府に正式な謝罪を働きかけるよう求める項目が盛り込まれている。下院は既に15日に可決している。
安倍首相は彼らに対して自分が「中立・公平」と主張できると本気で思っているのか。

NHK経営委員で安倍シンパ、長谷川三千子埼玉大名誉教授が、「女性の社会進出が(晩婚化・未婚化を進め)、出生率を低下させた」とし、男女共同参画社会基本法などを批判するコラムを産経新聞に寄せている。彼女の意見によれば、「『性別役割分担』は哺乳動物の一員である人間にとって、きわめて自然」、日本の少子化問題の解決策として、女性が家で子を産み育て男性が妻と子を養うのが合理的であり、女性に社会進出を促す男女雇用機会均等法の思想は個人の生き方への干渉だと批判し、政府に対し「誤りを反省して方向を転ずべき」と求めているという。
人口減はNHKにとっても受信料の減少につながるため、「非常に由々しい問題」なのだそうだ。
働く女性たちが積極的に「子どもを生みたい」と思える環境になっていないことじたいが問題だとは思わないらしい。女性にとって「仕事か育児か」という二者択一を迫られるような状況じたいがおかしいのではないのか。いやそれさえ選ばれた人の悩みであり、20代シングルマザーの80%が年収114万円未満の貧困状態にあるという現実を、この人はわかっていない。
NHKのみならず報道自体がそうした思想を拡大し喧伝していないか。

STAP細胞の画期的な製作方法の発見の研究を進めた理化学研究所の小保方晴子博士のことが各メディアで報道されているが、それはまさに長谷川NHK経営委員の考えと共通した発想に基づいたものばかりだ。
いちばんひどいのは、産経ニュース。見出しが、「「間違い」と言われ夜通し泣き、デート中も研究忘れず…常識破りの新型万能細胞を開発した小保方さん」なのである。
海外の放送やウェブでは、発明の画期的な部分が紹介され、どのように未来の医学や社会に貢献するかが紹介されているだけだという。
日本の大手新聞は割烹着姿の小保方博士の写真を載せ、「『お風呂のときもデートでも四六時中、研究のことを考えていた』という研究の虫」「実験で着るのは白衣ではなく、祖母からもらったかっぽう着。『おばあちゃんに応援されているような気がするから』」「実験室の壁はピンク色に塗り替えた。机にはキャラクターが並び、女性らしさをのぞかせる。研究室にはペットのスッポン。『この子が来てから実験が軌道に乗ったので、幸運の亀なんです』と笑顔を見せた」「30歳の若き女性研究者」「研究室の壁はピンクや黄色で、好きなムーミンのキャラクターシールも貼っている」「リケジョ、小保方さんに続け ピンクの研究着に夢こめて」……。
旧態依然とした「女性らしさ」「幼さ」を強調し、彼女のキャラクターを「リケジョ」というよくわからない言い方でまとめている。男性に対して「リケ男」「デート中も研究忘れず」「研究室にお気に入りのフィギュアを並べて」とは言わないだろうから、どう考えても差別的でもある。
また、「夜通し泣いた」話は、理性的な本人が苦労についてわかりやすく象徴的に話したことは、間違いない。どう考えても冷静で頭のいい人だ。
この件については、さすがに小保方晴子博士の方からメッセージが出た。
「報道関係者の皆様へのお願い」として、STAP細胞研究の厳しさや世界との競争について述べ、「研究発表に関する記者会見以降、研究成果に関係のない報道が一人歩きしてしまい、研究活動に支障が出ている状況です。また、小保方本人やその親族のプライバシーに関わる取材が過熱し、お世話になってきた知人・友人をはじめ、近隣にお住いの方々にまでご迷惑が及び大変心苦しい毎日を送っております。真実でない報道もあり、その対応に翻弄され、研究を遂行することが困難な状況になってしまいました。報道関係の方々におかれましては、どうか今がSTAP細胞研究の今後の発展にとって非常に大事な時期であることをご理解いただけますよう、心よりお願い申し上げます。」「STAP細胞研究の発展に向けた研究活動を長い目で見守っていただけますようよろしくお願いいたします。」とある。
プライバシーや「騒ぎ」が迷惑だったことも間違いないだろうが、自分についての報道の差別性に対する怒りもあるはずである。
自分も子育てに苦労したはずの長谷川NHK経営委員は、彼女にも「仕事か育児か」を迫るのだろうか。今後の小保方博士が自分同様に子育てと研究を両立させることを支援しないのだろうか。あるいは「選ばれた存在だから特別」だとでも?
小保方博士は、昨今、全世界に迷惑を撒き散らし続けているこの国にとって、珍しく、人類と未来に貢献する機会をもたらした存在である。より良い研究にいそしむことのできる環境と、その業績に見合った敬意を払われて然るべきである。そして多くの人たちが自分たちの仕事について自分なりの努力をして道を拓いていることに対する評価を妨げてはならない。

NHKの崩壊現象はそれだけではない。
NHKラジオ第一放送で三十日朝に放送する番組で、中北徹東洋大教授が「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」「安全確保の対策や保険の費用など、原発再稼働コストの世界的上昇や損害が巨額になること、事前に積み上げるべき廃炉費用が、電力会社の貸借対照表に計上されていないこと」「廃炉費用が将来の国民が負担する、見えない大きな費用になる可能性がある」「即時脱原発か穏やかに原発依存を減らしていくのか」「現状では原発稼働がゼロでもアベノミクスが成果を上げている。原発ゼロでも経済成長が実現できることを実証した」などとコメントする予定だったことに、NHK側が難色を示したという。担当ディレクターは「東京都知事選の最中は、原発問題は絶対にやめてほしい」と言い、中北教授は「趣旨を変えることはできない」と拒否したという。
安倍政権の意向を汲んで放送内容を変えようとしたなら、「中立・公平」とは決して言えないはずだ。高い受信料を払って、偏った内容の政府広報を聞かされるのか。「都知事選中」を理由にしているなら、なおさら許されるべきではない。選挙民には知るべきことを知る権利がある。

さて、安倍首相は集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更については「国民の理解が進むよう努力する」と答弁した。
政府の有識者懇談会は、外国の潜水艦が領海からの退去要求に応じないなど、武力攻撃に至らない侵害に対しても自衛権を行使できるよう、報告書に法整備の必要性を盛り込む方向で調整を進めることになっているという。
武力攻撃を受けたり明白な危険が迫っている場合でなくても攻撃していいとなると、これは明らかに憲法違反である。
「事態発生の直後から組織的で計画的な武力攻撃かどうか判別がつかず、対応が間に合わなくなる可能性があり、差し迫った事態に対応するため自衛権の行使は可能とすべきである」という考え方は、都知事選に出馬しているタカ派候補(名前を記す気さえしない)が「軍が自立していないと国家ではない」と言う狂気と共通している。
安倍首相は「解釈改憲」だけでなく、自民党がまとめた憲法改正草案に関し「しっかりと着実に改正に取り組みたい」と憲法改悪への意欲も見せている。
自民党の石破幹事長の質問は「人気取り」「拙速」を戒める異例の内容になったというが、内ゲバ的な会話をやっていても余裕綽々なのだろう。翌日の代表質問では、自民党の溝手議員が総理に「初夢」について聞いている。野党の質問ははぐらかし子供じみた早口で読み上げたり雑な反応なのに、ゆっくり真面目に答えて一休みする機会を提供したということなのだろう。

安倍首相は自分の言動について「右傾化などでは決してない。国民を取り巻く現実を直視した責任ある政治にほかならない。レッテル貼りは世の常だ」と開き直り、「自民党には右に偏った政治も、左に偏った政治もない。あるのはただ、現実の国民によりそう政治だ。しっかりと説明すれば、国民には必ずやご理解いただけるものと確信している」という。自分本位にも程がある。
靖国参拝は世界的に見て、間違いなく極端な「右」である。バイデン米副大統領に事前に電話協議で自重を促されていながら無視、その結果、米国務省が「失望した」との声明を発表。その後も異例ともいえる批判を受け続けながら、「日米両国は協力して世界の平和と安定に貢献していくと表明してきた。日米同盟は揺るぎないものであり、本件参拝に影響されることはない」というのは、「君の足を踏み続けてぐりぐり痛いところを痛めつけ続けているけど、君とは友達だよ、動揺なんかしているはずないよね、どうして冷静にならないんだい」と言っているに等しい。
首相としての参拝をめぐって「参拝では不戦の誓いをした。中国、韓国の人々の気持ちを傷付けるつもりはまったくなく、各国には謙虚に礼儀正しく誠意を持って真意を説明する」と言ったが、そんな「不戦」「傷つけるつもりはない」は、口先だけに過ぎないことなど誰にだってわかる。
そして高校での日本史の必修化は自分本位の「近現代史」を未来の子どもたちに刷り込もうという陰謀である。
本気で日本に誇りを持たせないなら、ちゃんとした人間が、丁寧に動かす国にしなけりゃ、むりだ。
中国と韓国、北朝鮮の国連大使は29日、第1次世界大戦勃発100年に合わせて開かれた国連安全保障理事会の公開討論で、安倍晋三首相による靖国神社参拝を批判し、周辺国を侵略したことを否定するような歴史認識を正すよう日本政府に要求したという。
日本の保守勢力は「中韓による昨年末の安倍首相の靖国参拝後、各地で日本非難のキャンペーン」などというが、正当な批判をされているとちゃんと受け取らないことが、この国を世界の中で更に孤立させている。
参拝を「反ファシズム戦争の勝利と、(第2次大戦の)戦後の国際秩序に対する挑戦だ」「日本の指導者は隣国を含む国際社会の信頼を勝ち取るため、侵略の歴史を認め、誤りを行動によって正すべきだ」「日本指導部が帝国主義時代に何が起きたかについて、ゆがんだ認識を持っていることが主な原因だ」「(慰安婦問題について)日本政府はいまだに責任を取っていない」というのは、中韓両国だけの認識ではない。
安倍首相の「侵略の定義は確立していない」という発言は、「侵略」の過去を認め、独立した国としての自立を果たしてきた先人たちの努力を無にしている。
「武器輸出三原則の見直し」もまた、右傾化を示すことでしかない。言っているととやっていることは繋がっている。そう受け取られるのは当然だ。
安倍首相が設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が2月4日に会合を開き、座長の柳井俊二元駐米大使が、集団的自衛権行使の容認に向けた憲法解釈変更の必要性を明記した報告書原案をメンバーに提示する方向で最終調整に入ったという。
原案は、憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認するよう政府に提言するものだ。
これが「右傾化」でなくて何なのだ。

安倍首相は「米国をはじめ相手のあることだが、普天間飛行場の5年以内の運用停止を含む仲井真知事からの要望に、政府を挙げて実現に向けて全力で取り組む」というが、これは辺野古の工事を進めるための方便だ。彼らは五年でなくたって構いやしないと思っている。過去を見ればわかる。日本政府は何度約束して何度それを反故にしてきたのだ。そもそも米国防総省筋によると、米側は県が日本政府に求めた米軍普天間飛行場の5年以内の運用停止の可能性について「実行可能ではない」と否定している。
自民党石破幹事長は「名護市長が今後、移設を阻止する行動を取るとしている。しかしそれは、その思いとは異なり、普天間の固定化をもたらすものだ」と言った。辺野古移設を認めないことを選んだ名護市長選の結果を無視、民主主義を蹂躙するものだ。「名護市長選で、なぜ辺野古への移設なのか十二分に説明できなかったことを反省している」などと言うが、そんなことはもともと説明不可能な不合理なのだ。「(普天間飛行場の)墜落の危険と騒音被害を回避するには、滑走路を市街地から離隔して造成することが必要だ」というが、辺野古の集落へも大きく立ち退きを強制しておきながら、どの口が言っているのだ。
「騒音は100分の1までに減じられる」というが、辺野古集落は新たな騒音被害に晒されることは間違いなく、「成田空港や中部国際空港などの例を見ても分かるとおりだ」と言うが、結局現在は羽田空港を拡大し国際便を増設している現実を、どう見るのだ。
「滑走路ができることで、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ、辺野古弾薬庫と海兵隊の一体運用ができるからこそ、嘉手納より南の海兵隊6基地の返還が前進する」という説明は、SACO合意以降の認識をねじ曲げている。「辺野古移設が進まなければ基地負担軽減が進まない」「辺野古固定化に繋がる」は、米軍基地の撤退という至極当然のことを求める人たちに対する、信じがたく陰湿な「脅迫」である。
稲嶺市長がいうように、2012年4月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)共同発表で「嘉手納より南の返還」などが「普天間移設」のパッケージから切り離されたはずだ。石破幹事長の辺野古移設が進むことで嘉手納より南の返還が前進するとした発言は稲嶺市長に「自己矛盾じゃないか。おかしい」「民意がはっきりと表れたにもかかわらず、(辺野古移設に)執着、固執しているのは、国民主権や民主主義国家として、あってはいけない」と批判されて当然である。
安倍首相は日米間で交わされた核持ち込みに関する「密約」について、「ずっと国民に示さずにきたのは間違いだった」と述べ、歴代の自民党政権が長期間、存在を否定し続けてきたことは誤りだったとの認識を示した。
ならぱ特定秘密保護法などやめればいい。「間違いだった」と未来に判断するという残念な結果を認めるのだったら、理解できるはずだ。未来ではなく、今、進行中のさいに判断すべきことだからだ。
秘密指定の監視機関として「保全監視委員会」「情報保全監察室」を設置するが、いずれも政府関係者で構成されるため、機能を疑問視する声が強い。それに対して「首相である私が、正しく行政機関が秘密指定をしているかどうかを、国民の代表としても見る」などと言うが、首相を信用できないからこそ、皆が疑問視しているのだ。

沖縄の人たちの粘り、冷静な視線が、「政府に理不尽を認めさせること」の前例を作っている。
しかしこれは沖縄の人たち自らの功績である。
ヤマトは、そして東京は、自分でたたかい、選択しなければならない。

都知事選についての「選挙に行こう」などというキャンペーンは、私はしらけてしまう。「無関心層に訴える」などという言い方も納得できない。無関心な動きをしている人たちがいる理由を見極めなければならないだけだ。「選挙に行かざるを得ない現実」「投票によってかえられることのリアリティ」という具体性でこそ、人は動くのだ。
とくに山本太郎に「投票に行こう」などと言われたくない。天皇に直訴するような大ボケの輩に「名護は市民が意思表示した。東京はどうだ」などと言われるおぼえはない。名護のことを自己宣伝に使うな。余計なお世話だ。ちゃんと国政をやりなさい。

現状認識をまとめるためのブログでもあるが、あらためて、誰一人として日本の孤立を止める気がないように思えてならない。冷静に考えれば都知事選どころじゃないのだ。
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東海地区の劇作家たちに拉致され

2014-02-01 | Weblog
名古屋にいる。
昨年二月、私も審査員で参加した「劇王X 天下統一大会」から一年。「劇王」という短篇コンテストのプロジェクトを十年続け、毎年この二月にはそのイベントを開催、十年目の昨年には全国大会までに拡大して大成功した劇作家協会東海支部が、今年も同じ長久手文化の家で、イベントをやっているのだ。
東海支部は、劇作家協会でもっとも活発で勢いのあるセクションである。才能もある素敵な人材を次々に輩出している。彼らはみんな仲がいい。私も彼らと一緒だと嬉しい。で、今年は「劇王」は一休みしてやらないが、特別イベントをやるので来てくれないかと言われ、二つ返事でオーケーしたのだが、蓋を開けてみると、「どしのぎ祭」と名付けられた今年のイベントは、どうにもおそろしい仕掛けが施されていたのである。

以下、東海支部と長久手文化の家による広報から。

当日券も用意していますので、よろしく。

…………………………

長久手演劇王国vol.14
日本劇作家協会東海支部プロデュース「どしのぎ祭」 ~劇作家が頭と体を使って凌ぎを削る~

「劇王」は昨年のXで一旦くぎりをつけ、今年は装いをあらたに「どしのぎ祭」を開催!
地元の劇作家たちが、さまざま趣向で3日間にわたりシノギを削ります。実際にその場で戯曲を書いたり、アドリブで芝居をしたり……普段は見られない、いろいろな劇作家のカオをお楽しみに!!
支部メンバー全員が出演する他、ゲストに坂手洋二、諏訪哲史、柴幸男、安住恭子、煉瓦ホリオ、サリngROCK、ごまのはえらを迎え、熱く真剣にけれどゆるく、支部の総力を上げてさまざまな趣向で凌ぎを削る3日間。

[日にち] 2014年1月31日(金)ー2月2日(日)
[会場] 愛知県長久手市/長久手文化の家 風のホール・光のホール・展示室

プログラム
31日(金) 初日はきっちり始まります!
 19:30 開会式
 20:00 ちゃんとした文士劇『通夜の雨』(作:北村想)

1日(土) 劇作家イベント満載!どれも見逃すな!
 13:00 アドリブ文士劇+振り返りトーク
 16:00 劇王かてっ!
 18:00 劇作家大喜利

2日(日) 劇作家の未来を考える最終日!
 13:00 どんな困難な状況でもやらねばならない時がある
      ──その場で書く短編戯曲+ゲストトーク
 14:20 合作戯曲リーディング
 16:00 東海地区に演劇賞を作れないかを考える会議
 16:30 閉会式

http://www.jpwa.org/main/activity/region/toukai/245-doshinogi
http://www.city.nagakute.lg.jp/bunka/bunka_ie/jishujigyo/dosinogi.html

…………………………

つまり、というか。想像がつくと思うが、「どしのぎ祭」というのは、「シノギを削る」といいつつ、「劇王」じたいをやらない今年を、なんとか「しのぐ」というほうの、「しのぎ祭」なのである(かもしれない)。
「ただの間に合わせではないか」という批判をよそに、とにかく皆があきれる企画を立て続けにやるということなのだ。
私も劇作家協会の会長なので、東海支部がここまで思い詰めたのなら、責任を取ってつきあうしかないのである。
まあ、もちろんユーモアだ。そう。こういう力の抜けたような機会に、それなりにちゃんとしたものを見せたいということなのかもしれない。
げんに明日は札幌、広島の有力な演劇人たちの発表の場が、大まじめに用意されている。
げんに初日の今日も、「ちゃんとした文士劇」と銘打った『通夜の雨』(作:北村想)は、「東海支部顧問の北村想が、東海支部員にあて書き。劇作家総勢14名が夢の共演!」というキャッチフレーズのままに、じつに「ちゃんとした」北村想さんの最新作上演だった。(下ネタが多かったのはなぜだろう)
終演後に壇上に立った想さんに、東海支部から、今年になって決まった想さんの『グッド・バイ』鶴屋南北賞受賞のお祝いもした。良い空気だ。
想さんが、しかし、その後の挨拶で、「やはり、ここに瀬辺ちゃんがいないのは……」と言葉を詰まらせたのは、もちろん、出演するはずだった、東海支部の名花・瀬辺千尋さんのことである。なにしろ亡くなってまだ六日なのだ。
今日のために登場人物が喪服である通夜の劇を書いた想さんも、まさかこのようなことになるとは思っていなかったのである。

明日、瀬辺ちゃんも出るはずだった<アドリブ文士劇>なる企画以降、ほとんどのプログラムに、何らかの形で私も出演する(のだと思うが、詳しく聞いていない企画もある)。
しかし劇作家は「文士」じゃないだろう、と、この手の企画で「文士劇」とつくと、いつも思うのだが。

終えて、会場そば、藤ヶ丘近くの「味仙」で、佃典彦、平塚直隆両氏と食事。
私が佃君と二月下旬に行くはずだったソウルの仕事(佃作品の韓国デビューのリーディング)は、私が仕組んだ側でもあるので参加したかったが、私自身は自分の稽古スケジュールのために断念した。
私が二月下旬に誘われていた沖縄の6日間のワークショップ講師の仕事も、とても行けないので平塚君を推薦し、この食事中に沖縄から返答があり、決まった。安堵したが、正直、平塚君が羨ましい。
やはり私が二月下旬に呼ばれている某市での会議の仕事も、お断りしている。
今年の私はおそらく、世界で一番「二月下旬に縁のない男」である。

さて、名古屋に何軒かある「味仙」の台湾ラーメンは、名古屋の名物としては、なかなのものである。
そういえば昨年夏に新潟へ仕事で行ったとき、「「味仙」台湾ラーメンのカップ麺」を、宿で食べた。このカップ麺の製造場所は北海道だったので、「北海道」で作った「名古屋」名物の「台湾」ラーメンを「新潟」で食す、という地理感覚破壊状態だった。そしてカップ麺は所詮カップ麺だった。
やはり本物はうまい。「味仙」は名古屋人のソウルフードである。
佃、平塚両氏に、ひそかな名古屋名物である「あんかけスパゲティ」について聞いた。あんなぼんやりした食べ物が本当に人気があるとは思っていなかったし、じっさい名古屋でも「あんかけスパゲティ」の看板はほとんど見ない。ところが、彼らは「あんかけスパゲティ」の大ファンでもあった。ご推奨の食べ方を聞くと、それは確かにぼんやりした感じにはなるまい。いつか試してみよう。その内容は、また、後日。
コメント
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