真夜中に、斎藤憐さんのことを思う。自転車で移動中に、思う。台所に立っていて、思う。どこかの文字の並び方を見て、思う。座高円寺のロビーにいて、思う。今日思ったのは、優しさについてだ。本質的な問題としては、優しさは、優しさの顔をしていない。ある種の、豊かな優しさは、自覚的に孤独な領域を引き受けることからしか、生まれない。そのように生きることができる人だけが、そうしている。せめて憐さんの歳までは生きよう。憐さんと同年輩になって、「ちぇっ なんでお前がその歳なんだ」と言われるのを、楽しみに。
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