Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

映画 『Blue Island 憂鬱之島』の、「香港」と「映画」への信頼

2022-08-06 | Weblog

自由・自立を求める市民運動に参加する現在の香港の若者たちに、過去の中国・香港の反体制運動に携わった人たちを演じさせるという、この映画の仕組みに驚かされる。そういうやり方は多くの場合、「思いつき」の域を出ることは難しいように思われがちだ。ところがこの映画は、それが「香港」が舞台だからこそ可能なのだ、と、無理を通す。「本人」と「演じる人」に、確実に、共有するものがあるからだ。

過去・現在の事実を舞台上で演じるという構造を、「演劇」という形で行っている自分からしても、この『Blue Island 憂鬱之島』が、それを「映画ならでは」の形で行っていることに瞠目する。そう、ときに「演劇的」ともいえる素朴な手法さえ、それを「映画」だからこそできるのだ、と、無理を通している。そこが素晴らしい。

この作品の中心にあるのは、「香港」「映画」への信頼、である。

 

「香港は、自ら運命を決めたことは一度だってない」という台詞が、印象的。

皮肉であり、反語でもあるはずなのだが、正面からそのことを受け止めている人たちがいる。それは、「香港」の立ち場が、国際政治の中で位置づけられるものではなく、「香港の人たち=香港」でありたいという、この映画の思想を、この映画じたいが体現している、ということだ。

文化大革命が起こるならと「自由」を求め香港との海峡を泳ぎ渡ることを選んだ、陳克治氏自身の強靱な肉体が、その思いの結晶のように見える。

 

国際合作であり、日本側プロデューサーの小林三四郎、馬奈木厳太郎両氏は近しい人たちなので、ようやく見ることができて、感激である。

 

来月、私の戯曲『屋根裏』が、香港の若い世代によって上演される。もう何度目かである。そんな形で「演劇」として繋がれていることを頼りに、自分なりに「香港」に思いを馳せる。

私自身が香港に行ったことは、一度しかない。もう四半世紀前のことだ。

 

 

 

『Blue Island 憂鬱之島』公式サイト

https://blueisland-movie.com/index.html#staff

 

 

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