Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

表現の自由を守ろうとすることが「スタッフ・職員へのハラスメント」になってしまう?

2019-08-11 | Weblog

「あいちトリエンナーレ2019」で展示中止になった「表現の不自由展・その後」。

芸術監督・津田大介氏は「作家の許可なく、緊急措置として展示企画を中止する対応をしてしまったこと、現場に混乱をもたらしてしまったこと、その結果として現場の職員や関係各所にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」というが、本当に、アーティストたちを無視して中止の決定を出したのは言語道断である。愛知県知事はそりゃ大阪府知事よりはましかもしれないが、やはり責任はある。中止にはしてしまったのだ。津田氏は「検閲に屈した」というストーリーにされることを否定して、「大量の抗議やテロの予告などがあることで運営ができなくなる『芸術祭の脆弱性』が可視化された。検閲というよりは、文化・芸術に対するテロの問題です」としている。この国の「検閲」システムの批判をする勇気がないのだろう。  

そんな中、津田氏自身が神戸市内で18日に開催予定だったシンポジウムが中止となった。忖度、自粛の嵐。表現の自由を否定する空気が蔓延し始めている。

津田氏は「僕個人だったら刺されてもいいが、僕だけではなく会場にはお客さんもいるし、アーティストの作品もある。何よりも疲弊するのはスタッフであり、スタッフにまで闘争する覚悟を強いることはハラスメントになってしまう」とする。「ガソリン携行缶を持っておじゃまする」という脅迫、職員を名指しで非難する動きがあった以上、「スタッフにまで闘争する覚悟を強いることはハラスメント」というのは、ある意味正当性があるように感じられる方もいるかもしれないが、こうして脅迫し、不安をあおり、公共であることの弱みを狙った攻撃・圧力によって、いともたやすく行政や外郭団体を自粛決定に追い込むことができてしまうという現在の様子は、異常である。

明らかにこの国では「スタッフ・職員を苦しめること」を正当な理由として、あたかもそれが正義であるかのように「表現の自由」を奪うことが正当性を持つことになってしまう。

スタッフ・職員を苦しめているのは、アーティスト、表現者ではない。苦しめているのは理不尽な犯人たち・姿を隠した攻撃者たちである。なのに、表現の自由を守ろうとする人たちを「スタッフ・職員へのハラスメント」と決めつける風潮が、今後も増してくるだろうと予想される。彼らを守ることができるのかと問われれば、迂闊なことは言えない、ということになってしまうだろう。

もちろん「スタッフ・職員の安全」は、絶対に守られなければならない。

いっぽう、辺野古や高江で基地反対の表現をする人たちの活動を、一日あたり千六百万円をかけて阻止しようとしている日本政府である。であれば、憲法で定められた表現の自由を守るために、機動隊やALSOKに「表現の不自由展・その後」をガードさせればいいのではないか。彼らは「それはハラスメントだ」と、拒否するのだろうか。そもそも一日あたり千六百万円をかけても守りきれないのだろうか。それじゃ一年後のオリンピックなんて開けないじゃないか、という意見が出てくるのも、もっともである。

どう守るのか。どう抑止するのか。

世の中全体の空気をもっとまともにする、という以外には、なかなか思いつかないのだが。

 
 
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