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“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

そもそも、「初めから」「基本的に」、共謀罪は間違っている

2017-04-30 | Weblog
いろんな人に尋ねられても、私も、わからない。

そもそも、「初めから」も「基本的に」も、変わらない、ということしか、わからない。
日本語のできない総理大臣ではあるが、日本語問題にさえなっていない。

犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案を審議する1月26日の衆院法務委員会で、安倍晋三首相が答弁で使った「そもそも」。
過去3回廃案になった共謀罪法案より適用対象を厳しくしたと訴える首相が、「今回は『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」と述べた。
それに対して、民進党の山尾志桜里氏が「『そもそも』発言を前提とすれば、オウム真理教はそもそもは宗教法人だから(処罰の)対象外か」と尋ねた。

これに対し、首相は「山尾氏は『初めから』という理解しかないと思っているかもしれないが、辞書で念のために調べたら『基本的に』という意味もある」と主張。
「オウム真理教はある段階において一変した。『最初から』でなければ捜査の対象にならないという考え方そのものが大きな間違いであり、いわば『基本的に』変わったかどうかということにおいて、『そもそも』という表現を使った」と述べた。

これに対し、山尾氏は「詭弁を弄して必死にごまかしている。わかっていれば辞書で調べる必要がない」と指摘した。

首相がどの辞書から引用したのか定かではない。ただ、「そもそも」の意味について、『広辞苑』(岩波書店)は「元来」、『日本語大辞典』(講談社)は「最初から」、『大辞林』(三省堂)は「最初」、『日本国語大辞典』(小学館)は「はじめ」と説明しており、「基本的に」とする記述はないとされている(朝日新聞より)。
これについては、「Weblio類語辞書」の類語の欄に「基本的に」と書かれていることがわかっている。
安倍首相はネットで検索して、最初に出てきた辞書を使って「そもそも」の意味を調べたのではないかという指摘がある。

いやいや。

今回の法案は適用対象をテロ組織などの「組織的犯罪集団」と規定している、とされている。
「対象となる団体をテロリズム集団、暴力団、薬物密売組織などの組織的犯罪集団に限定しており、一般の方々や正当な活動を行っている団体がテロ等準備罪の適用対象となることはありません」(安倍晋三 首相)

犯罪を犯すことを目的としている集団でなければ対象にしないと言っているのであれば、オウム真理教はそもそもは宗教法人だから、
初めからであろうと、基本的にであろうと、(処罰の)対象外の団体であったのは、どうあっても、変わらないであろうよ。
処罰の対象外であれば、疑惑を持って事前に捜査する必要も、ないことになる。

安倍首相の「今回は『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」というのはぜんぜん嘘で、
「初めからであろうと、基本的にであろうと、犯罪を犯すことを目的としている集団でなくても、(捜査の)対象になることはある」。
つまり、「過去の法案との違いは全然ないから、安倍首相の言っていることは間違っている」ということしか、認識できない。

ここにきて、

28日午後の衆院法務委員会で、盛山正仁法務副大臣は、民進党の逢坂誠二氏への答弁で、同日午前に一般人は捜査対象にならないと答弁した根拠について、
「何らかの嫌疑がある段階で一般の人ではないと考える」
と言っている。

初めからであろうと、基本的にであろうと、そもそも「一般の人」だった人たちも、「何らかの嫌疑」を受けた段階で、
「そもそも犯罪を犯すことを目的としている集団」だったことに「変化する」。
だから同じことだ、と言っているのだ。

盛山氏は「一般の人とは言えないのではないか」と繰り返したが、「初めからであろうと、基本的にであろうと」、「嫌疑をかけられた瞬間に」「犯罪を犯すことを目的としている集団」でなかったとしても、「『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団」であったのだ、と、
「集団の性質自体が違ったものであったことに変えられてしまう」から、
「対象になることはある」と言わざるを得ない。

「何らかの嫌疑」を受けるためには捜査の対象になっていないはずはないのだから、もう話が違っている。
そして、「何らかの嫌疑」を受けた段階では、それは「嫌疑」だけなのだから、「シロ」の可能性もあるはずだ。民進党の井出庸生氏が言うように、「無罪推定の原則と真っ向から対立する」。

権力側が「嫌疑」を持てば、自動的に「『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団」と見做されることになる。
捜査する側に立ったとしても、ただの同義反復である。

事前に捜査の「対象」になることは変わらないのであれば、「内心の自由」を侵害しかねない。
これまでの共謀罪と何ら変わることはない。

安倍晋三首相は「一般の人が処罰の対象にならないことをより明確にし、これまでに示された不安や懸念を払拭できる成案がまとまった」として、捜査機関による乱用の懸念を否定したが、それは大嘘であった。

この法案は恒常的な監視が前提である。捜査の乱用により、この国を監視社会にしてしまう法律だと、受け止めざるを得ないのである。

閣議決定以前には、「成案ができましたときに、しっかりとご説明をしていきます」と言っていた金田勝年法相だが、相変わらず自分の力では何も喋ることができない。
今月28日の衆院法務委員会では、「共謀罪」の成立に必要な「準備行為」の判断基準について、
花見を例に挙げ、「桜並木の下を歩く行為」は「外形上区別がつかず、内心を処罰されることにつながる」と指摘する野党側に答え、
「携帯品や外形的事情で区別される」と判断基準の一つに言及した法務省・林真琴刑事局長に続いて、さらに詳しい説明を求められた。
そこで金田法相曰く、

「花見であればビールや弁当を持っているのに対し、下見であれば地図や双眼鏡、メモ帳などを持っているという外形的事情がありうる」。

これが国会答弁なのか?!
共産党の藤野保史氏も呆れ果てたのか、「双眼鏡を持ってバードウォッチングする場合はどうなるのか。まったく区別にならない」と述べ、基準の「いい加減さ」を批判した。
まあこの答弁さえ、金田法相は、後ろの席のスキンヘッドの官僚から言われた通りに喋っているだけなのかもしれないのだが。

ふだん私の持ち歩いている物を見れば、「一般の人」には見えないだろう。舞台監督氏の所持品なんて、もう、たいへんである。まあ、そりゃ、シロウトじゃないんだから。

そもそも、「初めから」「基本的に」、安倍政権は間違っている。







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