Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

『野鴨中毒』ハノイ公演開幕と、ベトナム戦争地下司令室で「Phutoma」と記された普天間

2016-05-14 | Weblog
むやみやたらな数の取材攻勢の中、『野鴨中毒』ベトナム初日の公演が始まった。600席、全ステージ関係者も全員ぶんの席が確保できない盛況。高校生百人くらいの団体が騒がしかったが、やがて静まった。観客の集中力は終盤に向けて高かったし、それが次第に増していった。出演者・人形使い諸氏も見事に走りきった。レ・カインさんの、ホームグラウンド・ベトナムでの、水を得たようないきいきとした演技が、全体を牽引してくれた。ベトナムを代表する女優と言われているのは伊達ではない。孫三郎・千恵・レ・カイン三つ巴の見せ場への集中は高かった。、
もともと重いイプセン。すーっと浸透していかなければ、ある意味、難解な劇と受け取られても仕方がないかもしれない作品だが、その危惧が払拭された。非常にクリアな空気の中で上演を終えた。幸い各界関係者の評判も上々のようである。ベトナムのヴァイオリン界の第一人者が太田恵資さんの演奏を絶賛してくれていたというのも、嬉しい。
6月のシビウ演劇祭まで続く過程の途中なので、たいへんなことはいろいろあるが、よかった。まずは安堵。

この一週間、宿と劇場の間の五ブロックほどを往復するだけで、ほとんど観光らしいことをしていなかった私たちを、通訳のトンさんが、短い時間だが、ハノイ唯一の世界遺産・タンロン皇城に連れて行ってくれる。1010年から1804年までベトナム王朝の本拠地だったこともあってのユネスコ世界遺産登録だが、史跡としては整備途中。敷地内にはベトナム戦争時には北ベトナム軍の司令室として使用されたD-67という地下シェルターが残されている。この辺りはいろいろな国の大使館が密集していて、ベトナム戦争時代も空爆を免れており、そこに司令室を作るのはまあ頭がいいというか判断としては当然のことなのかもしれない。
その地下作戦会議室の、メインの机のそばに、全世界の米軍基地の位置が記された大きな一覧地図が貼られてある。闘う相手の居場所を認識するためだから、当然だろう。
その日本列島の部分にも幾つもマーキングがあり、そして沖縄本島のところに「Naha」(軍港)と、「Phutoma」と記された、つまり米海兵隊普天間基地の表記が、ひときわ目立っている。
私の大叔父がかつて在沖米軍基地の労働者で、ベトナム戦争時に普天間基地で働いていたことは、まだこちらに来て話していない。私が『普天間』という戯曲(未来社)を書いているのを知っている人はいるかもしれないが。
私が二週間前に三日だけ滞在していた高江のある沖縄本島北部は、ベトナム戦争に送り出される海兵隊員の訓練場だった。ベトナムに模した村を映画のセットのように仕立てて、米兵たちは攻撃の訓練を繰り返した。その谷間の村こそが、映画「標的の村」でそのタイトル通りの存在として今も扱われていることが描かれた、高江なのだ。
沖縄は、ベトナムを攻撃する米軍を送り出した場所として、ベトナムで認識されていることは知っていた。その北ベトナム軍総本山で本物の「敵」の居場所として扱われていた存在であったことの証拠である「Phutoma」の文字を見て、あらためて、これが現実の世界であることを、強く認識した。

写真は、ベトナム青年劇場入口。(撮影・太田恵資)
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