Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

原一男監督最新作 『水俣曼荼羅』

2021-12-04 | Weblog

初めて原一男監督にお会いしたのは、『ゆきゆきて、神軍』製作中だったから、もう三十五年以上前になる。当時から、並行して、別な企画を進行させ、さまざまな対象の取材をしておられた。

「水俣病」に取り組んでいる、と聞いたのは、二十年前にはなると思う。それがこうして、『水俣曼荼羅』として身を結んだ。

 

『ゆきゆきて、神軍』以来のスタンスで、官僚や政治家に対する怒りが、しっかりと描かれる。

しかし、憤りをあからさまにする人は多いが、全員がただやみくもに興奮しているわけではない。

官僚や政治家に向き合いつつ、声を上げている仲間の一人を見守っている水俣の人たちの、顔、顔、顔。偏見や差別と闘ってきた仲間たちがいる、という、決して整然としているわけではない、しかし豊かな、人間たちの層の厚み。

とくに終盤は、その顔の一人一人と、原監督ら作り手、観客の間に、共有しているものが多くなっているように感じられるから、通常の劇映画ではあり得ない形で、「立ち会う者としてのシンパシー」と「現場にいなければ感じられない疎外感」を、画面を通して共有することができるのだ。

 

樺島郁夫熊本県知事は自らを「法定受託事務執行者」であるにすぎない、と何度も繰り返す。国からの命令を遂行しているだけだ、と開き直る。そこにあるのは「機能」であって、人間ではないのか。映画の内容とは関係ないが、かつて川辺川ダム白紙撤回を決めた樺島知事は現在、昨年夏の球磨川の豪雨による水害を受けたショックのためか、ちゃんとした調査もしないで立場を正反対に変え、「川辺川ダム建設路線」を打ち出している。人吉や川の流域の人たちの自主的な調査では、球磨川ではなく山から来た水が町中を通る小さな川を溢れさせた事による死亡事故が多く、ダムができても災害は防げないことが、はっきりしているのに、だ。また同じことが、重なるように、繰り返されるのか。

 

さて、今現在、水俣病とは、有機水銀が脳に与えた影響によるものだと、はっきりしている。大脳皮質の感覚をつかさどる部分を損傷させた、中枢神経の障害。にもかかわらず、浴野成生・熊本大学教授が言うように、中枢神経である脳に障害を受けるたとき、患者本人が、自らの症状を自覚できない。そこが多くの誤解を生んできたという前半の展開は、説得力がある。患者への認定基準を広げない、それまでの誤謬を正そうとしない「国や県」への怒りは、あまりにもまっとうだ。

終盤に登場する『苦海浄土』の著者・石牟礼道子さんが言う「悶え神」という言葉は、深く届く。

水俣病の中心的な症状である「感覚障害」とは、うまいものを食っても味がわからず、性行為をしても何も感じないことだという。その、形にならない、辛さ、苦しさ。当事者の、寄り添う人たちの、切実な叫び。

それでも人々は自分の人生を、生きる。

喜びも、怒りも、どの感情も、自分のものとして手に入れてゆく。患者の方々の結婚や恋の話と、怒りが噴出する場面が交互に連続することに、この映画の6時間12分という長さが、必要な理由がある。原監督の怒りとユーモア、その二刀流なくして、この境地は得られなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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