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“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「表現の不自由展」開催を、特定の思想を推進するために行っているという考え方を始めたのは、河村市長であって、名古屋市民ではない。

2019-09-03 | Weblog
朝日新聞の報道によると、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」を巡り、名古屋市の河村たかし市長は2日、開催経費の市負担分について「名古屋はまだ3千万払っていない。国はどうするのか。共同歩調をとりたい」と報道陣に述べ、支払わない場合がありうることを示唆した。
トリエンナーレは愛知県や同市などでつくる実行委員会が主催。開催費用は県と市の負担金などでまかなわれる。市の今年度の負担金は約1億7100万円で、市議会の議決を得ている。このうち未払いの約3300万円を芸術祭終了後に支払う予定だが、河村市長は2日の市幹部会議で「これをどうするかという大問題がある」と述べたということだ。
 
トリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」で慰安婦を表現した少女像や昭和天皇の肖像群が燃える部分を含んだ映像作品が展示されたことについて、河村氏は「日本人の心を踏みにじるものだ」と批判し、実行委会長の大村秀章・愛知県知事に中止を求めた。河村氏は8月26日の会見で「公共がやると、やったことが正しいと裏書きする効果がある」「(企画展を)あのままやっていたら名古屋市民が天皇陛下を侮辱することや慰安婦像を積極的に推進するのか、ということになる」などと述べ、芸術祭への公金支出を疑問視していた。
 
「表現の不自由展」は、何か特有の思想を推進するために行われているものではないという趣旨の言説や報道は既にずいぶんとあるはずだが、河村市長はそれらを無視して「名古屋市民が天皇陛下を侮辱することや慰安婦像を積極的に推進することになる」と決めつけている。展覧会の開催を特定の思想を推進するために行っているという考え方を始めたのは、河村市長であって、名古屋市民ではないし、開催を中止した人たちも河村市長の考え方に賛同しているわけではない。テロの脅迫に屈したのである。
 
同記事によれば、名古屋市民オンブズマンの新海聡弁護士は「予算が議会を通っていても市長が支出命令をしなければ負担金を出さないことは可能だろう」としつつ、「企画展のテーマは表現の自由度について論争してもらうことなのに、内容が気に入らないから金を出したり出さなかったりするのは表現の自由の抑制にあたり、憲法違反の議論になってくる」と指摘しているという。私もそう思う。
市長の権限で、市議会の議決を覆すことは、あり得ない。もっとも河村市長も「国はどうするのか。共同歩調をとりたい」と、菅官房長官の顔色をうかがっている節もある。本当は確信がないのだ。
 
菅義偉官房長官は8月2日の会見で「(補助金)交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べていたわけだが、官房長官の鶴の一声で、 文化庁の助成事業に採択されている芸術祭に「交付しない」などということは、民主主義の社会の中では、決してあってはいけないことである。
 
同記事によると、大村知事は9月2日の定例会見で「名古屋市がそういうこと(負担金の不払い)になることはありえない。実行委で予算も議決してやっている」と河村氏に反論。国の補助金についても「公文書で採択決定を頂いている。それが変わることは事実関係からないと思う」との認識を示したという。
けだし正論である。
 
河村市長は、自分の偏った思想を通すために、金を出す出さないを持ち出して、脅迫し、攻撃している。では万が一そうしたとして、市が出さなかったぶんは、どこが肩代わりするというのだ。卑怯である。
河村市長はこの一ヶ月のさまざまな異論反論にまったく耳を傾けていないのだろう。我が身を冷静に振り返ることができないのだ。
 
週刊ポストが「ヘイト」と呼ぶしかない嫌韓記事を出した。二重被害を呼ぶことになるから私は内容は記さない。広告の見出しだけでじゅうぶん犯罪的だ。で、識者や執筆者に指摘されて、同誌編集部は早々に反省の弁を出したという。
だったらはじめからそんなことをするな。
というか、きちんと同誌を回収する手続きはしているのか。車内吊り広告は外したのか。
新聞に全面広告で謝罪を出すか、廃刊を視座に入れた対応はしているのか。
 
同様に、河村市長は辞任するべきだ。
「金を出さない」発言は、もう、とどめである。
表現の自由に対する脅迫行為を許してはならない。
 
 
 
 
 
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