試写を観たのに記していなかったが、アンジェリーナ・ジョリー長編初監督の『最愛の大地』について。1990年代前半、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を舞台にしている。元恋人であったが敵味方の立場に別れてしまうボスニア人女性とセルビア人男性を中心にしているから、メロドラマではある。メロドラマ、というのは、舞台となっている設定がただの「背景」になってしまい、結果として御都合主義に陥るところがあるからである。しかし作り手にはリアルに撮りたいという執念があり、ぎりぎりのところで「そういうこともあるかもね」と思わせる限界で押し切ろうとする。「収容所もの」映画のジャンルにも入る面がある。つまり群像劇でもあるのだ。私が注目するのは、アンジェリーナ・ジョリーが自分でシナリオを書いているところである。どんなぎくしゃくしているようでも貫くものを感じさせるのは自作シナリオだからだと思う。彼女が約10年前に国連難民高等弁務官(UNHCR)の特使として初めてボスニア・ヘルツェゴビナを訪問した際、難民キャンプに収容されていた被害女性から直接聞いたことがもとになっているという。女性監督だからこそ、というべきか、虐げられた立場の女性たちの悲惨な出来事を、これでもか、これでもか、と描く。女性団体から抗議を受けアンジー監督自ら説明しに行ったりもしたらしい。シナリオとしての工夫は主人公の女性が画家であるところだろう。「肖像画」がさまざまな場面で効果的に使われている。セルビア人の残虐な行いを糾弾しつつ、過去にムスリムも同様のことをしていた、だから主人公の男性の父親の軍人の非道さにも理由があるとしてバランスを取り、最後のメッセージは「国連の内戦への介入があまりにも遅かった」となる。スケールが大きすぎるのか、視点が多岐に渡りすぎるというべきか……。ともあれ、アンジェリーナが国連で紛争地の性暴力阻止を訴え、「性暴力は戦争につきものだから起きるのではない。それを許す風潮が世界にあるからだ」と言ったことと通底する。橋下市長のくだらぬありえぬ慰安婦防波堤理論など吹っ飛ぶ、「戦争」に依存した「男性」という性の駄目さをとことん描いている。……個人的には1996年にマケドニアに『神々の国の首都』で公演ツアーに行った頃のことを思い出したりもした。バルカン半島はヨーロッパの火薬樽と呼ばれる。映画化もされた当時の新作戯曲『パウダー・ケグ(火薬樽)』という劇を本邦初演で上演したのは2000年のことだ。あの劇にも一部スタッフが嫌悪するほどの性暴力が描かれていた。
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