思いつくまま

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「大國主」古事記・日本書紀---4/6

2016年04月15日 | Weblog

日本書紀


(素戔嗚尊)然後、行覓.將婚之處、遂到.出雲之地焉。地、此云素鵝。乃言曰「吾心之。」此今呼此地曰。於彼處建宮。或云「時、武素戔嗚尊歌之曰、
夜句茂多兔、伊弩毛夜覇餓岐、兔磨語昧爾、夜覇餓枳都倶盧、贈廼夜覇餓岐廻。」
(やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきゑ)

乃相與遘合而/生兒大己貴。因勅之曰「吾兒宮首者、卽脚摩乳・手摩乳也。」故、賜號於二曰稻田宮主。已而素戔嗚尊、遂就.於根國矣。


★一書曰、素戔嗚尊、自天{而}降到.於出雲簸之川上。則見.稻田宮主簀狹之八箇耳女子號稻田媛、乃於奇御戸爲起而生兒、號之湯山主三名狹漏彥八嶋篠。一云、之繋名坂輕彥八嶋手命、又云、之湯山主三名狹漏彥八嶋野。此五世孫、卽大國主。
篠、小竹也。此云斯奴。


○於奇御戸爲起而。=(古事記)久美度邇起而。
○久美度(奇御戸)は、夫婦が籠もり寝るところを言う。
「くみ」は、(古事記)雄略天皇の段の歌に、
「伊久美陀氣、伊久美波泥受、多斯美陀氣、多斯爾波韋泥受、能知母久美泥牟
(いくみだけ、いくみは寝ず、たしみだけ、たしみはい寝ず、のちもくみ寝む)、
「兔磨語昧爾、夜覇餓枳都倶盧(妻籠みに八重垣造る)」の「語昧」も「くみ」に通う。
20-4357「阿之可伎能 久麻刀尓多知弖 和藝毛古我 蘇弖母志保〃尓 奈伎志曽母波由
20-4357「あしかきの くまとにたちて わぎもこが そでもしほほに なきしぞもはゆ
「くまと」は「隅処」で、「くみど」と同じ言葉である。「くみ」、「くま」、「こもり」が相通じる。

★一書曰、是時、素戔嗚尊、下到.於安藝國可愛之川上也。彼處有、名曰脚摩手摩、其妻名曰稻田宮主簀狹之八箇耳、此正在.姙身。夫妻共愁、乃告.素戔嗚尊曰「我生兒雖多、毎生輙有八岐大蛇來呑、不得一存。今吾且産、恐亦見呑、是以哀傷。」素戔嗚尊乃教之曰「汝、可以衆菓釀酒八甕、吾當爲汝殺蛇。」二隨教設酒。至産時、必彼大蛇、當戸將呑兒焉。
素戔嗚尊勅蛇曰「汝、是可畏之、敢不饗乎。」乃以八甕酒、毎口沃入。其蛇飲酒而睡。素戔嗚尊、拔劒斬之、至斬尾時、劒刃少缺、割而視之、則劒在尾中、是號.草薙劒、此今在.尾張國吾湯市村、卽熱田祝部所掌之是也。其斷蛇劒、號曰.蛇之麁正、此今在.石上也。是後、以稻田宮主簀狹之八箇耳生兒眞髮觸奇稻田媛、遷置.於出雲國簸川上、而長養焉。然後、素戔嗚尊、以爲妃{而}所生兒之六世孫、是曰.大己貴命。
大己貴、此云.於褒婀娜武智。


★一書曰、大國主、亦名大物主、亦號國作大己貴命、亦曰葦原醜男、亦曰八千戈、亦曰大國玉、亦曰顯國玉。其子凡有一百八十一。夫大己貴命{與}少彥名命、戮リク.力/一.心、經營.天下。復、爲.顯見蒼生及畜産、則定.其療病之方。又、爲攘.鳥獸昆蟲之災異、則定.其禁厭之法。是以、百姓至今、咸蒙.恩頼。
嘗大己貴命謂少彥名命曰「吾等所造之國、豈謂善成之乎。」少彥名命對曰「或有所成、或有不成。」是談也、蓋有幽深之致焉。其後、少彥名命、行至.熊野之御碕、遂適.於常世矣。亦曰、至.淡嶋{而}緣粟莖者、則彈渡{而}至.常世矣。自後、國中所未成者、大己貴、獨能巡造、遂到.出雲國、乃興言曰「夫葦原中國、本自荒芒、至及磐石草木咸能强暴。然、吾已摧伏、莫不和順。」遂因言「今理此國、唯吾一身而巳。其可與吾共理天下者、蓋有之乎。」
于時、光照海、忽然有浮來者、曰「如吾不在者、汝何能平此國乎。由吾在故、汝得建其大造之績矣。」是時、大己貴問曰「然則汝是誰耶。」對曰「吾是汝之幸魂奇魂也。」大己貴曰「唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶。」對曰「吾欲住於日本國之三諸山。」故、卽營宮彼處、使就而居、此大三輪之也。此之子、卽甘茂君等・大三輪君等・又姬蹈鞴五十鈴姬命。又曰、事代主、化爲八尋熊鰐、通三嶋溝樴姬・或云玉櫛姬而生兒、姬蹈鞴五十鈴姬命。是爲日本磐余彥火火出見天皇之后也。
初、大己貴之平國也、行到.出雲國五十狹々小汀、而且當飲食。是時、海上忽有人聲。乃驚而求之、都無所見、頃時、有一箇小男、以白蘞皮爲舟、以鷦鷯羽爲衣、隨潮水以浮到。大己貴、卽取置掌中而翫之、則跳囓其頰。乃怪其物色、遣使白於天、于時、高皇産靈尊聞之而曰「吾所産兒、凡有一千五百座。其中一兒最惡、不順教養。自指間漏墮者、必彼矣。宜愛而養之。」此卽少彥名命是也。
顯、此云.于都斯。蹈鞴、此云.多多羅。幸魂、此云.佐枳彌多摩。奇魂、此云.倶斯美拕磨。鷦鷯、此云.娑娑岐。



「大國主」古事記・日本書紀---3/6---E

2016年04月14日 | Weblog

於是天照大御詔之「亦遣曷者吉。」爾思金及諸白之「坐天安河河上之天石屋、名伊都之尾羽張、是可遣。《伊都二字以音。》若亦非此者、其之子、建御雷之男、此應遣。且其天尾羽張者、逆塞上天安河之水而、塞道居故、他不得行。故、別遣天迦久可問。」故爾使天迦久、問天尾羽張之時、答白「恐之。仕奉。然於此道者、僕子、建御雷可遣。」乃貢進。爾天鳥船、副建御雷而遣。


是以、此二降到出雲國伊那佐之小濱而《伊那佐三字以音》、拔十掬劒、逆刺立于浪穗、趺坐其劒前、問其大國主言「天照大御・高木之命以問使之。汝之宇志波祁流《此五字以音》葦原中國者、我御子之所知國、言依賜。故、汝心奈何。」爾答白之「僕者不得白、我子八重言代主是可白。然、爲鳥遊取魚而往御大之前、未還來。」故爾、遣天鳥船、徵來八重事代主而、問賜之時、語其父大言「恐之。此國者、立奉天之御子。」卽蹈傾其船而、天逆手矣、於青柴垣打成而隱也。《訓.柴/云.布斯。》


故爾問其大國主「今汝子、事代主、如此白訖。亦有可白子乎。」於是亦白之「亦我子有建御名方、除此者無也。」如此白之間、其建御名方、千引石手末而來、言「誰來我國而、忍忍如此物言。然欲爲力競。故、我先欲取其御手。」故令取其御手者、卽取成立氷、亦取成劒刄、故爾懼而退居。爾欲取其建御名方之手乞歸而取者、如取若葦搤批而投離者、卽逃去。故追往而、迫到科野國之州羽海、將殺時、建御名方白「恐、莫殺我。除此地者、不行他處。亦不違我父大國主之命。不違八重事代主之言。此葦原中國者、隨天御子之命獻。」


故、更且還來、問其大國主「汝子等、事代主・建御名方二者、隨天御子之命、勿違白訖。故、汝心奈何。」爾答白之「僕子等二隨白、僕之不違。此葦原中國者、隨命既獻也。唯僕住所者、如天御子之天津日繼所知之登陀流《此三字以音、下效此》天之御巢而、於底津石根宮柱布斗斯理《此四字以音》、於高天原氷木多迦斯理《多迦斯理四字以音》而、治賜者、僕者於百不足八十坰手隱而侍。亦僕子等百八十者、卽八重事代主爲之御尾前而仕奉者、違者非也。」


○八十坰手。
01-0079「天皇乃   御命畏美    柔備尓之  家乎擇   隠國乃   泊瀬乃川尓   舼浮而   吾行河乃    川隈之   八十阿不落   万段    顧為乍     玉桙乃   道行晩     青丹吉   楢乃京師乃   佐保川尓  伊去至而    我宿有   衣乃上従    朝月夜   清尓見者    栲乃穂尓  夜之霜落    磐床等   川之水凝    冷夜乎   息言無久    通乍    作家尓     千代二手尓 座多公与     吾毛通武
01-0079「おほきみの みことかしこみ にきびにし いへをおき こもりくの はつせのかはに ふねうけて わがゆくかはの かはくまの やそくまおちず よろづたび かへりみしつつ たまほこの みちゆきぐらし あをによし ならのみやこの さほがはに いゆきいたりて わがねたる ころものうへゆ あさづくよ さやかにみれば たへのほに よるのしもふり いはとこと かはのみづこり さむきよを やすむことなく かよひつつ つくれるいへに ちよまでに いませおほきみよ あれもかよはむ
02-0131「石見乃海   角乃浦廻乎   浦無等   人社見良目   滷無等 一云 礒無登   人社見良目   能咲八師  浦者無友    縦畫屋師  滷者無鞆 一云 礒者      鯨魚取   海邊乎指而   和多豆乃  荒礒乃上尓   香青生     玉藻息津藻   朝羽振   風社依米    夕羽振流  浪社来縁    浪之共   彼縁此依    玉藻成   依宿之妹乎 一云 波之伎余思 妹之手本乎   露霜乃   置而之来者   此道乃   八十隈毎    萬段    顧為騰     弥遠尓   里者放奴    益高尓   山毛越来奴   夏草之   念思奈要而   志怒布良武 妹之門将見   靡此山
02-0131「いはみのうみ つののうらみを うらなしと ひとこそみらめ かたなしと  いそなしと ひとこそみらめ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし かたはなくとも いそはなくとも いさなとり うみへをさして にきたづの ありそのうへに かあをくおふる たまもおきつも あさはふる かぜこそよせめ ゆふはふる なみこそきよれ なみのむた かよりかくより たまもなす よりねしいもを  はしきよし いもがたもとを つゆしもの おきてしくれば このみちの やそくまごとに よろづたび かへりみすれど いやとほに さとはさかりぬ いやたかに やまもこえきぬ なつくさの おもひしなえて しのふらむ いもがかどみむ なびけこのやま
13-3240「王     命恐      雖見不飽   楢山越而    真木積  泉河乃     速瀬    竿刺渡     千速振   氏渡乃     多企都瀬乎 見乍渡而    近江道乃  相坂山丹    手向為   吾越徃者    樂浪乃   志我能韓埼   幸有者    又反見     道前    八十阿毎    嗟乍    吾過徃者    弥遠丹   里離来奴    弥高二   山文越来奴   劔刀    鞘従拔出而   伊香胡山  如何吾将為   徃邊不知而
13-3240「おほきみの みことかしこみ みれどあかぬ ならやまこえて まきつむ いづみのかはの はやきせを さをさしわたり ちはやぶる うぢのわたりの たぎつせを みつつわたりて あふみぢの あふさかやまに たむけして わがこえゆけば ささなみの しがのからさき さきくあらば またかへりみむ みちのくま やそくまごとに なげきつつ わがすぎゆけば いやとほに さとさかりきぬ いやたかに やまもこえきぬ つるぎたち さやゆぬきでて いかごやま いかにあがせむ ゆくへしらずて
03-0427「百不足   八十隅坂尓   手向為者  過去人尓    盖相牟鴨
03-0427「ももたらず やそくまさかに たむけせば すぎにしひとに けだしあはむかも
この歌は、特にこの段に関係が深いように思う。これは人が死んだときの歌であって。ここの「八十坰手」は、多くの隅々を経ての非常に遠いところということで、行き着くところはつまり黄泉の国である。本来この神は須佐之男大神の子孫であり、一度はその大神の住んでいた黄泉の国に自分もいたことで大功を立てて、天下を経営したことは、これまでに述べられている通りであって、ここで御国を天神の御子に譲り引き下がって、再び元の国に隠れるのは、深い由縁のあることだ。事代主神が海底に隠れたのも、同じく黄泉の国に隠れたのである。(本居宣長)
*「坰」ケイ,キョウは、諸橋漢和辞典によると「林外十里の地、国境に隣接した地」「都から遠く離れたところ、遠野」「冂と同じ」とあり、「冂ケイ」は「国邑から遠く離れた土地」「遠い」「空しい」とあるので、いずれにしても人外絶遠の地ということである。
○隱而は、顕国(うつしくに)を去って、黄泉の国に隠れるのである。
○侍。
02-0199「挂文    忌之伎鴨 (一云 由遊志計礼杼母) 言久母   綾尓畏伎    明日香乃 真神之原尓   久堅能   天都御門乎   懼母    定賜而     神佐扶跡  磐隠座     八隅知之  吾大王乃    所聞見為  背友乃國之   真木立  不破山越而   狛劔    和射見我原乃  行宮尓   安母理座而   天下    治賜 一云  掃賜而     食國乎   定賜等     鷄之鳴   吾妻乃國之   御軍士乎  喚賜而    千磐破   人乎和為跡   不奉仕   國乎治跡 一云 掃部等     皇子随   任賜者     大御身尓  大刀取帶之   大御手尓  弓取持之    御軍士乎  安騰毛比賜   齊流    皷之音者    雷之    聲登聞麻俤   吹響流   小角乃音母 一云 笛乃音波   敵見有   虎可叨吼登   諸人之   恊流麻俤尓 一云 聞或麻泥    指擧有   幡之靡者    冬木成   春去来者    野毎   著而有火之 一云 冬木成   春野焼火乃   風之共   靡如久     取持流   弓波受乃驟   三雪落   冬乃林尓 一云 由布乃林   飃可毛   伊巻渡等    念麻俤   聞之恐久 一云 諸人    見或麻俤尓   引放    箭之繁計久  大雪乃   乱而来礼 一云 霰成    曽知余里久礼婆 不奉仕   立向之毛    露霜之   消者消倍久   去鳥乃   相競端尓 一云 朝霜之   消者消言尓   打蝉等   安良蘇布波之尓 渡會乃   齋宮従     神風尓   伊吹或之    天雲乎   日之目毛不令見 常闇尓   覆賜而     定之    水穂之國乎   神随    太敷座而    八隅知之  吾大王之    天下    申賜者     萬代尓   然之毛将有登 一云 如是毛安良無等  木綿花乃  榮時尓     吾大王    皇子之御門乎 一云 刺竹    皇子御門乎   神宮尓   装束奉而    遣使    御門之人毛   白妙乃   麻衣著     埴安乃   御門之原尓   赤根刺   日之盡    鹿自物   伊波比伏管   烏玉能   暮尓至者    大殿乎   振放見乍    鶉成    伊波比廻    雖侍候   佐母良比不得者 春鳥之   佐麻欲比奴礼者 嘆毛   未過尓     憶毛   未不盡者    言左敝久  百濟之原従   神葬    〃伊座而    朝毛吉   木上宮乎    常宮等   高之奉而    神随    安定座奴    雖然    吾大王之    萬代跡   所念食而    作良志之  香来山之宮   萬代尓   過牟登念哉   天之如   振放見乍    玉手次   懸而将偲    恐有騰文
02-0199「かけまくも ゆゆしきかも  (ゆゆしけれども) いはまくも あやにかしこき あすかの まかみがはらに ひさかたの あまつみかどを かしこくも さだめたまひて かむさぶと いはがくります やすみしし わごおほきみの きこしめす そとものくにの まきたつ ふはやまこえて こまつるぎ わざみがはらの かりみやに あもりいまして あめのした をさめたまひ はらひたまひて をすくにを さだめたまふと とりがなく あづまのくにの みいくさを めしたまひて ちはやぶる ひとをやはせと まつろはぬ くにををさめと くにをはらへと みこながら よさしたまへば おほみみに たちとりはかし おほみてに ゆみとりもたし みいくさを あどもひたまひ ととのふる つづみのおとは いかづちの こゑときくまで ふきなせる くだのおとも   ふえのおとは あたみたる とらかほゆると もろひとの おびゆるまでに  ききまとふまで ささげたる はたのなびきは ふゆこもり はるさりくれば のごとに つきてあるひの  ふゆこもり はるのやくひの かぜのむた なびくがごとく とりもてる ゆはずのさわき みゆきふる ふゆのはやしに ゆふのはやし つむじかも いまきわたると おもふまで ききのかしこく もろひとの みまとふまでに ひきはなつ やのしげけく おほゆきの みだれてきたれ あられなす そちよりくれば まつろはず たちむかひしも つゆしもの けなばけぬべく ゆくとりの あらそふはしに あさしもの けなばけとふに うつせみと あらそふはしに わたらひの いつきのみやゆ かむかぜに いふきまとはし あまくもを ひのめもみせず とこやみに おほひたまひて さだめてし みづほのくにを かむながら ふとしきまして やすみしし わごおほきみの あめのした まをしたまへば よろづよに しかしもあらむと  かくしもあらむと ゆふばなの さかゆるときに わごおほきみ みこのみかどを   さすたけの みこのみかどを かむみやに よそひまつりて つかはしし みかどのひとも しろたへの あさごろもきて はにやすの みかどのはらに あかねさす ひのことごと ししじもの いはひふしつつ ぬばたまの ゆふへになれば おほとのを ふりさけみつつ うづらなす いはひもとほり さもらへど さもらひえねば はるとりの さまよひぬれば なげきも いまだすぎぬに おもひも いまだつきねば ことさへく くだらのはらゆ かむはぶり はぶりいまして あさもよし きのへのみやを とこみやと たかくまつりて かむながら しづまりましぬ しかれども わごおほきみの よろづよと おもほしめして つくらしし かぐやまのみや よろづよに すぎむともへや あめのごと ふりさけみつつ たまだすき かけてしのはむ かしこけれども
20-4398「大王乃   美己等可之古美 都麻和可礼 可奈之久波安礼特 大夫    情布里於許之   等里与曽比 門出乎須礼婆  多良知祢乃 波〃可伎奈埿 若草乃   都麻波等里都吉 平久    和礼波伊波〃牟 好去而   早還来等    麻蘇埿毛知 奈美太乎能其比 牟世比都〃 言語須礼婆   群鳥乃   伊埿多知加弖尓 等騰己保里 可弊里美之都〃 伊也等保尓 國乎伎波奈例  伊夜多可尓 山乎故要須疑  安之我知流 難波尓伎為弖  由布之保尓 船乎宇氣須恵  安佐奈藝尓 倍牟氣許我牟等 佐毛良布等 和我乎流等伎尓 春霞    之麻未尓多知弖 多頭我祢乃 悲鳴婆     波呂婆呂尓 伊弊乎於毛比埿 於比曽箭乃 曽与等奈流麻埿 奈氣吉都流香母
20-4398「おほきみの みことかしこみ つまわかれ かなしくはあれど ますらをの こころふりおこし とりよそひ かどでをすれば たらちねの ははかきなで わかくさの つまはとりつき たひらけく われはいははむ まさきくて はやかへりこと まそでもち なみだをのごひ むせひつつ ことどひすれば むらとりの いでたちかてに とどこほり かへりみしつつ いやとほに くにをきはなれ いやたかに やまをこえすぎ あしがちる なにはにきゐて ゆふしほに ふねをうけすゑ あさなぎに へむけこがむと さもらふと わがをるときに はるかすみ しまみにたちて たづがねの かなしくなけば はろばろに いへをおもひで おひそやの そよとなるまで なげきつるかも
「さもらう」--->「さむらう」--->「そうろう」と変化。

如此之白而、於出雲國之多藝志之小濱、造天之御舍《多藝志三字以音》而、水戸之孫・櫛八玉、爲膳夫、獻天御饗之時、禱白而、櫛八玉、化鵜入海底、咋出底之波邇《此二字以音》、作天八十毘良迦《此三字以音》而、鎌海布之柄、作燧臼、以海蓴之柄、作燧杵而、鑽出火云、


★是我所燧火者、於高天原者、產巢日御祖命之、登陀流天之新巢之凝烟《訓凝姻云州須》之、八拳垂摩弖燒擧《麻弖二字以音》、地下者、於底津石根燒凝而、𣑥繩之、千尋繩打延、爲釣海人之、口大之尾翼鱸《訓鱸云須受岐》、佐和佐和邇《此五字以音》、控依騰而、打竹之、登遠遠登遠遠邇《此七字以音》、獻天之眞魚咋也。


故、建御雷、返參上、復奏言向和平葦原中國之狀。


○御舎。
大殿祭の祝詞「皇御孫之命乃、天之御翳日之御翳止造奉仕禮流、瑞之御殿、【古語云.阿良可】
(すめみまのみことの、あめのひかげ ひのみかげと つくりつかえまつれる、みずのみあらか)
02-0167「天地之   初時之     久堅之   天河原尓    八百萬   千萬神之    神集    〃座而     神分    〃之時尓    天照    日女之命 一云 指上    日女之命    天乎婆  所知食登   葦原乃   水穂之國乎   天地之   依相之極     所知行   神之命等    天雲之   八重掻別而 一云 天雲之   八重雲別而   神下    座奉之     高照    日之皇子波 飛鳥之   浄之宮尓    神随    太布座而    天皇之   敷座國等    天原    石門乎開    神上    〃座奴 一云  神登    座尓之可婆   吾王     皇子之命乃   天下    所知食世者   春花之   貴在等      望月乃   満波之計武跡  天下 一云 食國   四方之人乃  大船之   思憑而     天水    仰而待尓    何方尓   御念食可    由縁母無  真弓乃岡尓   宮柱    太布座     御在香乎  高知座而    明言尓   御言不御問   日月之  數多成塗    其故    皇子之宮人   行方不知毛 一云 刺竹之   皇子宮人    歸邊不知尓為
02-0167「あめつちの はじめのときの ひさかたの あまのかはらに やほよろづ ちよろづかみの かむつどひ つどひいまして かむはかり はかりしときに あまてらす ひるめのみこと さしのぼる ひるめのみこと あめをば しらしめせと あしはらの みづほのくにを あめつちの よりあひのきはみ しらしめす かみのみことと あまくもの やへかきわきて  あまくもの やへくもわきて かむくだし いませまつりし たかてらす ひのみこは とぶとりの きよみのみやに かむながら ふとしきまして すめろきの しきますくにと あまのはら いはとをひらき かむあがり あがりいましぬ かむのぼり いましにしかば わごおほきみ みこのみことの あめのした しらしめしせば はるはなの たふとくあらむと もちづきの たたはしけむと あめのした をすくに よものひとの おほぶねの おもひたのみて あまつみづ あふぎてまつに いかさまに おもほしめせか つれもなき まゆみのをかに みやばしら ふとしきいまし みあらかを たかしりまして あさことに みこととはさず ひつきの まねくなりぬる そこゆゑに みこのみやひと ゆくへしらずも  さすたけの みこのみやひと ゆくへしらにす
○海布は「め」と読む。海藻(にぎめ)、滑海藻(あらめ)、昆布などの総称である。
14-3563「比多我多能 伊蘇乃和可米乃 多知美太要 和乎可麻都那毛 伎曽毛己余必母
14-3563「ひたがたの いそのわかめの たちみだえ わをかまつなも きぞもこよひも
07-1227「礒立    奥邊乎見者   海藻苅舟  海人榜出良之  鴨翔所見
07-1227「いそにたち おきへをみれば めかりぶね あまこぎづらし かもかけるみゆ
○凝烟(すす)。
09-1809「葦屋之   菟名負處女之  八年兒之  片生乃時従    小放尓   髪多久麻弖尓  並居    家尓毛不所見  虚木綿乃  牢而座在者   見而師香跡 悒憤時之    垣廬成   人之誂時    智弩壮士  宇奈比壮士乃  廬八燎   須酒師競   相結婚   為家類時者   焼大刀乃  手穎押祢利   白檀弓   靫取負而    入水    火尓毛将入跡  立向    競時尓     吾妹子之  母尓語久    倭文手纒  賎吾之故     大夫之   荒争見者    雖生    應合有哉     宍串呂   黄泉尓将待跡  隠沼乃   下延置而    打歎    妹之去者    血沼壮士  其夜夢見    取次寸   追去祁礼婆   後有    菟原壮士伊   仰天    叨於良妣   [足+昆]地 牙喫建怒而   如己男尓  負而者不有跡   懸佩之   小劔取佩    冬[卄+叙]蕷都良 尋去祁礼婆   親族共   射歸集    永代尓   標将為跡    遐代尓   語将継常    處女墓   中尓造置     壮士墓   此方彼方二   造置有    故縁聞而    雖不知   新喪之如毛   哭泣鶴鴨
09-1809「あしのやの うなひをとめの やとせこの かたおひのときゆ をはなりに かみたくまでに ならびをる いへにもみえず うつゆふの こもりてをれば みてしかと いぶせむときの かきほなす ひとのとふとき ちぬをとこ うなひをとこの ふせやたき すすしきほひ あひよばひ しけるときには やきたちの たかみおしねり しらまゆみ ゆきとりおひて みづにいり ひにもいらむと たちむかひ きほひしときに わぎもこが ははにかたらく しつたまき いやしきわがゆゑ ますらをの あらそふみれば いけりとも あふべくもあれや ししくしろ よみにまたむと こもりぬの したばへおきて うちなげき いもがいぬれば ちぬをとこ そのよいめにみ とりつつき おひゆきければ おくれたる うなひをとこい あめあふぎ さけびおらび つちをふみ  きかみたけびて もころをに まけてはあらじと かけはきの をたちとりはき ところづら    とめゆきければ うがらどち いゆきつどひ ながきよに しるしにせむと とほきよに かたりつがむと をとめつか なかにつくりおき をとこつか このもかのもに つくりおける ゆゑよしききて しらねども にひものごとも ねなきつるかも
○鱸(すずき)。
03-0252「荒栲    藤江之浦尓   鈴寸釣   泉郎跡香将見  旅去吾乎 
一本云 白栲乃   藤江能浦尓   伊射利為流
03-0252「あらたへの ふぢえのうらに すずきつる あまとかみらむ たびゆくわれを  しろたへの ふぢえのうらに いざりする
11-2744「鈴寸取   海部之燭火   外谷    不見人故    戀比日
11-2744「すずきとる あまのともしび よそにだに みぬひとゆゑに こふるこのころ
○佐和佐和邇。栲縄で海人たちが引き寄せる、その立ち騒ぐ声がかしましく騒がしいのを言う。
○登遠遠登遠遠邇。
08-1595「秋芽子乃  枝毛十尾二   降露乃   消者雖消    色出目八方
08-1595「あきはぎの えだもとををに おくつゆの けなばけぬとも いろにいでめやも
10-1896「春去    為垂柳     十緒    妹心      乗在鴨
10-1896「はるされば しだりやなぎの とををにも いもはこころに のりにけるかも
10-2315「足引    山道不知    白牫牱   枝母等乎〃尓  雪落者 
 或云 枝毛多和〃〃
10-2315「あしひきの やまぢもしらず しらかしの えだもとををに ゆきのふれれば
    えだもたわたわ

「大國主」古事記・日本書紀---3/6---D

2016年04月13日 | Weblog

葦原中國の平定


天照大御之命以「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。」言因賜而天降也。於是、天忍穗耳命、於天浮橋多多志《此三字以音》而詔之「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、伊多久佐夜藝弖《此七字以音》有那理《此二字以音、下效此》。」告而、更還上、請于天照大。


爾高御產巢日・天照大御之命以、於天安河之河原、集八百萬集而、思金令思而詔「此葦原中國者、我御子之所知國、言依所賜之國也。故、以爲於此國道速振荒振國等之多在。是使何而、將言趣。」爾思金及八百萬、議白之「天菩比、是可遣。」故、遣天菩比者、乃媚附大國主、至于三年、不復奏。


○千秋長五百秋。
大殿祭の祝詞に「萬千秋乃長秋爾、 大八洲豊葦原瑞穂之國乎、 安國止平氣久所知食止、 言寄奉賜比弖
(よろずちあきの ながあきに、おおやしま とよあしはら みずほのくにを、やすくにと たいらけく しろしめせと、ことよさし まつりたまひて)」
大嘗祭の祝詞「天都御食乃長御食能遠御食登、皇御孫命乃大嘗聞食牟爲故爾、皇神等相宇豆乃比奉弖
(あまつみけの ながみけの とおみけと、すめみまのみことの おほにへきこしめさむためのゆえに、すめかみたち あいうづのひまつりて)・・・
千秋五百秋爾平久安久聞食弖、豊明爾明坐牟、皇御孫命能
(ちあき いおあきに たいらけく やすけく きこしめして、とよのあかりに あかりまさむ、すめみまのみことの)云々」。
○水穂。水は当て字で、みずみずしいという意味である。「穂」は稲穂である。
○伊多久佐夜藝弖。
07-1370「甚多毛   不零雨故    庭立水   太莫逝     人之應知
07-1370「はなはだも ふらぬあめゆゑ にはたつみ いたくなゆきそ ひとのしるべく
「太」「痛」「甚」と書いていて、同じ意味である。

神武天皇の段の伊須氣余理比賣の歌に「加是布加牟登曾、許能波佐夜牙流
(かぜふかむとぞ、このはさやげる)」
02-0133「小竹之葉者 三山毛清尓   乱友    吾者妹思     別来礼婆
02-0133「ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもふ わかれきぬれば
○神集々而。
万葉02-0167「久堅之天河原爾、八百萬千萬神之、神集々座而、神分々之時爾
(ひさかたの あまのかわらに、やおよろず ちよろずかみの、かむつどひ つどひまして、かむわかち わかちしときに)
大祓の祝詞「高天原爾神留坐、皇親神漏岐神漏美乃命以弖、八百萬神等乎、神集々賜比、神議々賜弖
(たかまのはらにかむつまります、すめらがむつ かむろぎ・かむろみのみこともちて、やおよろずのかみたちを、かむつどえつどえたまい、かむはかりはかりたまいて)
○多在は「さわなる」とも「おおかる」とも読める。
○將言趣。言向とも書く。
20-4465「比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎〃 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎   伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都〃 知波夜夫流 神乎許等牟氣  麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓  美也婆之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等  都藝弖久流 伎美能御代〃〃 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃   宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母
20-4465「ひさかたの あまのとひらき たかちほの たけにあもりし すめろきの かみのみよより はじゆみを たにぎりもたし まかごやを たばさみそへて おほくめの ますらたけをを さきにたて ゆきとりおほせ やまがはを いはねさくみて ふみとほり くにまぎしつつ ちはやぶる かみをことむけ まつろはぬ ひとをもやはし はききよめ つかへまつりて あきづしま やまとのくにの かしはらの うねびのみやに みやばしら ふとしりたてて あめのした しらしめしける すめろきの あまのひつぎと つぎてくる きみのみよみよ かくさはぬ あかきこころを すめらへに きはめつくして つかへくる おやのつかさと ことだてて さづけたまへる うみのこの いやつぎつぎに みるひとの かたりつぎてて きくひとの かがみにせむを あたらしき きよきそのなぞ おぼろかに こころおもひて むなことも おやのなたつな おほともの うぢとなにおへる ますらをのとも
○至于三年。「年」は、普通は「とし」と読むが、年数を言うときは三年(みとせ)、八年(やとせ)など、「とせ」と言う。「とせ」は「年経(としへ)」か。
05-0880「阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都〃 美夜故能提夫利 和周良延尓家利
05-0880「あまざかる ひなにいつとせ すまひつつ みやこのてぶり わすらえにけり
○不復奏。
遷却祟神の祝詞「誰乎先遣波、水穂國能荒振等乎、攘々平氣武止、議々給時爾、諸等皆量申久、天穂日之命乎遣而平氣武止申支、是以天降遣時爾、此波返事不申支、次遣志健三熊之命毛、隨父事弖返事不申
(いずれのかみを まずつかわさば、みずほのくにの あらぶるかみどもを、かむはらいはらいむけむと、かむはかりはかりたまうときに、もろもろのかみたち みなはかりもうさく、あめのほひのみことを つかわして むけむと もうしき、ここをもて あまくだし つかわすときに、このかみは かえりこと もうさざりき、つぎにつかわしし たけみくまのみことも、ちちのことにしたがいて かえりこともうさざりき)」、
出雲国造の神賀詞「高天能王高御魂魂命能、皇御孫命爾、天下大八嶋國乎、事依奉之時、出雲臣等我遠祖天穗比命乎、國體見爾遣時爾、天能八重雲乎押別弖、天翔國翔弖、天下乎見廻弖、返事申給久、豊葦原乃水穂國波、晝波如五月蝿水沸支、夜波如火ベ(分+瓦)光在利、石根木立青水沫毛事問天、荒國在利、然毛鎭平天、皇御孫命爾、安國止平久所知坐之米牟止申弖、己命兒天夷鳥命爾布都怒志命乎副天、天降遣天、荒布留等乎撥平氣、國作之大乎毛媚鎭天、大八嶋國現事顯事令事避支
(たかまの かむろぎ たかみむすびかみ・かみむすびのみことの、すめみまのみことに、あめのした おおやしまのくにを、ことよさし まつりし ときに、いずものおみらが とおつおや あめのほひのみことを、くにかたみしに つかわしし ときに、あめのやえぐもを おしわけて、あまかけり くにかけりて、あめのしたを みめぐりて、かえりこともうしたまわく、『とよあしはらのみずほのくには、ひるはさばえなす みなわき、よるはほべなすかがやくかみあり、いわねきねたちあおみなわもことといて、あらぶるくになり。しかれどもしずめむけて、すめみまのみことに、やすくにとたいらけくしろしまさしめん』ともうして、おのれみことのみこあめのひなとりのみことにふつぬしのみことをそえて、あまくだしつかわして、あらぶるかみたちをはらいむけ、くにつくらししおおかみをもこびしずめて、おおやしまくに、うつしごとあらわにごとことさらしめき)

是以、高御產巢日・天照大御、亦問諸等「所遣葦原中國之天菩比、久不復奏。亦使何之吉。」爾思金答白「可遣天津國玉之子、天若日子。」故爾、以天之麻迦古弓《自麻下三字以音》・天之波波《此二字以音》矢、賜天若日子而遣。於是、天若日子、降到其國、卽娶大國主之女、下照比賣、亦慮獲其國、至于八年、不復奏。


故爾、天照大御・高御產巢日、亦問諸等「天若日子、久不復奏。又遣曷以問天若日子之淹留所由。」於是諸及思金、答白「可遣雉名鳴女」時、詔之「汝、行問天若日子狀者、汝所以使葦原中國者、言趣和其國之荒振等之者也、何至于八年不復奏。」


故爾鳴女、自天降到、居天若日子之門湯津楓上而、言委曲如天之詔命。爾天佐具賣《此三字以音》聞此鳥言而、語天若日子言「此鳥者、其鳴音甚惡。故、可射殺。」云進、卽天若日子、持天所賜天之波士弓・天之加久矢、射殺其雉。爾其矢、自雉胸通而、逆射上、逮坐天安河之河原、天照大御・高木之御所。是高木者、高御產巢日之別名。


故、高木、取其矢見者、血著其矢羽。於是、高木告之「此矢者、所賜天若日子之矢。」卽示諸等、詔者「或天若日子、不誤命、爲射惡之矢之至者、不中天若日子。或有邪心者、天若日子、於此矢麻賀禮《此三字以音》。」云而、取其矢、自其矢穴衝返下者、中天若日子寢朝床之高胸坂以死。《此還矢之本也。》亦其雉不還、故於今諺曰「雉之頓使」是也。


○甚惡。「いとあし」と読む。
15-3728「安乎尓与之 奈良能於保知波 由吉余家杼 許能山道波   由伎安之可里家利
15-3728「あをによし ならのおほちは ゆきよけど このやまみちは ゆきあしかりけり

故、天若日子之妻・下照比賣之哭聲、與風響到天。於是在天、天若日子之父・天津國玉、及其妻子聞而、降來哭悲、乃於其處作喪屋而、河雁爲岐佐理持《自岐下三字以音》、鷺爲掃持、翠鳥爲御食人、雀爲碓女、雉爲哭女、如此行定而、日八日夜八夜遊也。


○與風。かぜのむた。「むた」は形式名詞で「~と共に」の意。
02-0131「浪之共彼縁此依(なみのムタかよりかくより)」、
02-0199「風之共靡如久(かぜのムタなびくがごとく)」、
10-1838「峯上爾零置雪師、風之共此間散良思(おのうえにふりおけるユキし、かぜのムタここにちるらし)」、
12-3178「風之共雲之行如(かぜのムタくものゆきなす)」、
15-3661「可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴 一云 安麻乃乎等賣我 毛能須蘇奴礼濃
15-3661「かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそぬれぬ 一云 あまのをとめが ものすそぬれぬ
○喪屋(もや)。
05-0897「老身重病経年辛苦及思兒等歌七首 長一首 短六首
05-0897「霊剋    内限者 謂瞻浮州人壽一百二十年也 平氣久   安久母阿良牟遠  事母無   裳無母阿良牟遠  世間能   宇計久都良計久 伊等能伎提 痛伎瘡尓波   鹹塩遠   潅知布何其等久   益〃母   重馬荷尓    表荷打等   伊布許等能其等 老尓弖阿留  我身上尓    病遠等   加弖阿礼婆   晝波母  歎加比久良志  夜波母  息豆伎阿可志  年長久   夜美志渡礼婆  月累    憂吟比     許等〃〃波 斯奈〃等思騰   五月蝿奈周 佐和久兒等遠  宇都弖〃波 死波不知   見乍阿礼婆  心波母延農   可尓可久尓 思和豆良比   祢能尾志奈可由
05-0897「たまきはる うちのかぎりは          たひらけく やすくもあらむを こともなく もなくもあらむを よのなかの うけくつらけく いとのきて いたききずには からしほを そそくちふがごとく ますますも おもきうまにに うはにうつと いふことのごと おいにてある あがみのうへに やまひをと くはへてあれば ひるはも なげかひくらし よるはも いきづきあかし としながく やみしわたれば つきかさね うれへさまよひ ことことは しななとおもへど さばへなす さわくこどもを うつてては しにはしらず みつつあれば こころはもえぬ かにかくに おもひわづらひ ねのみしなかゆ
15-3694「和多都美能 可之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太尓母 毛奈久由可牟登 由吉能安末能 保都手乃宇良敝乎 可多夜伎弖 由加武等須流尓 伊米能其等 美知能蘇良治尓 和可礼須流伎美
15-3694「わたつみの かしこきみちを やすけくも なくなやみきて いまだにも もなくゆかむと ゆきのあまの ほつてのうらへを かたやきて ゆかむとするに いめのごと みちのそらぢに わかれするきみ
15-3717「多婢尓弖毛 母奈久波也許登 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈礼尓家流香聞
15-3717「たびにても もなくはやこと わぎもこが むすびしひもは なれにけるかも
「もなく」は「恙(つつが)なく」という意味である。死はすべての凶事の中でも最悪のことなので、その時行うことをすべて「も」と言い、「喪」の字を当てる。
喪屋というのは、しばらく亡骸を収めて置いて、そのことを行うところである。書紀纂疏では「喪屋は殯宮のことである」と註してある。殯宮は「ひんきゅう」「もがりのみや」とも言う。

此時、阿遲志貴高日子根《自阿下四字以音》到而、弔天若日子之喪時、自天降到天若日子之父、亦其妻、皆哭云「我子者不死有祁理。《此二字以音、下效此。》」「我君者不死坐祁理。」云、取懸手足而哭悲也。其過所以者、此二柱之容姿、甚能相似、故是以過也。於是阿遲志貴高日子根、大怒曰「我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人。」云而、拔所御佩之十掬劒、切伏其喪屋、以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上、喪山之者也。其持所切大刀名、謂大量、亦名謂度劒。《度字以音。》故、阿治志貴高日子根者、忿而飛去之時、其伊呂妹高比賣命、思顯其御名、故歌曰、


★阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曾也
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに あなたまはや みたに ふたわたらす あぢしきたか ひこねのかみぞや
此歌者、夷振也。



「大國主」古事記・日本書紀---3/6---C

2016年04月12日 | Weblog

故、其大年、娶活須毘之女、伊怒比賣、生子、大國御魂、次韓、次曾富理、次白日、次聖。《五。》又娶香用比賣《此名以音》生子、大香山戸臣、次御年。《二柱。》又娶天知迦流美豆比賣《訓天如天、亦自知下六字以音》生子、奧津日子、次奧津比賣命、亦名、大戸比賣、此者諸人以拜竈者也、次大山《上》咋、亦名、山末之大主、此者、坐近淡海國之日枝山、亦坐葛野之松尾、用鳴鏑者也、次庭津日、次阿須波《此名以音》、次波比岐《此名以音》、次香山戸臣、次羽山戸、次庭高津日、次大土、亦名、土之御祖。九。


★上件大年之子、自大國御魂以下、大土以前、幷十六。


○大國御魂神。国を作った功績のある神を、それぞれの国で國魂(くにみたま)、大國魂(おおくにみたま)と呼んで拝祀する。だから諸国に何々大國魂という神社が多い。
○香用比賣(かがよひめ)。「香」は「かが」と読む。書紀の孝元の巻に伊香色雄、記では「伊迦賀色許男(いかがしこお)」。他に、香山(かぐやま)、香坂王(かごさかのみこ)などの「香」の字も、音を用いて「かぐ」、「かご」の仮名としている。意味は、顔が美しいのを賞めて光輝(かがや)くという意味か。
06-0951「見渡者   近物可良    石隠    加我欲布珠乎  不取不已
06-0951「みわたせば ちかきものから いそがくり かがよふたまを とらずはやまじ
11-2642「燈之    陰尓蚊蛾欲布  虚蝉之   妹蛾咲状思   面影尓所見
11-2642「ともしびの かげにかがよふ うつせみの いもがゑまひし おもかげにみゆ

○諸人。
05-0832「烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波 家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯 神司荒氏稲布
05-0832「うめのはな をりてかざせる もろひとは けふのあひだは たのしくあるべし
18-4094「賀.陸奥國出金 詔書歌一首 并短歌
葦原能   美豆保國乎   安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能  御代可佐祢 天乃日嗣等   之良志久流 伎美能御代〃〃 之伎麻世流 四方國尓波   山河乎   比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寳波    可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王乃    毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎   波自米多麻比弖 久我祢可毛 多之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓 鷄鳴    東國乃     美知能久乃 小田在山尓   金有等    麻宇之多麻敝礼 御心乎   安吉良米多麻比 天地乃   神安比宇豆奈比  皇御祖乃  御霊多須氣弖  遠代尓   可〃里之許登乎 朕御世尓  安良波之弖安礼婆 御食國波  左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎   麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓〃〃 老人毛   女童兒毛    之我願   心太良比尓   撫賜    治賜婆     許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴乃   遠都神祖乃    其名乎婆  大来目主等   於比母知弖 都加倍之官   海行者   美都久屍   山行者   草牟須屍    大皇乃   敝尓許曽死米  可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃   伎欲吉彼名乎  伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜乃子等毛曽 大伴等   佐伯乃氏者   人祖乃    立流辞立    人子者   祖名不絶    大君尓   麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓    手尓等里母知弖 劔大刀   許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利尓 大王乃   三門乃麻毛利  和礼乎於吉弖 比等波安良自等 伊夜多氐 於毛比之麻左流 大皇乃   御言能左吉乃 一云 乎       聞者貴美 一云 貴久之安礼婆
あしはらの みづほのくにを あまくだり しらしめしける すめろきの かみのみことの みよかさね あまのひつぎと しらしくる きみのみよみよ しきませる よものくにには やまかはを ひろみあつみと たてまつる みつきたからは かぞへえず つくしもかねつ しかれども わがおほきみの もろひとを いざなひたまひ よきことを はじめたまひて くがねかも たしけくあらむと おもほして したなやますに とりがなく あづまのくにの みちのくの をだなるやまに くがねありと まうしたまへれ みこころを あきらめたまひ あめつちの かみあひうづなひ すめろきの みたまたすけて とほきよに かかりしことを わがみよに あらはしてあれば をすくには さかえむものと かむながら おもほしめして もののふの やそとものをを まつろへの むけのまにまに おいびとも をみなわらはも しがねがふ こころだらひに なでたまひ をさめたまへば ここをしも あやにたふとみ うれしけく いよよおもひて おほともの とほつかむおやの そのなをば おほくめぬしと おひもちて つかへしつかさ うみゆかば みづくかばね やまゆかば くさむすかばね おほきみの へにこそしなめ かへりみは せじとことだて ますらをの きよきそのなを いにしへよ いまのをつつに ながさへる おやのこどもぞ おほともと さへきのうぢは ひとのおやの たつることだて ひとのこは おやのなたたず おほきみに まつろふものと いひつげる ことのつかさぞ あづさゆみ てにとりもちて つるぎたち こしにとりはき あさまもり ゆふのまもりに おほきみの みかどのまもり われをおきて ひとはあらじと いやたて おもひしまさる おほきみの みことのさきの   みことのさきを きけばたふとみ たふとくしあれば
18-4095「反歌三首
大夫能   許己呂於毛保由 於保伎美能 美許登乃佐吉乎 一云    能 聞者多布刀美 一云 貴久之安礼婆
ますらをの こころおもほゆ おほきみの みことのさきを みことのさきの きけばたふとみ   たふとくしあれば
18-4096「大伴乃   等保追可牟於夜能 於久都奇波 之流久之米多弖 比等能之流倍久
18-4096「おほともの とほつかむおやの おくつきは しるくしめたて ひとのしるべく
18-4097「須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知乃久夜麻尓 金花佐久
18-4097「すめろきの みよさかえむと あづまなる みちのくやまに くがねはなさく
天平感寳元年五月十二日於越中國守舘大伴宿祢家持作之

○竈神(かまのかみ)。
05-0892「貧窮問答歌一首 并短歌
風雜    雨布流欲乃  雨雜    雪布流欲波  為部母奈久 寒之安礼婆   堅塩乎   取都豆之呂比  糟湯酒   宇知須〃呂比弖 之叵夫可比 鼻毘之毘之尓  志可登阿良農 比宜可伎撫而  安礼乎於伎弖 人者安良自等  富己呂倍騰 寒之安礼婆   麻被    引可賀布利  布可多衣   安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎   和礼欲利母 貧人乃     父母波   飢寒良牟   妻子等波  乞〃泣良牟    此時者   伊可尓之都〃可 汝代者和多流  天地者   比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流  日月波  安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴  人皆可   吾耳也之可流  和久良婆尓 比等〃波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎   綿毛奈伎  布可多衣乃   美留乃其等 和〃氣佐我礼流 可〃布能尾 肩尓打懸    布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓  直土尓   藁解敷而    父母波   枕乃可多尓   妻子等母波 足乃方尓   圍居而   憂吟      可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊    事毛和須礼提  奴延鳥乃  能杼与比居尓  伊等乃伎提 短物乎     端伎流等  云之如     楚取    五十戸良我許恵波 寝屋度麻俤 来立呼比奴   可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
かぜまじり あめふるよの あめまじり ゆきふるよは すべもなく さむくしあれば かたしほを とりつづしろひ かすゆざけ うちすすろひて しはぶかひ はなびしびしに しかとあらぬ ひげかきなでて あれをおきて ひとはあらじと ほころへど さむくしあれば あさぶすま ひきかがふり ぬのかたきぬ ありのことごと きそへども さむきよすらを われよりも まづしきひとの ちちははは うゑこゆらむ めこどもは こふこふなくらむ このときは いかにしつつか ながよはわたる あめつちは ひろしといへど あがためは さくやなりぬる ひつきは あかしといへど あがためは てりやたまはぬ ひとみなか あのみやしかる わくらばに ひととはあるを ひとなみに あれもなれるを わたもなき ぬのかたきぬの みるのごと わわけさがれる かかふのみ かたにうちかけ ふせいほの まげいほのうちに ひたつちに わらときしきて ちちははは まくらのかたに めこどもは あとのかたに かくみゐて うれへさまよひ かまどには ほけふきたてず こしきには くものすかきて いひかしく こともわすれて ぬえとりの のどよひをるに いとのきて みじかきものを はしきると いへるがごとく しもととる さとをさがこゑは ねやどまで きたちよばひぬ かくばかり すべなきものか よのなかのみち
05-0893「世間乎   宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都   鳥尓之安良祢婆
05-0893「よのなかを うしとやさしと おもへども とびたちかねつ とりにしあらねば
山上憶良頓首謹上

羽山戸、娶大氣都比賣《自氣下四字以音》、生子、若山咋、次若年、次妹若沙那賣《自沙下三字以音》、次彌豆麻岐《自彌下四字音》、次夏高津日、亦名、夏之賣、次秋毘賣、次久久年《久久二字以音》、次久久紀若室葛根。《久久紀三字以音。》


★上件羽山之子以下、若室葛根以前、幷八。



「大國主」古事記・日本書紀---3/6---B

2016年04月11日 | Weblog
「大國主」古事記・日本書紀---3/6---B

於是大國主、愁而告「吾獨何能得作此國、孰與吾能相作此國耶。」是時有光海依來之、其言「能治我前者、吾能共與相作成。若不然者、國難成。」爾大國主曰「然者、治奉之狀奈何。」答言「吾者、伊都岐奉于倭之青垣東山上。」此者、坐御諸山上也。


○愁而。少名毘古那神が常世の国に行ってしまったからである。
○獨。
03-0366「越海之    角鹿乃濱従   大舟尓   真梶貫下     勇魚取   海路尓出而   阿倍寸管  我榜行者    大夫乃   手結我浦尓   海未通女  塩焼炎     草枕    客之有者    獨為而   見知師無美   綿津海乃  手二巻四而有  珠手次   懸而之努櫃   日本嶋根乎
03-0366「こしのうみの つのがのはまゆ おほぶねに まかぢぬきおろし いさなとり うみぢにいでて あへきつつ わがこぎゆけば ますらをの たゆひがうらに あまをとめ しほやくけぶり くさまくら たびにしあれば ひとりして みるしるしなみ わたつみの てにまかしたる たまだすき かけてしのひつ やまとしまねを
12-2919「二為而   結之紐乎    一為而   吾者解不見   直相及者
12-2919「ふたりして むすびしひもを ひとりして あれはときみじ ただにあふまでは
○能得作。
10-2091「彦星之   河瀬渡     左小舟乃  得行而将泊   河津石所念
10-2091「ひこほしの かはせをわたる さをぶねの えゆきてはてむ かはづしおもほゆ
11-2574「面忘    太尓毛得為也登 手握而   雖打不寒    戀云奴
11-2574「おもわすれ だにもえすやと たにぎりて うてどもこりず こひといふやつこ
12-3152「玉勝間   安倍嶋山之   暮露尓   旅宿得為也   長此夜乎
12-3152「たまかつま あべしまやまの ゆふつゆに たびねえせめや ながきこのよを

○光海。
垂仁の段に「その肥長比賣は愁いて(恨んで)、海を光(てら)して船で追ってきた」
書紀の神代巻に「豊玉姫は大亀に乗り、妹の玉依姫を連れて海を光(てら)してやって来た」ともある。記ではこの段の場所は不明だが、書紀によると出雲でのことになる。
○難成。
書紀の崇神の巻の歌に「多誤辭珥固佐婆、固辭介弖務介茂(たごしにこさば、こしかてむかも)「手越しに越さば越し難てんかも」。
02-0094「玉匣    将見圓山乃   狭名葛   佐不寐者遂尓  有勝麻之自   或本歌曰玉匣    三室戸山乃
02-0094「たまくしげ みむろのやまの さなかづら さねずはつひに ありかつましじ 或本歌曰たまくしげ みむろとやまの
04-0723「常呼二跡  吾行莫國    小金門尓  物悲良尓    念有之   吾兒乃刀自緒  野干玉之  夜晝跡不言    念二思   吾身者痩奴   嘆丹師   袖左倍沾奴   如是許   本名四戀者   古郷尓   此月期呂毛   有勝益士
04-0723「つねをにと わがゆかなくに をかなとに ものがなしらに おもへりし あがこのとじを ぬばたまの よるひるといはず おもふにし あがみはやせぬ なげくにし そでさへぬれぬ かくばかり もとなしこひば ふるさとに このつきごろも ありかつましじ
11-2702「飛鳥川   水徃増     弥日異   戀乃増者    在勝申自
11-2702「あすかがは みづゆきまさり いやひけに こひのまさらば ありかつましじ
04-0497「古尓    有兼人毛    如吾歟   妹尓戀乍    宿不勝家牟
04-0497「いにしへに ありけむひとも あがごとか いもにこひつつ いねかてずけむ
03-0276「妹母我母   一有加母    三河有   二見自道    別不勝鶴 一本云 水河乃  二見之自道   別者    吾勢毛吾文   獨可文将去
03-0276「いももあれも ひとつなれかも みかはなる ふたみのみちゆ わかれかねつる  みかはの ふたみのみちゆ わかれなば わがせもわれも ひとりかもゆかむ
02-0098「梓弓    引者随意    依目友   後心乎     知勝奴鴨 郎女
02-0098「あづさゆみ ひかばまにまに よらめども のちのこころを しりかてぬかも
02-0186「一日者   千遍参入之   東乃    大寸御門乎   入不勝鴨
02-0186「ひとひには ちたびまゐりし ひむかしの おほきみかどを いりかてぬかも
10-2146「山近    家哉可居    左小壮鹿乃 音乎聞乍    宿不勝鴨
10-2146「やまちかく いへやをるべき さをしかの こゑをききつつ いねかてぬかも
07-1124「佐保川尓  小驟千鳥    夜三更而  尓音聞者    宿不難尓
07-1124「さほがはに さをどるちどり さよふけて ながこゑきけば いねかてなくに

○青垣。
01-0038「安見知之  吾大王    神長柄   神佐備世須登  芳野川   多藝津河内尓  高殿乎   高知座而    上立    國見乎為勢婆  疊有    青垣山    〃神乃   奉御調等    春部者  花挿頭持    秋立者   黄葉頭刺理 一云 黄葉加射之   逝副   川之神母   大御食尓  仕奉等     上瀬尓   鵜川乎立   下瀬尓   小網刺渡    山川母   依弖奉流    神乃御代鴨
01-0038「やすみしし わごおほきみ かむながら かむさびせすと よしのがは たぎつかふちに たかどのを たかしりまして のぼりたち くにみをせせば たたなはる あをかきやま やまつみの まつるみつきと はるへは はなかざしもち あきたてば もみちかざせり  もみちばかざし ゆきそふ かはのかみも おほみけに つかへまつると かみつせに うかはをたち しもつせに さでさしわたす やまかはも よりてつかふる かみのみよかも
安見知し 吾大王  神ながら 神さびせすと 芳野川 たぎつ河内に 高殿を 高知り座して 上ぼり立ち 國見を為せば たたなはる 青垣山 山神の 奉つる御調と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり (一云 黄葉かざし) ゆきそふ 川の神も 大御食に 仕へ奉つると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に さでさし渡す 山川も 依りてつかふる 神の御代かも
出雲国風土記「天下を造った大神、大穴持命が『・・・八雲立つ出雲の国は、私が静まり住む国だ』と言って、青垣山を廻らし、云々」。
06-0923「八隅知之  和期大王乃   高知為   芳野宮者    立名附   青垣隠     河次乃   清河内曽    春部者  花咲乎遠里   秋去者   霧立渡     其山之   弥益〃尓    此河之   絶事無     百石木能  大宮人者    常将通
06-0923「やすみしし わごおほきみの たかしらす よしののみやは たたなづく あをかきごもり かはなみの きよきかふちぞ はるへは はなさきををり あきされば きりたちわたる そのやまの いやますますに このかはの たゆることなく ももしきの おほみやひとは つねにかよはむ
○東山。○日の出る方角を「ひむかし」というのも、日向という意味である。
○山上は峯を言うとは限らない。もちろん山の辺でもない。単に「山に」ということである。【「山べ」というのも同じことである。その他、海辺、岡辺、野辺なども、すべて単に海、丘、野であって、「その辺(ほとり)」という意味ではない。】
○伊都岐奉。「奉る」は「祭る」である。
書紀「對曰、吾欲住.於日本國之三諸山、故即營宮彼處、使就而居、此大三輪之神也(「私はやまとの国の三諸山に住みたいと思います。だからそこに宮を作って、私を住まわせてください」と答えた。これが大三輪の神である。)」。
出雲国造の神賀詞【天下の顕事を皇孫に譲って隠れた段で】には「大穴持命乃申給久、皇御孫命乃靜坐牟大倭國申天、己命和魂乎、八咫鏡爾取託天、倭大物主櫛甕玉命登名乎稱天、大御和乃神名備爾坐天、・・・皇孫命能近守神登貢置天、八百丹杵築宮爾靜坐支(おおなもちのみことのもうしたまわく、『すめみまのみことのしずまりまさんおおやまとのくに』ともうして、おのれみことのにぎみたまを、やたかがみにとりつけて、『やまとのおおものぬし・くしみかたまのみこと』とみなをたたえて、おおみわのかみなびにまさせて、・・・すめみまのみことのちかきまもりがみとたてまつりおきて、やおにきつきのみやにしずまりましき)」
○御諸山。
雄略天皇の歌に「美母呂能、伊都加斯賀母登(みもろの、いつかしがもと)」「美母呂爾、都久夜多麻加伎(みもろに、つくやたまかき)」
03-0420「名湯竹乃  十縁皇子   狭丹頬相  吾大王者    隠久乃   始瀬乃山尓   神左備尓  伊都伎坐等   玉梓乃   人曽言鶴    於余頭礼可 吾聞都流   狂言加   我聞都流母   天地尓   悔事乃     世間乃   悔言者     天雲乃   曽久敝能極   天地乃   至流左右二   杖策毛   不衝毛去而   夕衢占問  石卜以而    吾屋戸尓  御諸乎立而   枕邊尓   齋戸乎居    竹玉乎   無間貫垂    木綿手次  可比奈尓懸而  天有   左佐羅能小野之 七相菅   手取持而    久堅乃   天川原尓    出立而   潔身而麻之乎  高山乃   石穂乃上尓   伊座都類香物
03-0420「なゆたけの とをよるみこ さにつらふ わごおほきみは こもりくの はつせのやまに かむさびに いつきいますと たまづさの ひとぞいひつる およづれか わがききつる たはことか わがききつるも あめつちに くやしきことの よのなかの くやしきことは あまくもの そくへのきはみ あめつちの いたれるまでに つゑつきも つかずもゆきて ゆふけとひ いしうらもちて わがやどに みもろをたてて まくらへに いはひべをすゑ たかたまを まなくぬきたれ ゆふだすき かひなにかけて あめなる ささらのをのの ななふすげ てにとりもちて ひさかたの あまのかはらに いでたちて みそぎてましを たかやまの いはほのうへに いませつるかも
07-1377「木綿懸而  祭三諸乃    神佐備而  齋尓波不在    人目多見許曽
07-1377「ゆふかけて まつるみもろの かむさびて いむとにはあらず ひとめおほみこそ
07-1378「木綿懸而  齋此神社    可超    所念可毛    戀之繁尓
07-1378「ゆふかけて いむこのもりも こえぬべく おもほゆるかも こひのしげきに

三輪山を御諸山。
07-1093「三毛侶之 其山奈美尓   兒等手乎  巻向山者    継之宜霜
07-1093「みもろの そのやまなみに こらがてを まきむくやまは つぎのよろしも
07-1094「我衣    色取染     味酒   三室山     黄葉為在
07-1094「あがころも いろどりそめむ うまさけ みむろのやまは もみちしにけり
09-1770「三諸乃  神能於婆勢流  泊瀬河   水尾之不断者  吾忘礼米也
09-1770「みもろの かみのおばせる はつせがは みをしたえずは われわすれめや
さて御諸とは、神社一般のことなのだが、三輪山にその名を負わせたのは、とりわけこの大神を尊崇したからだ。