ネットになくて、見れるなら、もう一度ぐらいは見てみたいもの、2つ目。
”ひょっこりひょうたん島のプラモデル”は、小学校の校門の前にあった小さな文房具屋で売っていた。近所にプラモデルを売っている店は、ここを含めて3軒あって、ここが1番小さく、入れば何畳もない道路に面した普通の民家の一間を売り場にした狭い店だ。私は、ここでプラモデルを買ったことはなかった。むしろ外から見えるゴム動力の模型飛行機の幾つも並んだ、たてに長い紙の袋に引き付けられて見ていた。その中からグライダーのやつを一度買ったことがあったぐらいか。
小さな文房具屋の北側、外から見る上の方の細長い小窓。下のガラス戸じゃないんだよなあ。
小学校の校門真ん前(どうしてこんなうまい所に文房具屋あるんだろう?)といこともあって、朝、えんぴつがない、消しゴムがない、ノートが・・・とい子供相手だったんだろうが、ちびまる子ちゃんによく出てくる、あやしいおじさんがインチキ臭いものを売りに来るのは、たいがい通りの向かい側、小学校の校門の脇のちょっと離れたところ。
砂絵には興味を引かれたが、ばあちゃんはこいうものは絶対に買ってくれなかった。こういう投資もしておいてくれたらなあ(苦笑)。
そこへ、夏休みだったか、近所の悪ガキ何人かが遊びに入った。ひやかしのつもりだ。ところが、その時は、プラモデルなんか興味あるとは思えなかった、隣の静ちゃんが、その”ひょうたん島のプラモデル”を見つけて買ったのだ。
プラモデルが好きだった私は、なんで、こんもん、と思ったかもしれない。
でも、これが違った。
家の脇、静ちゃんちと私んちの間の狭い通路に、縁台と称して親たちが作った簡単な長椅子があり、そこで子供が集まって夕方まで遊んだ。
静ちゃんが買ったプラモデルの小さい箱を開けると、人形が何体か(はかせ、ドンガバチョ、とらひげ、サンデー先生あたりか?)作れるパーツが入っていて、静ちゃんの温情で、私もちょっと作らせてもらえた。
今見たら、子供だましの簡単なものだったかもしれない。でも、テレビで見たのおんなじで、手に棒がついていて、糸で止めらていたのか、腕が自由に動かせるのだ。
それは、作った後、子供がみんなで遊べるやつだった。そのことが他のプラモデルとは違った。おそらく番組でやっていた歌なんかを、いいかげんに歌って、それに合わせて、今作った人形にみんなが勝手に動きをつけて、ゲラゲラ笑いながら楽しんでいた。縁台に夕日が差すまで、ものすごく楽しい夏休みの一日だった。
でも、次の日には、それで遊ぶことはなかった。それがどうなったかも知らない。ただその日、一日だけのことだった。
私は、2~3か月あとか、それとも学年がかわってからか、あの楽しさをふと思い出したのか、あのひょうたん島のプラモデルを作ってみたくなって、あの文房具屋に一人で行ってみた。
実は、ここのおばさん、ちょっと子供受けしない人で、私一人で入るには度胸が必要だった(笑)。おばさんがすぐ出てきて、あやしい(だったと思う(笑))感じで私を見ている。あまり置いてなかったプラモデルの箱を一通り見まわして、あのプラモデルがないことを知ると、いつもはそんなことしないで出ていくのに、その時は、「あのー、ひょこりひょうたん島の・・・」とおばさんに聞いてみた。
おばさんにしてみれば、なんのこと? だったろう。
聞けたのは、もう売ってないよ、だけだった。
隣の静ちゃんは、私より2つ上で、長く地元の市役所に勤めたが、今、隣家をついでいる長男さんによると、もう何年も前に亡くなったそうだ。知らなかった。山猿のようにはしっこく、いつも日焼けして真っ黒で、近所の悪ガキの中では一番長生きしそうだったが・・・
当然、これに関した写真なんてない訳だが、もう少し前の時代、じいさんが撮っていた広場の縁台将棋が雰囲気をよく写しているのであげることにする。
おばさんにしてみれば、なんのこと? だったろう。
聞けたのは、もう売ってないよ、だけだった。
隣の静ちゃんは、私より2つ上で、長く地元の市役所に勤めたが、今、隣家をついでいる長男さんによると、もう何年も前に亡くなったそうだ。知らなかった。山猿のようにはしっこく、いつも日焼けして真っ黒で、近所の悪ガキの中では一番長生きしそうだったが・・・
当然、これに関した写真なんてない訳だが、もう少し前の時代、じいさんが撮っていた広場の縁台将棋が雰囲気をよく写しているのであげることにする。

うちの脇もこんな感じだ。あの「食べる紙」を、私が”ぺっぺっ”やってたのもここだ(笑)。この写真から5~6年は後だが。


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