2003年11月16日(日)、何回も思い出す情景がある。
秋の低山歩きを楽しんで、私は八高線の毛呂駅のベンチに座って、なかなか来ない上り電車を待っていた。日が暮れる少し前の長いホームには私以外には少し年配のご婦人二人しかいなかった。
山道を出て、長い車道歩きに、少々疲れた頃に、あたりの街並みとは不釣り合いを感じさせる巨大な医科大学の建物が構えていた。二人はその付属病院に用があり、その帰りだったのだろう。
疲れた身体でボケーっとしていると、その二人の話がなんとなく耳に入ってくる。なんでも、どこどこのだれだれさんが認知症で通院しているとか薬を飲んでいるとかしてるんだってよ・・・・・と。
「認知症」という言葉がなぜか私の心に響いた。
これが私の記憶中では「認知症」という言葉が残っている一番古い記憶だ。
ばあちゃん(そのころはお母さん)は何らかの記憶障害があるだろうと、それとなくは気付いていたが、だからといって病的なものと受け止めことはなかった。じいさん(そのころはお父さんだったか)がいじわるく”お前のは、ぼけだ”とか言うのを、「お母さんのは、そうじゃないよ、歳相応な物忘れだよ」とかばっていた。
認知症という言葉はすでにあったはずだが、この言葉を日常の中で使ったこともなかった。まだ、冗談で「ボケ」とか言っていたんじゃなかったか。この3年後、あることから17年間もばあちゃんの面倒を見ることになるとは夢にも思わなかった。
あの頃、恐らく認知症初期(今思えば)だったばあちゃんの心情など考えることなどこれっぽちもなかった。それが出来ていれば、と後悔のみ。まあ、当時はそこまでは一般的じゃなかったかと。それに、ばあちゃん、ちょおと「変な人」でもあったからなあ(笑)。
これが「認知症ばあちゃん介護記」のプロローグか。
写真は、山道が終わった、駅までの長い車道歩き。



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