コメント
 
 
 
お久しぶりです (コンサルティングファーム)
2008-01-14 11:50:20
未明さん、こんにちは。

以前のblogで時々TBさせていただいた、コンサルティングファームです。覚えていらっしゃいますでしょうか?
わたしもblogを引っ越しタイトルも変更しました。
http://d.hatena.ne.jp/kossaque/

今回のエントリに関して言えば、わたしの場合はカトリックです。一家そろって最近受洗しました。

目に見えない「何か偉大なもの」の存在を、意図的に無視してしまうか、きちんと尊重してそれを意識して生きるか、大きな分かれ目のように思います。
どこの教派が良い悪いとかは別として。

近代以降は、お金以外の数字に表せないいろんな「価値」がないがしろにされてきたわけで、そこに多くの問題の根源が集約されるようにも思っています。


ついでに、参考資料としてこちらをご紹介します↓
http://www1.cncm.ne.jp/~toguchi/ozaki_catholic/00.htm
携帯からも同じアドレスで見られます。

わかりやすい解説なんで、ちょっと時間が細切れに空いたときなんかに読んでみてもいいかもしれません。

ではまた!
 
 
 
Unknown (さかもと未明)
2008-01-14 15:21:48
コンサルティングファームさん覚えてますよ!!ありがとう。これからもちょくちょくきてね。ご紹介の所みてみます。おっしゃるように分かれ道があつて、わたしは丁寧に心を大切に生きようと思っているひとたちと歩んでいけたらいいんだつて決められたからいきやすくなつたの。前は皆に受け入れられたくてあがいていたけれど。
 
 
 
理屈で進める (O次郎)
2008-01-14 17:23:11
理神論的な行き方は、どうかすると唯物論とか無神論に傾きがち。理不尽な運命にもじっと耐え己を持する気高い魂のうちに神性をみる・・。その「体臭」が信仰の入り口になる人は幸いです。
次の問題は、どの神様を信じるか。これは難しい。
悩んでください。さかもと先生のご文章を読むと「一緒に悩んでくれる」ってゆう誠実さが伝わってきます。それこそ入信するしないにかかわらず、ひとりひとりの心の中に神様の種が予め蒔かれているのですから、その人の芽が出て育つでしょう。
さかもと先生の使命は一緒に悩むこと、簡単に答えをださないこと、水を撒くこと、だと思います。
 
 
 
Unknown (さかもと未明)
2008-01-15 00:24:18
o次郎さん、ありがとうございます
色んなこと考えていきましようね。で、先生じゃなくていいから(笑)
o次郎さんもどうぞ
林太郎さんのご冥福、祈ってください
 
 
 
坊主丸儲け が許されている限り (樋口)
2008-01-15 02:19:18
日本の宗教法人の言ってる事が信じられません。



金儲けに誘導されている感がどうしても拭えないのです。



マザーテレサさんを尊敬しているので、どちらかと言えばクリスチャンですが、靖国神社に初詣してしまったくらい靖国神社Loveなので、何ともいえませんな。



日本政府は何で宗教法人に宗教収入に対する税金を払わせたがらず銀行マル優無制限を許すのでしょうか?



あんなに儲けているんだから、払わせるべきです!
 
 
 
初めましてかなぁ? (ローエングリン)
2008-01-24 21:58:44
西村代議士後援会幹事の者です。遠方より林太郎君の葬儀に参列して頂き誠に有難う御座います。

天候の悪い中ではありましたが、11日のお通夜、12日のお葬式を無事に終えることが出来ました。 先生とはお通夜で話しをさせて頂き「林太郎君は神様になったんですね…」と言う私の言に、「そゃ、林太郎は神さんになったんや!日本の八百万の神様の中の神様になぁ…」となにかを悟ったように優しく答えて下さいました。

お葬式での先生御夫妻の涙顔は拝見して本当に辛かったです。しかし私が知る限りで一番優しいお顔をされていました。林太郎君の遺影を抱いている先生の姿は普通の父親の姿でした。優しい父親の姿でした。子が親より先に逝くほどの不幸はありません。

年始早々辛い出来事でしたが、この悲しみを乗り越えて、日本の再建に取り組むのが西村眞悟と師を支える同志達の使命だと確信しています。

『闘いはまだ続いている…』

これからも宜しくお願いします。

大変お忙しいかと思いますが、機会がありましたら
是非「堺」へお越し下さい。お待ちしています。
 
 
 
ファイト! (ジュネ)
2008-01-25 12:57:31
お知り合いに不幸があると胸が痛んでしまいますよね。誰だって平気でいれないです。人間の悲哀というか何かに中心に入ってもらって支えてもらいたい、何かを糧にまっすぐ立っていたい、そのために宗教は出来たと思います。宗派云々ではなく宗教とは人間の知恵、知性ではないでしょうか。イメージがよくないのは宗教そのものに耽溺して自己を見失うことであり、実際は宗教を通して自分の中の神を奮い起こしていくことなのに、自分を見失ったタリバンのような人々がいるからです。特に苦しい時ほどそこに麻薬的な作用がおこるのかなと思います。でも決して揺るがない健全な信仰心は身を助けます。仕事を努力する、何かをやり遂げるそいういうことも信仰心だと思います。激しくてもその中で自分の道を歩み磨き続けるそれが生きるということで元来生きるとは誰にとっても楽なものではないので自殺しないでどんなに辛くても生き続けるこれこそ信仰心でないかと思います。(心の病気でやむを得ずそうなった場合、自殺といえないかと。病気で脳やエネルギーの電池が切れた結果かと。)何はともあれ、心の落着く場所、そうである限り教会も神社も仏閣もなくなることはないでしょう。一番落着くところでほっとするそして感謝して又頑張って生きていきましょう。と、思います。未明さん、教会似合うなー♪羽がはえているから(エンジェル)
 
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