堺北民主商工会

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Originarity

2007年05月11日 10時46分25秒 | 世間の話
 ある料理番組でちょっと名の知れた料理人が次のような事を言っていた。「料理なんて四角四面に考えなくていいのよ。豆は水に浸しておけば勝手に膨れるし、火に掛けとけばちゃんと煮えるのよ」と。一見、いい加減なセリフのように思えるが非常に含蓄のある言葉である。
 意を察するに、この料理人は「料理テキストのレシピに書いてある炊くのに何分、煮詰めるのに何分などと、そんなに目を尖らせてレシピ通りにする必要は無いのよ。自分流の料理を創ってみなさい」と言うメッセージを伝えたかったのであろう。
 しかし、こんなメッセージをいとも簡単に言えるのは料理に対する長年の経験と研究、努力の積み重ねがあってこそである。
 それにしても今の日本、Originarity(独創性)が失われてきている。世論の大勢に流され「右向け右」「型どおり」の人間が世に増えている。
 確かに他人の言うとおりに又は、テキストのとおりに行動する。極端に言えば、「生き方」までも「右へ習え」の生き方は深く考える必要が無いから、楽かも知れない。しかし、人が人である所以は物事を判断し、その判断に基づき行動する際、「考える」という「作業」を実行するからこそである。
 この「作業」には豊富な知識やデータが欠かせない。それらをベースに思考を重ねて、適切な判断を人間は下していく。思考の過程では集団でのディスカッションや多くの人からの意見を参考にする事もある。何れにしても「考える」作業の日常的訓練が独創性を生み出す。画一的で押し付けの教育や躾からは独創性は決して生まれない。
 多種多様な情報が開示され、多くの人との関わりが保障され、「やらせ」「虚偽」など公正中立でないマスコミ報道では無く、人間社会に役立つ番組(や記事)を全てのマスコミが公正に報道する。このような社会を実現していく中で、人それぞれの独創性も開花していくに違いない。
 Originarityが世に溢れる事によって、人それぞれのIdentity(独自性、自己認識)も確立されていく。そして、Identityが芽生える事によってOriginarityも実現される相関関係だと言える。
 わが国において、戦後民主主義の発展に伴い、「個人主義」は確かに確立されたと言えよう。しかし、日本では「人」を大切にする国づくりを怠った為、人間性豊かな人づくりが疎かにされてきた。
 そして、今また、安倍内閣が進める「美しい国づくり(?)」のために国が教育に介入する教育基本法など「教育3法」の改悪によって、「型どおり」の人間づくりが始まった!