足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

プノンボクへ

2018年03月31日 | カンボジア
      プノンボクと言う村は、小さな山があってポルポトの兵士はそこに逃げ込んがと言うことを聞いたことがあった。
      最初のガイドと2004年ごろ行ったときは、カンボジアには珍しく土壁の家があり、そこに素朴な手作りの地図の看板が板で造られていた。
      2016年に村で出会った地図は、プレダック村の35歳になる村長が、ここまでは村の敷地であるという地図を模造紙に手書きで作っていて感動したことがあった。
      そんな地図があったプノンボクだが、今回は入り口がプレダック村の近くからバイクで入っていった。
   
  4メートルの道幅を行くと、道路の両側にまばらに家が続いている。
途中、バンテェアスレイ地区、タエー村というところで、椰子の葉を揃え編みこんで壁や屋根に使う作業をしている家族に出会った。
年老いた両親と娘が二人、孫が二人いたが、60歳だというお父さんは12人の子どもがいたが、4人が亡くなったという。
今は孫が16人もいるのだという。

   

早速、ポルポト時代に何をしていたか聞いてみた。
ヘインチョウーイさんという方で、ポルポト時代は農民であった。
その頃、自分はスラスランに好きな女性がいたが、ポルポトの組織で用意してくれた女性と結婚した。
自分はイケメンであったと言ってニコニコと・・・。そうでもないなと思いつつ、「うんうん」と頷いた。
親や妹とはバラバラになり、どこに働いているのかわからなかったが、親と妹を将来にわたって面倒を見てくれると言われ、組織が用意した今の奥さんと結婚したという。
女性グループと男性グループに分かれていたが、自分はイケメンだから女性たちがうわさをして、いつも注目されていた。
しかし、礼儀正しく規則を守らないと告発され殺された。

  

目の前で好きな人がいたという話を聞いても奥さんは平然とヤシの葉を編んでいた。
そばで子どもたちが笑っていたが、自慢そうに話す姿に、何かを背負いつつも時代が変化してきていることを感じる。

現在、村にはフンセン首相と人民党のヘンサムリンの看板が目立っているが、2018年7月の選挙では野党が解党になった現在、再び自由のない時代が訪れることが予想されている。
村人たちはそんなことをどう思っているのか知りたいが、今は政治の話はタブーになっている。

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