「さかはし」さん集まれ~*苗字は歴史の小宇宙

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アメリカに渡った「坂橋さん」 ニューヨーク、シカゴ、オレゴン・アストリア、カリフォルニア・サンフランシスコ…

2018-09-05 12:18:51 | 坂橋氏

年代がわかったものは少ないのですが「坂橋」に関する一番古いものは、

1906年に「H Sakahashi」さんがワシントン州に到着している記録がありました。



「Shigeichi Sakahashi」さんは、1907年に神戸から出港し、同年ハワイに到着していることが判りました。18歳の時に渡ったことになります。そして、そこにYanomura,Hiroshimaken としっかり記載がありました。
広島県の矢野村という所からの方だったのです。(そこから出港しただけかもしれませんが…)



1906・1907年に続いて、1910年にも記録があります。






次の記録としては、1915年
「Kikutaro Sakahashi」さん

横浜からサン・フランシスコに入港しています。

「Yanosuke Sakahashi」さん
1916年に門司港からワシントン州のシアトルに入港しています。



その他にTacoma Washingtonに入った方も見受けました。

その他に、オーストラリア・シドニーや、英国ロンドン、カナダのブリティッシュコロンビアなどにも移住者がいらっしゃるようでしたが、年代がわかりませんでした。

私が調べていきたいのは、明治・大正、またはそれ以前です。



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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
戸籍は永久保存 (藤森照幸)
2018-09-05 14:51:35
時間とお金が有れば、日本でも戸籍原簿は永久保存ですからたどれます。 ただし、先の戦争で名古屋など焼失した年も一部にはありますが、明治の戸籍法が出来た時以来の記録はお金が有れば取り出せます。 その先は、過去帳の捜査になります。 明治以前は、お寺と神社が戸籍を昭和くしておりました。 手形と呼ばれる旅行用の証明書は、寺と神社が発行しておりましたよ。記事の矢野村は、現在の広島市安芸区矢野町で、多くの人がハワイやアメリカに移住した村の一つでした。
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戸籍原本 それは取り出せるのでしょうか? (sakahashi・sakabashi)
2018-09-05 15:08:31
藤森様

コメントありがとうございます。
戸籍を取り寄せた際に、明治37年のもの(曽祖父の父)からで、それ以前は取り出せないと言われました。私が持っているものは、改制原戸籍です。
いま気が付きましたが、それ以前のものは以前いた新潟に請求すればもらえるのかもしれませんね。
釧路では出せない…の意味だったのかもしれません!!
私が欲しいのは明治5年のものです。
問い合わせてみます。
間違いを訂正してくださり、ありがとうございました!

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戸籍を取り寄せる時の注意 (藤森照幸)
2018-09-05 17:46:28
戸籍を取り寄せる時の注意ですが、付箋付と言う謄本を取る事です。付箋には、仮に自殺したものの場合、その場所、日時、確認者など事細かに書かれています。この付箋付は、本人や近い親族、弁護士などが取り寄せます。また、改正源戸籍は、戸籍が有った、主管の法務局にあるはずです。
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追記 (藤森照幸)
2018-09-05 17:54:31
阪橋さんと言う名字ですが、新潟が発祥地で北前船の寄港地に移住したのではなかろうか、または、愛媛県が発祥地で、北前船で北に移動したのでなないでしょうか。 愛媛県や、広島県、島根県・・・・・・日本海航路に沿って存在していたのでは・・・。
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正確には除籍(改製原戸籍) (sakahashi・sakabashi)
2018-09-05 18:10:23
藤森様

付箋付、初めて聞きました。
私がとったものには、
『除籍(改製原戸籍)は磁気ディスクから発行されたものである。』との一文が最後についていました。
付箋付、調べてみます。ありがとうございます!

もう一つ、先日広島の坂橋さんは新潟のご出身とお聞きしましたが、いつ頃移っていらっしゃったのかご存知でしたら、教えてください。いつ頃移っていらしたのかが、気になりました。
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北前船、ありえますね。 (sakahashi・sakabashi)
2018-09-05 18:14:39
藤森様

面白いですね。
高田屋嘉平のように、船で移動していて、点々と…

船でアメリカに行くことにも抵抗がないかもしれません。面白いデス!
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1907年 (藤森照幸)
2018-09-09 18:45:38
広島県の坂橋さん 1907年 ハワイだ3年の契約での出稼ぎだったようです。その翌年以降、広島県人は良く働くと言う評判で、600人の定員中、ハワイ側の要望で200人が広島県人だったそうです。 二百人の収入は広島県の当時の予算の25%近い金額になったという記録があるそうですが事実かどうか確認が駄来ていません。 以後これが縁で、アメリカ本土絵の移民が「ヒロシマ」と言うだけで受け入れ条件が良かったそうです。三年間の出稼ぎで得た収入で、帰国後北海道へ土地を購入して移住した家族が多くいるそうです。私の親戚は、そのままアメリカに移住していきました。昭和35年に一度帰国して、私の父を訪ねてきましたが、その後は我々が住まいを変えたので、連絡が無くなりました。 戸籍謄本から名前を割り出して、アメリカの「広島県人会」で調べればわかるようですが、今更と言う気がして、トライしていません。 私の姓「藤森」は少ないのですぐにわかるのではないかと思っています。
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追記 (藤森照幸)
2018-09-09 18:54:27
板橋さんの広島移住の件、書き忘れました。 住所からして、江戸中期、海田湾の干拓で出来た土地にお住まいなので、おそらく明治以前干拓にやって来たのだは無かろうかと推察しています。海田湾の開拓史を今探しています。因みに、出雲の「宍道湖」の干拓は、高岡藩の庄屋が出雲大社にお参りに来て、干拓されていないのを見て、松江藩に願い出て、江戸中期に干拓を始めたそうです。同じようなことがあったのではないでしょうか。
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干拓 (salahashi・sakabashi)
2018-09-10 07:17:38
藤森様
上記のコメントですが、
板橋ではなく、「さかはし」のことですよね?
干拓は秋田の八郎潟でも小規模なものは江戸時代にあったそうで、これも可能性があると思います。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/21/0/21_0_193/_pdf/-char/en

この論文を読むと、新渡戸稲造の祖父の関わっていた三本木の人工河川工事が少なからず札幌の街をつくる際のヒントになっていたこともわかり、面白かったです。
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付箋つき (sakahashi・sakabashi)
2018-09-11 07:26:35
藤森様

付箋付きは残念ながら見附市にはなくて、「戸籍の附票」という欄がありました。こちらで大丈夫でしょうか?
もしもご存知でしたら、教えてください!
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