しおりに使用されている当時の正面校舎の写真
昭和41年4月、大学を出て最初に勤めた職場は、当時まだ函館市と合併する前の亀田町立亀田小学校だった。
当時、児童数が1400名もいて、36学級ほどのマンモス校だった。渡島管内の教育研究の中心校で、毎年全学級公開の研究会が開かれ、全学級に教育大学の教育実習生が配属される学校だった。それだけにほとんどが20~30代のバリバリの職員ばかりだった。
夜8時頃までの学習会や打合せは日常茶飯事・・・仕事もバリバリこなしたが、当時、まだ車の時代でなかったので、仕事が終わると、隣の酒屋から酒を買い込んでは、夜遅くまで侃々諤々教育談義をしたものだった。みんな若かったので、バドミントン、スキー、野球などにも興じた。それだけに濃密な人間関係が培われ、職場が変わっても先輩後輩の関係でずっとお世話になった。
校歌を熱唱
そんな職場に7年間お世話になった。自分の仕事や人生の基礎・基本のほとんどはここで培われたと言っても過言ではない。そんな懐かしい仲間の函館市と合併するまでのOB会が、今年で44回目を迎えた。
当然、全員60代以上となってしまったが、87歳を筆頭に19名が集った。みんな当時の20~30代に戻って、やんちゃなジジババの実に楽しいひとときだった。
懐かしいでしょう!
数年前に私が亀田小学校の古いアルバムから見つけた写真で、ずっとこれを使っています。
校歌は間違いなく、その通りです。
何とも懐かしく、しかしあの当時の記憶は鮮明に、記憶に残っております。
校歌は、確か・・・
”青空高き、ポプラが丘の~”でしたよね!?