昨日から、「SL函館大沼号」の夏期運転を開始した。国産タンク蒸気機関車C11形がレトロな車両(4両)をけん引する。昔、よく目にしたD51などに比べると、こじんまりとした機関車だ。
運転は15日までと、20~21日、27日から8月4日まで、函館-森間を1日1往復する。往路の函館発は午前9時。復路の森発は午後1時31分(砂原経由)、函館は同3時25分に到着する。
家の近くの陸橋から復路の列車を待っていたら、機関車はバック体勢で引っ張ってきた。ちょっと間抜けた感じだが、考えてみたら、今は機関車の向きを変える“転車台”はないから仕方ないか?
実は、高校時代から27歳まで12年間、函館駅や五稜郭駅まで汽車通をしていた。当時は蒸気機関車で、毎日汽笛を聞いて通ったものだった。夏は窓を開けるので、白いYシャツは襟や袖口がすぐに黒くなったのを思い出す。
特に高校1年から大学3年までは当時の「仁山信号場」(現在の仁山駅)から通っていた。信号場から下りの列車は、登り勾配がきついので、スイッチバックの要領で「加速線」に一旦後退してから、勢いを付けて発車していた。寝過ごして降り損なって、スイッチバックして停まった列車から飛び降りたことが2度ある。友人は、冬に同じことをして、雪で隠れていた標識に急所をぶつけて、しばし気絶していたとか・・・。
それ以降は七飯駅から通った。家が線路に近かったので、駅までの1kmほどを線路の上を歩いて通った。今なら考えられないことだが、朝、後ろから汽笛を鳴らされて走ったことはしょっちゅうだった。
蒸気機関車を久しぶりに目にして、40年以上も前のことを懐かしく思い出した。
主人が子供の頃は普通に走っていたんですね。13歳年上でも、普段はそれほど年齢差を感じずに暮らしていますが、この時はジェネレーションギャップを感じてしまいました!
あとは、汽笛ですかね~
私も今走っているイベント列車は乗ったことがありません。高いからです。中もそれように改装されているようです。
SLは小学校低学年までですけど、鉄橋のところにいてSLが見えたところで走って対岸までいくとか、バカまねをしていたことを思い出します。
今の子どもメディアの発達で問題視されてますけど、昔の子どもの方がよっぽど危ない(バカ)ですよね!近くの子が川や肥溜めで死んでもニュースにすらなりませんでした。
確かに、その点では、今では、危険ということでなんでも禁止といろいろ煩く言われるようになりましたが、昔の子供は冒険というか危ないことを良くやっていました。古き良き時代でした・・・。