癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

あれから1年

2012年03月12日 | 日常生活・つぶやき
 忌まわしい悪夢のような震災から1年が過ぎた。遅々として進まない復興に、「もう1年経ったのか?」「もう1年も経つのに・・・」と思わざるを得ない。

 被災者にとっては辛く苦しい1年だっただろう。そして、昨日は、その悲しみを新たにする日だったに違いない。自分としては、そんな方々をよそに好きなことばかりして暮らしている申し訳なさとともに、自分の幸せに感謝する日でもあった。改めて、亡くなった方々のご冥福と、被災地の一日も早い復興と被災者たちが少しでも平穏な生活が送れるようになることをお祈りするだけである。

 書き出すとキリがないのだが・・・、一番腹立たしいのが、国政の貧困さというか情けなさである。与党も野党も、自分たちの立場ばかりを優先し、お互いに足の引っ張り合いをしている・・・なぜ、もっと一つになってこの危機を乗り越えようとできないのだろうか・・・? 国の「復興や再生への明確な動きが見えない」のが非常に残念である。このようなときこそ、国をまとめようとする強力なリーダーが必要なのだろうが、残念ながらそのような「人」も「動き」も見当たらない。あの戦後からみごとに復興した日本という国の再生は果たしてあるのだろうか・・?

 ただの地震と津波だけならまだ良かったのだが、福島原発の事故が、この震災をさらに悲惨且つ凶悪なものにしてしまった。誰しも初めての体験なのだから、すんなりと対応できるとは思ってはいないが、放射能に対する不信感や恐怖感は、落ち着くどころか益々増大している感が否めない。原発事故の収束よりも、今後数年後に現れて来るであろう放射能被害やその影響が心配だ。

 先日TVを見ていて心を痛めたのは、被災者にアンケートを採ったら、「震災前より絆の強さがむしろ弱まった」と感じている人々が非常に多かったことである。昨年は「絆」という文字がバラ色に踊った1年だった。しかし、それは被災しなかった立場の人間の思い上がりだったのではないかとさえ思うのである。

 震災前の「絆」であった地域のコッミュニティが崩壊し、長い間バラバラに避難所や避難先で不自由な生活を余儀なくされている被災者の生活実態、さらに、同じ地域でも、家族を亡くした者とそうでない者、家を失った家庭とそうでない家庭、仕事を失った家庭とそうでない家庭・・・などに、微妙な意識のズレが生じてきているとのこと・・・。また、「本当に絆が大事だと思うのなら、がれきを受け入れて欲しい」という声にも胸が痛む。

 何もアクションを起こさないでいる自分が、ここでこのようなことを書いても心苦しいだけだが、被災者の希望と前向きな姿勢が唯一救いである。日々の努力でこの難局を乗り越えて行って欲しいと願うだけである。