学生時代自分の才能もないのに何かをしたい何をしたいのか
と模索しているときにある出会いがあった。
それは先生の手書きの雑木林という小冊子の中で出会った仲間たち先生は
私たちを作詞協会に入れたから・・・とさりげなく話してましたが私たちは
作詞家になろうとか皆さんはともかくとして第一私なんぞその能力もなく片隅に
ある先生のあふれんばかりの図書が積んでありアルバイトで貧乏学生には
それが目的?夢のような最高の部屋でした。
有近先生をはじめとして古野哲也氏や大ちゃんそして同郷の作曲家の船村徹氏
その中で比較的地味で人生を歩いてる古野哲也氏とその家族の話を
聞くことになった。
古野先生は奥様が働いてる職場でピアノ弾きをなされてた。
そして奥様はとても奥ゆかしい中でとても魅力のある方でした。
古野先生は「哀愁の夜」を作詞されその録音の時に最初口笛のメロディーが
流れるけどその録音がとても大変だったとか・・・と言うのは口笛奏者は7人?
何回ものダメだしに苦労した話とか・・・知らない世界を教えてもらいました。
物静かな先生で私たちの話をニコニコされて真剣に聞いてくれました。
私自身はその歌手には興味なかったけど好きな歌でした。
っでそのヒット曲(哀愁の夜)で新築された話も大三郎から聞き
凄いなぁ~って東京は憧れますよねって話したら古野先生は
たった一言・・・東京は美しいけどとても寂しいところだと思うよ
そして思い出の中で当時東京はいくつもの未来があり若者にはあこがれの街
なのにと思ったけどその時に一言こういったことを思い出します。
「女性は結婚して家庭を守ることが一番だと僕は思うけど違うかな?」
そしたら側にいた大三郎が「女性のエプロン姿に憧れるなぁ~」って話す。
先生はもう他界されて有近先生・大三郎・船村徹氏と一緒に何を模索
されてるのかとても気になるけれど楽しい会話に花を咲かせてるのでしょうか?
・・・古野先生の奥様や当時一人娘のお嬢さんさくらさん今どうなされてるのか
気になります。
このご夫婦のお嬢さん間違いなく素晴らしい人生を歩いてるんだろうね。
ちなみに実家が那須の坂問屋のだと話したE君とかその中の一人は画家として
日展で拝見する事が出来て懐かしさにじっと何故かうれしさが・・・
当時の無二の親友仲間の一人大蔵省官僚の友人も他界されました。
この5人はせっかくの先生の行為を裏切りそれぞれの道へ・・・
いしだあゆみさんのファンだったEさんはTV局に就職部長となって
退官されたとか24時間TVの時に美術館へ行った時にやっと入れたと連絡したら「Eが部長として君臨してたのに」・・・と話してました(笑)
哀悼の意を込めて・・・