先の私の記事にも反映している、いじめの加害は悪であるとのスタンスを明確にした上で、有効に機能することを期待します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
省内に「いじめ対策支援チーム」…平野文科相
平野文部科学相は2012年7月22日、大津市で昨年10月に市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺した問題を受け、全国の学校や教育委員会に対し、いじめに関する専門的な指導・助言を行う新組織を8月中にも文科省内に設置する考えを表明した。
同省がいじめ問題の対応に特化した組織を作るのは初めて。教育現場でいじめが原因とみられる自殺が後を絶たない現状を重くみたもので、防止・根絶への取り組みを強めていきたい考えだ。
平野氏は22日、読売新聞の取材に対し、「平時から(いじめ問題に)アンテナを張り、迅速に動ける常設の組織を作りたい。文科省が先頭に立って問題解決に取り組む意識が必要だ」と述べた。
同日のNHKの番組では、大津市の男子生徒の自殺について、「背景にいじめがあると理解している。大変遺憾だ。警察が捜査に入ったことは重大な問題で、学校現場と教育委員会が全力で対処したのか、不安を感じた」と語った。
(2012年7月22日22時18分 読売新聞)
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省内に「いじめ対策支援チーム」…平野文科相
平野文部科学相は2012年7月22日、大津市で昨年10月に市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺した問題を受け、全国の学校や教育委員会に対し、いじめに関する専門的な指導・助言を行う新組織を8月中にも文科省内に設置する考えを表明した。
同省がいじめ問題の対応に特化した組織を作るのは初めて。教育現場でいじめが原因とみられる自殺が後を絶たない現状を重くみたもので、防止・根絶への取り組みを強めていきたい考えだ。
平野氏は22日、読売新聞の取材に対し、「平時から(いじめ問題に)アンテナを張り、迅速に動ける常設の組織を作りたい。文科省が先頭に立って問題解決に取り組む意識が必要だ」と述べた。
同日のNHKの番組では、大津市の男子生徒の自殺について、「背景にいじめがあると理解している。大変遺憾だ。警察が捜査に入ったことは重大な問題で、学校現場と教育委員会が全力で対処したのか、不安を感じた」と語った。
(2012年7月22日22時18分 読売新聞)
下記は「教えて goo」HPより転記。
ベストアンサーは法律運用のテクニカル面における悪用を考慮し、制定には否定的。
ただし、あくまでいじめは非倫理行為であり、原則的には悪であるという立場を堅持するなら、質問者の最終コメント「いじめ防止法」の成立----たとえ形骸的な法律でもいいじゃないか、ゼロよりはましだろ、という思いがあります。」
これはたいへん意義がある。
が、逆に言えば法曹のテクニカルな細道に入り込まない、大局からの政治判断の介入がなければ、現実的には立法は難しそうだと思う。現在の政治家、官僚・公務員などに大局観があり、骨があり、リスクを取れる人々が何人いるのか? いじめに関する市民運動は、最近の原発のそれのように盛り上がることはできるのか?いじめ防止に関しいろんな側面で前進があることを祈ります。たとえば、よりよく正しい家庭内教育も大いにいじめ防止に役立つわけですから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7596400.html
「いじめ防止法」を作ることは無理なのか?
1件質問者:HK1496 投稿日時:2012/07/17 22:44
こんばんわ。
例の大津市いじめ事件が連日ニュースとなっていますが、法律として「いじめ防止法」を成立していじめを行ったものは警察権力によって罰することは無理でしょうか?
大津市の事件も警察の強制捜査が入りましたが、「暴行」や「恐喝」など具体的な犯罪の有無を確定させなければならないから(被害者無き今)、立件には大きな壁があるだろうことは、素人でも推測できます。
だったら「いじめ」そのものを「犯罪」にはできないものでしょうか?例えば人の悪口を言ったら逮捕、冗談でも叩いたら逮捕、からかったりバカにしたら逮捕。いじめを受けた側が全て「いじめを受けた」と訴えたら犯罪として成立するようにする。
「バカなことを言うな」と言われるかもしれませんが、振り返ってみてください。DV防止法、ストーカー防止法、児童虐待防止法・・・かって「夫婦、恋人、家族間の問題」として介入できなかった「民事問題」のトラブルに警察が介入できる法律が今はきちんとできています。(まだまだ不十分な点は否めませんが)。「いじめ」も「子供たちの問題」「学校内で解決すべきこと」という不文律を守り続けてきたために、
今の事態を招いたのではないのでしょうか?
長文になりましたが「いじめ防止法」を成立させるためには何が必要でしょうか?また何が問題となるでしょうか?法律については全く素人なので、いろいろ教えていただけたら、と思います。
表示回答順に表示 ベストアンサーのみ表示
No.20ベストアンサー20pt
0件回答者:one12回答日時:2012/07/18 20:17
質問者様の心情は理解出来ますが
法律、国家権力が偏ると、今度はそれが弊害になります。
確かに、DV防止法、ストーカー防止法、児童虐待防止法で
第三者機関が介入できるようになりましたが、質問者様の仰るように
直ちに警察が介入できるものでありません。
直ちに逮捕できるようにすると、逆にこの権力を利用して、冤罪や
きにいらない人を陥れる事が容易になり、特定の集団に権力が集中して
しまいす。
確かに悪い奴は権力で有無も言わさず罰したいと思いますが
権力の暴走させてもいけません。
権力の暴走で言えば、戦中の特高警察です。政治犯の疑いがあれば
有無いわさず逮捕できた時代がありました。
また、法律ではありませんが、痴漢問題があります。
一昔前は、女性側の言い分が軽視されてましたが、あまりにも痴漢被害が
多い事で、痴漢を許さない風潮が生まれた事で警察や世間に心情的偏りがでて
申告した事案はそのまま信じられ、今度男性側に不利にふれてしまい、
冤罪が発生してます。
だから、法律は事実に基づいたジャッジをしなければいけないのですが
これが、なんですぐに裁けないかという世論とのギャップだと思います
この回答へのお礼皆様たくさんのご回答、本当にありがとうございます。
今回の大津の事件があまりにもひどい、そして問題の闇が根深い、と思い質問させていただきました。皆様おっしゃるとおり法律&警察による強制力の執行には様々な問題があることを思い知らされました。今更ながら勉強不足を恥じております。
一方で、それでも何かアクションを起こさねば、何かを変えなければ、という思いが強いのも本音です。私の私見ではそれは「いじめ防止法」の成立というアイデアだった、ということです。たとえ形骸的な法律でもいいじゃないか、ゼロよりはましだろ、という思いがあります。
少なくとも学校や教師や教育委員会や、行政や、あるいは綺麗ごとで「いじめ」はなくならない、ということははっきりしているのですから・・・。
ベストアンサーは法律運用のテクニカル面における悪用を考慮し、制定には否定的。
ただし、あくまでいじめは非倫理行為であり、原則的には悪であるという立場を堅持するなら、質問者の最終コメント「いじめ防止法」の成立----たとえ形骸的な法律でもいいじゃないか、ゼロよりはましだろ、という思いがあります。」
これはたいへん意義がある。
が、逆に言えば法曹のテクニカルな細道に入り込まない、大局からの政治判断の介入がなければ、現実的には立法は難しそうだと思う。現在の政治家、官僚・公務員などに大局観があり、骨があり、リスクを取れる人々が何人いるのか? いじめに関する市民運動は、最近の原発のそれのように盛り上がることはできるのか?いじめ防止に関しいろんな側面で前進があることを祈ります。たとえば、よりよく正しい家庭内教育も大いにいじめ防止に役立つわけですから。
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http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7596400.html
「いじめ防止法」を作ることは無理なのか?
1件質問者:HK1496 投稿日時:2012/07/17 22:44
こんばんわ。
例の大津市いじめ事件が連日ニュースとなっていますが、法律として「いじめ防止法」を成立していじめを行ったものは警察権力によって罰することは無理でしょうか?
大津市の事件も警察の強制捜査が入りましたが、「暴行」や「恐喝」など具体的な犯罪の有無を確定させなければならないから(被害者無き今)、立件には大きな壁があるだろうことは、素人でも推測できます。
だったら「いじめ」そのものを「犯罪」にはできないものでしょうか?例えば人の悪口を言ったら逮捕、冗談でも叩いたら逮捕、からかったりバカにしたら逮捕。いじめを受けた側が全て「いじめを受けた」と訴えたら犯罪として成立するようにする。
「バカなことを言うな」と言われるかもしれませんが、振り返ってみてください。DV防止法、ストーカー防止法、児童虐待防止法・・・かって「夫婦、恋人、家族間の問題」として介入できなかった「民事問題」のトラブルに警察が介入できる法律が今はきちんとできています。(まだまだ不十分な点は否めませんが)。「いじめ」も「子供たちの問題」「学校内で解決すべきこと」という不文律を守り続けてきたために、
今の事態を招いたのではないのでしょうか?
長文になりましたが「いじめ防止法」を成立させるためには何が必要でしょうか?また何が問題となるでしょうか?法律については全く素人なので、いろいろ教えていただけたら、と思います。
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No.20ベストアンサー20pt
0件回答者:one12回答日時:2012/07/18 20:17
質問者様の心情は理解出来ますが
法律、国家権力が偏ると、今度はそれが弊害になります。
確かに、DV防止法、ストーカー防止法、児童虐待防止法で
第三者機関が介入できるようになりましたが、質問者様の仰るように
直ちに警察が介入できるものでありません。
直ちに逮捕できるようにすると、逆にこの権力を利用して、冤罪や
きにいらない人を陥れる事が容易になり、特定の集団に権力が集中して
しまいす。
確かに悪い奴は権力で有無も言わさず罰したいと思いますが
権力の暴走させてもいけません。
権力の暴走で言えば、戦中の特高警察です。政治犯の疑いがあれば
有無いわさず逮捕できた時代がありました。
また、法律ではありませんが、痴漢問題があります。
一昔前は、女性側の言い分が軽視されてましたが、あまりにも痴漢被害が
多い事で、痴漢を許さない風潮が生まれた事で警察や世間に心情的偏りがでて
申告した事案はそのまま信じられ、今度男性側に不利にふれてしまい、
冤罪が発生してます。
だから、法律は事実に基づいたジャッジをしなければいけないのですが
これが、なんですぐに裁けないかという世論とのギャップだと思います
この回答へのお礼皆様たくさんのご回答、本当にありがとうございます。
今回の大津の事件があまりにもひどい、そして問題の闇が根深い、と思い質問させていただきました。皆様おっしゃるとおり法律&警察による強制力の執行には様々な問題があることを思い知らされました。今更ながら勉強不足を恥じております。
一方で、それでも何かアクションを起こさねば、何かを変えなければ、という思いが強いのも本音です。私の私見ではそれは「いじめ防止法」の成立というアイデアだった、ということです。たとえ形骸的な法律でもいいじゃないか、ゼロよりはましだろ、という思いがあります。
少なくとも学校や教師や教育委員会や、行政や、あるいは綺麗ごとで「いじめ」はなくならない、ということははっきりしているのですから・・・。
滋賀大津のいじめ自殺は、相当ひどい話で、この件に限らずいじめは憲法で保障される人権の侵害なので、国民の意思を反映させ、いじめ防止法・条例の類を政治家、公務員、法曹家などが作っていくのがしかるべきと思います。
しかし、社会のあまりにも多くの組織集団(会社、学校、役所、家庭等々)でいじめ・精神的虐待が横行している状態では、いじめが悪・罪という認識が薄く、大きな進展はないかもしれません。言い換えれば直接的・間接的加害者があまりにも多く、加害者として罰されるのは困る、という感覚が優先するということです。
今後もっといじめなどの悪化が進むなら、聖書の明確な規範に基づくことができる、キリスト者たちが行動を起こす必要に迫られるかもしれません。
下記のHPはカナダで始まったいじめ反対運動に関する情報で、キリスト教倫理が文化背景としてある欧米とそうでない日本などとの違いが以下括弧内のように簡略に説明してあります。要は欧米など他国でもいじめ的行為は多いが、それを規準から外れた非倫理的行為と明確に捉えていくかの違いです。この対照は、いわゆる不倫(婚姻外の性行為)に対する平均的日本人の見方と、欧米人のそれとの違いと類似しています。
「【なぜ欧米中心に広まっているのか?】
・欧米では、元々「いじめは加害者が悪い」が定着しています。
・当然、社会全体で加害者を罰して被害者を守るのが常識です。
・特に、アメリカでは45州でいじめ防止法制定されています。
・さらに、加害者矯正施設も存在するなど対策が進んでます。
・欧米は比較的安全に広まりやすい環境だったということです。 」
-------------------------------------------------------------
http://group.ameba.jp/group/bedEp6sp6k9C/
このグルっぽの説明
●「ピンクシャツデー(Pink Shirt Day)」を日本で広めましょう!
(※文責のため『中園直樹』の名前銘記でコピペも配布もOK!)
【ピンクシャツデー(Pink Shirt Day)とは?】
・2007年のカナダの学生2人から始まった運動です。
・その前年の2006年の日本では、いじめ自殺報道と自殺の連鎖。
・「10年程前にも同じことがあったのに」と絶望的な気持ちに……。
・2007年カナダでピンク服の9年生(中3)男子がいじめられます。
・12年生(高3)2人がその日の内に50枚のピンクシャツ等を購入。
・そしてメールや掲示板で友人知人等に呼びかけました。
・翌朝、2人は50着を呼びかけた人に配って着てもらいます。
・それ以上の学生が賛同学校がピンクに染まりいじめが消えます。
・誰もが陥るジレンマ「直接止めたら自分がいじめられる」もクリア。
・「直接何もせず、多数の意思表明」ですべてを解決したのです。
・以降毎年2月最終水曜は学校職場にピンクで登校出社と定着。
・世界中に賛同者続出2010年で75ヵ国参加と世界へ広まります。
・英語圏の人々は人類共通のこの問題のため立ち上がってます。
【なぜ欧米中心に広まっているのか?】
・欧米では、元々「いじめは加害者が悪い」が定着しています。
・当然、社会全体で加害者を罰して被害者を守るのが常識です。
・特に、アメリカでは45州でいじめ防止法制定されています。
・さらに、加害者矯正施設も存在するなど対策が進んでます。
・欧米は比較的安全に広まりやすい環境だったということです。
【いじめは加害者と被害者どっちが悪い?】
・そもそも「いじめ」とは、下記様々な犯罪の継続状態のことです。
「中傷、脅迫、暴行、恐喝、洗脳、強姦、軟禁、監禁、殺人未遂etc」
・当然、悪いのは上記犯罪を際限なく繰り返す加害者の方です。
【日本でもピンクシャツデーを広めましょう!】
・日本では「いじめ」について2つの迷信が根強く信じられてます。
「いじめは日本のみ」→欧米の対策も反対運動も知られません。
「いじめは被害者が悪い」→社会が加害者を守り被害者を責める。
・上記迷信から抜け出し、「命」を守るためにも日本に広めましょう。
【日本に広める場合の注意点】
・少数では、被害に遭い自殺に追い込まれる危険性があります。
・ほぼ毎年、いじめを苦にした子供達の自殺が報じられています。
・大人のでも「生活」のために職場を変えられない場合があります。
・精神障害の末に辞職や自殺に追いつめられてしまう方がいます。
・しかし、「生活」や「学歴」などより「命」の方が大切です。
・最悪「命」さえあれば人生どこからでもやりなおせます。
・広める際には、決して無理をせず自分の「命」を守れる範囲で。
・学生の場合は生徒会や信頼できる先生に相談した上で。
・大人の場合は転職後など。
・自分の身を守れる方、仲間の多い方々はどんどん広めましょう。
・被害者や危険性のある方々が参加しても大丈夫な状況を。
・加害者もいじめることをやめ参加したくなるお洒落な運動に。
・社会の恒例行事など誰がピンクを身に付けても自然な状況を。
・誰の命も危機でなくなった後全員参加を呼びかけましょう。
【知ったきっかけ】
・カナダ留学した読者さんから2011年2月に教えてもらいました。
・私の誕生月2月に人生最高の誕生日プレゼントをもらえました!
・私は今後毎年ピンクシャツデーに参加、広めることを誓います!
・若者に毎年恒例の「お洒落なイベント」として定着するはずです!
・今の私は、歓喜と共に「希望はある!」と叫びたい気持ちです!
【2013年のピンクシャツデー(2月最終水曜)は?】
●2013年02月27日(水)です!
・日本ピンクシャツデー元年、2012年以上に盛り上げましょう!
○2012年のピンクシャツデーには「ピンクシャツデー朗読会」開催。
・京大藤重悟教授、漫画家山本航暉、武富健治様メッセージ紹介。
・ゲストに日本語ビラの元絵を描いてくれた中学生母娘を招待。
・申し込みより多数の参加にて、狭い会場が満員御礼の大成功。
・1年の間に、ラジオ×2、活字×11、ネットで多数紹介。
※2011年までは日本ではほとんど知られてませんでした。
■【先生方や保護者への注意事項(10年以上の被害体験等より)】
・悪質ないじめは「加害者」が「心から反省しても!」再発する。
―薬物中毒と同じで、加害者は自分で自分を止められない―
・再発すると、ショックが大きく自殺に結びつきやすい。
―安心して緊張感が緩んでいるため、耐性が落ちてしまう―
・再発後は、より悪質に陰湿になり、先生方に発見不可となる。
―私の場合のようにクラスメートですら知らない場合もある―
・欧米では大人が被害者を保護し加害者を罰する。
―特にアメリカは45州でいじめ防止法制定済―
・社会全体で加害者を保護し被害者を責める国は日本ぐらい。
・運動と共に世界の常識も広まる可能性に大きな希望を感じる。
・定着後も「お前は着てくるな!」といじめられる危険性にも留意。
・他詳細な注意点は、私の出版済の著作(小説・詩集等)を参照。
・最低限必要な情報は私のHPの出版済小説のパイロット版を。
●カナダのピンクシャツデー普及の最大手団体(BGC)のサイト
URL: http://www.pinkshirtday.ca/ (翻訳ボタンは日本語が変 )
※BGC以外にも、様々な団体が自由にピンクシャツデーを開催!
【中学生の描いてくれたPSD&いじめ防止ポスター】
・中学生読者が描いたPSDがモチーフのいじめ防止ポスターです。
URL: http://nakazono.nanzo.net/chugaku.htm
【ピンクシャツデーの日本語1枚ビラ】
・上記、中学生のポスターを背景に作成したPSD日本語ビラです。
URL: http://nakazono.nanzo.net/psdchuugakusei.htm
【ピンクシャツデーの日本語コミュニティー】
・アメブログルっぽ:ピンクシャツデーを日本に広めよう!
・mixiコミュニティー:「ピンクシャツデー」を日本に!
・@ゲームズサークル:日本に「ピンクシャツデー」を広めよう!
●ピンクシャツデーについて書かれた日本語記事。
○インターネット新聞:『バンクーバー経済新聞』
・2008年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/176/
・2009年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/491/
・2010年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/931/
・2011年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1183/
・2012年記事(1)URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1417/
・2012年記事(2)URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1440/
・2012年記事(3)URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1443/
○インターネット新聞『自由が丘経済新聞』
・2012年記事URL: http://jiyugaoka.keizai.biz/headline/861/
○『ヤフーニュース』2012年2月27日(月)19時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120227-00000058-minkei-l13
※mixiチェックやフェイスブックの「いいね!」なども是非!
○活字の新聞『しんぶん赤旗』(スキャン画像)
・2011年11月18日「今月の詩」欄、詩『ぼくらの旗を』&PSD解説
URL: http://nakazono.nanzo.net/kongetsunoshi.htm
・2012年1月23日『日本でもピンクシャツデーを』
URL: http://nakazono.nanzo.net/nihondemopsdwo.htm
(※ピンクシャツデーは特定の思想宗教には属しません。念の為)
○「ブックスキャン」公式HP:
中園直樹インタビュー記事 2012年07月01日(日)配信
URL: http://www.bookscan.co.jp/interview.php?iid=009
(本来書籍に対する取材のため、プロフィール&内容で一部紹介。
同ページに田原総一朗氏など超著名人インタビュー記事も掲載)
【ピンクシャツデーについて日本語で記載された書籍(雑誌)など】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
【ピンクシャツデーを日本語で紹介ラジオ、動画etc】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
【ピンクシャツデー賛同著名人】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
【ピンクシャツデーを広めるための活動履歴など】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
――2011年4月24日 中園直樹・著(2月26日より活動開始)――
「ぼくだけじゃない、
世界中に仲間がいる!
世界中が立ち上がってる!」
【注】誤情報があった場合文責通り全て「中園直樹の責任」です。
このページをコピペ配布等した方には一切責任はありません。
しかし、社会のあまりにも多くの組織集団(会社、学校、役所、家庭等々)でいじめ・精神的虐待が横行している状態では、いじめが悪・罪という認識が薄く、大きな進展はないかもしれません。言い換えれば直接的・間接的加害者があまりにも多く、加害者として罰されるのは困る、という感覚が優先するということです。
今後もっといじめなどの悪化が進むなら、聖書の明確な規範に基づくことができる、キリスト者たちが行動を起こす必要に迫られるかもしれません。
下記のHPはカナダで始まったいじめ反対運動に関する情報で、キリスト教倫理が文化背景としてある欧米とそうでない日本などとの違いが以下括弧内のように簡略に説明してあります。要は欧米など他国でもいじめ的行為は多いが、それを規準から外れた非倫理的行為と明確に捉えていくかの違いです。この対照は、いわゆる不倫(婚姻外の性行為)に対する平均的日本人の見方と、欧米人のそれとの違いと類似しています。
「【なぜ欧米中心に広まっているのか?】
・欧米では、元々「いじめは加害者が悪い」が定着しています。
・当然、社会全体で加害者を罰して被害者を守るのが常識です。
・特に、アメリカでは45州でいじめ防止法制定されています。
・さらに、加害者矯正施設も存在するなど対策が進んでます。
・欧米は比較的安全に広まりやすい環境だったということです。 」
-------------------------------------------------------------
http://group.ameba.jp/group/bedEp6sp6k9C/
このグルっぽの説明
●「ピンクシャツデー(Pink Shirt Day)」を日本で広めましょう!
(※文責のため『中園直樹』の名前銘記でコピペも配布もOK!)
【ピンクシャツデー(Pink Shirt Day)とは?】
・2007年のカナダの学生2人から始まった運動です。
・その前年の2006年の日本では、いじめ自殺報道と自殺の連鎖。
・「10年程前にも同じことがあったのに」と絶望的な気持ちに……。
・2007年カナダでピンク服の9年生(中3)男子がいじめられます。
・12年生(高3)2人がその日の内に50枚のピンクシャツ等を購入。
・そしてメールや掲示板で友人知人等に呼びかけました。
・翌朝、2人は50着を呼びかけた人に配って着てもらいます。
・それ以上の学生が賛同学校がピンクに染まりいじめが消えます。
・誰もが陥るジレンマ「直接止めたら自分がいじめられる」もクリア。
・「直接何もせず、多数の意思表明」ですべてを解決したのです。
・以降毎年2月最終水曜は学校職場にピンクで登校出社と定着。
・世界中に賛同者続出2010年で75ヵ国参加と世界へ広まります。
・英語圏の人々は人類共通のこの問題のため立ち上がってます。
【なぜ欧米中心に広まっているのか?】
・欧米では、元々「いじめは加害者が悪い」が定着しています。
・当然、社会全体で加害者を罰して被害者を守るのが常識です。
・特に、アメリカでは45州でいじめ防止法制定されています。
・さらに、加害者矯正施設も存在するなど対策が進んでます。
・欧米は比較的安全に広まりやすい環境だったということです。
【いじめは加害者と被害者どっちが悪い?】
・そもそも「いじめ」とは、下記様々な犯罪の継続状態のことです。
「中傷、脅迫、暴行、恐喝、洗脳、強姦、軟禁、監禁、殺人未遂etc」
・当然、悪いのは上記犯罪を際限なく繰り返す加害者の方です。
【日本でもピンクシャツデーを広めましょう!】
・日本では「いじめ」について2つの迷信が根強く信じられてます。
「いじめは日本のみ」→欧米の対策も反対運動も知られません。
「いじめは被害者が悪い」→社会が加害者を守り被害者を責める。
・上記迷信から抜け出し、「命」を守るためにも日本に広めましょう。
【日本に広める場合の注意点】
・少数では、被害に遭い自殺に追い込まれる危険性があります。
・ほぼ毎年、いじめを苦にした子供達の自殺が報じられています。
・大人のでも「生活」のために職場を変えられない場合があります。
・精神障害の末に辞職や自殺に追いつめられてしまう方がいます。
・しかし、「生活」や「学歴」などより「命」の方が大切です。
・最悪「命」さえあれば人生どこからでもやりなおせます。
・広める際には、決して無理をせず自分の「命」を守れる範囲で。
・学生の場合は生徒会や信頼できる先生に相談した上で。
・大人の場合は転職後など。
・自分の身を守れる方、仲間の多い方々はどんどん広めましょう。
・被害者や危険性のある方々が参加しても大丈夫な状況を。
・加害者もいじめることをやめ参加したくなるお洒落な運動に。
・社会の恒例行事など誰がピンクを身に付けても自然な状況を。
・誰の命も危機でなくなった後全員参加を呼びかけましょう。
【知ったきっかけ】
・カナダ留学した読者さんから2011年2月に教えてもらいました。
・私の誕生月2月に人生最高の誕生日プレゼントをもらえました!
・私は今後毎年ピンクシャツデーに参加、広めることを誓います!
・若者に毎年恒例の「お洒落なイベント」として定着するはずです!
・今の私は、歓喜と共に「希望はある!」と叫びたい気持ちです!
【2013年のピンクシャツデー(2月最終水曜)は?】
●2013年02月27日(水)です!
・日本ピンクシャツデー元年、2012年以上に盛り上げましょう!
○2012年のピンクシャツデーには「ピンクシャツデー朗読会」開催。
・京大藤重悟教授、漫画家山本航暉、武富健治様メッセージ紹介。
・ゲストに日本語ビラの元絵を描いてくれた中学生母娘を招待。
・申し込みより多数の参加にて、狭い会場が満員御礼の大成功。
・1年の間に、ラジオ×2、活字×11、ネットで多数紹介。
※2011年までは日本ではほとんど知られてませんでした。
■【先生方や保護者への注意事項(10年以上の被害体験等より)】
・悪質ないじめは「加害者」が「心から反省しても!」再発する。
―薬物中毒と同じで、加害者は自分で自分を止められない―
・再発すると、ショックが大きく自殺に結びつきやすい。
―安心して緊張感が緩んでいるため、耐性が落ちてしまう―
・再発後は、より悪質に陰湿になり、先生方に発見不可となる。
―私の場合のようにクラスメートですら知らない場合もある―
・欧米では大人が被害者を保護し加害者を罰する。
―特にアメリカは45州でいじめ防止法制定済―
・社会全体で加害者を保護し被害者を責める国は日本ぐらい。
・運動と共に世界の常識も広まる可能性に大きな希望を感じる。
・定着後も「お前は着てくるな!」といじめられる危険性にも留意。
・他詳細な注意点は、私の出版済の著作(小説・詩集等)を参照。
・最低限必要な情報は私のHPの出版済小説のパイロット版を。
●カナダのピンクシャツデー普及の最大手団体(BGC)のサイト
URL: http://www.pinkshirtday.ca/ (翻訳ボタンは日本語が変 )
※BGC以外にも、様々な団体が自由にピンクシャツデーを開催!
【中学生の描いてくれたPSD&いじめ防止ポスター】
・中学生読者が描いたPSDがモチーフのいじめ防止ポスターです。
URL: http://nakazono.nanzo.net/chugaku.htm
【ピンクシャツデーの日本語1枚ビラ】
・上記、中学生のポスターを背景に作成したPSD日本語ビラです。
URL: http://nakazono.nanzo.net/psdchuugakusei.htm
【ピンクシャツデーの日本語コミュニティー】
・アメブログルっぽ:ピンクシャツデーを日本に広めよう!
・mixiコミュニティー:「ピンクシャツデー」を日本に!
・@ゲームズサークル:日本に「ピンクシャツデー」を広めよう!
●ピンクシャツデーについて書かれた日本語記事。
○インターネット新聞:『バンクーバー経済新聞』
・2008年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/176/
・2009年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/491/
・2010年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/931/
・2011年記事URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1183/
・2012年記事(1)URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1417/
・2012年記事(2)URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1440/
・2012年記事(3)URL: http://vancouver.keizai.biz/headline/1443/
○インターネット新聞『自由が丘経済新聞』
・2012年記事URL: http://jiyugaoka.keizai.biz/headline/861/
○『ヤフーニュース』2012年2月27日(月)19時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120227-00000058-minkei-l13
※mixiチェックやフェイスブックの「いいね!」なども是非!
○活字の新聞『しんぶん赤旗』(スキャン画像)
・2011年11月18日「今月の詩」欄、詩『ぼくらの旗を』&PSD解説
URL: http://nakazono.nanzo.net/kongetsunoshi.htm
・2012年1月23日『日本でもピンクシャツデーを』
URL: http://nakazono.nanzo.net/nihondemopsdwo.htm
(※ピンクシャツデーは特定の思想宗教には属しません。念の為)
○「ブックスキャン」公式HP:
中園直樹インタビュー記事 2012年07月01日(日)配信
URL: http://www.bookscan.co.jp/interview.php?iid=009
(本来書籍に対する取材のため、プロフィール&内容で一部紹介。
同ページに田原総一朗氏など超著名人インタビュー記事も掲載)
【ピンクシャツデーについて日本語で記載された書籍(雑誌)など】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
【ピンクシャツデーを日本語で紹介ラジオ、動画etc】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
【ピンクシャツデー賛同著名人】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
【ピンクシャツデーを広めるための活動履歴など】
※トピックを立てていますので、そちらへどうぞ♪
――2011年4月24日 中園直樹・著(2月26日より活動開始)――
「ぼくだけじゃない、
世界中に仲間がいる!
世界中が立ち上がってる!」
【注】誤情報があった場合文責通り全て「中園直樹の責任」です。
このページをコピペ配布等した方には一切責任はありません。
大変お久しぶりです。皆様お元気でしょうか。主の変わらぬ恵みを感謝します。
今後も続けるかはまだわかりませんが、最近FACE BOOKをはじめました。
これをはじめた大きな理由は、半年くらい前からメキシコの当地で始まった、いわば日本語クラブでした。長女の友人を中心に主に高校生、大学生など十数人が集まって日本語を勉強しています。妻と私が教えています。
日本語の教育内容の柱としては、以下のとおり。
1)ひらがな・かたかな・漢字のマスター(漢字は中国語も参照しながら-改めて漢字、ひらがな、かたかなという日本語文字は圧倒的に中国語の影響下にあったことも思い知らされます。数字の発音も中国語と日本語が共通なのに、韓国語はまったく別な発音です。古代日本が中国から初歩的なものから、学問や技術の導入を広範囲に行っていたことが想像できます)
2)文法および語彙の理解・集積、会話練習
3)作文、日本語スピーチ(日本語弁論大会はメキシコシティーとモンテレーで毎年一回開催されている)
ただ私の興味の中心は日本とメキシコの発展的交流史および今後の進展にあります。そのことに益するために語学だけでなく広い意味の日本文化も教えています。
教えている内容のバックボーンは、日本文化の世界に対する現実的寄与の可能性です。それにおける重点は以下の項目を想定しています。
1)テクノロジー(システム・仕組み・機械などの包括的なもの、狭義のモノづくりにとどまらない)
2)生活モラル(勤勉・正直・清潔・「武士道的」倫理など)
3)諸国民を愛し、彼らに仕えること 。
FACE BOOKの具体的な内容は、YOU TUBEの日本関連のビデオを貼り付け、コメントを加える簡単なものですが、その編集をしながらもいろいろな関連の発見がありました。
たとえば、第2次大戦時の日本の戦争協力映画のひとつ「隼」戦闘機の映画の技術監督は円谷英二で、後にウルトラマンを製作したとか、三菱自動車もスバルも前身は戦闘機製造だったとか。
放射能汚染された地球を救った宇宙戦艦ヤマトのリメークが今年できるといいますが、現代日本の放射能汚染を含む問題は誰がどのように解決できるのか?
元の戦艦大和は沖縄防衛のための航海中に多数の米軍機により撃沈され、技術力の高さと比べた日本の客観的戦略構想や現実的判断力・交渉力などの不足を明白に現した。1974年に最初にテレビ放映された、アニメの宇宙戦艦ヤマトは、心理的にはその敗北・挫折感を覆うような効果があったが、その後の現実の日本は元の戦艦大和のような敗北の路をたどっていないだろうか?
原子爆弾からかろうじて直撃を免れた広島のマツダが不可能といわれたロータリーエンジンを実用化し、ル・マン24時間レースにも優勝し、来年にはメキシコ工場を立ち上げるなど、第2次大戦中や戦後復興における活動を梃子にして多くの日本人や日本企業はここまで来たということ。
しかし、社会の多くの領域での腐敗堕落の横行・公正原則の喪失を背景に全体としては下降傾向にある日本。
第2次大戦終戦を起点にしての発想・行動形態が行き詰っている今、もっとさかのぼってキリシタンの活躍およびその後の弾圧・禁教および鎖国を起点として今までの日本歴史ともっと違った軌跡を描けないか、いわばNUEVO JAPON(スペイン語で新しい日本)像が与えられないか?などなど思っています。
今後も続けるかはまだわかりませんが、最近FACE BOOKをはじめました。
これをはじめた大きな理由は、半年くらい前からメキシコの当地で始まった、いわば日本語クラブでした。長女の友人を中心に主に高校生、大学生など十数人が集まって日本語を勉強しています。妻と私が教えています。
日本語の教育内容の柱としては、以下のとおり。
1)ひらがな・かたかな・漢字のマスター(漢字は中国語も参照しながら-改めて漢字、ひらがな、かたかなという日本語文字は圧倒的に中国語の影響下にあったことも思い知らされます。数字の発音も中国語と日本語が共通なのに、韓国語はまったく別な発音です。古代日本が中国から初歩的なものから、学問や技術の導入を広範囲に行っていたことが想像できます)
2)文法および語彙の理解・集積、会話練習
3)作文、日本語スピーチ(日本語弁論大会はメキシコシティーとモンテレーで毎年一回開催されている)
ただ私の興味の中心は日本とメキシコの発展的交流史および今後の進展にあります。そのことに益するために語学だけでなく広い意味の日本文化も教えています。
教えている内容のバックボーンは、日本文化の世界に対する現実的寄与の可能性です。それにおける重点は以下の項目を想定しています。
1)テクノロジー(システム・仕組み・機械などの包括的なもの、狭義のモノづくりにとどまらない)
2)生活モラル(勤勉・正直・清潔・「武士道的」倫理など)
3)諸国民を愛し、彼らに仕えること 。
FACE BOOKの具体的な内容は、YOU TUBEの日本関連のビデオを貼り付け、コメントを加える簡単なものですが、その編集をしながらもいろいろな関連の発見がありました。
たとえば、第2次大戦時の日本の戦争協力映画のひとつ「隼」戦闘機の映画の技術監督は円谷英二で、後にウルトラマンを製作したとか、三菱自動車もスバルも前身は戦闘機製造だったとか。
放射能汚染された地球を救った宇宙戦艦ヤマトのリメークが今年できるといいますが、現代日本の放射能汚染を含む問題は誰がどのように解決できるのか?
元の戦艦大和は沖縄防衛のための航海中に多数の米軍機により撃沈され、技術力の高さと比べた日本の客観的戦略構想や現実的判断力・交渉力などの不足を明白に現した。1974年に最初にテレビ放映された、アニメの宇宙戦艦ヤマトは、心理的にはその敗北・挫折感を覆うような効果があったが、その後の現実の日本は元の戦艦大和のような敗北の路をたどっていないだろうか?
原子爆弾からかろうじて直撃を免れた広島のマツダが不可能といわれたロータリーエンジンを実用化し、ル・マン24時間レースにも優勝し、来年にはメキシコ工場を立ち上げるなど、第2次大戦中や戦後復興における活動を梃子にして多くの日本人や日本企業はここまで来たということ。
しかし、社会の多くの領域での腐敗堕落の横行・公正原則の喪失を背景に全体としては下降傾向にある日本。
第2次大戦終戦を起点にしての発想・行動形態が行き詰っている今、もっとさかのぼってキリシタンの活躍およびその後の弾圧・禁教および鎖国を起点として今までの日本歴史ともっと違った軌跡を描けないか、いわばNUEVO JAPON(スペイン語で新しい日本)像が与えられないか?などなど思っています。
(1)16、17世紀の両国交流史のキリスト教を軸とする出来事(主にインターネット情報から抜粋)
1A)サン=フェリペ号事件(サン=フェリペごうじけん)は、1596年10月に起こった日本の土佐国でのスペイン船の漂着事件。豊臣秀吉の唯一のキリスト教徒への直接的迫害(日本二十六聖人殉教)のきっかけとなったとされる。
以下引用符内筆者コメント「一説によれば、秀吉の命により積荷を没収された腹いせに、スペイン人船員あるいは航海長のデ・オランディアが、『スペインは領土征服の第一歩として宣教師を送り込む』と言ったことが秀吉を激怒させたからといわれる-この下りは、キリシタン弾圧および鎖国の直接原因のように捉えられる場合もあるが、現在事実を検証するならば、杞憂に近かったといえよう。
なぜなら、メキシコ、ペルー、フィリピンなどをはじめとするスペイン植民地は軍事的征服の後にカトリック化されているし、中国などはカトリック宣教はされたものの、スペインの軍事的征服にはいたっていない。キリシタン大名を糾合して親スペイン・親カトリックの政権が日本にできていた可能性もあるが、それでもスペインに主権を奪われるところまでは行かなかったのではないか。
とはいえ、1494年にローマ教皇アレクサンドル6世が定めたトルデシリャス条約では、ブラジルの境界線に相当する大西洋上に西経46度の子午線の東をポルトガル、西をスペインの領土としたことが典型例で、スペイン、ポルトガルの政治・軍事権力とカトリック宗教勢力は密接に絡み合っていた。よって、世俗権力を超越した永遠の神の支配に基置く本来のキリスト教の精神(それは、米国で本格的に確立したような政教分離原則に親和性を持つが、国教化し世俗支配権力を無理に獲得したがるものでは断じてない)を知り難かった日本の支配者たちが、政治・軍事権力とカトリック宗教勢力を一体のように捉えたのは無理ない。
ただし、以下に何例か述べていく世界史的にもローマ帝国のクリスチャン迫害に匹敵するような日本のキリシタン迫害は(本文では残虐的事実の詳述はあえてしていません)悪魔的影響の強い非道行為であり、ある意味で、日本のいまだ赦されざる原罪とも言えよう。」
1B)日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)とは慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。
2)ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ(Rodrigo de Vivero y Velasco、1564年 - 1636年)
フィリピン臨時総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し貿易量の制限と暴徒の処罰を要求、徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた際会見し家康に友好的な書簡を送り、ヌエバ・エスパーニャと日本との交流が始まる。
1609年次期総督と交代のため召還命令を受け、戦艦3隻の艦隊でマニラからアカプルコへ向けての航海中台風に遭い、ロドリゴの乗った旗艦「サン・フランシスコ号」は難破、9月30日に 上総国岩和田村(現御宿町)田尻の浜に漂着、地元民に救助される。なお僚艦の「サンタ・アナ号」も、9月12日豊後の臼杵中津浦に緊急入港し]、もう一隻の「サン・アントニオ号」のみヌエバ・エスパーニャへの航海を続けた。
地元民に救助されたロドリゴ一行は、時の大多喜藩主本多忠朝の歓待を受け、大多喜城から江戸城に立ち寄り、駿府城で家康と会見するなど日本滞在の後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船(日本名:安針丸)の提供を受け、「サン・ブエナ・ベントゥーラ号」と命名、1610年8月1日に日本を出発し、同年11月13日アカプルコに帰還した。この日本滞在中の見聞録は『ドン・ロドリゴ日本見聞録』として今に残されている。
3)支倉 常長(はせくら つねなが、1571年 - 1622年8月7日)
伊達政宗の命を受け、支倉常長はエスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)を正使に自分は副使となり、遣欧使節として通商交渉を目的に180人余を引き連れスペインを経てローマに赴くことになった。石巻で建造したガレオン船サン・フアン・バウティスタ号で慶長18年9月15日(1613年10月28日)に月ノ浦を出帆し、元和6年8月24日(1620年9月20日)、帰国した。(往路、復路とも太平洋を横断し、メキシコを通っている、一行の中の日本人の中にはメキシコに残った者もいたようである)
4)キリシタン史 江戸初期の大迫害
家康は、キリスト教布教を黙認してはいたものの、貿易の相手国には宣教師の日本入国禁止を通達していた。家康がキリシタン教界に便宜を図っていた理由はただ一つ、通商貿易のためだけであった。
何かきっかけがあれば、大規模な禁教令が施行されるであろう事は大いにありえた。キリシタン教界は順調に教勢を伸ばし、1613年にはついに蝦夷の地まで布教の手が伸びる。禁教令直前の頃にはキリシタンは37万人ほどいたと概算されている。
ここで1610年デウス号事件と呼ばれる出来事が起こる。
キリシタン大名有馬晴信が、マカオで家臣を殺された事の報復にポルトガル商船ノッサ・セニョーラ・デ・デウス号を焼沈させたのだ。
またこの頃オランダ商船が初来着し、宣教師を介さない貿易への幕府の期待感も生まれることとなった。
1612年、岡本大八事件が起こる。岡本大八はキリシタンであり、主君の幕臣・本多正純を通じて、キリシタン教界に便宜を与えてきた。
この岡本大八と有馬晴信との間に所領問題による贈収賄事件が起こる。幕藩封建体制の根幹たる所領問題で、このような行為が行われ、またその当事者が二人ともキリシタンであったことで、家康は禁教令施行を決意したのであろう。
禁教令施行を決意した家康は、まず駿府の家臣団を検問し、キリシタンである者を検挙。信仰を捨てなかったので、改易処分とした。
ここで天領である京都・江戸・駿府に禁教令を布告。キリシタン寺院の破壊を命じ、布教を禁じたのである。この禁教令によって江戸・京都の教会の破壊が行われ、武士のみならず一般庶民もキリスト教信仰が禁止された。
1612年4月~5月前述の改易されたキリシタン武士の抱え置きを禁止する旨を、全国の大名、畿内の社寺、京都・長崎のキリシタン教界に通達された。同年の9月には、関東の幕領に対し、キリシタン禁制を含む禁令五箇条が発令される。
またこの頃、徳川幕府の幕藩体制の体制固めは大詰めを迎えつつあった。そのために反幕勢力の豊臣氏打倒が急がれていたのである。
関ヶ原の戦いの後、改易された多数のキリシタン武士達が、キリシタンに好意的な大坂方に仕官していること、キリシタンの大旦那・高山右近が加賀前田氏の元で重職を担いつつあったことが、家康の注目するところであった。キリシタン勢力と大坂・豊臣氏とが結びつくことを恐れていたのである。
ここに1614年1月(慶長十八年十二月)、臨済宗の僧、金地院崇伝(こんちいんすうでん)起草による「伴天連追放文」が日本国中の人間が知るべき掟として公布された。いわゆる慶長の禁教令である。
幕府はキリシタンへの弾圧を強化する一方、段々鎖国体制を固めていく。日本人の海外渡航・出入国禁止、海外船の入港制限、外国人の日本国内移動禁止、混血児追放、などが段階的に押し進められていった。
1639年のポルトガル船来航全面禁止で鎖国体制は完成する。この事態を打破しようとやって来たポルトガルの使者船に対し、乗組員を処刑、船を焼却したことから、その体制の厳しさがわかる。
1614年の禁教令から1644年までの30年間で、密入国しようとした宣教師は百名以上にのぼった。彼らは、キリシタン禁制がゆるく、流刑にあったキリシタンも多くいた東北地方などで布教を行っていた。1629年までにフランシスコ会は東北で26,000人の信者を獲得した、と自認しているし、1626年までにイエズス会も20,000人以上の受洗者を獲得している。
4)島原の乱
1637年、有馬村のキリシタンの庄屋三吉が転び者を立ち返らそうとしたため、代官に捕らえられそうになる。すると農民たちは蜂起し、代官を殺し、島原城を落城寸前まで追い込んだ。
一揆は領内全域に広がり、天草の庄屋たちも一揆勢に呼応。大乱となった。総大将に小西行長の旧臣益田甚兵衛の子四郎時貞が担ぎ出された。
(2)21世紀における日本メキシコ交流・社会発展の前提的考察(以下筆者の記述)
1)榎本殖民およびその後の自由移民の再評価
-キリスト者M氏の活動
約1年前に、ブログを通じて知り合えた日本在住の方ですが、すでに榎本殖民の照井亮次郎(花巻)や太田連二(仙台)らの故郷および、榎本殖民の実質的解散後の自由移民の重要な一人の布施常松の滋賀県の生家、などに現地取材に行かれています。
M氏は滋賀県の彦根出身で(私の母も彦根出身-海外移民がどちらかといえば多いのか、私が小さいころカナダ移民から彦根に戻ってきた人の話を聞いたことがある)そして、チアパスに移民したキリスト者の布施常松も同じく滋賀出身で、これも何かの符合かもしれないと感じています。
この方の活動の端緒としては、メキシコシティー在住のキリスト者K氏の活動があります。チアパスの日本人移民と縁が深く、歴史的事実の発掘をされていて、初期の日本人移民が従来の一般的情報よりずっと深くキリスト教にかかわっていたことが明らかになりつつあります。また、現在の日本人移民子孫の方々との新しい活動にも関連がある方ですが、詳しくはまたの機会におしらせできればと思います。
私は約20年前にチアパスの榎本殖民の故地を訪れ、日本人の子孫の方々のお話などを聞いたにもかかわらず、松田英二の布施常松の評伝以外のことに興味は継続していませんでした。しかし、いろいろな方々が現在になりメキシコの日本人移民史や今後の新展開へ関られていることを知り、私の中でもそのことへの再評価が始まっています。
2)16、17世紀の両国交流史の私的検討点
これからのメキシコ・日本関係およびに日本人移民などについて私が思うことのひとつは、バックグランドとしての約400年前の出来事を主にキリスト教的観点から再認識しておきたいということです。概略は以下のとおり。
-長崎26聖人殉教(最近はカトリック公認の名称として日本26聖人殉教と呼ぶようです)の 殉教者の一人がメキシコ人、フェリペ・デ・ヘススでした。(24歳で死去。京都で捕縛された。フランシスコ会修道士)この出来事は1597年。
クエルナバカのカトリック教会堂(CATEDRAL)の壁画にその出来事が描かれていますが、支倉常長一行がメキシコを通る前に描かれたのでしょうか?(要確認)そうだったらきっと彼らはその壁画を見せられていたに違いない。
(以下は想像に想像を加えているが)常長は本心からキリスト者になった可能性がかなりあると思われるが、その回心にその壁画はある程度影響したのではないか。私がその壁画を最初に見たときも相当のインパクトがあった。「Taiko samaが彼らを殺すように命じた」というような字も書かれていることもあり。
-2009年が千葉の大名本多氏が難破したメキシコ人でフィリピン総督だったロドリゴ・デ・ビベロらを助けたのにちなんだ日墨交流400周年だったが、長崎26聖人殉教は時の最高権力者秀吉の命令だったから本当の日墨交流、しかも日本人支配者からは憎悪と、殉教者の側からは赦しの愛に縁取られた交流は、その12年ほど前に始まったはず。
現在の外交的配慮からもあり、400周年記念のイベントにおいては、日本側の無私の親切心が強調されている。確かに、千葉外房の漁民・海女などが見たこともない白人の男たちを献身的に助けたことはそのとおりなのだが、徳川幕府が難破者たちを受け入れ歓待したのは(鎖国後の外国人に対するひどい仕打ちとはかけ離れた)親切心よりは政治的な計算だったというべきだろう。
なぜなら、以下のように幕府はロドリゴ・デ・ビベロに以下のようないわば借りがあったからである。
「彼がフィリピン臨時総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し貿易量の制限と暴徒の処罰を要求、徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた際会見し家康に友好的な書簡を送り、ヌエバ・エスパーニャと日本との交流が始まる。」
そして1年後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船(日本名:安針丸)の提供を受けメキシコに戻ることができたのも同じ背景によるわけで、ロドリゴ・デ・ビベロの救助の美談は、長崎26聖人殉教という虐殺と、その後の鎖国によるキリシタンや外国人に対する(ひとことで要約すると)大量虐殺の狭間の、歴史の偶然による幸運だったと皮肉に言うことさえできよう。
-現在の日墨交流の一側面である日系企業の日本人とメキシコ人(一般的にはかなり悪い)関係を見るだけでも、長崎26聖人殉教を基点とし、日本人の悔い改めの思い・赦し・和解に至る道をたどるほうが最終的には両国民友好に利するのではないか。逆に最近もてはやされた ロドリゴ・デ・ビベロの救助美談を基点とするならば、現在でも日本人とメキシコ人は互いに善意に満ちてうまくやっていけるはず、といった幻想を現実が繰り返し裏切っていくという帰結になりはしないだろうか。
-約400年前は日本のキリシタン人口はスペインやポルトガルからの宣教師の働きにより5%以上くらいはあったのが(一般的見解、評定者により幅はあるでしょうが。)江戸時代にはほぼ0%になってしまう。
それに対し、メキシコはスペインからの宣教師の働きにより今もカトリック人口90%くらいを維持している。
始点は似ていたのに終点は表面的には対照的になっているが、正統的なキリストの救いの観点からすると両国とも霊的実質的には呻き苦しんでいる面にある程度共通点があるのではないか。
メキシコのカトリックは、キリストの正統信仰から外れていると思われる観念、習慣、行事などが多く霊的には形骸化していると言えよう。またメキシコのプロテスタントにおいても組織・指導者の絶対化やイベントや現世利益の過度の強調、現実生活への信仰の適用不足、などの別の側面の形骸化がある。
日本においては、現在キリスト者人口1%ということは無論大きな点ですが、問題の詳細はここでは述べません。
-歴史の流れが変わっていたら(たとえば伊達政宗が天下を取ったりして、一定の宗教的自由を認めたりしていたら)宗教的には日本はメキシコにある程度近い状態になっていたかもしれず、メキシコを宗教的に全く別世界と見なくてよいのでは、とも思われる。
ただし、カトリック受容のあり方が両国では反対だったことは忘れてはならない。
メキシコ - キリスト者にならなければ殺すぞ
日本 - キリスト者になったら(あるいはそれを捨てなければ)殺すぞ
追記)20世紀以降、プロテスタント・福音的キリスト者による日墨交流がキリストの愛の供給(注ぎ)のひとつのあり方として神様から-地の塩として-用いらているのかもしれない。
(例-松田英二博士が始めた家庭集会から発展し今もESQUINTRAの町に IGLESIA DE BUEN PASTORがあること、現在MONTERREY在住のメキシコ人牧師が札幌に10年ほど住んでいて、教会を立て上げたこと、等々)
( 3)21世紀における日本メキシコ交流・社会発展への私的検討点
-今年3月11日の東北大地震発生は、日本の社会・文化・科学技術を含む文明に対し、容易に修復できない亀裂を生じさせたかのようでありまた、後戻りできない深刻な地点まで連れて来られてしまったともいえましょう。ただしこのような状況で真の希望の光を見出せるかが大きなポイントと思います。そしてこの災害の中心地だった東北の歴史の中に、2つの大きなキリスト教の出来事を見ることができます。つまり、
1.東北のキリシタン人口の増加および支倉常長のローマへの派遣
その中には以下のような興味深い人物もいました、
後藤 寿庵-じゅあん
(経歴・WIKIPEDIAより抜粋)
天正年間(1573年〜1591年)、豊臣秀吉によって主家葛西氏と共に滅びる。
慶長初年(1596年)、長崎に住みキリシタンとなるが、迫害によって五島列島宇久島に逃れ、ここで洗礼を受け、寿庵と名乗り五島氏に改名する。寿庵とは洗礼者ヨハネの意。
慶長16年(1611年)、京都の商人田中勝介(ロドリゴと一緒に、1610年メキシコに最初に渡った日本人)と知り合い、その推薦によって、支倉常長を通じて伊達政宗に仕える。
慶長17年(1612年)、後藤信康の義弟として、見分村(岩手県奥州市水沢区)1200石を給される。寿庵は原野だった見分村を開墾しようと、大規模な用水路を造った。これが「寿庵堰」であり、現在もその跡が残る。
大坂冬の陣・夏の陣では、伊達政宗の配下として鉄砲隊の隊長を務めた。
寿庵は熱心なキリシタン領主であり、天主堂・マリア堂などを建てた。家臣らのほとんどが信徒となり、全国から宣教師や信徒がその地に訪れたという。
元和7年(1621年)、奥羽信徒17名の筆頭として署名し、前年のローマ教皇パウルス5世の教書への返事を送った。
徳川家光の代になってキリスト教の禁止が厳しくなり、伊達政宗も取り締まりを命ぜられた。政宗は、有能な家臣である寿庵を惜しみ、布教をしない・宣教師を近づけないことを条件に信仰を許そうとした。しかし寿庵はこの条件を拒み、南部藩に逃亡したとも、秋田藩に渡って果てたとも伝えられる。
2.チアパスの榎本殖民の約半分が東北出身でキリスト者も多かったようだということ
経済的な窮乏や、職業的機会不足などを背景とし新天地に赴き、共同会社設立・水力発電や学校などの建設などなど、メキシコ人に感謝されるいくつもの事業を行う。
私は、今後3つ目のよき出来事-東北、キリスト者、および海外に関するようなこと、の発現を期待する者です。
-日本は今後国内の人口減少・高齢化、国家財政悪化、政治混乱、倫理モラル低下、そして中国を始めとする新興国の経済進展の圧力やEUや米国経済の低迷などの一般傾向に、企業内の個人・集団としての機能低下が重なるなら、ひいては日本の民間経済悪化まで行ってしまうだろう。すると当然雇用もきわめて悪化するだろう。(キリスト者の私としては、多くの日本人がまことの神に背を向け、罪を犯し続けていることが、これらの根深い問題の背景としてあると思えてなりません。)
消費税アップ、太平洋圏包括的自由貿易協定参加によるいくつかの国内産業の衰退・消滅、年金制度の崩壊などもほぼ既定条件であり、いわば経済的難民の大量発生が懸念される。ギリシアなどは歴史的・文化的な特徴により、オーストリアなどへの移民希望者(しかも知的労働者が多いという)が殺到しているというが、日本は現在までだと海外移住という選択は大きな流れにはなっていない。
-メキシコはスペイン征服民とインディオ被征服民を元とする階層の激しい2重構造を現在でも脱却しきれず、貧乏人でも公平に機会が与えられいわばメキシカンドリーム実現から程遠い。(麻薬売買や非合法移民輸送がメキシカンドリームになってしまった皮肉)また米国への移民によるドリーム実現も米国の不況継続でかなわなくなりつつある。
結果的にメキシコは技術レベルもさほど向上せず経済的には中国・韓国・ブラジルなどの後塵を拝した状況が続くことが懸念される。一方でこの数年メキシコ国内での麻薬組織同士の抗争および国軍の制圧活動は内戦に近い、かなり凄惨な状況になっている。
-その社会状況の背景として、純粋なキリスト信仰からかなりずれたままのカトリックの優勢およびプロテスタント教会の教理、協力、一般社会への浸透などにおける脆弱さもあるのではないか。また、プロテスタント信者は健全な資本主義経済を担える可能性があるのだが(社会学者ウエーバーの議論もある程度踏まえた上で)、現在のメキシコでは経済的にメインプレーヤーにはまだ、なり得ていないと思う。
-現在メキシコに1万人くらいいるといわれる日系人は概略的にとらえるならば、(日本語がよくできる方々は多くないこともあり)日本人からは文化的に異質な存在として遠ざけられる場合が多く、メキシコ人とも連帯的にアイデンティティーを共有できない場合が少なからずあり、独自性を存分に発揮し社会に有用な存在になっているというレベルに十分には達していないのではないか。そして、3世以降は否応なく日系人という範疇から離れてしまう場合も多い。この大勢を変えるためには、たとえばひとつには間口を広げるような寛容性の養成と、もうひとつは、普遍的な宗教性の付加によるアイデンティティーの深化(ユダヤ人が典型例)が必要ではないか。
-これらの両国の弱み・苦しみの軽減、解消のために日本人とメキシコ人の交流・協力が何らかの形で今後用いられていけば素晴らしいと思います。ただし約100年前、日本人がチアパスの地にいわば慈恵の足跡を残したときにもキリスト教的背景が十分あったように、今後もそれがたとえ、多数の耳目をひかずとも紐帯の重要な要因になるのではないか。
(4)暫定的提案
このような働きをしているあるいは、していく人々の認知・交流のためにも何かのメディア、あるいはある種の結社が求められているかもしれません。その中から、またそれをひとつのベースとして真に実を結ぶような交流・社会発展への活動が芽生えていくことを希望します。
1A)サン=フェリペ号事件(サン=フェリペごうじけん)は、1596年10月に起こった日本の土佐国でのスペイン船の漂着事件。豊臣秀吉の唯一のキリスト教徒への直接的迫害(日本二十六聖人殉教)のきっかけとなったとされる。
以下引用符内筆者コメント「一説によれば、秀吉の命により積荷を没収された腹いせに、スペイン人船員あるいは航海長のデ・オランディアが、『スペインは領土征服の第一歩として宣教師を送り込む』と言ったことが秀吉を激怒させたからといわれる-この下りは、キリシタン弾圧および鎖国の直接原因のように捉えられる場合もあるが、現在事実を検証するならば、杞憂に近かったといえよう。
なぜなら、メキシコ、ペルー、フィリピンなどをはじめとするスペイン植民地は軍事的征服の後にカトリック化されているし、中国などはカトリック宣教はされたものの、スペインの軍事的征服にはいたっていない。キリシタン大名を糾合して親スペイン・親カトリックの政権が日本にできていた可能性もあるが、それでもスペインに主権を奪われるところまでは行かなかったのではないか。
とはいえ、1494年にローマ教皇アレクサンドル6世が定めたトルデシリャス条約では、ブラジルの境界線に相当する大西洋上に西経46度の子午線の東をポルトガル、西をスペインの領土としたことが典型例で、スペイン、ポルトガルの政治・軍事権力とカトリック宗教勢力は密接に絡み合っていた。よって、世俗権力を超越した永遠の神の支配に基置く本来のキリスト教の精神(それは、米国で本格的に確立したような政教分離原則に親和性を持つが、国教化し世俗支配権力を無理に獲得したがるものでは断じてない)を知り難かった日本の支配者たちが、政治・軍事権力とカトリック宗教勢力を一体のように捉えたのは無理ない。
ただし、以下に何例か述べていく世界史的にもローマ帝国のクリスチャン迫害に匹敵するような日本のキリシタン迫害は(本文では残虐的事実の詳述はあえてしていません)悪魔的影響の強い非道行為であり、ある意味で、日本のいまだ赦されざる原罪とも言えよう。」
1B)日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)とは慶長元年12月19日(グレゴリオ暦1597年2月5日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。
2)ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ(Rodrigo de Vivero y Velasco、1564年 - 1636年)
フィリピン臨時総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し貿易量の制限と暴徒の処罰を要求、徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた際会見し家康に友好的な書簡を送り、ヌエバ・エスパーニャと日本との交流が始まる。
1609年次期総督と交代のため召還命令を受け、戦艦3隻の艦隊でマニラからアカプルコへ向けての航海中台風に遭い、ロドリゴの乗った旗艦「サン・フランシスコ号」は難破、9月30日に 上総国岩和田村(現御宿町)田尻の浜に漂着、地元民に救助される。なお僚艦の「サンタ・アナ号」も、9月12日豊後の臼杵中津浦に緊急入港し]、もう一隻の「サン・アントニオ号」のみヌエバ・エスパーニャへの航海を続けた。
地元民に救助されたロドリゴ一行は、時の大多喜藩主本多忠朝の歓待を受け、大多喜城から江戸城に立ち寄り、駿府城で家康と会見するなど日本滞在の後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船(日本名:安針丸)の提供を受け、「サン・ブエナ・ベントゥーラ号」と命名、1610年8月1日に日本を出発し、同年11月13日アカプルコに帰還した。この日本滞在中の見聞録は『ドン・ロドリゴ日本見聞録』として今に残されている。
3)支倉 常長(はせくら つねなが、1571年 - 1622年8月7日)
伊達政宗の命を受け、支倉常長はエスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)を正使に自分は副使となり、遣欧使節として通商交渉を目的に180人余を引き連れスペインを経てローマに赴くことになった。石巻で建造したガレオン船サン・フアン・バウティスタ号で慶長18年9月15日(1613年10月28日)に月ノ浦を出帆し、元和6年8月24日(1620年9月20日)、帰国した。(往路、復路とも太平洋を横断し、メキシコを通っている、一行の中の日本人の中にはメキシコに残った者もいたようである)
4)キリシタン史 江戸初期の大迫害
家康は、キリスト教布教を黙認してはいたものの、貿易の相手国には宣教師の日本入国禁止を通達していた。家康がキリシタン教界に便宜を図っていた理由はただ一つ、通商貿易のためだけであった。
何かきっかけがあれば、大規模な禁教令が施行されるであろう事は大いにありえた。キリシタン教界は順調に教勢を伸ばし、1613年にはついに蝦夷の地まで布教の手が伸びる。禁教令直前の頃にはキリシタンは37万人ほどいたと概算されている。
ここで1610年デウス号事件と呼ばれる出来事が起こる。
キリシタン大名有馬晴信が、マカオで家臣を殺された事の報復にポルトガル商船ノッサ・セニョーラ・デ・デウス号を焼沈させたのだ。
またこの頃オランダ商船が初来着し、宣教師を介さない貿易への幕府の期待感も生まれることとなった。
1612年、岡本大八事件が起こる。岡本大八はキリシタンであり、主君の幕臣・本多正純を通じて、キリシタン教界に便宜を与えてきた。
この岡本大八と有馬晴信との間に所領問題による贈収賄事件が起こる。幕藩封建体制の根幹たる所領問題で、このような行為が行われ、またその当事者が二人ともキリシタンであったことで、家康は禁教令施行を決意したのであろう。
禁教令施行を決意した家康は、まず駿府の家臣団を検問し、キリシタンである者を検挙。信仰を捨てなかったので、改易処分とした。
ここで天領である京都・江戸・駿府に禁教令を布告。キリシタン寺院の破壊を命じ、布教を禁じたのである。この禁教令によって江戸・京都の教会の破壊が行われ、武士のみならず一般庶民もキリスト教信仰が禁止された。
1612年4月~5月前述の改易されたキリシタン武士の抱え置きを禁止する旨を、全国の大名、畿内の社寺、京都・長崎のキリシタン教界に通達された。同年の9月には、関東の幕領に対し、キリシタン禁制を含む禁令五箇条が発令される。
またこの頃、徳川幕府の幕藩体制の体制固めは大詰めを迎えつつあった。そのために反幕勢力の豊臣氏打倒が急がれていたのである。
関ヶ原の戦いの後、改易された多数のキリシタン武士達が、キリシタンに好意的な大坂方に仕官していること、キリシタンの大旦那・高山右近が加賀前田氏の元で重職を担いつつあったことが、家康の注目するところであった。キリシタン勢力と大坂・豊臣氏とが結びつくことを恐れていたのである。
ここに1614年1月(慶長十八年十二月)、臨済宗の僧、金地院崇伝(こんちいんすうでん)起草による「伴天連追放文」が日本国中の人間が知るべき掟として公布された。いわゆる慶長の禁教令である。
幕府はキリシタンへの弾圧を強化する一方、段々鎖国体制を固めていく。日本人の海外渡航・出入国禁止、海外船の入港制限、外国人の日本国内移動禁止、混血児追放、などが段階的に押し進められていった。
1639年のポルトガル船来航全面禁止で鎖国体制は完成する。この事態を打破しようとやって来たポルトガルの使者船に対し、乗組員を処刑、船を焼却したことから、その体制の厳しさがわかる。
1614年の禁教令から1644年までの30年間で、密入国しようとした宣教師は百名以上にのぼった。彼らは、キリシタン禁制がゆるく、流刑にあったキリシタンも多くいた東北地方などで布教を行っていた。1629年までにフランシスコ会は東北で26,000人の信者を獲得した、と自認しているし、1626年までにイエズス会も20,000人以上の受洗者を獲得している。
4)島原の乱
1637年、有馬村のキリシタンの庄屋三吉が転び者を立ち返らそうとしたため、代官に捕らえられそうになる。すると農民たちは蜂起し、代官を殺し、島原城を落城寸前まで追い込んだ。
一揆は領内全域に広がり、天草の庄屋たちも一揆勢に呼応。大乱となった。総大将に小西行長の旧臣益田甚兵衛の子四郎時貞が担ぎ出された。
(2)21世紀における日本メキシコ交流・社会発展の前提的考察(以下筆者の記述)
1)榎本殖民およびその後の自由移民の再評価
-キリスト者M氏の活動
約1年前に、ブログを通じて知り合えた日本在住の方ですが、すでに榎本殖民の照井亮次郎(花巻)や太田連二(仙台)らの故郷および、榎本殖民の実質的解散後の自由移民の重要な一人の布施常松の滋賀県の生家、などに現地取材に行かれています。
M氏は滋賀県の彦根出身で(私の母も彦根出身-海外移民がどちらかといえば多いのか、私が小さいころカナダ移民から彦根に戻ってきた人の話を聞いたことがある)そして、チアパスに移民したキリスト者の布施常松も同じく滋賀出身で、これも何かの符合かもしれないと感じています。
この方の活動の端緒としては、メキシコシティー在住のキリスト者K氏の活動があります。チアパスの日本人移民と縁が深く、歴史的事実の発掘をされていて、初期の日本人移民が従来の一般的情報よりずっと深くキリスト教にかかわっていたことが明らかになりつつあります。また、現在の日本人移民子孫の方々との新しい活動にも関連がある方ですが、詳しくはまたの機会におしらせできればと思います。
私は約20年前にチアパスの榎本殖民の故地を訪れ、日本人の子孫の方々のお話などを聞いたにもかかわらず、松田英二の布施常松の評伝以外のことに興味は継続していませんでした。しかし、いろいろな方々が現在になりメキシコの日本人移民史や今後の新展開へ関られていることを知り、私の中でもそのことへの再評価が始まっています。
2)16、17世紀の両国交流史の私的検討点
これからのメキシコ・日本関係およびに日本人移民などについて私が思うことのひとつは、バックグランドとしての約400年前の出来事を主にキリスト教的観点から再認識しておきたいということです。概略は以下のとおり。
-長崎26聖人殉教(最近はカトリック公認の名称として日本26聖人殉教と呼ぶようです)の 殉教者の一人がメキシコ人、フェリペ・デ・ヘススでした。(24歳で死去。京都で捕縛された。フランシスコ会修道士)この出来事は1597年。
クエルナバカのカトリック教会堂(CATEDRAL)の壁画にその出来事が描かれていますが、支倉常長一行がメキシコを通る前に描かれたのでしょうか?(要確認)そうだったらきっと彼らはその壁画を見せられていたに違いない。
(以下は想像に想像を加えているが)常長は本心からキリスト者になった可能性がかなりあると思われるが、その回心にその壁画はある程度影響したのではないか。私がその壁画を最初に見たときも相当のインパクトがあった。「Taiko samaが彼らを殺すように命じた」というような字も書かれていることもあり。
-2009年が千葉の大名本多氏が難破したメキシコ人でフィリピン総督だったロドリゴ・デ・ビベロらを助けたのにちなんだ日墨交流400周年だったが、長崎26聖人殉教は時の最高権力者秀吉の命令だったから本当の日墨交流、しかも日本人支配者からは憎悪と、殉教者の側からは赦しの愛に縁取られた交流は、その12年ほど前に始まったはず。
現在の外交的配慮からもあり、400周年記念のイベントにおいては、日本側の無私の親切心が強調されている。確かに、千葉外房の漁民・海女などが見たこともない白人の男たちを献身的に助けたことはそのとおりなのだが、徳川幕府が難破者たちを受け入れ歓待したのは(鎖国後の外国人に対するひどい仕打ちとはかけ離れた)親切心よりは政治的な計算だったというべきだろう。
なぜなら、以下のように幕府はロドリゴ・デ・ビベロに以下のようないわば借りがあったからである。
「彼がフィリピン臨時総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し貿易量の制限と暴徒の処罰を要求、徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた際会見し家康に友好的な書簡を送り、ヌエバ・エスパーニャと日本との交流が始まる。」
そして1年後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船(日本名:安針丸)の提供を受けメキシコに戻ることができたのも同じ背景によるわけで、ロドリゴ・デ・ビベロの救助の美談は、長崎26聖人殉教という虐殺と、その後の鎖国によるキリシタンや外国人に対する(ひとことで要約すると)大量虐殺の狭間の、歴史の偶然による幸運だったと皮肉に言うことさえできよう。
-現在の日墨交流の一側面である日系企業の日本人とメキシコ人(一般的にはかなり悪い)関係を見るだけでも、長崎26聖人殉教を基点とし、日本人の悔い改めの思い・赦し・和解に至る道をたどるほうが最終的には両国民友好に利するのではないか。逆に最近もてはやされた ロドリゴ・デ・ビベロの救助美談を基点とするならば、現在でも日本人とメキシコ人は互いに善意に満ちてうまくやっていけるはず、といった幻想を現実が繰り返し裏切っていくという帰結になりはしないだろうか。
-約400年前は日本のキリシタン人口はスペインやポルトガルからの宣教師の働きにより5%以上くらいはあったのが(一般的見解、評定者により幅はあるでしょうが。)江戸時代にはほぼ0%になってしまう。
それに対し、メキシコはスペインからの宣教師の働きにより今もカトリック人口90%くらいを維持している。
始点は似ていたのに終点は表面的には対照的になっているが、正統的なキリストの救いの観点からすると両国とも霊的実質的には呻き苦しんでいる面にある程度共通点があるのではないか。
メキシコのカトリックは、キリストの正統信仰から外れていると思われる観念、習慣、行事などが多く霊的には形骸化していると言えよう。またメキシコのプロテスタントにおいても組織・指導者の絶対化やイベントや現世利益の過度の強調、現実生活への信仰の適用不足、などの別の側面の形骸化がある。
日本においては、現在キリスト者人口1%ということは無論大きな点ですが、問題の詳細はここでは述べません。
-歴史の流れが変わっていたら(たとえば伊達政宗が天下を取ったりして、一定の宗教的自由を認めたりしていたら)宗教的には日本はメキシコにある程度近い状態になっていたかもしれず、メキシコを宗教的に全く別世界と見なくてよいのでは、とも思われる。
ただし、カトリック受容のあり方が両国では反対だったことは忘れてはならない。
メキシコ - キリスト者にならなければ殺すぞ
日本 - キリスト者になったら(あるいはそれを捨てなければ)殺すぞ
追記)20世紀以降、プロテスタント・福音的キリスト者による日墨交流がキリストの愛の供給(注ぎ)のひとつのあり方として神様から-地の塩として-用いらているのかもしれない。
(例-松田英二博士が始めた家庭集会から発展し今もESQUINTRAの町に IGLESIA DE BUEN PASTORがあること、現在MONTERREY在住のメキシコ人牧師が札幌に10年ほど住んでいて、教会を立て上げたこと、等々)
( 3)21世紀における日本メキシコ交流・社会発展への私的検討点
-今年3月11日の東北大地震発生は、日本の社会・文化・科学技術を含む文明に対し、容易に修復できない亀裂を生じさせたかのようでありまた、後戻りできない深刻な地点まで連れて来られてしまったともいえましょう。ただしこのような状況で真の希望の光を見出せるかが大きなポイントと思います。そしてこの災害の中心地だった東北の歴史の中に、2つの大きなキリスト教の出来事を見ることができます。つまり、
1.東北のキリシタン人口の増加および支倉常長のローマへの派遣
その中には以下のような興味深い人物もいました、
後藤 寿庵-じゅあん
(経歴・WIKIPEDIAより抜粋)
天正年間(1573年〜1591年)、豊臣秀吉によって主家葛西氏と共に滅びる。
慶長初年(1596年)、長崎に住みキリシタンとなるが、迫害によって五島列島宇久島に逃れ、ここで洗礼を受け、寿庵と名乗り五島氏に改名する。寿庵とは洗礼者ヨハネの意。
慶長16年(1611年)、京都の商人田中勝介(ロドリゴと一緒に、1610年メキシコに最初に渡った日本人)と知り合い、その推薦によって、支倉常長を通じて伊達政宗に仕える。
慶長17年(1612年)、後藤信康の義弟として、見分村(岩手県奥州市水沢区)1200石を給される。寿庵は原野だった見分村を開墾しようと、大規模な用水路を造った。これが「寿庵堰」であり、現在もその跡が残る。
大坂冬の陣・夏の陣では、伊達政宗の配下として鉄砲隊の隊長を務めた。
寿庵は熱心なキリシタン領主であり、天主堂・マリア堂などを建てた。家臣らのほとんどが信徒となり、全国から宣教師や信徒がその地に訪れたという。
元和7年(1621年)、奥羽信徒17名の筆頭として署名し、前年のローマ教皇パウルス5世の教書への返事を送った。
徳川家光の代になってキリスト教の禁止が厳しくなり、伊達政宗も取り締まりを命ぜられた。政宗は、有能な家臣である寿庵を惜しみ、布教をしない・宣教師を近づけないことを条件に信仰を許そうとした。しかし寿庵はこの条件を拒み、南部藩に逃亡したとも、秋田藩に渡って果てたとも伝えられる。
2.チアパスの榎本殖民の約半分が東北出身でキリスト者も多かったようだということ
経済的な窮乏や、職業的機会不足などを背景とし新天地に赴き、共同会社設立・水力発電や学校などの建設などなど、メキシコ人に感謝されるいくつもの事業を行う。
私は、今後3つ目のよき出来事-東北、キリスト者、および海外に関するようなこと、の発現を期待する者です。
-日本は今後国内の人口減少・高齢化、国家財政悪化、政治混乱、倫理モラル低下、そして中国を始めとする新興国の経済進展の圧力やEUや米国経済の低迷などの一般傾向に、企業内の個人・集団としての機能低下が重なるなら、ひいては日本の民間経済悪化まで行ってしまうだろう。すると当然雇用もきわめて悪化するだろう。(キリスト者の私としては、多くの日本人がまことの神に背を向け、罪を犯し続けていることが、これらの根深い問題の背景としてあると思えてなりません。)
消費税アップ、太平洋圏包括的自由貿易協定参加によるいくつかの国内産業の衰退・消滅、年金制度の崩壊などもほぼ既定条件であり、いわば経済的難民の大量発生が懸念される。ギリシアなどは歴史的・文化的な特徴により、オーストリアなどへの移民希望者(しかも知的労働者が多いという)が殺到しているというが、日本は現在までだと海外移住という選択は大きな流れにはなっていない。
-メキシコはスペイン征服民とインディオ被征服民を元とする階層の激しい2重構造を現在でも脱却しきれず、貧乏人でも公平に機会が与えられいわばメキシカンドリーム実現から程遠い。(麻薬売買や非合法移民輸送がメキシカンドリームになってしまった皮肉)また米国への移民によるドリーム実現も米国の不況継続でかなわなくなりつつある。
結果的にメキシコは技術レベルもさほど向上せず経済的には中国・韓国・ブラジルなどの後塵を拝した状況が続くことが懸念される。一方でこの数年メキシコ国内での麻薬組織同士の抗争および国軍の制圧活動は内戦に近い、かなり凄惨な状況になっている。
-その社会状況の背景として、純粋なキリスト信仰からかなりずれたままのカトリックの優勢およびプロテスタント教会の教理、協力、一般社会への浸透などにおける脆弱さもあるのではないか。また、プロテスタント信者は健全な資本主義経済を担える可能性があるのだが(社会学者ウエーバーの議論もある程度踏まえた上で)、現在のメキシコでは経済的にメインプレーヤーにはまだ、なり得ていないと思う。
-現在メキシコに1万人くらいいるといわれる日系人は概略的にとらえるならば、(日本語がよくできる方々は多くないこともあり)日本人からは文化的に異質な存在として遠ざけられる場合が多く、メキシコ人とも連帯的にアイデンティティーを共有できない場合が少なからずあり、独自性を存分に発揮し社会に有用な存在になっているというレベルに十分には達していないのではないか。そして、3世以降は否応なく日系人という範疇から離れてしまう場合も多い。この大勢を変えるためには、たとえばひとつには間口を広げるような寛容性の養成と、もうひとつは、普遍的な宗教性の付加によるアイデンティティーの深化(ユダヤ人が典型例)が必要ではないか。
-これらの両国の弱み・苦しみの軽減、解消のために日本人とメキシコ人の交流・協力が何らかの形で今後用いられていけば素晴らしいと思います。ただし約100年前、日本人がチアパスの地にいわば慈恵の足跡を残したときにもキリスト教的背景が十分あったように、今後もそれがたとえ、多数の耳目をひかずとも紐帯の重要な要因になるのではないか。
(4)暫定的提案
このような働きをしているあるいは、していく人々の認知・交流のためにも何かのメディア、あるいはある種の結社が求められているかもしれません。その中から、またそれをひとつのベースとして真に実を結ぶような交流・社会発展への活動が芽生えていくことを希望します。





