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監視社会を考える

2021-01-20 16:30:24 | 日記
監視社会を考える

監視カメラの普及は犯罪の予防と事件の犯人特定に効果を上げていることは間違いない。
私自身のことで恐縮だが、腹立つこともぐっと我慢するようになった。特に車内での無法に対する対応は非常に丁寧に礼儀Q正しくするようにした。
以前、隣に座った若者の音楽の音を注意したところ逆に絡んで来たので、ホームに出て注意したら殴りかかってきたので交わして当身を顔面に寸止めで入れたら、見ていた人が駅員を呼び、二人とも駅室に連れていかれ派出所で見ていた男が私について「この人が殴っていました」と証言した。若い男は調子にのり裁判で訴えると言い出し、さらに警察署に連れて行かれた。年配の警察官が裁判になれば君は怪我していないんだから勝てない、時間も金もかかると愉して、私は放免となったが、半日つぶしてしまい、仕事に支障をきたした。
今や監視カメラ設置されており、角度によってはこちらが攻撃しているように見えるから、喧嘩ぱやい人は注意したほうが良い。
今なら世田谷殺人事件の犯人も特定されたかもしれない。もっとも凄腕のアウトローはさらに工夫して住居に侵入してくるかもしれない。

生産性の向上と働きぶりの評価のために監視技術を活用している企業が増えている。アメリカで走って転んで怪我して労災を申請した労働者が却下された例があるそうだ。転んだのは自分の責任というわけだ。監視カメラはなぜ走らなかければいけなかったのかを写していない。問題は走って急がなければいけない過酷な条件があったにもかかわらず、映像だけを見て判断されてしまったのである。
監視カメラに写されて仕事をするということはものすごいストレスを生む。テレワーク、リモートワークも生産性効率の観点から監視カメラの活用が進むかもしれない。問題は監視社会におけるストレスの弊害の声が上がらないし、ジャーナリズムももっと問題点を取り上げるべきであろう。
ストレス社会をさらに締め付ける監視社会は人間を壊していくと警告する。

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