サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

神のレッスンシリーズ(15)

2018-04-23 04:21:04 | 日記

ポニョ:今日の記事で分からなかったのは、どうして既婚者で夫もいる著者の母親に、再婚したなんて酷い事を言われたんやろか。

ヨシオ:よく本文を読めば書いてあるやないか。要するに著者の母親が自分の夫よりも神さんのことを最優先して生きたいとサイババさんにお祈りを捧げられたから、神と再婚したんやないか。

ポニョ:ああそういう事やったんか。なんでサイババさんはいつも間接的に話されるんやろな。頭を捻らないと理解出来ないぜよ。

ヨシオ:ポニョの頭が単純過ぎるんや。俺の友達夫婦が還暦を迎えた時に、サイババさんに今から結婚式をすると言われて、サイババさんの立会いのもとで、もう一度結婚式を挙げたんや。サイババさんは、この結婚式によって、君たち夫婦は霊的に結ばれるのだ。だから今日から肉体関係は終わりにしろと言われたんや。
それ以来、その夫婦は別々のベッドで寝ているけれど、人は還暦を迎えれば結婚の相方を神と見て、神と結婚していると思わなければいけないんや。
俺が還暦を迎えた時もサイババさんが夢にやって来て、同じベッドに寝ていた嫁さんの顔が突然、サイババさんに変わったんや。それ以来、俺たちも別々のベッドで寝ているんや。

ポニョ:面白い夢やぜよ。嫁さんがサイババさんになれば、嫁さんとエッチが出来なくなるもんな。

ヨシオ:ポニョは還暦を迎えてもまだエッチをするんか?本当は五十才になった時点で、エッチなんかやめて純潔な暮らしをし、五感のコントロール、肉体の欲望をコントロールしないといけないんやで。

スワミの言葉の意味を読み解く

神のやり方は正しく理解されるべきです。神は一つの国家や一つの共同体のために存 在するのではありません。神は万人の利益のために地上に降臨します。各人が、自分の 受けるべき応分の報いを受け取ります。行為の通りに結果があるのです。ですから、何 かをする前に、それが正しいか間違っているかをよく考えなくてはなりません。これは、 肉体の喜びに執着している人にとっては簡単なことではありません。すべての悲しみは、 肉体と世俗の欲望に関わっています。
サティヤ サイ ババ

スワミの言葉の意味を解釈することは、時には、とても簡単な場合がある。スワミは、 ご自分のおっしゃった通りのことを意味なさっている。また時には、きわめて難しい場 合もあって、それを理解するのに数ヶ月、数年かかることもある。
ある主題について、熱心に一意専心で集中すると、私たちは、普遍的な智慧から流れ 込む素晴らしい洞察を受け入れる場所を開く。真の理解が起こるためには、この自己発 見のプロセスは避けて通れない。知的に何かを知るということは、洞察や直感や理解と はまったく違うものだ。低次の心〔マインド〕は数多くのことを知ってはいるが、より 深い真の理解を可能にするものは、高次の心だけである。高次の心には、真理に対する 熱烈な願望と献身を通して接近できる。そして、私たちがノックすれば扉は開くだろう。 恩寵と一体となった私たちの努力だけが、その扉を開くのだ。
私たちが学校で自分の子供の試験を受けられないのと同様に、スワミは私たちに多く の英知を伝えてはいても、スワミご自身が私たちのためにテストを受けたり、容易に英 知を譲り渡したりすることはできない。けれども、ごく稀に、スワミが目の前にいる人 に啓蒙を下すのを見たことがあった。しかし、永続する洞察には個人的な努力が必要な ので、それは一時的なものだった。
必要な努力とは、もし私たちが霊的に覚醒した状態で生きたいのであれば、一日にわ ずか一時間かそこらの瞑想や、折々あちこちで手当たり次第にするような行為ではない。 その努力とは、絶え間ない黙想的な状態である。自己探求、用心深さ、識別心は、目覚 めている間中、ずっと私たちの仲間となる。私たちはこれらの仲間たちを愛することを 学ぶ。というのは、それらが私たちを真理へと導いてくれるからだ。
スワミの言葉を読み解くプロセスは、スワミの実際の言葉と同じくらい重要である。

なぜなら、そのプロセスそのものが私たちを黙想状態に置くからだ。真理は私たちの霊 的バッテリーを充電する。かつて、スワミがお話しになったのだが、世間での生活は私 たちのバッテリーを枯渇させるため、スワミは私たちのバッテリーが充電されるよう配 慮なさっているとのことだった。神との絆は、私たちに滋養を与え、黙想はその絆をオ ープンな状態に保つのだ。
スワミはある帰依者に、「明日、あなたに会いましょう」とおっしゃるかもしれない が、その帰依者をお呼びになることはないかもしれない。なぜ呼ばなかったのかと彼ら が尋ねると、スワミはユーモアたっぷりにこうお答えになるだろう。
「私は、あなたがダルシャンで座っている時に会いましたよ」、あるいは、 「“明日”というのは、ヒンディー語で往復ビンタのことです」と。 この意味は、あなたはそれ〔スワミの言葉〕にどんな定義を与えてもかまわないが、至高の師であるスワミにはあなたを変容させるという目的を果たすのに必要とあらば どのような意味でも持たせる権利がある、ということだ。
多くの場合、その目的は、至高の師が述べたことは起こるに違いないとか、至高の師はそうなると述べたことを行う 必要がある、という私たちの狭量な概念を打ち破るのを助けることにある。私たちは、 よくスワミに押しつける気まぐれな一連のルールを作り出し、スワミがそれらに従わな いと動揺するようになる。
私たち自身がスワミの意識レベルに進化するまでは、スワミがどんな一連の法則に縛られていらっしゃるのか、私たちにはまったくわからない。時 おり、帰依者たちは深刻になりすぎて、スワミが彼らの心を軽くする必要があることもある。
ある時、スワミはロバートにおっしゃった。
「私はヒマシ油顔が好きではありません」
心を軽くし、あまり杓子定規にならず、自分の気まぐれな考えを減らすことは、スワ ミが私たちに教えてくださる大切なレッスンなのだ。


義理の母親

長年の帰依者が定義づけを助けてくれない限り、学ぶのに少し時間のかかるユーモラ スな言葉をスワミは持っていらっしゃる。スワミの近くにいた初期のころ、ダルシャン で悲しげに涙を湛えたある気の毒な女性が、いつもスワミに向かって大声で訴えていた にもかかわらず無視されていることに私は気がついた。

ある日、彼女の絶えざる嘆願 と、スワミのあからさまな無視を見て、私の中に哀れみの気持ちがわき起こった。スワ ミは彼女に厳しすぎる、という感情だ。スワミを見た時、私はなぜスワミがそんなに彼女に厳しくなさるのかと心の中で尋ねてみた。スワミは私の方へ歩いて来られ、その女性を指差して、こうおっしゃった。
「彼女はあなたの義理の母親です」

彼女が義理の母親であるというスワミの言葉は、特に彼女に対して親切にし、彼女を 私の家族の一員として扱うべきだという意味だと思い込み、私はそのようにした。私は わざわざ彼女のところへ行って、できる限りの援助と親切を差し伸べた。彼女のトラブ ルには終わりがなく、私が助ければ助けるほど、ますますトラブルは増えるように思わ れた。何ヶ月間もこの女性に振り回された後、ついに、私はスワミと話す機会を得たの で、「義理の母親」が意味するところをスワミに尋ねてみた。スワミは悪戯っぽい表情 を浮かべて、お答えになった。
「義理の母親とは、トラブルという意味です」
その体験の後、スワミは、誰々は私あるいはロバートの「義理の母親」であり、後に 続くトラブルは避けられないだろう、と一度ならずおっしゃった。


結婚 ―― 永遠の誓い

私はスワミに反論するほど愚かではないが、ある日、スワミがダルシャンで近づいて 来られ、私の母〔既婚者で夫も健在〕が再婚したとおっしゃった時は、抵抗せずにいら れなかった。それはあり得ないことだとわかっていたので、私は答えた。「それはあり 得ません」。スワミは「あなたはわかっていない」という表情を浮かべ、歩き去る前に さらに二回、母が再婚したという言葉を繰り返され、私も同じように自分の言葉を繰り 返した。当時、私はスワミのなさり方に対して今より経験に欠けていたので、スワミの 言葉に複数の解釈があったり、誰か他人を意味したりする可能性に心を開こうとせず、 自分の立場を守っていた。
スワミの主張は、母の結婚生活に何か間違いがあるのかもしれない・・・という小さ な不安を私の心に作り出したので、ダルシャン後、私はカリフォルニアの母の家に電話 をかけに走った。スワミの言葉を聞いた母は、スワミへの愛と感謝に圧倒された。母は、 自分のすべての信愛と忠誠心を、夫や娘や他の人々に向けるより前に、真っ先に神に捧 げられるよう熱心に祈ったばかりなのだ、と言った。スワミが私におっしゃった言葉と、 母の祈りに対する即座の応答は、スワミが母の祈りを聞かれたということを知らせたば かりか、母が再婚したと言及することで、神に対する母の誓いが受け入れられたことを 確証していた。


ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
« 今日の一曲シリーズ【25】愛... | トップ | 今日の一曲シリーズ【26】最... »
最近の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事