サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

神のレッスンシリーズ(17)

2018-05-07 04:00:40 | 日記

ポニョ:今日の記事も興味深いエピソードがいっぱいですよ。特に、まだ自殺していない人に、彼はもう自殺したとか、いわゆる内なる声を聞ける人が、このメッセージはサイババさんのメッセージですと主張して、自分が受け取ったメッセージを集めて本を著したけれど、サイババさんはその本について、その本に書かれているメッセージはサイババさんのものではないと信じている人には、私のメッセージではないと答え、そうかもしれないと信じている人には、そうかもしれないと答え、そうだと信じている人には、それは私からのメッセージだと答えらたんや。それってめちゃ面白いぜよ。

ヨシオ:その本を通じて、サイババさんは一人ひとりの帰依者をテストされているんや。サイババさんの基本的な教えは、一人ひとりの中にアートマがいて、そこからインスピレーションが導き出されるんやけれど、それが出来ない人が外からのメッセージに頼るんや。
俺に言わせると、その本の著者や本に頼る人はテストに落ちた人達や。その本の著者がサイババさんからメッセージを受け取るのは正しい事やけれど、そのメッセージは、その著者だけへのメッセージなんや。だからサイババさんは三つの違う答えを言われたんや。でもその三つの答えは全て正しいんや。

ポニョ:なるへそ。その本の著者が受け取ったサイババさんのメッセージは、その人だけへのメッセージだという意味で、それは私からのメッセージです、というサイババさんの答えは正しいって事なんや。
でもそのメッセージは全ての人たちへのサイババさんからのメッセージだ、という意味では、それは間違っているんや。そしてその二つが間違っているかもしれないし、そうではないかもしれないと信じている人には、そうかもしれないと答えられたんやな。
サイババさんって、トリッキーやな。それがテストだとすると、テストを出した教官が答えを生徒に教えるわけがないもんな。

嫉妬という死すべき性質

1990 年の 7 月、スワミがマンディールで、サティヤ サイ セントラル トラスト、州 の会長、国際オーガニゼーションの面々に向けて御講話をなさっていた時、ある興味深 い出来事が起こった。御講話のある時点で、スワミはテーマを変更なさり、嫉妬のひど い性質について話し始められた。スワミは次のようにおっしゃった。
「ある人は、自分の一生を嫉妬に満ちて生きてきました。あるアメリカ人によって書 かれた本があります。その嫉妬深い人はその本を読みました。彼は、誰か他人が幸せで あったり、喜んだりすると、決して幸せでなかったのです。彼は一生を嫉妬と不満ばか りで過ごしてきました。この嫉妬は、最後にすべて彼自身にぶつかってきました。その 人は、嫉妬のせいで一生を浪費してしまったと思い、自分自身に嫉妬と嫌悪を持つよう になりました。嫉妬であれ、愛であれ、他の何かであれ、それはすべて反映、反応、反 響なのです。これらすべては、その人自身に戻ってきます。彼はピストルを取って、自 分自身を撃ちました。その人の名前は・・・」
そして、スワミはピストル自殺したと断言したその男性の名前をあげられた。
スワミはお続けになった。
「この嫉妬は、誰を傷つけたのでしょう? その人自身です。良い性質や悪い性質を 持っているとき、それらは、それ自体の効力によって喜びや悲しみを与えます。ですか ら、善良な考えと善良な英知を育てなさい」
これらの言葉を聞いて、ロバートと、アメリカのサティヤ サイ オーガニゼーション のメンバーである幾人かは、ショックと疑いでお互いの顔を見合わせた。スワミが言及 なさった男性は、彼らが皆、長年よく知っていた人物だったからだ。本当にその男性が 自殺を図っていたのであれば、それは悲劇だった。

御講話の後、スワミの言及なさった男性に電話をかける努力がなされたが、うまくい かなかった。ロバートたちはスワミの言葉の正確な記述を入手するため、その御講話を 聴いた他の人々がテープ録音していないかどうか当たってみた。そして、その御講話の 別々の三本の録音テープを発見した。手に入れたテープは、一本ずつ念入りに数回聞か れたが、スワミがその男性の名前をあげられた箇所は見つからなかった。録音した三人 全員が、スワミがその発砲に言及された正確な箇所を覚えていたのだが、どのテープに も、男性の名前は一言も入っていなかった。スワミがその三本の録音テープの一部を消 されたことに疑いの余地はなかったが、同時に、不思議にもその御講話の流れは、一言 も妨げられてはいなかった!
のちに、私たちはその男性がピストル自殺していなかったことを突き止めた。しかも、 スワミが言及なさった内容を伝えられると、彼は困惑し、その言葉の背後にある理由を 推し量るため暗中模索していた。少なくとも彼は私たちにそう信じさせていた。たとえ 彼がその意味をよくわかっていたとしても、彼は決してそれを誰にも言わなかった。し かし、それから間もなく、その男性はサイ オーガニゼーションのすべての義務と役職 から離れ、再び彼の噂を聞くことはほとんどなかった。おそらくある意味で、彼はこれ まで進んできた霊的な道を捨てたのだろう。
これは確かに、スワミの言葉が、それを向けられている本人によって解釈される必要 のあるケースだ。しかし、私たちは皆、この胸を刺すようなエピソードから、レッスン を学ぶことができると私は思う。
嫉妬という性質について真剣に考えるなら、それは当の本人をゆっくりと食いつぶす 完全に破壊的な病であることがわかる。それは、破壊的で有害な毒によって、最終的に はその人を殺す力を持っている。自分の中に嫉妬が根づいて育つことを許せば、私たち はゆっくりと、自殺を図ることになる。スワミは、羨望と嫉妬は癒すことのできない最 悪の二つの病であるとおっしゃる。スワミの言葉は、おそらくこの男性やその警告に耳 を傾ける人々を救うためのメッセージだったのかもしれない。


内なるメッセージ

何年も前に、ロバートと私が自宅をサティヤ サイ ババ センターにしていた時、献 身的なある若い夫婦と知り合いになった。二人はセンターの企画に携わり、熱心に働き、 彼らの子供たちはうちの子供たちと一緒にセンターのバルヴィカス教室に参加してい た。外見的には、彼らは幸せな安定した家族に見えたのだが、間もなくそうでないこと がわかった。夫のほうが私たちに意見を求め、二人の結婚が危機に晒されていることを 打ち明けたのだが、どうやらそれはすべてスワミのご意志であるらしかった! 彼は、妻がスワミから離婚すべきであるという内なるメッセージを受け取っているのだと言 った。妻のほうは、離婚するのは彼女の望みではないが、スワミの内なる命令に従いた いだけなのだと主張していた。
多くの人が、スワミから内なる導きやメッセージを受け取っていると主張する。それ は非常に主観的で個人的な問題であるため、通常は明らかに馬鹿げた主張である場合を 除いて、そういった内なるコミュニケーションの信憑性を他人が正確に評価することは できない。機会があれば次にインドへ行く時にその問題をスワミに持っていくと申し出 る以外、私たちには彼を助けることができなかった。彼にとってはとても悲惨な状況だ った。彼の結婚の継続は、妻とスワミとの内なるコミュニケーションの検証しだいだっ たのである。
次の訪問で、スワミは私たちに「内なるメッセージ」について尋ねる機会を与えてく ださった。私は、スワミは内側から人々に語りかけるかどうかという質問を持ち出し、 スワミは「ええ、時々は」とお答えになった。それから、私は手短にこの夫婦の状況と 妻の主張を説明した。スワミは即座に語気を強めてお答えになった。
「いや、それは彼女の願望によって作り出された空想です。スワミは常に結びつけま す。スワミは切り離しません」
そこで、私はスワミの言葉をその夫婦に伝えてよいかどうかを尋ねた。スワミは承諾 なさり、「彼らに伝えなさい。それはあなたの義務です」と言い添えられた。

その夫人を知っていたので、私は彼女が内なるメッセージを聞いたことを疑ってはい なかった。しかし、スワミと話した後、彼女はスワミではなく彼女自身の願望の声を聞 いたのだと理解した。それは、私たちの願望が、どのようにして論理的思考を歪めるか という素晴らしいレッスンだった。
この夫婦についてスワミに尋ねた時、私はどちらか一方に肩入れしていたのではなく、 ただ真実を聞くことに興味を抱いていただけだった。スワミはよく、私たちが聞きたい と願っていることの反射を鏡のように返される。やはり同じ時期に、私は別の興味深い 「内なる声」を目の当たりにした。
書店では販売されていないある不思議な本が、アシュラム内で広く読まれ始めた。そ の著者は、その本が彼を通して書かれたサティヤ サイ ババによる一連の奥義の啓示で あると主張した。その本の内容の多くは物議を醸すものであり、どうにかコピーを手に 入れた数人の帰依者たちの間で、数多くの議論が行われた。私たちはジャック ヒスロ ップ〔長年のスワミの米国人帰依者〕からその著者を紹介された。彼は並の霊性求道者をはるかに凌ぐ智慧と知識を備えた、正直で高潔そうな人に見えた。それでも、私たち は本当にその人が「神の声」からの指示を受け取っているのだろうか、と疑問に思った。
その本にあるヒンドゥー教の聖典の神聖な解釈の疑わしい主張が原因で、三人の卓越 した帰依者たちが、それぞれ別々に真の「神の声」から裁定を求めることで推理をやめ る決意をした。
この三人の帰依者がそれぞれ異なった機会にスワミに尋ね、スワミから受け取った答 えは、スワミに固有の反射的性質のある特質だった。スワミの答えは、信じている者に は「イエス」であり、懐疑的な者には「ノー」であり、三人の中で最も中立的な者には 「そういうこともあるかもしれない」〔五分五分〕だったのだ。
スワミは特に、知的な理論や好奇心が持ちかけられる時、反射的であり、捕らえがた くなることを私は見てきた。スワミはこの時代の最も偉大な霊性の師であり、過去 65 年以上にわたって数千という御講話をしてくださっているのだから、私たちが知る必要 のあるすべてはすでに伝えられている。注意深く分析すれば、その他の一切は知的な娯 楽である。本の正当性の問題でさえ、答えを知ることが私たちをより良い人間にするの ではなく、ただ好奇心を満たすだけなら、それは余計なものである。スワミは「秘義」、 つまり秘伝的な奥義を教えることはなさらない。それに魅了されることは、真実の道を 歩むのに必要な普通の働きから大きく注意を逸らすものになりかねない。



最新の画像もっと見る