サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

余命は聞き飽きた

2018-05-24 04:00:42 | 日記

どんな困難がやって来ても、それを神の意志として受け入れなさい。
何のために神が困難を与えているのかを知る者は誰もいません。
困難は自分の幸せのためだと考えなさい。1/5/08

ポニョ:半分死にかけのガン患者さん。調子はどうですか?

ヨシオ:俺のことを、半分死にかけのガン患者さんと呼ぶのはやめろっちゅうに。
実は先日、俺の事を面倒見てくれている五、六人の医者から成り立っている医師のグループがあって、その医師長が俺に会いたいので病院に来るように手紙が来たんや。
それでアポの時間に行くと、医師長は俺に「君のガンはもうすでに胃の壁を突き抜けて転移、浸潤していて肝臓までガンになっているので手術は出来ないのだよ。ステージで言えば4だ。あとは放射線治療と免疫療法しか残されていないけれど、どうする?」と聞いて来たので、俺は名前が良さそうやから免疫療法にすると答えたんや。ところで免疫療法って何やねん?

ポニョ:あのね。大事なことやのに、名前が良さそうやからなんて言って適当に答えないでくれますか?免疫療法がオーストラリアでは公立病院でやっているって知らなかったぜよ。日本では保険適用除外治療やから五、六回の治療で二、三百万円もかかるんやで。

ヨシオ:それは高いな。こちらでもまだ新しい試みなので大学の研究室かどこかの病室で治療をしてくれるんや。俺の胃ガンが彼らの研究対象に選ばれたので、モルモットになるって感じかな。

ポニョ:免疫細胞治療とも呼ばれるんやけれど、自分の肉体の免疫力を増加させてガン細胞を殺していくという治療方法なんや。それほど効くって感じじゃないけれど。でもおいらの知り合いが肝癌になり、免疫治療をして六年経つけれど、まだ生きているぜよ。

ヨシオ:そうなんや。捨てたもんじゃないな。そういやガンを食べる細胞はキラー細胞とか何とかいうんやろ。

ポニョ:白血球から作られるんや。でも人の身体には毎日のように5,000個から8,000個のガン細胞が作られるんやで。だからガンだといってアタフタする必要は無いんや。あんたの場合はもう手遅れやけれど。それで後どれくらい生きれるんや?

ヨシオ:この前同じ質問をした時は、何も治療しなかったら半年の命と言われたけれど、今回は免疫療法をするって俺が決めたから、よくもって半年から一年ぐらいかなと言ってたな。でも、「今は食欲があって何でも食べれるけれど、もうすぐ食欲が無くなりどんどん体重が減ってしまうから、その時には死期が近いと思って下さい」と言われた。

ポニョ:あんたの場合は腫瘍がデカイからすぐに十二指腸への穴が塞がってしまい、何も食べれなくなるぜよ。それに腹水が溜まると胃や腸を圧迫するので、食べれなくなるんや。

ヨシオ:俺はポニョと違って食べるものにはこだわっていないし、もし食べれない状態になったら、得意の断食をしながら肉体を離れるやろな。今まで何十回も生まれ変わって来ているから肉体を離れるなんて平気の平左や。

ポニョ:そうですか。免疫療法ですか。これで家族の人たちも少し落ち着くやろな。今まであんたは一切治療行為をしないなんて言って来たから。

ヨシオ:俺の子供達の四人は医療関係者なんや。残りの一名は弁護士やし。だから子供達が束になって俺を説得して来たら、対抗するのはめちゃ難しいんやで。 まだそう簡単には負けないけどな。
でも免疫療法を受けると言ったらみんな喜んでくれたので、当分家庭は平和に保たれたな。

ポニョ:あと半年から一年か。ブログ記事はどうしますか?今まであんたが理由無しにボツにして来た記事を集めたら、来年の二月まで週一で掲載出来るけれど。

ヨシオ:あのな、理由無しってどういう意味やねん。理由があるからボツにしたんや。でもポニョが適当に変更してくれたらそれでええけど。

ポニョ:どこを変更して良いのか全然分からないっちゃ。このブログは、あんたが死んだら、管理人のいないお化けブログになってしまうぜよ。

ヨシオ:ポニョがいるやないか。

ポニョ:おいらはあんたみたいな記事は書けないズラ。

ヨシオ:もうその頃には、サイババさんも現れて来ておられるから大丈夫や。医者は俺の寿命はあと半年って宣告するから、友達や遠くに住んでいる子供達や知り合いに、「俺はあと半年だけ生きる予定やから、俺に会いたい人は早めに会いに来てね」とメッセージを出したんや。
「でも俺が肉体を離れると、好きな時にいつでも君たちに会いに行くので、無理して来なくても良いよ」と忘れずに言っておいたけれど、でも結構な数の人たちが会いに来るようや。俺はもう食べれなくなったらガリガリに痩せるし、その頃には誰にも会いたくないんや。

ポニョ:あんたのイカツイイメージが狂うもんな。その時が来たら面会謝絶にすればええんや。

ヨシオ:近くに無料のホスピスもあるし適当に雲隠れしようかな。

ポニョ:あと半年しか命が残っていなかったら、おいらやったらジタバタと焦って何かするやろな。

ヨシオ:俺はどこにもいきたくないし、何も欲しくないし、誰かに会いたい人もいないし、何もしたくないんや。ただこの前も言ったように、この肉体に出来るだけ神の帰依者たちの病を、身代わりになってこの身に受け入れてから死にたいなという願いがあるだけや。

ポニョ:とか何とか言っている人が一番長生きするんやぜよ。

ヨシオ:俺が知り合いや家族に、あと半年しか生きないと嬉しがって言いまくっていたら、その日の夜にサイババさんが夢にやって来て次のように言われたんや。

サイ:もう聞き飽きた。

俺:何がですか?

サイ:お前の余命の話や。お前は長い間帰依者をしているけれど、いったい誰が全ての生命をコントロールしているのか知っているのか?

俺:もちろんですとも。あなたでしょう。でも医者が余命は半年と宣告したから、言われた通りにみんなに言ってるんやけど、まずかったかな。あなたが医者の身体を通じて、余命は半年だと俺に教えてもらったと思い込んで喜んでいたのに。

サイ:識別心がまだ十分じゃないな。頭で分かっているだけでは十分じゃないやろ。お前の命は私の手の中にあるんや。たとえお前の身体中にガンが転移しても、私が意志しなかったらお前は肉体を離れることは出来ないんや。
お前の生命はお前や医者が決めるのではなく、私が決めるんだ。
その事を分かっているんやったら、もう二度と人に、お前の余命はどれくらいかなどと言って、吹聴するのをやめなさい。その余命の話は本当に聞き飽きた。私を無視してるのと一緒やないか。

俺:プライドが傷ついちゃったの?

サイ:傷ついてないっちゅうに。

と言って叱られたんや。

ポニョ:確かに全ての生きとし生けるものの生命は、サイババさんがコントロールされているもんな。この前も言ったけれど、あんたは誰かに射殺されるんやろ。それまで生きているぜよ。だいたい世界がクライマックスを迎える頃にガンになる事自体がサイババさんが意図しているとしか考えられないやないか。

ヨシオ:俺の末っ子が、俺に「お父さんは三十年以上もサイババさんの教えを守って生きて来られましたね。サイババさんが肉食をやめなさいと言われているの知った途端に菜食になり、サイババさんが白砂糖を食べるとガンになると言われたの知ってすぐに白砂糖もやめました。また食後二十分ほど散歩すると消化に良いとサイババさんが言われたのを知って毎夕食後散歩に行ってましたね。僕はサイババさんの教えを守って生きて来られたお父さんが胃ガンになるなんて信じられません。逆にガンから一番離れたところにおられるのがお父さんだと信じ込んで来ました。
だってお父さんはサイババさんの教えをずっと守って来られたじゃないですか?食事の前のフードマントラとガヤトリマントラは欠かしたことはないし、レストランに食事に行くと、そこの椅子に座っていた人の想念や、シュフの想念が入って来るから行きたくないと言ってお母さんの手料理しか食べなかったし、食べ物についてはとても厳格にサイババさんの教えを守って来られたじゃないですか?
僕の周りには肉食で、しかも毎日のように白砂糖がたくさん入っているお菓子や清涼飲料水を飲んでいる人たちがたくさんいます。でも誰一人ガンになっていないじゃないじゃないですか?それって不公平ですよ。神の教えを守って生きて来た帰依者がガンになり、そうじゃない人がピンピンして生きているって。不条理じゃないですか?」
と言って涙を流しながら訴えたので、俺は次のように答えたんや。

俺はパートタイムの帰依者ではなく、お前も知っている通り神に全託している帰依者や。神に全託すれば、全ての行為を神に捧げ、その行為から何も期待をしないという態度が必要なんや。だからお父さんはサイババさんの教え通りに生きて、サイババさんが下さったガンによって肉体を離れるんや。だからお父さんはとてもハッピーなんや。もちろんお父さんはサイババさんに、どうしてあなたの教え通りに食事をしたのにガンになったのですか?と尋ねる事が出来る権利があるんや。だって教え通りに生きて来たから。でもそういう風に尋ねる事は霊的なレベルの低い人たちがする事なんや。お父さんは全てを受け入れているから、とてもハッピーなんや。
また別の見方から説明すると、俺たち人間は、実は刑務所の中にいて服役している受刑者なんや。一定期間を過ぎ服役期間が終了すると刑務所から出してもらえるんや。
お父さんもそろそろ刑期を終えたので、神さんに頼んで出所して出所祝いでもしてもらおうと思っているんや。
今までは健康でよく働く受刑者やったけれど、出所したら健康な身体は必要無いやろ。だって神さんに融合するんやから。というような話をしたんや。

ポニョ:あのね、オーストラリアで生まれ育った息子さんに出所祝いなんて言っても分からないズラ。それにそんな簡単な説明で納得しないズラ。
だって刑務所から出所しても元気な奴らはどこにでもいるズラ。

ヨシオ:出所祝いと言ってはいけないんやったら、放免祝いとでも言えばええんか?

ポニョ:あのね、放免祝いってヤクザ言葉やないの。あんたと少し話せば、すぐに育ちが分かるぜよ。

ヨシオ:でも確かに刑務所から出所して、神さんから放免祝いしてもらっても、まだ身体がピンピンとして元気なままやったら、また、シャバに戻らなければいけないような感じがするもんな。

ポニョ:そういう人は、また生まれ変わらなければいけない人やぜよ。

ヨシオ:そうやろ。だから刑務所での刑期を終えた者が本当に自由になれるのは、肉体から離れることが出来る者だけなんや。

ポニョ:カルマが無くなっても、まだ肉体を持ちながらしばらくの間生きて行くって辛いやろな。

ヨシオ:そういう意味で、俺はメチャラッキーだと思っているんや。何れにしても、自らの身に何が起こっても、それを平静な態度で受け入れるっていう事が大切なんや。何が自分の身に起こっても、それを神さんからの贈り物と思って、幸せな気分で受け入れる事や。

ポニョ:全てはありがとうと言って受け入れればええんやな。あゝ難しい。

良いことも悪いことも、得になることも罪になることも、すべての行為は神の力の現れです。
だからこそ修行者は、それが好ましいかどうかを少しも気にせず、すべては神の意志だと受け入れ、正しいことをするのが何よりも大事な務めだと信じるのです。
あらゆる行為の目的は、人生を、神聖なものにすることです。
神の恵みがあるからこそ、正しいことをする機会が与えられ、それによって人生を神聖なものにすることが出来るのです。
神の教えに従えば、この聖なる機会を得て、自分の進むべき方向が分かるでしょう。SGc34


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