サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

神のレッスンシリーズ(23)

2018-06-18 04:00:36 | 日記

ポニョ:今日はガヤトリマントラのお話です。どうぞお楽しみ下さいね。


ガーヤトリー マントラの伝授

西洋人はガーヤトリー マントラによって創り出されるバイブレーションを調べて、 それがヴェーダで規定された正しい発音で唱えられるなら、周囲の空気が肉眼で見える ほど輝いてくることを発見しました。それゆえ、このマントラが唱えられる時、ブラフ マー〔神〕の光輝はあなたに降り注がれ、あなたの知性を輝かせ、あなたの道を照らし ます。ガーヤトリーは母であり、全人生を活気づける力です。
サティヤ サイ ババ

スワミがお唱えになるガーヤトリーマントラを初めて聞いた時、それは私の人生にお いて忘れ難い大切な瞬間だった。私はこの神聖なマントラの重要性を知っていた。ヒン ドゥー教徒たちは、このマントラを非常に神聖なものと見なしていたため、過去の伝統 では、バラモン〔僧侶〕階級の特別なカーストの者だけがそれを唱えるに足る純粋さを 持っていた。1970 年代の初期にインドに住んでいたころ、私はそのマントラを教えて くれる人を見つけようと何度も試み続けていた。しかし、私の願いはいつも退けられた。 ある時、「外国の婦人に対してガーヤトリーマントラを明かすことに同意するパンディ ト(学僧)など、間違いなく誰一人いないだろう」とさえ言われた!

1972 年、スワミはブリンダーヴァンのアシュラムで、一ヶ月に及ぶインド文化と霊 性に関する夏期講習を開催なさった。夏期講習にあてがわれた会場の裏壁は、スワミが 私たち家族に与えてくださった家に隣接していた。私は自宅で快適に座ったまま、スワ ミと講演者たちを見ることができ、拡声器〔マイク〕を通してすべての講演を聞くこと ができた。不意に、まったく思いがけないことに、スワミは初めて大衆の前でガーヤト リーマントラを唱えるとお告げになった。私はこの極めて重大な出来事を録音するため、 急いでテープレコーダーを回した。
スワミがあらゆる伝統を打ち破り、この神聖な秘儀のマントラを大衆の面前でお唱え になったのは、確かこの時が初めてだったと思う。スワミはまた、ガーヤトリーマント ラはバラモンだけが独占するものではなく、それを唱え、そこから生じる恩恵を喜んで 受け取る権利は万人にある、と言明なさった。スワミがガーヤトリーを一般大衆に公開 されたことと、原版を要約なさったことの両方にショックを受けたパンディト(僧侶) たちもいた、と後から聞いた。

7年後、テープを繰り返し聴いて、この潜在力を秘めたマントラの発音を十分習得し た時、スワミは私とロバートを、幼い2人の少年の聖紐式とガーヤトリーマントラの伝授に立ち会うよう招待してくださった。以下は、ロバートの日記に掲載されたその行事 の記事である。
スワミの御前に、伝授を受ける二人の少年が座り、少年たちの左側に父親が座ってい た。少年たちの頭は、頭頂部の髪を円形に残して剃りこまれていた。スワミは、ガーヤ トリーマントラは「ヴェーダの母」であり、万物に宿るアートマ〔真我〕の力を含んで いるとおっしゃった。スワミは、この力、あるいはこの流れである「アートマシャクテ ィ」は「意志の力」である、と言われた。その力には数多くの名前がある。しかし、異 なる文化が水に様々な名前を付けているのと同じように、力はただ一つである。スワミ は、ガーヤトリーマントラはすべての「アートマたち」のものであり、「利己的なバラ モン」だけのものではない、と強調なさった。
スワミは不意に、ブラフモーパデーシャムの儀式のために、きれいに折りたたまれた 白い紐を二本物質化なさった。二本の紐の片端をスワミがお持ちになり、二人の少年の 親たちがそれぞれ紐のもう片端を持った。スワミは、その紐は実際には三本の撚糸が編 まれてできていることを示してお見せになった。三本の撚糸は三つのグナ(浄性、激性、 鈍性)、時の三相(過去、現在、未来)、そして、三界(地界、空界、天上界)の三位一 体を象徴していた。スワミは、ガーヤトリーは女性が唱えることも可能であり、新婦が 身に着けるマンガラスートラの三本の撚糸はそれと同じ象徴的な意味合いを持ってい る、と言い添えられた。
祈祷を唱え、それぞれの少年の首に紐を掛けてから、スワミはガーヤトリーマントラ の正しい発音と復唱を彼らに注意深くお伝えになった。

スワミは簡単に解説なさった。

オーム(原初の音)
ブール(地)ブヴァハ(空)スヴァハ(天)
タット(それ)サヴィトール(太陽の力)ヴァレーンニャム(崇拝する)
バルゴー(輝き)デーヴァッスヤ(恩寵)ディーマヒー(瞑想する)
ディヨー(理知)ヨーナップラチョーダヤート(祈ること)


「おお、母なる神様、私たちのハートは暗闇に満ちています。どうかこの暗闇を遠ざ け、私たちの内なる光を強めてください」
それから、スワミはこう付け加えた。 「暗闇とは無知のことです。無知という盲目よりも死のほうが甘い味わいです」
伝授を受けた若者たちはこう言われた。
「ガーヤトリーは静かに唱えなさい。その内なる平安こそがより良いのです。一日 3 回、朝と正午と日没時に唱えなさい」

これらは本質的に人間にとって「平安な時間」である。世俗を生きている者たちは、 神とグナの三位一体性の象徴である 3 回、このマントラを唱えるべきである。サーダカ (霊性修行者)は 108 回唱えるべきである。さもなければ、5 回、9 回、あるいは 21 回が適切である。5 はパンチャプラーナ(五大元素)を象徴している。9 はブラフマン (神)を象徴する。21 は、5 つの内的感覚、5 つの外的感覚、5 つのプラーナ〔生気〕、 5 つのコーシャ〔鞘〕と、1つのアートマ〔真我〕を象徴しており、合計で 21 となる。
スワミは、それぞれ三段階の描写によって、ヒンドゥー教の「ヴェーダ」、イスラム 教の「コーラン」、キリスト教の「聖書」の間にある類似性を引用なさった。キリスト 教の(神の)使者であるという段階は、ヴェーダのいうドワイタ、すなわち二元論に符 合しており、イスラム教では「光の中にいること」に符合する。キリスト教の(神の) 息子である段階は、親密な地位であり財産権もあるのだが、まだいくらかの分離がある。 それはヴェーダでいう条件付二元論〔条件付不二一元論〕であり、イスラム教でいう「あ なたの内にある光」に符合する。
キリスト教の最終段階は、「私と父は一つである」と いう段階である。それはヴェーダでいうアドワイタ、すなわち不二一元論であり、イス ラム教では「私は光である」という段階に一致する。すべての道は心の中にいる唯一の 神に繋がっている、とスワミはおっしゃった。
スワミは、ガーヤトリーマントラは音であり、その音は虚空、すなわちアーカーシャ を満たすのだと強調なさった。虚空は至るところに広がっている。空を通り過ぎてゆく 雲は、マインド〔心〕を通り過ぎてゆく思考にたとえられる。どちらも同じように永続 することはない。ガーヤトリーマントラを唱える効験は、知性を輝かせ、マインドを制御することにある。

スワミは「海の奥底ではなく、神の奥深くに飛び込みなさい」と熱心に説かれた。ス ワミは海をサムサーラ、世俗の迷妄と見なされた。スワミはマインドを欲望のクモの巣 と見なし、それを玉座のそばにあった白いハンカチの織られた糸に喩えられた。スワミ は私たちに、際限ない欲望に支配されるのではなく、神だけを求めるよう激励なさった。 「今日、あなたはある欲望を持っているが、いったんそれが叶えられると、もうそれを 欲しいとは思わなくなる」と述べられた。
後に、その儀式が終わってから、スワミはある西洋人に、西洋のバールヴィカス教師たちは普遍的な祈りを教えなければならない、とおっしゃった。スワミはガーヤトリー マントラとアサトー マーの祈りの二つを挙げられた。それらは普遍的な祈りであり、 宗派や称号を持たない。それらが「愛という宗教と人類という階級」を教えることだろ う。

アサトー マーの祈りとその意味は、下記の通りである。

アサトー マー サッドガマヤ
タマソー マー ジョーティルガマヤ
ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ

非真から真実へ
暗闇から光明へ
死から不死へと 我を導きたまえ


あなたの奉仕を求めて来る人は誰であれ、その時、あなたが対応しなければならない 人です。奉仕を通してその人に幾らかの満足を与えるのがあなたの義務となり、それが その時にあなたにできる最善の仕事となるでしょう。現在、それはあなたが何かをでき る時であり、最も神聖な時間です。未来は見えません。なぜなら、目は未来を感知でき ないからです。過去はもはや過ぎ去り、それに関しては何もできません。それゆえ、現 在こそが最善です。現在という時は、あなたが自分の義務を果たし、助けを求めてきた 人に奉仕できる時なのです。
サティヤ サイ ババ



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