サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

神のレッスンシリーズ(16)

2018-04-30 04:00:15 | 日記

ポニョ:今日はあんたが好きなルーミーの詩が出て来るぜよ。

ヨシオ:ルーミーは日本ではあまり知られていないけれど、外国では結構人気があるんやで。

ポニョ:イスラム詩人が、キリスト教国が多い西欧諸国でも人気があるって面白いよな。というわけで今日の記事に入りましょう。


苦しみ

スワミとの口頭のやりとりの面白い一面は、よく、数ヶ月や一年後の未来に起こる出 来事や状況を、スワミが頻繁に事実として述べられることだ。これは、私たちとスワミ との交流の中で何度も起こっていた。

あるインタビューの時、スワミは私のほうを振り返り、とても真面目におっしゃった。
「あなたの義務は、苦しむことだ」
その言葉に大変なショックを受けた私は、詳しく述べてほしいとスワミに頼むことさ え思いつかなかった。ただ、スワミの発言の記憶を埋葬してしまいたかった。翌年の間 中、私はそれを埋葬できなかった。状況は、これまで私が経験したことがないほど激し い精神的、感情的な苦痛をもたらした。どれほど努力しても、私はそこから抜け出すこ とができなかった。
私の好きな言葉の一つは、「痛みは避けられないが、苦しみは自由な選択」というも のだ。苦しみに対する私たちの反応の大部分は選択であることを私は知っていた。私た ちは、どんな状況に対しても、肯定的にも否定的にも反応することを選べるのだ。被害 者になり、他人を責めることもできるが、不当な状況だと思える中で、どんな役割を演 じるかを調べる勇気を持つこともできる。けれども、常に覚えておかなければならない 点は、この完全に計画された宇宙の中に、真の被害者はいないということだ。とどのつ まり、不公平はあり得ない。自分の行為の結果を理解するのに必要な洞察力は持ってい なくても、法則をお作りになった神が、罰するためではなく教えるために、それらを完 璧に作られたということを信じることはできる。神は、私たちに行動の自由を与えられ たが、正しい道は試練や誤りを通して自分自身で決めるしかない。結果という道標に従 うことによって、私たちは将来どの行為の道を追求し、どの行為の道を拒むべきかを学 ぶのだ。
私の義務は苦しむことだ、というスワミの予見は、最近の私の側に過失があったので はないかという可能性と憶測を捨てさせてくれた。スワミの警告のおかげで、避けられ ないものを受け入れることが私の義務だと理解した。さもなければ、私は自分自身の欠 点によって引き起こされているものを延々と探していたことだろう。

霊性修行者にとって一つの危険は、人生があまりにも順調に流れると自己満足するよ うになる可能性があることだ。もし私たちのゴールが真理であるならば、人生は私たち を目覚めさせるために苦しみという強い力を送らざるを得ない。私たちを前進させるそ のような力がなければ、私たちは決して自分の能力や神を求める願望の深さの度合いを 理解することはできないだろう。
苦しみを友として受け入れることによって、私はスワミの次の言葉の価値に気づくこ とができた。
「苦しみがなければ、甘さは生じ得ない」

ルーミー〔ペルシャ文学史上最高の神秘主義詩人〕は、苦しみに関する賢明なアドバ イスを与えている。

真の人間が知っている錬金術を学べ
与えられた困難を受け入れた瞬間、そのドアは開かれる
苦難を親しき友として、歓迎せよ
あなたが抱きしめるその苦痛は、喜びとなる
それを変えることのできるあなたの腕に、それを呼ぶのだ



聴くことを学ぶ

中には、スワミの言葉を読み解く必要を感じないばかりか、それらを聴く必要さえ感 じていない人々もいる。ユーモアのある一例をあげよう。ある午後、バジャンを歌って いた時、マンディールに忘れがたい一人の男性がいた。その男性は声を張り上げて歌い、 まったくあたりの迷惑を顧みず、そのウシガエル〔牛蛙〕のような声が周囲の人々に妨 害を引き起こしていた。スワミはその男性のそばを通り、身を傾けておっしゃった。
「もっと優しく歌いなさい」
その男性は、何事も起こらなかったかのように、前と同じくらい大きな声で歌い続け た。スワミは通りがかりにもう一度繰り返された。
「もっと優しく歌いなさい」
その場面を目撃した人々が驚いたことに、スワミの二度目の忠告にもかかわらず、そ の男性は声を落とすことなく、唸るようなウシガエルの声は再び始まったのだ。
スワミは、誰かが悪い振る舞いをした時、自分もそこから学ぶことができるとおっし ゃっている。どう振る舞ってはいけないかを学べるのだ。


スワミに問う

スワミに完全に避けられることを苦悶していた、よく長期滞在でアシュラムを訪れる 長年の帰依者と話をした後、私は自分がどれほど疲れたかをはっきりと思い出す。彼女 の顔と振る舞いには悲しみが深く表れており、彼女から滲み出る苦痛が直に私の中に入 ってきたのだ! 私はすっかり彼女の苦痛に浸ってしまい、内面でスワミに矢継ぎ早の 質問を浴びせかけた。私の質問は一日中、夜まで激しく続いた。なぜこの献身的な女性 が、それほどスワミに厳しく扱われなくてはならないのかを知りたかった。私は、彼女 を慈悲と真理の化身であり、正義の神聖な実践者であると見なしていた。
夜が更けても眠ることができず、私は新しく出版されたある本を読み始めた。ふいに、 私はスワミに問いかけた一つの質問を読んだ。

「なぜ、時おりスワミは特定の帰依者を無視するように見えるのですか?」 スワミからの答えはこうだった。 「人々がしばらく私と一緒にいて、私の指示を聞かないか、もしくは変容しない時、
私はその人たちに話しかけません」
私は仰天した。自分がまさにその質問をしていたからだ! ついに私は納得し、翌日 ロバートに見せられるよう、そのページに印をつけた。そして、ようやく眠りに落ちた。
翌日、私は前日自分を悩ませた質問の答えをロバートに見せたくてたまらなかった。 私はその本の印をつけた部分を開いてみたのだが、不思議なことに、その質問と答えは そこには存在しなかった。何度か質疑応答の部分をすべて探してみたのだが、どこにも 発見できなかった。私は大きな驚きと感謝の念をもって、スワミが、理解したいという 私の熱烈な願望に応え、昨夜、一時的に現れたあの一節をもたらして下さったのだと結 論づけるしかなかった。
そして、自分が過度にこの女性の苦しみと一体化していたこと、彼女の長所もスワミ の注意不足も、私が判断を下す立場にはないということを理解した。それどころか、私 はスワミと帰依者の間にある何ものも判断すべき立場にはなかった。たとえそれが愛と 気遣いから出たものであったとしても、だ。スワミの言葉はアシュラムに来る目的を思 い出させるものだった。それはまた、スワミの御教えを実践に移さずに時間を無駄にし た結果に関するレッスンでもあった。
何年か後に、スワミは私たちに、それはただスワミが一部の帰依者たちから距離を置 いているように見えるだけだとおっしゃった。愛の化身であるがゆえ、スワミは無視し ているように見える人々のことも愛していらっしゃる。しかし、その人たちはスワミの 指示に従おうとしないため、スワミはご自分の呼吸を無駄にしたくないのである。


出発するのか?

ある朝、ロバートは、プラシャーンティ ニラヤムでダルシャンの列に並んでいて、 「あなたはいつ出発するのか?」とスワミに尋ねられた時、その質問を単純に受け止 めた。スワミに対するロバートのとっさの答えは、 「あなたが私に行け、とおっしゃる時だけです」というものだった。スワミはロバートの答えに満足なさったようで、微笑んで、 「グッド」〔よろしい〕とおっしゃった。
翌朝、スワミの車が突然ブリンダーヴァンに向けてアシュラムを出た時、ロバートは初めて、スワミが実は何を意味していたのかを悟った。スワミは他の人々に気づかせる ことなく、ご自分の計画のヒントをロバートに与えようとなさっていたのだ。スワミは いつも帰依者たちの安全のために、ご自分の旅行計画を秘密にせざるを得ない。多くの 者は、スワミの車のすぐ後ろを自分の車で追いかけたがる。そのため、一台でもスワミ に近づこうと隊列をなした車の一団が、危険をも顧みず、熱狂的な興奮の中で互いに競 い合うのだ。

八ヵ月後、スワミは再びそのレッスンをなさり、この時はロバートも心の準備ができ ていた。ロバートは一日もスワミから離れて無駄な日を過ごすまいと決意していた。プ ラシャーンティ ニラヤムで、ある夕方のダルシャンの時、スワミはまたロバートにお 尋ねになった。
「あなたは行くのか?」
ロバートの即座の返事は、
「いいえ、あなたは行かれますか?」であった。 それに対するスワミの熱烈な返答は、
「あなたは行くのだ!」だった。 ダルシャン後、ロバートは直ちに村で唯一利用できるタクシーを確保した。翌朝、ロバートはスワミの車のすぐ後ろで、忘れがたい感動的なドライブの機会を手に入れた。
スワミはブリンダーヴァンへ出発なさったのである。

以下は、1978 年 12 月の日付があるロバートの日記で、その出来事の生き生きとした 描写を詳述したものである。

バジャンは感動的な体験だった。スワミのいないアシュラムに居残った、ある帰依者 の頬を伝う涙を見ていると、歴史は、まるでクリシュナの留守を嘆くブリンダーヴァン のゴーピーたちのエピソードを繰り返しているような気がした。
嬉しいことに、昼食後に僕たちがちょうど出発の準備をしていたころ、大勢の帰依者 たちがアシュラムの正門の周りに集まっていた。スワミはベランダから、待機していた 白いメルセデスベンツに乗り込まれた。マンディールの入り口で、ココナッツが打ち割 られ・・・スワミの恩寵により、僕たちは三時間、きちんと距離をあけて、ホワイトフ ィールドへ向かうスワミの車の後ろを追いかけた。インドの片田舎の村々を経由し、起 伏する荒れた農地のそばを通り抜け、百マイル(約 160 キロ)の道のりをひた走った。 途中の多くの村人たちは、照りつける太陽の中、鋤で畝を立てた畑で働きながら、スワ ミの車が近づいてくると、信愛のこもった熱意を見せた。多くの人は、遠くにスワミの 車がちらりと見えると、自らの主に心からの敬意を表して、車が通り過ぎる時にスワミのダルシャンを受けるため、畑を横切って道路に押し寄せてきた。
古代のプラーナ(インドの聖典)は、五千年前の似たような光景を書き記している。 クリシュナの馬車が通り過ぎた時、何千人もの人々が敬意を表して道端に列をなしたと いう。歴史がよみがえり、これほど鮮やかな現実として、新たに繰り返されるのを目の 当たりにする無類の機会を持つことは、人生において稀なことだ。おそらく、遠い未来 の宗教の聖典は、まさしくこれらの光景を再び語ることになるのだろう。