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カレーショップ サイのツノ 公式ブログ

「マスターの独り言」 日々の雑感やお店の裏話などを綴っています。サイのツノへの興味と関心が増して頂ければ幸いです。

番外編 その3 オッペン・ロウシ氏の作品集より 「祭りの中へ」

2023-11-30 23:30:56 | 日記

番外編もその3になります。サイのツノのブログなんですがなんだかこっちがメインになっていく気もしますが

自分としては楽なのでそれはそれでいいかなと。これを目にした人が忙しい日々のちょっとした一息を入れる時間に

なればと思っていますので。

 

 

「祭りの中へ」

もうすぐ家を出て独り暮らしが始まるこの頃になってあのことをよく思い出す。
もう10年以上前、僕が小学5年の時の話だ。秋口だった。 

都会から少し離れた人混みの少ないその町に引っ越したばかりで(その当時で3回目で、その後も何回か引っ越したのでいつのどこでのことなのかよくよく考えないと分からなくなる)新しい住まいや周りの環境に馴染もうとしていた。小学校は2学期の途中からの転校でまだ友達もいなくて先生から言われて色々教えてくれる子がいたけど僕としてはあまり関わろうとはしなかった。とにかくちゃんと部屋があって(なぜか知らないけど何回か車の中で寝たことがあった。母さんはこういうのも楽しいでしょ、と言っていたがその母さんはちっとも楽しそうじゃなかった)食べる食事があって(カップ麺だけの晩御飯が続くことが当時何回かあった。たまにはいいよね、と母さんは言っていたけど辛そうにしていてその分僕がおいしそうに食べたけどお腹は空いたままだった)母さんと一緒に寝れる(たまに帰ってくるのが夜遅くなることがあった。僕は寝てるふりはしたけどもちろん寝れりゃしない)ことが一番大事でいつも頭の中にあることだった。

いつも明るくておしゃべりな母さん。あの時の引っ越しの前ぐらいから母さんとの二人暮らしになっていた。その前はおばあちゃん(もちろん母さんの)と三人暮らしのときもあったし男の人(父さんではない)がいるときもあった。男の人は何人かいたと思う。いつもいるのではなく、いたり、いなかったりするので顔もよく覚えていない。他の家とはだいぶ違うと気が付いたのは小学校に入ってからだと思う。父さんは仕事で遠くに行っていることになっていた。でもなんか違うというのはずっとわかっていたと思う。そういうのは子供でもすぐ分かる。分かっていないのはいつも母さんだ。

紙と鉛筆があればいいの。それが母さんの口癖だった。僕がうたた寝をして目を覚ました時とか母さんは鉛筆で何かを書き込んでいた。そんな時は僕が目を覚ましたことにも気がつかない。声をかけてもしばらく顔を上げないくらいだ。またいつものだと思ってそんな母さんを見ているのも嫌いじゃなかった。一心不乱という言葉を知った時に浮かんだのがそういう時の母さんの姿だった。今でも数学の研究をしているということぐらいしか分かっていない。「算数やってるんだよね」「数学よ」そういう会話を何回もしたので「すうがく」という言葉は小さいころから覚えていた。ノートをのぞいたこともあったが数字よりいろんなマークや図形があって何かを計算しているようには見えなかった。だから何かの遊びの一種なんだろうぐらいに思っていた。本当の仕事は弁当屋での調理だったりどこかの事務所の事務だったりしたみたいだがほんとのところは分からない。働いているところを見たことはないし、よく変わるので話がごちゃごちゃになって覚えきれなかった。

そのよくわからない仕事でしょっちゅうミスをしたらしい。晩御飯を食べながら、あの時横から話しかけられてなんだかわけ分かんなくなっちゃったのよね、とか、何回やっても火加減が難しいのとか話していた。また怒られちゃったというのも何回も聞いた。大人でも怒られるんだ。母さん、かわいそうと聞いていたけど、その母さんはけろっとしていたのでてたいしたことではないんだとは思っていた。でも後から考えたらよく引っ越しをするのはそれが原因なのかもしれなった。

本当に突然引っ越しをするんだ。車の中で昼寝していたら目覚めて引っ越し先についていたというということもあったぐらいだ。

あの時もそうだった。小学校から帰ってくると母さんが段ボールに服や食器を詰め込んでいた。いろいろ整理しないとね、と僕に言っているのか独り言なのか呟きながらテキパキと動いてるのをみてまた引っ越しするのかと思った。言い出しかねているんだろうけど子供でもすぐわかる。

でもあの時僕は泣き出した。自分で泣き出してから泣いているのに気がついて、気がついてからもっと涙があふれだした。

そんなことは初めてだったから母さんもびっくりしたと思う。僕を抱きしめていろいろ話しかけ慰めの言葉をかけてくれたが今でも覚えているのはいつまでも泣き止まない僕を両手でしっかり押さえ顔を近づけいつにない真剣な目でじっと見つめ、決して手放してはいけないものがあるのよ、と言っていたことだ。何かその迫力におされ僕は泣き止みそのあとは一緒に引っ越しの準備を手伝っていた。僕のことを決して手放してはいけないものと言ってくれたのだと思って安心したのかもしれない。子供だったからそう思うのも無理はないだろう。

その2,3日前に運動会のリレーの選手を選ぶ体育の時間があってクラスで一番タイムが早くてアンカーに選ばれていた。クラスのみんなから頼んだぞ、とか、足が早いのね、すごいとかはやされて、そんなことは初めてだったので顔には出さなかったがすごく興奮していた。

その学校には3年生の時転校してきた。都会の中の学校で街にも人にも慣れるのに時間がかかった覚えがある。それまではおばあちゃんの実家の近くだったので畑や田んぼがあちこちあって人も時間の流れものんびりしていた。それがいきなりの都会暮らしになったのでかなり戸惑っていたのだと思う。学校ではしばらく誰ともしゃべれなかった。先生とも返事ぐらいしかできず、母さんと先生が心配して相談していたのを覚えている。当たり前のように友達もできずいつも一人でいた。最初の2,3か月は一言も学校で話さない日々が続いていた。別にそれが苦になっていたわけではなかった。でも楽しくはなかった。あたりまえだけど。とにかく時間をやり過ごして早く帰って母さんと一緒にいたかった。話しかけてくれる子もいたけど、何を話せばいいのか分からずめまいがしてくるほど緊張したりして教室ではいつも肩に力を入れていた。給食もほとんど食べれない日が続いていた。半年ぐらいである程度慣れて話ができる子も何人かできたけど一緒に遊ぶことはなかった。休み時間もだいたい一人で机に座り本を読んでいた。だから本好きの子と思われていたみたいだけど別に読書が好きだったわけではない。他にすることがなかったから教室にある本をてきとうに取って開いていた。開いていても文字を追わずぼんやりしていることの方が多かった気がする。

勉強はあまりできなかった。単純に興味がわかなかった。でもなぜか算数はできた。とくに勉強するわけでもないのにテストでいつもいい点を取ってきた。母さんがにんまりして、これは血ね、と言っていた。僕は母さんが喜んでくれるのがうれしかっただけで算数は別に好きでもなかったけど。

それがリレーのアンカーに選ばれてみんなから声を掛けられ、なんだか今までと違う日々がやってくるような気がしたんだと思う。その少し前から体を動かすことが好きなのに気がついていた。クラス全体で遊ぶ時間があって鬼ごっこみたいなゲームでとにかく走り回るのが面白かった。自然と笑顔になっているのに自分でも気がついた。先生がそれに気がついていつも一人でぼんやりしてる僕を元気づけるのにいいと思ったのだろう、走り方をいろいろ丁寧に教えてくれた。膝を高く上げ腕を直角に曲げ大きく振る。そうすると確かに早く走れる気がした。風を切って足が軽くなっていく。体が前へ、前へ、と突き動かされる。気分爽快だった。そういう経験がそれまでほとんどなかったのだと思う。いつも周りの大人の気分や言葉を気にして何とかうまく反応しようとしていた。周りの子たちと遊んでいるひまはなかった。

いつも一人でいるのじゃなくてほかの子たちと同じように一緒に遊んで笑いあえるような生活。やっぱりそういうのに憧れていたんだと思う。

ここで引っ越ししたらまたもとに戻ってしまう。今までみたいな一人ぼっちの日々。少し開いた扉がガシャンと目の前で閉まるような気分だった。二度と開くことはない。そんな気がしていた。でも僕が何を決めれるわけはなくしばらくして引っ越した。

 

その日学校から帰ってきて一人でまだ段ボールがいくつも積まれた部屋で簡単なおやつを食べていた。確かトースターで焼いたパンにイチゴジャムをつけたものだ。だいたいいつも同じものを食べていた。冷蔵庫の中に同じようなものしか入っていなかったから。たまにイチゴジャムがブドウジャムやピーナッツバターになったりする程度だ。
その新しい部屋は風呂はちゃんとついていたが狭いキッチンに二部屋だけの木造アパートだった。前のところよりは少し広くなった分建物は古くなっていた。二階の一番奥だったが(確か三部屋あった、これまたおぼろげだが)上がる階段が登るたびギシギシなって僕は面白がっていたがお母さんが不安そうにしていたのを思い出す。


何がきっかけだったのか、おやつを食べたお皿を片付けようとして思い出したのか、前の日曜日に一緒に買い物にいった時にお母さんが帰ってくるなり洗剤を買うのを忘れた、としきりに言っていたのを思い出したのだ。
これから買いに行こう。お母さんが帰ってきて洗剤が台所にあったらすごくびっくりするだろう。
お母さんを驚かそう。
思い立ったらもうアパートの部屋を出ていた。帰ってくる前に買っておいたらすごく喜んでくれるだろう、とその瞬間を想像するだけで足が飛び跳ねて駆け出していた。この前の休みの日に一緒に行ったスーパーにいけばいいんだ。そんなに時間はかからない。2,30分で行って帰ってこれるだろう。母さんが帰ってくる前には十分だ。お小遣いでもらったお金を使ってあとで返してもらえばいい。いいことで使うんだから。すごく褒めてくれるかもしれない。笑顔を見せてくれるだろう。このところ下を向くことが多く笑ったところをあまり見ていない気がする。前はいつも一緒に大笑いしていたのに。

運動自体が得意だったわけじゃない。球技とかはどっちかというと苦手だった。何も考えずとにかく前へ、前へ、と全力で走るのが性格にあっていたんだと思う。今でも何かあるとランニングに出る。走って息を切らし足が張ってくるとなぜか落ち着く。気が向いた時というか、嫌なことがあってやってられない、という時しか走らないから、持久力が付くとかタイムが短くなるということもない。ただ思い付きの行動。今までの学校生活や趣味にしても何をやるにしてもそうだった気もする。何かをして身に着けるということがあまりない。だから学校の成績も良い時は上位に行くのだが長続きはしない。そこらへんの性格は小さいころから変わらないのだろう。

あの時もそうだった。とにかくスーパーに行こうと走り出して走ることに夢中になってしまって周りを気にしなかった。前に通った道をきちんと思い出しながら行っていればあんな経験はしなかったのかもしれない。前の学校での体育の先生に教えてもらった膝を高く上げる、腕を直角に曲げよく振る。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて頭の中を空っぽにして自分の体が勝手に動き出す感覚がとにかく楽しかった。

それまで住んでいた都会の真ん中の街とは違い、遊具が三つも四つもある公園も近くにいくつかあったし、やたらと敷地の広い家や畑もあって前のところとはずいぶん雰囲気が違っていた。その町を探検したい気分もあったのだろう。そもそも一人で慣れない部屋にいるのが心細かったのかもしれない。
すぐに着くと思っていたが気がつくと大きな一軒家が並ぶ通りに出ていた。前に通らなかった道の気がして不安になって息が切れてきたのもあって歩き出した。

何度も周りを見回して通った道だと思おうとしたが初めての道だと分かるまでにそんなに時間はかからなかった。だいたい母さんは家を見るのが好きで庭付きの一戸建てとかだとあれこれ感想を言うのが癖だった。こんなに大きな家が続くところだったらこの庭の作りはセンスがないとかあの玄関はちょっと派手過ぎね、とかだいたい文句をつけるのだが、うるさくてしょうがなかっただろう。覚えていないはずがないからこの前にここを通らなかったのは間違いなかった。どこで間違えたんだろう、ほとんど真っすぐでそんなに曲がったりはしなかったはず。通りを一本ずれてしまったのかもしれない。一つ向こうの通りに出ればすぐスーパーにつくような気がする。
家の間に路地のような人が一人やっと通れそうな細い道を見つけて足が勝手にそっちに向かっていった。

道といっても家と家の間に隙間があってその先の道につながっている人一人がやっと通れるていどの通っていいのか迷うような通路だが、子供だった僕は自然とその通路に入っていった。
子供の身体でも壁に腕がこすれるくらいの幅しかなく上を見上げても灰色の空しか見えなかった。先の街並みが細長く見えてはいるのだがちゃんとたどり着けるのか不安になって足が早まった。走り出しそうになった時耳の奥が押されるような嫌な感覚に襲われて両手で耳を抑えて一瞬立ち止まった。
なぜか息を吸ってもうまく吸い込めず胸に痛みがはしる。恐怖感から壁に肩や腕をこすりつけながら慌てて通路を抜けた。車の通る道に出てみればいつもの街だ。
声に出すぐらい息を吐いて耳の奥の痛みを取ろうとしてしばらくじっとしていた。少し落ち着いてすぐ近くにあるはずのスーパーに行こうと周りを見回してこの道を右に行くのか左に行くのか分からなくなっていた。なぜか方向感覚がなくなっていた。初めての街に突然放り出されたような気分だった。

前に行った道を行っていれば迷うことはなかったのに、近道をしようとしてかえって分からなくなってしまった。頭の中がパニックになっていた。家を出てからたいして時間がたっていないのだから迷ったとしてもすぐ帰れるはず。慌てることはない。と頭では分かっていても転校した最初の日の誰も知り合いのいない教室に初めて入る時のように体がぐらぐらしていたのを覚えている。来たことのない場所だった。

マンションのような高い建物がないせいか空が広く見えた。名前は分からないがかなり背の高い、深緑の葉を茂らせている木があちこちにあってなんだか急に田舎の雰囲気がしている。
まわりをキョロキョロ見回してどっちにいけばいいのか迷っていると何かの音がかすかに聞こえてきた。

自然と耳をすます。形がなくなりかけてよく見ないと見分けられないひこうき雲みたいに、一筋のかすかな震えが耳元に届いてくる。どこからだろうとその震えがやってくる方向に体が向ける。鈴を鳴らすような、鳥のさえずりのような、その音が耳に届くと見失わないよう意識を集中してそっちに足を向ける。聞こえてくる音を確かめながらゆっくり進みだす。走って荒くなっていた息が穏やかになってなぜか安心していられる気がした。少しずつ大きくなる軽やかで、涼しげな音。しばらくなかった何かに抱き寄せられているような安心感。足は徐々に速くなって少しずつ音は大きくなっている。
近づいていくと鈴のような音以外にも賑やかな気配がしてきた。人の話し声や歓声、なにかの楽器の音。いくつもの音が重なっている。何かを金属を叩くような音や太鼓のような腹に響いてくる音。いろんな音が混ざって聞いているだけで体が軽くなりいっそう足が前に進む。

以前に祭りに行った時のことを思い出していた。

場所がどこだったのか、いつだったのかははっきり覚えていないが小学校に入る前だったのは確かだ。おばあちゃんの実家に三人で暮らしていた頃だと思う。祭りに行った覚えはその時しかない。

こじんまりとした神社の境内で屋台の甘ったるい食べ物や色とりどりのお面や風船がところ狭しと並べられ子供の歓声があちこちではじけている。広場の真ん中には櫓が組まれて3,4人の大人の男の人が上半身裸で太鼓を叩いていて女の人が何人かで踊っていた。
真っすぐ歩けないほどの人混みの中を三人で並んで歩いている。僕が真ん中で右手を母さん、左手を大人の男の人とつないでいた。僕は浴衣をきていて、浴衣を着るのは初めてでそれだけで足が軽くなってスキップをしたくなっている。何を買ってもらおうかとあちこち真剣に目をやっていた。ヨーヨー釣りや金魚すくい、射的もあった。どれもやってみたかったがとにかく一つどれかを選ばないと。周りを見あたしながら手を振るので、母さんがほら、落ち着いてと笑いながら握った手で僕を抑えようとしている。ヘラを握った焼きそば屋のおじさんがこっちを見ながら大声で何か叫んでいて、僕はなにがおかしいのか自分でもわからず腹の底から笑っている。夏の日暮れでじめっと汗をかいていた肌に少しさわやかな風が吹きつけている。

そんな風景が目に浮かぶ。一緒にいた男の人は父さんだったのか?
そんな記憶が頭の中で湧き上がっていた。

音を頼りに歩いていくとひときわ立派な二本の木が並んでいる間からもれだしているようだ。
その木は見上げても上が見えないぐらい枝がはり葉が茂っていた。なんだか見上げずにはいられなかったのを覚えている。

見上げながら歩いていくうちに祭りがおこなわれているような場所に出ていた。

ただ祭りは終わったのかまだ始まっていないのか誰もいない。真っすぐな石畳みの道の両側に簡易な木の屋根のついた屋台が並んでいる。屋台には飾りも何もなく昔からそこにあったように古びて傷ついている。その先の広場になっている真ん中に櫓のようなものが見える。人の背丈ぐらいの小ぶりな櫓だ。周りにはほかに何も建物は見えない。木々の緑があるだけで屋台も櫓も色はなくすごく昔の風景写真の中に迷い込んだような、見覚えのあるような、ないような不思議な感覚だった。神社やお寺だったら鳥居とか賽銭箱があったりとかするはずだが何もない。

そして音が消えていた。ここまでぼくを運んできたあの音が消えている

その場所にたった一人で立っている。

とりあえず石畳の道を櫓に向かって歩いていく。屋台は人一人が入れるぐらいの大きさで古びて何も置かれていないが汚れてはいない。ごみのようなものもなく掃除をされた後みたいだ。両側にそんな屋台が4,5個連なって広場に出る。高い木に囲まれたその空間は細かな砂利が敷き詰められていて葉っぱも何も落ちていず掃き清められている感じがする。そんな周りに溶け込むように小さな櫓が忘れられた思い出のようにただずんでいる。僕は櫓に真っすぐ進んでいってまじかで見てみる。四本の長い木材を支柱にしていくつかの短い木と縄で四角い舞台が二人乗れるぐらいの広さに作られている。木材は磨かれているのか白くすべすべしている。触りたくなるが触っていいものなのか判断がつかなく一度上げた両手をだらりと垂らしてただ見入っていた。

高い葉を生い茂らせた木が四方を囲んで空しか見えない。
そして誰もいない。動くものが何もない。風はほんのり吹いていて軽く砂ほこりを巻き上げているが柔らかな陽が降り注いでいるだけ。昼のような明るさでもなければ夕暮れ時のような夜を誘う日差しでもなく、ぼんやりとした影のない光が覆っている。もう一度空を見上げる。雲がなく一面青いが薄い雲がかかっているのか普段の青空とはどこか違う。

一瞬、誰かの、小さな子供の歓声が聞こえたような気がして慌てて振り向くが何もない。
なにがなんだかわからず呆然としてしていた。裏口から入ったのかもしれない。表の方には看板や案内の表示があったりするのかも。

櫓の向こう側で何か動く気配がした。恐る恐るそっち側に回ってみる。足元に白い砂ぼこりがわずかに舞う。
突然足元の空気がすうっーと後ろから流れ出してきた。ひんやりしたものを背中に感じた。
まわりを見回していると櫓の先、来たところから逆側にひときわ木が密集して暗がりを作りだしている場所が目に入った。他の木とは種類が違うみたいで背の低い木が枝を丸く伸ばして葉をやたらと茂らしている。その後ろにさらに高い木が折り重なってり黒々として何かの建物のような印象を与える。その真ん中あたりに木がないところがあり入り口みたいになっている。樹木のつくりだす洞窟のようにみえる。
磁石に吸い付く砂鉄のようにその暗がりから目が離せなくなっていた。よく見るとそこだけ風が強いのか枝ががゆさゆさと揺れている。葉の一枚一枚心地よくサラサラと音をたてている。暗いというより真っ黒な空間がぽっかりと浮かび上がっている。そこから夜が生まれ出るような暗闇。

頬が火照ってきた。前髪が揺れて木が生い茂ったその場所から生暖かい風が吹いているのに気がついた。ふっと足が一歩出そうになった。
いけない気がした。行ってはいけない。そう思うのだが体が動こうとしている。
右足が地面から離れ前に動いた時、何かに突き飛ばされ後ろ向きになり倒れそうになり足が挫きそうになりながら、なんとかこらえてそのまま走り出していた。でも実際に何かに突き飛ばされたわけじゃない。周りには何もなかったのだから。突風でも吹いたのかとにかく体が突き動かされた。
走りだすと迷いはなかった。あの暗闇から、この場所から離れよう。

とにかく膝を上げ腕を直角に曲げ思い切り振って先へ、まずは一歩、そしてもう一歩。それでもなぜか足の動きがゆっくりに見えた。いつもならとっくにもっと先に行けるけるはずなのに頭の中の感覚と体の動きがずれている。石の地面をけっているはずなのに足に感覚はなく走っているというよりなぜか水の中をかきぬけているような感じだった。
誰もいない屋台の間を抜けて二本の大きな樹を過ぎようとした時背後で低い音がした。風の音なのか何か動物のうめき声なのか、一瞬足が止まり振り返りそうになった。ほんの一、二秒のことだと思うが体がこわばった。痛いぐらいに。でも振り返らずとにかく走った。

何も考えず走ることにだけ集中しようとした。膝を上げ、腕を振り息を吸って、吐いて。しばらく走ると向こうからベビーカーを押している若い女性が見えた。その人を見てなぜか緊張していたのがふっと力が抜けた。横を走り抜けた時女性と目があった。ひどく驚いた顔をしていたのをよく覚えている。僕の雰囲気がやはりどこかおかしかったのでだろう。
気がつけばスーパーの見えるところまで来ていた。車が走り、人が行き来しているいつもの町だ。しばらく立ち止まり息を整えて気分を落ち着かせていた。無事に戻れた。安堵感ですわりこみそうになったのをよく覚えている。
別に遠くに行ったわけでもなく誰かにさらわれそうになったわけでもないのに見覚えのある光景を目にして泣きそうになっていた。
まだ引っ越したばかりでそんなに馴染みのある場所でもないのに。

そのあとはスーパーに寄らずまっすぐ帰った。しばらくして帰ってきたお母さんには一言も話さなかった。なぜなのか。怒られると思ったのか。それとも部屋に帰り着いたら大したことではないと思ったのか。
大きくなって中学や高校時代に何度もお母さんに話してみようとしたことはあったが結局話さなかった。

中学に入る時にまた引っ越しをしてあの町は離れた。離れる前にだいぶあちこち回ってみたがあの場所は見つけられなかった。


あの時のことは年をとるごとに見えないところで大きくなっている。池に落ちた小石の波紋が徐々に大きくなって岸に打ち付けるように。不思議な体験ではあったが自分自身や親のこと(ややこしい話なのでとてもまとめて簡単には語れない。そうだよね、母さん。)、学校でのことなど日々押し寄せてくることに僕なりに乗り切るのに必死で、思い出しても深く考えるのは後回しにしていた。
でもあの石畳、小さな櫓、うっすらとした青空。そして木々が作り出している洞窟のような場所。埋め込まれた記憶とし僕の中の大事なところにしまい込まれて何かの折にふっと顔を出す。中学に入って部活にバスケ部を選んだ時(そこらへんから、周りとも馴染めるようになってごく普通の生徒になれた気がする。僕の勝手な思い込みかもしれないが。)

高校受験で進学先を決めた時(あんまり勉強もできないのにレベルの高いところを受け、数学の点だけで入学を許された)、そんな時にあの暗がりを見つめ、暗がりから見つめられたあの時。そこから逃げ戻った瞬間のことが頭の中で何度も何度も自動再生されていた。振り向けばある、いつも少しづつ形が違う欠けた月のように。

中学に入ってからでき始めた男友達や高校で仲良くなった女友達(一人だけだけど、友達以上、恋人未満というやつ、その後進展はなかった)にこの体験を話そうとしたことはあったが、やっぱりどう言っていいのか分からず結局誰にも一言も話したことはない。

子供のころの記憶の捏造。白昼夢。そんなふうに片づけられて話が終わりになるのが見えているし、しょうがないのかもしれないが、そんなこととは違う何かがあると僕には分かっている。

一人で生活していくと決めたここ最近、今目の前で起きていることのようにあの暗がりや吹き抜ける風、足をくじきそうになった時の痛み、走り出した胸の動悸、混ぜこぜになって頭の中だけでなく体の中で蘇ってくる感覚がしきりにやってくる。

今思うのはあの暗闇から目をそらせ背を向けたのは良いことだったのか。もしかしたら目をそらすべきじゃなかったのかもしれない。じっと見つめ続け最後まで(どいう言う最後があるのか見当もつかないが)見届けるべきじゃなかったのか、そんなことを思うようになってきた。ただこれからもずっとあの体験は僕の中であり続ける。もしかしたらもっと大きくなっていくのかもしれない。

決して手放してはいけないもの。漠然と僕のことを言っていると思っていたが違っていたようだ。母さんは新しい人と歩いていくことを決めた。僕は僕の道をいく。





21年目の・・・

2023-11-27 00:17:28 | 日記

いよいよ21年目に突入しました。新たなる決意と強い意志に満ち満ちた今日この頃、

というわけではもちろんありませんが、20年経ったんだよなあ、と折に触れ想う今日この頃

ではあります。

自分自身も20年分年を取ったわけですが、サイのツノというかお店自体も20年経ったわけです。建物自体は

賃貸で外壁とかは大家さんが修繕してくれますが中はもちろん自分で修繕というか改装というか、あれこれ手を

入れています。このところいろいろ店内に変化があったのはお気づきでしょうか?

ゆっくりと牛歩の歩みですが(表現が昭和ですね)あちこち手を入れています。まず壁を飾っている絵が変わりました。

義母の作品で2,0の店内を含めて7,8点あります。これだけでもだいぶ品が上がりました。

あと厨房内は別にしてお客さんに見えるところだとピクルス入れが新しくなりました。いろいろ探していたんですが

意外とないんですよね、値段とサイズとデザインがちょうどいいのが。今回通販で買ったんですがちょうど良かったです

(自分で思っているだけかもしれませんが)。のぼりも新しくなりました(三本のうちの一本だけですが)。

それとこれは気づいている方もいるかもしれませんが外側のガラスの内側にかけている布(もらいものの反物を使っています)

も変わりました。これは日本的な柄がおしゃれというかいい味を出していると思います。

お店を始めた時は0からですからあちこち作っては手直してという繰り返しでいつになったら完成になるんだろうと思って

いましたが、生き物と同じで完成というのはないんですよね。人生も完成と言えるのは終わる時でしょうからお店も終了という

時まで変化(発展?)を続けていくわけです。サイのツノの完成はいつのことになるのやら皆目見当がつきませんが。

外看板のメニューや写真も古くなって取り替えないといけないしトイレの壁もきれいにしたいし、とかやらなくちゃいけない

ことが次から次から出てきてあれこれやっているうちに時がたっていきます。

ただとりあえず自分も含めて家族やスタッフが健康で仕事ができているのはありがたいことです。

これからも無理せず、焦らず、怠らずでやっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 


番外編その2 オッペン・ロウシ作品集より 「はしご」

2023-11-01 00:02:10 | 日記

番外編の知人のオッペン・ロウシ氏の作品集より「はしご」をお届けします。

 

「はしご」

家への10分ほどの道のりをとぼとぼ歩きながら、やっぱり牛丼を大盛りにしとけばよかったと悔やんでいた。
確かにこのところお腹周りが気になりだしているが、明日の朝には空腹をかかえている。たぶん。

何より嫌なのは腹が減って夜中に目が覚めることだ。わざわざ起きだして何か食べるのも億劫だし、そのまま寝ようとしてもなかなか眠れない。困ったもんだ。

一方通行の道で車道側に公園が続いて、ところどころへこんでさび付いているガードレールのある歩道を歩きながらぼんやりと考えていた。健康のためにとサラダをつけるんじゃなくてちゃんと大盛りにしとけば良かった。とにかく腹が満たされてないと安心できない。朝起きた時の眠気と空腹の混ざり合ったどんよりした気分が今から予想できて胃の辺りに鈍痛が忍び寄っている。出かける時の玄関のドアを閉め鍵をかける時の腹の底が重くなるあの気分。日によって多少の違いはあるがため息が漏れだす時もある。そんな気分で一日を始めたくないのはやまやまだがいつも頭の上になにかうすぼんやりしたものが乗っかっている。

明日の朝は駅に行く途中のコンビニでパンを買うとして昼はどうするか。脂っこいものは控えた方がよさそうだが結局スタミナ定食を食べちゃうんだよな、身体がたるんでくるよな。

高校の時に剣道部にいたころはそれなりに締まった体をしていたのに。まあ剣道部といってもなんちゃってというかほどほど、というのが実際だったが。夏の暑さはとても耐えられたもんじゃなかった。今思い出してもぐったりするぐらいだ。

大学時代はどうだったろう?何をやっていたんだっけ?うまく思い出せない。シーズンスポーツのサークルに入ってそれなりに楽しくやっていた。授業はちゃんと出て成績もそれなりに良かった。なんだかそれなりばっかりだ。

一人暮らしを始めた学生の頃は節約の意味もあって自炊をしようとしたが結局は食材の半分は腐らせることになってほとんど部屋で料理をしなかった。余裕がある時は外食して仕送りがなくなってくるとカップ麺とかご飯だけ炊いてふりかけをかけて腹を満たすとか。今もそんなに変わらないか。なんだかさえない。そう、さえないんだよな。

不規則な食生活も学生の頃から変わってない。いや時間に余裕がない分ひどくなってるかも。朝からのスナック菓子。飲みに行った後のラーメンとか昼のスタミナ定食や牛丼。脂肪の多い肉ばっかり食べてるな。よくないのは分かっている。分かっていてもやめられないだよな、そうだよな、と誰に言ってるのか分からない繰り言が次々出てくる。最近、独り言が多いかも、まずいかな、でも、止められないんだよな。

帰って寝る前に何か食べるか。カップ麺は買い置きがあるはず。生野菜でも乗せてヘルシーにいくか。冷蔵庫の中になにか野菜でも入っていたか。卵はきれている。確かキュウリが一本とプチトマトが何個か入っていたぐらい。どっちも買って日にちがたってるからしわが寄ってるかも。あとはウーロン茶のペットボトルがはいっていてだいたい終わり。隙間だらけの冷蔵庫。寒々しい。

大学を卒業して就職したときに住み始めた築15年のワンルームマンション。引っ越した当初はは日当たりもいいし学生時代のアパートに比べれば断然キレイで気に入っていたが外装もだいぶくたびれてきてるし、部屋の中は言わずもがな。加速度的に薄汚れてきている気がする。なんだって色褪せてくる。しょうがない。就職したころの先への不安ややってやる(何をやるのか分かってないが)という勢いもなんとなくしぼんできて、よくいえば落ち着いた、というか落ち込んでるともいえそうだけど。本音でいえばだらだらの日々。


大学を出て三年。両親のいる実家から離れて都会での一人暮らしにもいい加減慣れてきた。気ままな一人暮らしにそんなに不満があるわけでもない。仕事も少しは楽しく感じれるようにはなった。まだまだ言われたことをこなしているだけだが自分なりに工夫をして能率よくできるようにはなってきている。とオレは思っているんだけど。建設資材の営業だから勉強しなくちゃいけないことや覚えないといけないことが目の前に視界を遮る洗濯物のようにうずたかくたまっているが一番上の物をとるのも億劫で眺めるだけになっている。そこにあるのは知ってるし、かたずければ大した手間でないのも分かっているんだが、それがなかなか。

そういえば最近は営業成績も後輩に抜かれることも多くなっている。誰にでもあることだから気にしないようにはしているがそうはいっても目の前に派手な広告看板を置かれているみたいなもんで視界に嫌でも入ってくる。気にした方がいいのか、いけないのか。どっちにしてもストレス。周りをみてオレならこうするのに、オレにやらせればうまくいくのに、と思いがちなのも確かかも。そういうのが態度にでるのか、生意気なやつと思われることもよくあった。会社でも先輩から嫌味を言われることがある。こんなに控えめな性格なのに。まあオレがやったからうまくいくわけじゃあないのもこの年になれば分かってくるが。

高校でも大学でもそんな調子だった気もする。いつも実際には二番手、三番手。いや四番、五番か。気分だけは上位にいるつもりでも遅れをとっている。

街灯がぽつんぽつんとしかついていない少し寂し気な道を歩きながらあれこれくよくよと考え続けていた。昼間の課長からの小言も浮かんできて食べたばかりの牛丼が胃の中をせりあがってきそうになった。喉が渇く。給料日まで2週間以上あるな、今週末はおとなしくいてるか、今月の営業成績も悪いし、会議は明後日か、今から頭が痛い、そういえば明日が燃えるゴミを出す日だっけ、忘れないようにしないと。あれこれぶつぶつ独り言が沸いて出ていた時ふと足が止まった。

周りに異変を感じたのだ。最初は停電かと思った。あたりが暗くなった気がしたのだが、2,30メートルごとの街灯はついている。ついているがなんだか暗い。夜だから暗いのは暗いのだがさっきより一段階明るさが下った感じでオレの目がかすんでいるのかと瞼を手のひらで押してもう一度周りを見回してみてやはりなんだか暗い。薄い透明の膜でオレのまわりを囲われた気がした。歩いている人もいず車が通る気配もないのでやけに静かでますます妙な気がしてくる。ただのオレの錯覚か、疲れでも出ているのかな、と足を動かした時目の前に奇妙なものが目についた。

薄く暗がりの中白っぽい影のようなものが浮かんでいる。さっきまでは何もなかったのに。周りの暗がりが徐々に増しているのか白っぽい影のようなものの先が何も見えなくなっている。

なんだ?頭の中がしびれてくるような感覚があった。太ももから力が抜けていく。

いつもの風景が知らぬ間に後退して別の場所に連れてこられたような奇妙な空気に満たされている。

よく見ようと近づいた。とにかくここを通らないと帰れない。なんでこんなに暗いんだ。

近づくとその白い影が前に浮き出してくるようにくっきりと見えた。
梯子のようなものだ。
梯子のようなもの、というか梯子というしかない。まっすぐな棒が二本縦にに並び、4,50センチぐらいの感覚で横棒が付いている。まさに梯子だ。

ただそれは地面には着いていない。人の膝辺りの高さで途切れている。

途切れている?上は?

上は暗くどこにつながっているのか見えない。真っ黒な雨雲がかかっているように見上げる部分が何も見えない。闇だ。闇から梯子が降りてきているようだ。
いや歩道の真ん中にあるのだからその上に何かとつながっているはずがない。空との間に何がある?上の暗い部分をよく見ると完全な闇があり、その周りをぼんやりとした暗がりが広がっているのだが遠近感がつかめず近いのか遠いのか、小さいのか大きいのか全く分からない。
恐怖感はなかった。いきなり夢の中に入ったように自分の身体がなくなり視覚だけが生き残ったように目の前の風景にひきつけられていく。
梯子がある。深海の更に奥深くのような闇から降りて膝のあたりですっぱりと切れ、この街ができるはるか前、自然の息吹しかなかったころからそこにあったように。透明の壁にしっかりと打ち付けられたように一切の揺らぎなく。

こんなの現実じゃない、という声が聞こえ、オレ、どうしちゃったんだろう、幻影を見てるのか、とつぶやいている自分がいる。
気が付くとそれに手を伸ばしていた。ゆっくりゆっくり手のひらをちかづけていく。スローモーションのように。梯子はありありとそこにある。瞬間のことなのか長い時間をかけたのか、やがて手は梯子に触る。
それはひんやりともしないし暖かくもない。手触りは柔らかくもなくかといって硬いわけでもない。いや触ってへこんだりするわけではないが触っている手のひらが吸い付くような感覚だ。

背後から落雷のような音がして一瞬体に電流が走ったようにびくっとして振り返った。

目を戻すとそこにはなにもなかった。いつもの道が続いているだけ。毎日目にする風景が広がっている。暗がりもすっと身を隠すように消えていっていつも朝、晩と通る道が戻っている。

光が近づいてくるのに気がついた。地面や公園の壁を薄く照らしゆっくり明かりを増している。息が苦しくなりながらその光に意識が集中していた。あまりにゆっくり近づいて光が大きくなってくるので何か異常な感じがしたが、振動音がしてやがて車が現れた。ハイビームでもしていたのか四輪駆動のやたらがたいのでかい車だった。
大きくくぐもったどこかあざ笑うようなエンジン音を響かせてすぐそばを通り過ぎていった。タイヤをきしませ排気ガスを出す現実の車だ。

オレの身体が細かく震えているのに気が付いた。真冬の山中にいるような芯からくる抑えようのない震えとしびれ。ガードレールに両手をついてとにかく息を吐いてもとに戻るまで目をつむりじっと待った。なにも考えないようにして。
やがて震えなのかしびれなのか身体がマヒしている感覚から徐々に回復してその場にしゃがみ込み息を整えていたら、背後から突然靴音がして文字通り飛び上がって振り返ったら仕事帰りらしい若い女性が驚いた顔で立ち止まっていた。すぐに小走りでオレの横を下を向きながら抜けていった。
まだふわふわとした足取りだったがとにかくその場を離れ部屋へと向かった。あの薄汚れた部屋に早く帰ることだけ考えて。

部屋に入って明かりをつけしばらく当てもなく狭い部屋をウロウロしていた。なにか飲もうと冷蔵庫を開け、何も取らず

洗面台で顔を洗ってシャワーを浴びようとして服を脱いでいないことに気がついて、リビングに戻ってテレビをつけ、すぐ消した。

何だったのか?

あの場を離れていつもの自分の部屋にいる。でも自分の一部がまだあの場所にのこされているような、半分夢の中にいるような、今まで経験のない混乱の中にいる。小さい子供に戻った気分だった。

誰かに話したかったがどう言えばいいのか。何人か友人や知り合いの顔が浮かんだが具体的にどう切り出せばいいのか考えていくうちに誰にも連絡できなかった。説明しようがない。最後に親の顔が浮かんだがどういったところで心配をかけるだけだろう。母親なんか大騒ぎして泣き出すんじゃないか。

ベッドに横になって布団を頭までかぶって明かりを消してないのに気がついてベッドから出てトイレに行って便座に座って目の前のドアにかけてあるカレンダーを眺め続けていた。

真夜中に目が覚めた。枕もとの置き時計のライトをつけて見ると3時少し過ぎだった。眠れる気がしなかったがとにかく寝るしかないと布団に入った途端眠ってしまったらしい。エネルギーを使い果たして気を失ったというほうが近いかもしれないが。

時計から目を離し上を見上げるとすぐ目の前ににさっき見た梯子が浮いていた。

布団を跳ね飛ばして上半身をのけぞらした。

顔を戻して目をやると何もない。枕もとのスタンドをつけそっと周りに目をやる。いつもの殺風景な部屋だ。布団からはい出し壁のスイッチで部屋の明かりをつけあらためて部屋全体をを見る。どこにも変わりはない。脱ぎ捨ててあるシャツや靴下。床に置きっぱなしの散らかった書類。飲みかけのペットボトルや封を切ってしけったスナック菓子がテーブルの上に散らばっている。いつものオレの部屋だ。

ただの錯覚だ。それしかない。オレについてきたわけがない。昔の妖怪じゃあるまいし。妖怪?変なことを考えるのはやめないと。どんどんずれて歪んででいきそうだ。一人っ子のオレは小さい時から怖がりだった。怪談とかホラー映画とかは極力近づかないようにしていた。今までオカルトや霊的な経験などしたことはなかった。信じるとか信じないではなくとにかく関わりたくなかった。それなのに。

明かりを消す気がしないので布団を頭の上まで引っ張ってとにかく寝ようとした。

怖いというのではない。何があったかもよく分かっている。でもそれを受け入れることができない。
一体どうやって受け入れればいいのか。空から梯子がおりて目の前にある。触った感触は手に残っている。皮膚に薄く取り付いている。

梯子なんだから登ればよかったのか。子供の頃読んだ童話みたいに登っていけば別の世界に行けたのか。あり得ない。


アラーム音で目が覚める。眠れずにいたが日が昇ったのは気がつかなかった。少しは眠れたのだろう。部屋にあるただ一つの東向きの窓から朝日が差し込んで部屋を明るくしている。恐る恐る様子をうかがうが変わったところはない。とにかく遅刻するわけにはいかない。課長の苦り切った顔が浮かぶ。勘弁してくれ。でも布団から出るのはぎりぎりになってあたふたと支度する。

何も考えないようにしていつも通り朝の支度をしよとした。テレビをつけ音を大きめにして今日の仕事の段取りを考えた。朝一でこのところ行ってない得意先を何軒か回ってみよう。アポを取ってないけど。とにかく早く職場に行きたかった。入社以来初めてかもしれない。課長の顔も早く見たかった。

テレビを消して出かけようとしたらニュースが流れていて思わず昨日の出来事に関連した何かが報じられていないか見入ってしまった。チャンネルを変えながら一通り見てみたが何も変わったことはないようだった。いつもの聞いていても頭には入ってこないニュースばかりだ。時計を見て慌てて部屋を出る。昨日とは別の道を通って駅へ急ぎながら周りを見回すがいつもの街だ。高校生の男子が2,3人じゃれあっている。学生らしき女子がおにぎりを頬ばりながら、会社員たちは眉間にしわを寄せながら急ぎ足で駅に向かう。世界に変化はないようだ。どこも変わったところは見当たらない。

いつものぎちぎちに荷物のように詰め込まれた電車で会社に向かいながら窓の外に目をやっているとはるか彼方に山並みが見えた。高架を走るこの路線に毎日乗っているのだが山並みを見るのは初めてだ。
ー山だ。目の前にいた高校生らしき女子がチラッと視線を投げかけた。言葉を口に出したらしい。オレは足元に目をやって少女の視線を気づかないふりをして軽く咳をした。もう一度外に目をやる。空が青より白が勝っているこの大都会の彼方に白よりほんの少し灰色が勝っている山並みが連なっている。この辺りの地図はもちろん頭に入っているから山があるのは知ってはいたが目にするのはこの大都会に来てから初めての気がする。生まれた町は山に囲まれた盆地だったから目にしない日は一日としてなかった。生まれてからずっと。大学には入ってここに来てから7,8年か。

目の前に梯子が現れ消えた。瞬きするぐらいのほんの一瞬のことだ。体が両脇を何かにつつかれたようにびくっとしたのだろう。また少女が目を上げそっとオレの様子をうかがう。少し緊張感がある。オレは体を少女の側から離れるようひねって顔を逆に向けた。これ以上面倒に巻き込まれたくはない。
梯子がオレにとって面倒なのだろうか?一体どう考えればいいのか?オレの脳の中に白い蒸気が立ち上って激しく渦をまいている。何も考えることができなくなって、身体中が冷えてくる。

山並みはビル群の陰に隠れすぐ見えなくなった。電車の窓からはどこまでも大小さまざまなビルが続いていく。止まった駅で人が吐き出され、吸い込まれ進んでいく。

人波が街中にあふれ出てやがてコンクリートの建物の中に吸い込まれていく。時間が来ればそこから吐き出され人波が逆向きに流れ、陽が沈み夜が来て人々が眠りにつき暗闇があらゆるところに忍び込み、やがて日が昇り街が息を吹き返し、また波が押し寄せひいていく。人々は溶け合い波となり街と混ざり合って流されていく。

イメージがオレの中であふれ満ちてこぼれていく。

結局その日は会社には行かなかった。いつもの駅で降りずに終点まで行ってそこから会社に電話して具合が悪いと休ませてもらった。嘘ではないが本当でもない。ただこのままいつも通り働くことができそうになかった。

部屋に帰って布団に寝転がり頭の下に両手を組んでずっと天井を見続けていた。気がつけば日が暮れ部屋には海の底のような静かな薄暗がりに浸されたいた。

会社は二日休んだ。三日目に会社に行って朝部屋に入るなり課長と顔を合わせた。オレを待ち構えていたようだ。でも勢い込んで何か言おうとオレの顔を見て口をつぐんでしまった。何を言われても素直に聞くつもりでいたのだが肩透かしを食らった。殴り掛かられた拳がふっと体を通り抜けたような。休んだ分は取り返してもらうからな、と口調は強かったがすぐ自分の机に戻っていった。その時久しぶりに課長の顔を面と向かって見た気がして自分でもちょっと驚いた。毎日会ってはいるのだが面と向かうことがほとんどなかったんだろう(オレがいつも下を向くから)。何かどんよりとした曇り空をおもわせる顔色で具合が悪いんじゃないかと思ってしまった。上からは数字で締め付けられ下は思うように動かない(オレのことだが)。ハツラツとした表情にならないのはしょうがないだろう。

仕事はなぜか楽にできた。楽しくもないがつらくもない。だが仕事中にあることが気になりだして定時にさっさと退社した。まだ体調がよくないのでと課長に一方的に宣告して振り返りもせず家路についた。部屋に着くとすぐバスルームに入って裸になり体の隅々を調べてみた。何か変化がないか、皮膚が青みがかってきているとか、瞳が光りだすとか。以前見た映画でそんな話があった気がしたのだ。でもなんの変化もなかった。年の割にはたるんださえないいつものオレの体だ。食欲もあるし味覚にも異常はない。外見的にも体調的にも何の変化もない。

ただ梯子の残像が頭の中で蘇るだけ。意志ではどうしようもなく誰かが気まぐれにボタンを押しているように突然現れては消える。

ひと月以上たった日曜のひどく天気のいい日(この街ではこれ以上爽やかにはなれないというぐらい空気が澄んで空が高かった)に意を決して向かった。本当に意を決して、だった。大学受験の当日でもここまで張り詰めた気分にはならなかったと思う。中学生の時に好きだった子に告白しに彼女の家の近くに行って戻ってくるのを近くのコンビニの前で待っていた時のことを思いした。周りにはやされて行かざるを得なくなった感じだったが結局現れず、告白もしなかった。でもあの時彼女が現れていたらていたらオレはどうしていたのだろう。何も言えず立ち去っていた気もする。でももしかしたら違う展開もあったのかもしれない。彼女の方も俺に対して悪い感じは持ってなかったはず。そういえば彼女は今はどうしているんだろう。高校も別で全くかかわりなく今にいたっているが普通に考えれば同じ社会人として頑張っているんじゃないか。頑張っていてほしいな、と

高校でも大学でも彼女らしき友達はできたがそこから先には進めなかった。いつも自然消滅的に離れていってしまう。今にいたるまで真剣に交際したことはない。オレが求めているものは何なんだろう。いつも何か心の奥底(いったいどこにあるんだろう)でうごめいいているものを感じていた。形になりそうで形にならない。もやもやとした煙が何かの意思を持って姿を現そうとするとどこからか風が吹いてきて一瞬で吹き消される。そういう感覚をいつも持っていた。あの場所に向かいながらそんなことをぼんやり考えていた。

あの場所で立ち尽くしていた。平日の夜とは違って人通りが多く子供連れもいてあの日の夜を思い出させるものは何もなかった。ただの通りだ。ここだったのか。そもそも本当にあったことなのか。オレには分からなくなっていた。
あの日に経験したことが何だったのか。オレの幻想なのか何かの錯覚なのか。何度考えたことか。何度考えても何の結論もでない。それでも考えないわけにはいかないかった。考えることで飲み込まれるのをなんとか防いでいたのだろう。飲み込まれ流されていくのを。

いつまでも立ち止まっているわけにもいかず、どこへ行きたいところもなく、とりあえず歩き出し近くの大きな公園に入っていった。百メートル走ができそうな広場があって遊具も周りに置かれ、少し行けばボートが浮かぶ池もある家族連れでにぎわう公園だ。木立の中に入って人気のない場所を探して大きな樹の下に座り込んだ。

オレは今まで何をしてきたんだろう。本当に大学に行って、卒業して、就職して今に至っているのだろうか。なんだか自信が持てなくなっていた。変な話だ。写真もあるし、一緒に過ごした友人もいる。連絡を取ろうと思えばいつでも取れる。でもあれ以来職場と自宅の往復だけになっている。誰にも連絡を取っていないし、誰からも連絡もない。何か一日が過ぎていく感覚というのか日々の手応えというものがなくなっている。延々と続く自動通路に乗っているような気がする。そこで座ろうが歩こうが逆走しようが淡々と運ばれていく。先の見えない道。

小さい子供、4,5歳ぐらいだろうか、二人が手をつないで走ってきた。オレのほんの数メートル先を通った時に手が離れた拍子に一人が前のめりに両手をついて転んだ。思わずオレの腰が浮いた。もう一人の子がびっくりした表情で手を伸ばすと転んだ子供は泣きもせずすくっと立ち上がった。その様子が力強くなんだか見入ってしまった。二人はまた手をつなぐとすぐ駆け出して行った。周りに大人はいず親でも待っているんだろうか。その小さな後姿が見えなくなるまで眺めていた。

もたれた木の幹の固くごつごつした感触が心地よかった。下から見上げる樹は覆いかぶさるように枝を広げ葉を茂らせ光の加減で様々な色を作り出し、わずかな風の強弱でいろんな音を響かせている。オレは何をやっているんだろう。いつまでも樹を見上げていた。

確かなことは日が経つにつれ梯子の実在感は増している。
あの日の暗闇から降りてくる梯子を忘れたことは片時もない。それはいつもオレの中にある。オレがどう思おうが、どう考えようがなんの関係もなく。

ただオレはもう一度あれを目にしても触れることはない。登ることももちろんない。それはあれを現実に体験したことと同じようにはっきり分かった。もっとはっきり言えばオレには登ることはできないのだ。
足場がないのだから。オレの足下には空洞が広がっている。
それでも一日一日過ぎていく。