突然ですが番外編です。
知人のオッペン・ロウシ氏の文章をたまたま見る機会があり、これ面白いんじゃないの、公表したら?と言ってみたんですが、彼は興味を示さず放置したままだったので、サイのツノのブログに投稿してもいい?ほとんど人目にふれないからと説得して、今回投稿することになりました。短い作品なのであいた時間にでも読んでもらってひと時を楽しんでもらえればと思います。ぜひどうぞ!
「ユーカリ」
ーユーカリの木がこんなところにもあるなんて知らなかった。オーストラリアにだけはえてるのかと思ってた。
僕の顔を振り返って、知ってた?とつぶやくように彼女は言った。オレも木を見上げる
ーいや、知らなかった。
意に反してささやくような声になったのが気になってまた顔が赤くなる。
彼女は首をそれ以上曲げれないほど曲げしげしげ見上げている。何もそんなに珍しがることはないのにと思いつつオレも少し離れて見上げる。
白い幹が二人で手をまわしてやっとつなげれるぐらいの太さで、オレの背丈ぐらいから二つに分かれ二本の幹が学校の3階より高そうなところまで伸びている。細長い葉はまばらにしかなく周りを見渡してもこのだだっ広い公園の中にユーカリの木はここにしかない。
高校受験を控えた中学三年の秋の夕暮れ時。わずかに赤みを帯びた西の空の上には白黒のはっきりした薄く伸びた雲がかかっている。この公園を抜けるまでのわずかな時間だけ二人で歩いている。学校から20分ほど歩く距離で駅とは方向が違うので同じ学校の生徒は見かけない。
住宅街を抜け、目立たない細い道が公園とつながっていて彼女がそこを通って公園を抜け家に帰るのを偶然知ったのは確か夏前だった。最初は気づかないふりをして追い越していった。次の日は学校を出るのが遅かったのか彼女の姿は見えなかった。何日か時間をかけて公園をゆっくり歩いたのだが見つけることができず、やがて夏休みが来て、二学期が始まり彼女を公園で探すのを諦めていた時に彼女の後姿を見つけた。追いつきはしたがどうすれば話しかけられるのか分からずただ後ろについて歩いているしかなくもう公園から出そうになったところで彼女が振り向き、戸惑った顔でオレの名前をつぶやいた。あとで知ったことだが変質者と間違われたらしい。仕方がない。変なやつには違いない。それよりも二人で話したこともなく(数人の友人同士でしゃべっていた輪の中にお互いいたことはあったが)特に目立つこともないオレの名前を知っていることに驚いた。そして心が弾んだ。
オレはとくに勉強ができるわけでもなく運動が得意なわけでもないさえない中学三年の男子。彼女は三年になって転校してきた少し不思議な雰囲気を持った女子。
決して人目を惹く美人というわけではない。小柄で細身だけど顔はぽっちゃりしていて髪型もうなじあたりで短くそろえてほかの子みたいなおしゃれっ気はない。学校の休み時間に廊下ですれ違って思わずその後姿を目で追っていると、なんだ、あんなのが好みなのか?と友達に言われて聞こえないふりをしたけど目立つわけじゃないんだと思った。
一番最初の出会った時のことはよく覚えている。年を経るほどにより鮮明になっている気もする。純化されるというのか。ただ最初から好印象をもったわけじゃない。いわゆるひとめぼれというのとは違う。学校の図書館で昼休みに一人で授業の宿題で必要だった本を返す時に彼女が当番で貸し出しの係をしていた。最近転校してきた子だと気がついた。同じ学年で違うクラスになっていた。借りていた本を返しにいった時彼女が伏せていた顔を上げお互い正面から見つめあう形になった。その時初めて顔をちゃんと見たわけだが正直ほとんど印象は残っていない。ただ佇まいというのかちょっとした顔や手の動きとか、彼女の醸し出す雰囲気がオレの中に残って何日もかけて少しづつ膨らみだした。オレも気づかないうちに。
学校の廊下や朝礼の時とか姿を見かけるたびに目が行き、だんだんと姿を探すようになり、姿を見つけると心が浮き立つ自分に戸惑った。
女の子の常でいつも誰かしらと一緒に行動していたがどこか浮いた印象を持っていた。浮いているというかほかの子たちとはなにか違う。何が違うんだろうとさらに目がいく。気がつけばいつも彼女のことを考えていた。
夜中に布団の中ぼんやりとしている時に彼女のこと思い出していて、その視線がどこか遠くを見ているような不安定な印象なのに気がついた。
不安定というか、なんだろう、どういえばいいんだろうといろいろ考えているうちに外が明るくなっていた。
二度目での公園での偶然の出会い、と言ってももちろんオレが先にいて、あれ、という顔をして、偶然だね、と言ったのだが、わざとらしすぎて自分でもバカみたいだと頭の中が空白になってどうしたらいいのか分からず立ちすくんでいたら、彼女が戸惑いながらもかすかな笑みをうかべ、ちょっとあっちの原っぱまで歩いてみる、と誘ってくれ二人の散歩が始まった。女の子と二人で歩くというのは初めてで何気ないふりをしながら頭の中はどうしよう、どうしたらいい、何を話す、何か話さないと、嵐にもまれる小舟のようだったが、彼女はすごく自然に(のようにみえた)歩きながら時々こっちを見上げて話しかけてくれる。
ーこの前の合唱コンクールの練習でもすぐいると分かったよ。声が違うもんね。
オレの名前を憶えていたのも合唱の練習で目立っていたからのようだった。初めてこの声で良かったと思った瞬間だった。
ー歌がうまいのね。声が素敵だもんね、テノールっていうの?
ー声変わりする前は変な声って言われてて嫌だったんだけど。自然と出るからいい声と言われても、なんだかなって感じなんだけど。
うまく息づきができなくていっきにしゃべってしまう。
ーしゃべる時とは違うもんね。
そう言われて赤くなる。気がつかれないよう横を向いてあいまいにうなずく。別に赤くなる必要なんてないのに、と思っても顔が火照るのが
自分でもわかる。
ー変かな?
ーううん、才能ってやつだよね。すごいよ。
ーでもとくに役に立つわけでもないし、
私ってなにもないからなあ、オレの少し前を歩きながら明るくではあるけどこか投げやりな感じでつぶやいた。なにか言葉を返さなきゃとは思ったが思うだけで言葉は出てこない。そっと横顔を見ながら彼女のことを何も知らないのに改めて気づいた。何も知らない。だけど惹かれている。なぜなんだろう?家に帰って部屋のベッドの上で膝を抱えこの感覚の不思議さにいつまでもでひたっていた。
それから公園を抜ける時だけ二人で歩くのが(お互い塾に行ったりしていたので週に二回ほどだが)習慣になった。約束したわけではないがだいたい同じ曜日の同じ時間に公園につくと彼女もいて(彼女がいないときはオレがぶらぶらしているうちに彼女が姿を現す)なんとなく一緒に歩き出す。肩が触れ合うほどではないが手を伸ばせば手をつなげるような距離。歩き出すとなんとなくお互い笑顔を交わし(オレはぎこちない笑顔で、それでも回を重ねるうちにほぐれていったとは思う)軽く会話をする。話すといってもオレはほとんどしゃべらず彼女の方から話しかけてくれる。考えた見たらオレから話しかけたことってなかったかもしれない。でもなぜか窮屈な感じがしない。オレが無口なのをあまり気にしてないらしいのがうれしかった。でもオレといても楽しくないだろうに。次に会っても話しかけてくれないかもといつも気にやんでいたが彼女の方は当たり前のように横に並んで歩き出す。その瞬間に泳いでいてやっと息継ぎができたように新鮮なん空気がオレの中に流れ込む。
一緒に歩くようになった最初のころ定期テストの話になって英語の試験範囲をお互い確かめていた時顔を見合わせて目があった。その目をほんの一瞬覗き込んだ時に引き込まれた。目が離せなくなった。こんな風に見つめたらまずい。目をそらさなくちゃ。自分の顔が赤く火照るのが分かった。とりあえず試験の話をしながら目をそらしたが瞳の黒さが目に飛び込んで頭の真ん中で膨らんでいた。一人になった後もその瞳のイメージはは消え去ることなくオレはそれを抱えてたたずみ途方くれた。その時は言葉にはできなかったが、黒い瞳の奥に遠くから呼びかけているものを感じたのだと今になって思う。何が、何を呼び掛けているのか想像もつかなかったがそこにあるのだけは確かだった。
彼とは事務所に入所してきてすぐ紹介されてそれからずっと付き合いがありましたね。最後の2年はマネージャーでしたし、入所する前のことは知らないけど後のことは僕が一番知っているんじゃないかな。いや、とにかくまじめなタイプですね。真面目過ぎて融通が利かないところがあるけどアイドルとしてはそこらへんがアピールしてたんじゃないかな。
あの生放送での事件ね。とにかくアドリブでしゃべりだしてこっちとしてはビックリですよ、しゃべり担当じゃないし、もともと普段から無口でしたからね。あれっ、えっ?って感じで他の奴らもポカーンでしたから。とにかく売れ出してやっと巡ってきたチャンスの時期でしたから、あの番組は注目度高いしこっちとしても短い時間でうまくアピールできるようちゃんと打合せして準備万端で臨んだつもりだったのに完全ぶち壊しですからね。こっちとしてはなにやってんだとハラハラしてみてたから、ええ、木の下で待ってるってってセリフね。いやあ、誰も何のことかわかんなかったですよ。歌った詩とも関係ないし、繰り返してるのは分かったけど何のこと何だかさっぱりですよ。怒鳴ってやろうと待ってたらいつの間にかスタジオ抜け出してそれっきりですからね。みんな真っ青っていうか頭の中は真っ白でしたね。結構な騒ぎになりましたもんね。何が何だか、事件なのか。誘拐でもされたのか。マスコミでもけっこう取り上げられたし。謎の失踪。売り出し中のアイドルですからそりゃ注目されますよね。でもホントに僕も詳しいことは知らされてないんですよ。結局社長が警察には申告しなかったから。なんでも一人だけいる身内の叔父さん、だったかな、から本人と連絡が取れたから心配はいらないということになったって聞いてますけど。事件じゃないってことで落ち着いたんで。自分らとしては納得いかなかったですけどね。今だから言えるけど次の日も連絡が取れなくみんなで事務所に集まって警察に届けようと話してた時はオレはもしかしたら命を絶ったんじゃないかと、ええ、まあ、ちらっとではあるけど頭をよぎりましたね。あのぐらいの子たちをたくさん見てるから何があっても不思議じゃないというのは知ってたから。
最初ですか?街中でスカウトされたんだけど連れの子が目立つ子で声ををかけられたんですよね、確か。で一緒についてきた彼が声を気に入られて。最初から彼は乗り気だったみたいですよ。なんでも生活費を稼がなくちゃいけないとかで。家庭がなんか複雑だったんですよ、あまり詳しくは知らないんですけど。
へー、そうなんですか?親が離婚してたんだ。高1ていったらスカウトされる直前ぐらいかな、それは初めて聞きました。彼は自分の事はほとんどしゃべらなかったんでね。
結局あのグループはしばらくして解散でそれぞれ別で活動することになったけど最終的にはみんなめが出なかったですね。そんなに目立った特色がなくて5人で何とか力を合わせてってグループでしたから。どっちにしてもあのグループ自体はそんなに長くはなかったかもしれないですけどね。でもみんないい子で頑張ってたから。よし、行くぞ、このチャンスをつかめってところであの事件でしたから。ガクッと来たのは確かですね。
やがてどちらからとなくまっすぐ通り抜けるのでなくぐるっと公園の中を回るようになった。大きい公園だから歩く場所には困らない。真ん中あたりが大きな原っぱになっていてその横に小高くなって登れる丘や遊具が集まっている場所などがあり、休みの日は家族連れでにぎわうようだが平日の下校時はジョギングする人や犬の散歩をする人がちらほらいる程度だ。
そのユーカリの木は真ん中にある原っぱをぐるっと回った反対側にあって初めて見てすぐ彼女のお気に入りになっていた。いつも足をとめ手を幹にかざして上を見上げる。その横顔には何か不思議な真剣さがあった。
ある時ユーカリの木を見上げながら彼女が鼻歌を歌っていた。楽しそうにしてオレの方を見るのでオレもなんだかうれしくなって、何の曲?
と聞いてみた。今度は軽く口ずさんで歌ってくれた。ら、ら、らという感じのハミングだがどこか悲しげな感じのする聞いたことのないメロディー。
ーお母さんがいつも口ずさんでいたの。子供のころ見た外国映画の中の曲らしいけど。なんていう曲か知らない?
オレを見ながら口ずさむのでなんだか赤くなってユーカリを見上げながら、いや、知らないな。聞いたことない。歌がうまいからもしかしたら知ってるかもって思ったけど、そうよね、関係ないよね。そりゃね。顔を見合わせ二人で声を出して笑った。笑いあうのは初めてだったかもしれない。こんなことで体が少し浮きそうなくらい軽い気分になれるんだと知った。
ー古い映画らしくてお母さんも題名も内容も覚えてないんだけどこのメロディーだけよく覚えてるんだって。
ユーカリに背をもたせ掛けて両手を後ろに組んで口ずさむ。
ー内容も覚えてないの?
ーなんか子供には難しかったんだって。題名も覚えてないから調べようがないんだけど。10代のころに見たらしいけどひとりで料理とか編み物とかする時に口ずさむのが癖になって、いまでも時々口ずさむから私もいつの間にか覚えちゃって、気がついたら口ずさんでたりするの。お母さんがあんたなんでその曲知ってるの?ってびっくりしてたけど。お母さんのせいでしょ、って二人で笑ってた。
ー仲がいいんだね。
ーとりあえずね。
ーとりあえず?
ーうん、まあ。なんでも話すから。仲が良くないの?
言葉につまって黙ってしまう。あ、ごめん、とオレの方を心配そうに見る。
ーその曲をぜんぶ覚えてるの?
ーううん、このメロディーだけなの、覚えてるのは。だから歌詞があるのかもわかんないみたい。
ーそれじゃ題名までたどり着くのはかなり難しそうだね。
ーそうね。このメロディーだけがお母さんのなかで何十年繰り返されて、それが私に伝わって。でもこれを口ずさむとなんだか不思議な気持ちになるの。少しは嫌なことを忘れられる。
ー嫌なこと?
ー昔に外国のだれか知らない人が作った曲がが題名も分からずにメロディーだけたまたまお母さんの記憶に残ってさらに私に伝わって。生き残るのはメロディーだけ、みたいな。
オレの質問には答えてくれずまた口ずさみだした。
ーでもなんか悲しくなるっていうか、印象に残るメロディーだよね、確かに。
ふふふ、と笑う彼女がすごく幼く見えた。
ーメロディーだけが残るんだ。子から孫へ何百年。
ーそう、何百年。
いつもうつむき加減だが、ふと顔を上げオレの顔を見ながら微笑むと時本当の姿を現すような錯覚をする。舞台が回転して背景が一変するように何かに覆われていたのが風に吹かれ彼女の本当の姿を現す。それでもさらに瞳の奥深くに大切にしまわれている何かがある。それは磁力のように引き合っていると思うとある瞬間、極が変わり反発しあって決して触れることができない。近づけば近づくほど外形がぼんやりしてくる。焦点を合わそうとするとぶれだし、よそ見をしていると近くに浮かびあがってくる。
オレにとってはすごく新鮮で緊張はするけど待ち遠しい時間。でもその時間が来るのが怖くもある。会えなくて一人で帰るのはもっと怖い。
やがてベンチに座ってしばらくぼんやりと夕暮れ時を過ごすようになった。その時期の早い夕暮れの景色を二人で眺める。暗くならなけらばいいのにとは思っても気がつくと薄闇に包まれだし彼女が腰をあげ、行こっか、といって歩き出す。その後姿をいつまでも見ていたいと思う。そんなことが何回ぐらいあったんだろう。秋から冬になって年が暮れるまでの間だった。年が明ければ受験が本格化して塾の自習室で勉強するのが日課になったし、彼女は彼女で勉強に追われていただろう。彼女の成績は学年でいつも上位だった。
いつものようにユーカリの木を彼女が見上げているとすっとオレに顔を向け、あのね、と話し出した。何かいつもと違う雰囲気でこっちを緊張させる一言。
ー私はいつまでもここにはいられないの。遠いところに帰らないと。とんでもなく遠いところ。言葉も着ている服や食べるものも全然違うの。
海を越え、山を越え、さらに越えていていって地の果てみたいなところ。
オレは呆然と聞いているだけだった。地の果て?
彼女は静かに笑って、もちろんちゃんと人が住んでいるちゃんとしたとこだけど。あっちから見たらこっちが地の果てもみたいなとこかもしれないし、と話し出した。
曾祖父の代に移住したらしい。彼女の両親が結婚したばかりの時にこっちに戻ってきた。生まれてくる子供のために(彼女のことだ)。大昔に恐慌があり、戦争があり、移住した先では干ばつがあり革命があり、かいつまんで彼女は話してくれたがオレには映画の中の出来事を聞いているようでほとんど理解できていなかった。ただ言葉として聞いているだけで精一杯でその言葉をもう一度頭の中で整理して並べることができない。移住?革命?革命って何だっけ?
ーごめんね、突然こんな話して。人に話すことはほとんどないんだけど。
彼女は下を向いて木の根っこをつま先でコツコツけっていた。
ー自分でもよくわかなってないの、だって話で聞くだけで、写真は見せてくれるけどこことはほんとに違うとこだから、小さい頃は信じてなかったもん、お母さんが冗談言ってるんだと思ってた。
そこまで言って何か不思議な表情、今起きたばかりでここがどこなのか思い出せない、というような感情のない顔でオレを見る。なんと言っていいのか見当もつかず彼女の視線を受け止めることもできずユーカリを見上げる。助けを求めるように。ユーカリは頭上で葉をさらさらと揺らせている。いったいどういうことなのか全然理解できなかたっが彼女の独特の雰囲気が生い立ちからくることはなんとなくわかった。
ーなんかすごい話だね。
何か言わなくちゃと思って出てきた言葉は見当はずれということだけは分かったが、それ以外思いつきもしない。でもそこでオレは気がついた。彼女はやがて遠くへ、地の果てのようなところへ、行ってしまうんだ。
彼女の目を見つめる。彼女もオレの目をのぞき込む。
ーオレは、と言ってから口が固まってしまって息すらしずらくなった。なぜか目が潤んできてかすれた声で、早く家から出たいんだ、と独り言のようにつぶやいていた。もっと話したいことがあるはずなのに言葉が出てこない。彼女ははっきり目覚めたような顔でオレを見守ってくれていた。温かみのある笑みを浮かべて。
彼女と別れたあと一人になって腹のあたりからむくむくと湧き上がるものがあった。それが怒りだということに気がつくまでしばらくかかった。何に対する怒りなのか。自分の未熟さ?彼女の生い立ちの突拍子のなさ?よくわからなかったが膨れ上がったものはちょっとしたきっかけで破裂して周りに飛び散っていただろう。その時は破裂せずなんとかゆっくりと収まりはしたがオレの中の深いところに沈み込んで小さく固いものになっていった。時とともにさらに小さくさらに固く。
それからしばらくは公園で会うことができず、次に会ったのはもう本格的な冬の始まりのころで足元は落ち葉だらけだった。だいぶ寒くなって彼女は手袋にマフラーをして厚手のコートを着て肩をすぼめている。オレは相変わらずセーター一枚で彼女を笑わせる。寒くないの?そんなに寒いの?
ーねえ、ここからすごい夕焼けが見える。
原っぱを抜け林になっているところをを少し入っていった(いつもより奥まったところの)ベンチに座って上を見上げて気持ちよさそうに息を吸って深く吐いた。オレも横に座って(一人座れるぐらいの間隔があったけど)真似をして深呼吸する。草の匂いが混じった冷たい、それでも心地よい空気で肺が満たされる。久しぶりに暖かな一日で彼女もコートを脱いでいた。
複雑な色合いの赤が切れ切れの雲を染めて西の空から北にかけて覆っていた。
彼女は泣いていた。膝に置いた手が震えている気がして横を向くとぽたぽたと頬からあごに涙が流れ白い首筋へ落ちていた。
オレは何も言えず、何をすることもできず、ただバカのように座っているだけだった。ごめん、と言って彼女は立ちあがって歩き出し、その少しあとをついていった。何も声を掛けられず。後姿をみることもできず。
それが中学で彼女と一緒に過ごした最後の時間だった。
僕たちは5人ユニットでしたたからね。彼は5歳下でメンバーでも最年少でした。まぁ僕がリーダーでまとめ役だったから彼のことはいろいろフォローしてましたよ。とにかくまじめというか口数は少ないし青臭いっていうか変に正義感が強くていい加減なこととか嫌いだから後の3人とはハッキリ言って折り合いは悪かったですね。仲が悪いというほどじゃないけど距離感がいつもあるというか。でもかえって俺たちの中で緊張感があってそれが最初のうちはうまくいってたんじゃないかな。
ほんとにどこ行ったのか分かんないんですか?社長もホントに知らないのかな?変ですよね。えっ、オレ?。オレはホントに知ら
ないですよ。連絡あるかなと思ってたからどっか寂しいというかなんだかすっきりしないけど。
オレにはけっこうなついていて休みの日に二人で飯に行くこともあったんですよ。何の話をしたかな?まあ、大した話じゃないですよ。だいたいオレがしゃべってやつが聞いてるって感じですね。愛想が悪いわけじゃないし頭もいいんだろうけどおしゃべりではなかったですね。そういえば女の子の話も全然しなかったし。オレ達の年代だとすぐそういう話になるじゃないですか、どの子がかわいいとかって。やつはそういうは話には乗ってこないんですよ。ホントに。興味がないみたいな感じでちょっと不思議だったな。
あの後はみんなほんとに心配してましたよ、そりゃ。他の三人もオレが意外に思うぐらい心配してましたね。まあ事件じゃないって聞かされてある程度落ち着いたけど行方不明ですからね。そんなことあんだって感じでしたよ。活動も止まっちゃし。そうですね、勝手なことして、でも腹が立つっていうより呆然としてたという感じですかね、オレたちは。上の方は何かと大変だったんでしょうけど。
ホント行き先なんて見当もつかないけど。いや、ここだけの話ですけど、外国じゃないかな。そんな気がするんですよね。ロケでハワイに行ったことがあたっからパスポートは持ってたし。なんかオーストラリアのことをしゃべってたのを覚えてるんですよ。どういう流れでオーストラリアの話になったのか忘れちゃったけどなんか熱込めてしゃべってて珍しかったから覚えてるんですよ。そう、やつは話し出すと長いんですよ、めったにないからこっちもあわせて聞いてると止まんなくなるんですよね。まだ子供みたいなもんだったしアンバランスというか危ういところありますよね。みんなそうなんでしょうけど。やつはとくにそんな感じがしたな。なんか隠してるというか我慢してるというか。暗いっていえば暗いし。他のメンバーと今一つ溶け込まなかったっていうか、自分の殻に閉じこもるみたいなとこがあって、でも、それが魅力になって一部から熱心なファンもついてたんですけどね。そう、うん、アンバランスでしたね。うまく言えないけど。
そういえばやつカレーが好きでカレーの話を始めるととまんなくなるんですよ、いつも。自分でも作るし隠し味には何を使うとか、どこそこのカレーはどうでとか、ほかの3人はまた始まったって感じで聞いてないからオレが適当に相槌打ってたりして。なんだか懐かしいな。オレにカレー作るって約束してたんですけど。そのうちひょっこり戻ってきてカレー作ってくれるんじゃないかって思うこともあるんですけどね。
そういえばあの事件のちょっと前にこんどのツアーが終わったらまとまった休みがあるからカレー作ってくれよって言ったら、なんかハッとした顔して急に黙り込んじゃったことがあったんですよね。あの事を考えてたんでしょうね。だって急にできることじゃないですもんね。いろいろ計画してたんだろうから。誰かいたんですかね?だって一人で行方くらますなんて意味わかんないですもんね。上の方に聞いてもみんな詳しいことは知らないって同じ答えだったし。でも度胸があるっていうか、全部放り出して行方くらますんだから、寮に、寮って言ってもワンルームのマンションですけどきれいに片づけられてましたから。ほとんど私物はなかったですね。もともと荷物のない部屋だったけど、あれは出ていくつもりで片づけてたんでよ。かなり計画的ですよね。まあ普通じゃないですよ。でもとにかくまた会いたいですよ。やつに。どんな大人になってるのか。元気にしてるかな?
17の春。制服姿の彼女を電車の中で見かけた。一つ離れたドアに肩を傾けて外を眺めているように見えた。横顔が人の間から見えただけだったがすぐに気がついた。確かめようと人の間をすり抜けて近づいて盗み見た。間違いなかった。最初から分かっていた。彼女だ。何とか声をかけようとしたがどう声をかければいいのか分からず近くまでいって身を固くしていたら彼女の方が気が付いて声をかけてくれた。14の秋の時のように。
ー久しぶり。目を大きくして言った。背も伸びていたし顔も大人びていて変な言い方だがまっさらな感じがした。オレが近寄ったりしちゃいけないような。でも彼女は本当に嬉しそうにオレにに会えたことを喜んでくれた。そう見えた。彼女にはオレはどう見えたんだろう。
どこまで行くの?いまはどうしてる?とお互いに質問しあった。
ー私、大学に行くことにしたの。だからあと5年はここにいられる。でも、卒業したら。
視線をドアのガラス越しに外に向けあの眼差しをする。中学の時よりももっと遠くを見ている。今にもふっと姿を消していくような、この目の前の出会いが夢の中のことのような気さえした。
オレは、と言って止まってしまう。公園にいた時のように。彼女がこっちを向く。言わなくちゃ、なんでもいい。この時間を大事にしないと。
ーオレはタレントの養成所に行くことになったんだ。えっ、と彼女が軽い驚きの声を上げる。
ー街中でスカウトされて、それまで考えたこともなかったけど、と自分でも脈絡のない話し方だなと思いながらもとにかくしゃべる。彼女が体ごとこっちを向いてしきりにうなずきながら聞いてくれるのが後押ししてくれる。気がつくと家族の話までしていた。今は親が離婚してオレが取り残され叔父さんの家にいる。
父親はいわゆる一流企業の会社員。オレが中学生になったころに何の部署かは知らないが(何の部長は関係なくとにかく部長というのが大事みたいだ)部長になっていつも部下や上司の悪口を言っていた。母親は専業主婦でオレが小さいころからなんでも父親の言う通りにしていた。休みの日に買い物に出かけるにも父親にお伺いを立てている。母親に、お前は何の苦労もないな、というのが口癖だ。オレには、勉強してるか、いい学校に行けよとしか言わない。本当にそれしか言わない。でも三年生になったころ(彼女が転校してきた時だ)から口喧嘩するようになっていた。母親が口ごたえしてそれに父親が激高してわめきだすということが繰り返されるされるようになっていた。やがて高校の時に母親が出ていき、やがて父親も出ていき、わりあい近くにいた叔父の家に一時的に引き取られた。
ー大変なんだね。
外に目を向け眉間にしわを寄せ黙り込む。ほんの少しの時間だがそれでも深い水にもぐりこんでどこに行ったか分からなくなるような沈黙。目の前にいるのに見失いそうになる。
考えてみたらその電車で彼女と出会えたのはかなりの偶然だ。オレがふだんその時間にその電車に乗ることはなくしかもたまたま同じ車両。なにかオレがそのことに気を強くすることができたのかもしれない。この偶然を利用しなかったら一生後悔するに違いない。その時は大げさでなく本当にそう思った。その時にユーカリの木が頭の中に浮かんだ。あそこに一緒に行きたい。行っていろんなことを話したい。いつまでも、とことん話したい。
ーユーカリの木を見に行かない?
そう言われたとき一瞬時分で言ったのかと錯覚してしまった。
ーオレも今考えてたんだ。
二回ほど乗り換えていくことになったがそのあいだ今までにないぐらいオレはしゃべっていた。誰かに聞いてほしかったんだと思う。心の内をうまく言葉にできるわけじゃないから話が行ったり来たりで聞いている彼女は戸惑っていたと思うがそれでもしきりにうなづきながら耳を傾けてくれた。
ータレントってどんな?歌って踊るみたいな、アイドルってこと?
ーん~そんな感じかなぁ。アイドルって顔じゃないのは分かってるだけど。声はいいみたいだから。事務所の人が気に入ってくれてるんだ。
ーなんか想像つかないけど。そっかー、歌うまいもんね。アイドルか、なんかすごい。
彼女が微笑む。オレは打ちのめされる。
ーいや、デビューできるって決まったわけじゃないし、楽じゃないのは分かってるんだけど自分で食っていくとしたらこれしかないかなと思って。とにかく一人暮らしができるようになりたいんだ。だから叔父さんの家で料理とか洗濯とかよく手伝ってるんだよ。だいぶできるようになったんだ。おばさんは無理しなくていいのよって言ってくれるけどこっちは本気だからね。なんでもできないと一人で生きていけないから。
ー辛そうだけど、なんだかうらやましい。うらやましいって悪い言い方かもしれないけど。一人で生きていけるなんて。私にはそんな選択肢はないから。家族はみんな仲がいいけど仲良くしてないと生きていけないからなんだよね。それってやっぱり不自然だよね。
どこをどう歩いていたのか周りの景色なんて全く目に入らなかったが気がつくと公園についている。公園は以前と何の変りもなく季節だけが移ろっていた。ユーカリの木は不思議と変化はなく幹の皮の剥がれ具合もそのままのような気がした。彼女は珍しく少し興奮気味で手のひらを幹のあちこちに上を見上げてぐるぐる回っている。
ーなんか変わってないね。時間が経ってないみたい。
ーほんと。なんだか急に時間が戻ったみたいだ。中三の時に。
しばらく今のオレの生活の話をしていた。学校に行って授業が終わったらすぐ事務所に行ってレッスンをする毎日。
彼女の詳しい近況も知りたかったが首を振ってオレのことを聞きたがった。オレも今までせき止められていたたまっていたものが決壊して一気に流れ出すようにここ数年の出来事をしゃべっていた。気がつくともう日が暮れ始めていた。
ー5年後にここで会わない?
自分でもなんでそんな言葉が出てきたのか分からないまま話していた。なんで5年後。何のために会う。でもその時ならきっと言いたいことを言える。それまでにオレは成長してる。
ー5年後?
彼女はつぶやいた。
ー5年後なんて変だけど。今はとにかくどう生活していくかでいっぱいいっぱいで。それまではここにいるんだよね。
つかれたようにしゃべっていた。
ー5年後の今日、この時間。
ーそうね、出ていくのは5年後になる。
ーそれまでに、
ーそれまでに?彼女がオレを見る。オレはその視線を受け止められず足元に目をやり靴で落ち葉をかき分け軽く土をける。そこに何か隠してあるものでもあるかのように。なにか大事なものが。
ーそれまでに仕事もやってるだろうし、大人になってる。
声がだんだん小さくなる。彼女に聞こえないくらいに。
ー私も勉強頑張んないと。とりあえず大学受かんないとね。
明るく言う。オレを励ますみたいに。
ー5年後の今日、ここで会う。なんかすごくない。ドラマチック。
ーロマンチック。
二人でユーカリの木に手をあて見上げた。一瞬指が幹の上で触れ合った。ほんの少し、かすれる程度に。
ー5年後。
すっと手を引いて彼女はもう一度つぶやいた。
来るはずがないと分かっていた。
帰ろう。そうは思っても足は動かない。気がつけば木を見上げている。
さっきまで陽の光が残っていたが冷たい風が吹きだしたら明るさはさっさと去っていった。ぽつんぽつんと街灯がついているがオレのまわりは暗さがまとわりついてくる。たまに犬を連れた人やジョギングする人が通るがオレには見もくれない。まるでそこにいないかのように。なんだか自分の存在が不確かになってきてユーカリの木を両手で触ってみる。
ユーカリの木は不思議と白く浮かび上がっている。
根元に座り込んで木を見上げる。力強く伸びる幹。夜の空を覆う葉を茂らせた細い枝。彼女はこの木を見上げながらなにを思っていたんだろう。14の時。17の時。そして今はなにを思っているんだろう。耳を幹につけてみる。かすかにメロディーがなっている。
見上げた先で細い葉がさらさらと風に揺られ夕陽のほの赤い光を反射させている。優しい光がこぼれ落ちて二人の顔や体に降り注ぎ淡い色に染めていく。時が過ぎ去るのも気づかず二人で見上げている。
ーコアラがいたらいいのにね。
彼女がそっとささやく。
コアラはいない。ユーカリの木にコアラはいない。
いかがでしたでしょう?この番外編はこれからも(月一ぐらいで)継続していく予定です。