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カレーショップ サイのツノ 公式ブログ

「マスターの独り言」 日々の雑感やお店の裏話などを綴っています。サイのツノへの興味と関心が増して頂ければ幸いです。

面倒くさいということ

2020-07-22 23:57:19 | 日記
 
 突然ですが、面倒くさいことってありますよね。一日に何回かは、あぁ、めんどくせー と
 つぶやくことが誰でもあると思います。面倒くさいことがなくなればいいと思いますよね。
 でもよく考えれば面倒くさいって何だろうと思ったわけです。一体どこで「面倒くさい」は
 発生するのでしょう?無くなればよいことだというのはみんな賛成してくれると思いますが、
 そんなの無理だね、と思っていませんか?
 本当でしょうか?本当かもしれませんが、そうじゃないかもしれないと一縷の望みを繋いで
 キーボードをたたいていきたいと思います。
  
 
  面倒くさいにもいろいろとあると思いますが、ここでは日常的な些細な「面倒くさい」に標準を
 絞りたいと思います。
例えば食事の後の食器のかたずけ、面倒くさいですね。男性なら毎朝の髭剃り、女性ならお化粧、
 面倒くさいですね。10代なら学校で出される宿題。腹が立つくらい面倒ですよね。
 
ただ面倒くさいことというのはやり始めればあっさり終わるものではないでしょうか。終わってみれば
 ほとんど忘れていませんか?面倒くさいと思いさえしなければなんてことなく終わっていたこと
 ではないでしょうか。髭剃りにしても化粧にしてもどうすればいいのか、と悩むことは無いでしょうし、
 宿題にしてもぜんぜん分からないようなものなら、めんどくせーではなく、無理!でしょうから。
 思わなければいいんですよね。面倒くさい、と。
 でも思ってしまいまうんですよね。面倒くさい、と。思わなければそれで済むんなら世の中から
 面倒くさいことなんか、あっという間になくなるはずでしょ、でも、なくなることなんかなさそうだよね。
 でしょ?と、そう思いますよね。
 では、なぜやる前から、ああ、めんどくせー、と思ってしまうのでしょうか?簡単に言って面倒くさいこと
ことはやっててつまらないからということにならないでしょうか?ですよね。何でこんなことやらなけりゃ
いけないのか? 誰か、代わりにやってくれないか、こんなこと世の中から消えてしまえばいいのに、消え
しまわないのなら、いっそ こんな世の中なんか消えてしまえ、そう思うぐらい、面倒くさくなる時があります
よね。
その時間が無駄に思える。 他に楽しいことがあるのに、それをやるためにできなくなる。そんなことやてっても
大した意味なんてないのに。
 そりゃ、そうです。面白ければ面倒くさいなどとは思いません。ゲームをやっていていいところで誰かに取られ
たらなにすんだよ、やらせろよ、ということになりますよね。皿洗いがめんどくせーと思っているところに誰かが
変わろうか、と言ってきたらこれ幸いとさっさとその場を去ろますよね。
 そうです。面白いと思えばいいのです。それが思えないから面倒くさい。思えないことを
 思うようにするにはどうすればいいのか。自分には分かりませんが。これが出来れば世話はないですね。
 、、、それでは話が終わってしまうので、無い知恵を絞って考えてみました。
 
変化、差異に敏感になることではないでしょうか?同じことの繰り返しと思えばそれは面倒くさくなります。
 毎日毎日カレーを作っている自分ですが、よく飽きないな、と自分でも思うこともあります。なぜかと考える
といつもランチタイムが終わった後食べる昼ご飯はサイのツノのカレーなんですが、ちなみに4種類、
プチカルテットより全体に少な目、でも美味しいですよ。もうかれこれ17年ぐらい食べ続けている計算に
なりますが、食べる時間が楽しみです。サイのツノのカレーは美味しいですよ、、、、って何の話だったか、
そうです、どうして毎日毎日カレーを作っていて飽きないか、といえば、昨日のまろやかカレーと今日の
まろやかカレーは違う。ということになるのではないでしょうか?食べるから分かるわけですが、毎回微妙に
味が違います。これは作っている自分が食べるから分かる話でもあるでしょうが、たまにはあれっ、という
ぐらい違う時もあって冷や汗をかく、ということもないわけではありませんが、ほとんどありませんよ、
そんなことは、と弁解しだすと余計怪しいですね 、、、って何の話だったか、
 だいたいはお客さんには分からないぐらいの違いですが、違うのは違う。そもそもものが違うわけです
からね。同じ名前でも中身は違います。当たり前ですが。
 同じ通勤電車の車窓の眺めも昨日と今日では違う。昨日の皿洗いと今日の皿洗いは違う。当たり前ですが。
 そう思えば、ああ、めんどくせー、ということも、何か新しい発見があるかも、とちょっとうきうきした気分で
 取り組めそうじゃないですか?、、、そう、あまくはないよね、面倒くさいことはどうしたって面倒くさい。
誰がどう言おうが面倒くさいことに変わりはない!そう、自信満々のあなた。その自信を少しだけ懐疑に振り
 向けてみて下さい。別の風景が見えてくるかも。
 なんてことを書いているのもなんだか面倒くさくなってきました。この続き?!(あるのかよ)は次回に。
 
 

記憶に残る映画 その2

2020-07-07 23:59:25 | 日記
 
 何年か前にイギリスの映画雑誌で専門家(監督や批評家)による世界オールタイムベスト1を
 選ぶという企画がありました。その時に一位に輝いたのが日本映画です。小津安二郎監督の
 「東京物語」でした。すごいですよね。今まで作られた(どのくらいの数なんでしょう?)映画の
 中で専門家が一位に選ばれるなんて。その「東京物語」、見たことがある方はどのくらいいる
 でしょうか?自分には想像のつかないとこではありますが、若い世代になるほど低くなって、
 50代以上になれば見たことはなくても知ってはいるという感じでしょうか。
 自分も日本映画の名作として10代の頃から知ってはいました。中高生の頃ですから70,80年代
 ですが当時でも日本映画のベストテンを選ぶと必ず1,2位になる入る作品でした。
 
 そんな作品を初めて見たのが学生の時。銀座の名画座で小津安二郎特集をやっていて、
 名作の誉れ高い「東京物語」をこの機会に見ておこうとで勇んで出かけたわけです。
 名画座というのは今はほとんど見かけなくりましたが、80年代当時は東京のあちこちにあって、
 昔の作品を1000円ぐらいで見れました。小さめの映画館が多かったですが、古いもの(白黒の
 「カサブラン」とか「第三の男」とか)や監督を選んでその人の作品を2作品ずつ毎週変えて上映
 するとか、それぞれの映画館で個性的なラインナップを揃えていて、必ず見たい作品がどこかで
 上映されている感じでした。そのころ情報誌の「ぴあ」が発売されたころで、「ぴあ」を見ている
 だけ(立ち読みでしたが)でも面白かった思い出があります。そもそも東京に出てきたのは見たい
 映画がいつでも見れる、というのも大きかったですね。神戸にも映画館はいくつもあったし、
 リバイバル上映というのもやってましたが、東京とは規模が違いましたから。映画館の数で言えば
 十倍以上は軽くあったでしょう。ビデオも普及してない時代ですから映画好きとしてはいくしかない、
 といったところです。
 
 ところでその「東京物語」を見に行く前には黒澤明特集をしていて、一番最初の作品の「姿三四郎」から
 制作順に毎週二本づつ上映というのをやっていて毎週通っていました。大学の授業はどうして
 たんだろうという気もしますが。
 黒澤明監督の話を始めるとまた長くなるので割愛しますが、初期の作品から戦時中のものも
 それなりに面白く、見ていて飽きることは無くてやっぱりいいなあ、と満足感がありました。その次に
 あったのが小津安二郎特集で「東京物語」を上映していて、なんだか地味そうな作品だけど
 これだけ評価が高いんだから、きっと面白いだろう、この機会に見ておこうと楽しみにしていった
 わけです。

 で、どうだったかというと、見終わってあまりにつまらなくてあ然としていました。この映画の一体
 どこが名作なのか?老夫婦(といっても50代後半?)が尾道から東京に出てきて3人の成人した
 子供たちを訪ねていくという話なんですが、何かが起こるわけでなく、どこかで何かが起こるん
 だろうと思いつつ、最後まで淡々と進んでいって淡々と終わりました(ように見えました)。何、これ?
 というのが(ひどい話ですが)素直な感想でした。もしかして同名で評価されているのとは別の
 映画?と思ったぐらいです。
 
 でも小津監督というのは映画好きとしては気になる名前で「東京物語」もなぜあれが評価されるのか
 さっぱり分からない分、逆に印象に残って、テレビで小津作品を放送してたりすると見るようになって
 徐々にではありますが面白さが分かるようになりました。20代後半ぐらいだったと思いますが、
 「お早う」を見て、結構面白いじゃん、と(なぜか上から目線)一時期好んで戦後からの作品を続けて
見ていました。あの独特の間、というかリズム。なぜか唐突に入る風景や建物の看板のショット。
 間延びした(ように聞こえる)同じような内容が繰り返されるセリフ。正直なところ、これ、何?って感じ
 なんですが、ハマると簡単には抜けられなくなる中毒性があります。専門家が解説すれば分かりやすく
 その意味なり効果が理解できるんでしょうが、自分にはそいういう解説はできないので雰囲気を伝える
 とすると、たとえて言えば温泉につかって気分良くなってなかなか上がれない。上がってその場を離れても
 しばらくするとまた同じ場所に戻ってきたくなる、そんな感じでしょうか?一つの小宇宙?
 ただ「早春」「晩春」「秋日和」とかストーリーも基本家族の話で役者も同じメンバーが多いので
 どれがどれとか区別がつきませんが。でもこの反復が小津作品の核のような気もします。どういう
 核なのかは分かりませんが。
 
 今でも小津の映画を見る時はゆったりした気分で見ないと入っていけない感はありますね。 
 あの映画の持つ独特のリズムというか雰囲気と今の時代の、というか自分のなのかもしれませんが、 
 リズムやスピード感が違い過ぎるので、うまく映画にのれないと退屈なだけの時間が過ぎていくという
 こともあります。「東京物語」に関して言えばまだその面白さを理解できていない気がします。50過ぎて
 理解できないだったら無理なんじゃない、という気もしますが、まだ人生は続きます。見終わった後
 「ああ、面白かった」としみじみ思える日が来ることを楽しみにこれから先の日々を生き延びていきたいと
 思います。