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カレーショップ サイのツノ 公式ブログ

「マスターの独り言」 日々の雑感やお店の裏話などを綴っています。サイのツノへの興味と関心が増して頂ければ幸いです。

最近驚いた話

2018-12-31 16:54:46 | 日記


 突然ですが、このあいだ何気なく高校の数学の教科書を見ていたら
 数式で!が入るのを見つけました。びっくりしました。
 自分が高校の時には見たことは無かったです。4!(びっくり)÷5!(びっくり)
 みたいな数式でした。なんじゃそりゃ、ですね。だいたい高2の数ⅡBという
 やつで挫折した記憶が今でも残っています。微分積分という不可解なやつ。こんなの 
 誰が考えたんだ、とゆがんだ怒りと憎しみを感じていました。
 だいぶ後になって知りましたが、ニュートンなんですよね。微分積分を最初に考えたの。
 余計なことをしてくれるもんです。

 一年のうちで一番日の入りが早いのは冬至ではないんですね。ついこのあいだ
 知りました。単純に冬至が一番日の入りが早く、日の出が遅いと思っていました。
 何でなんでしょうね。惑星の微妙な動きの問題でしょうか?ここで考えて分かるような
 話ではないですが。
 今日は大晦日。31日ですが既にかなり日の暮れるのが遅くなっているような。同じ
 速さで日の出、日の入りの時間が変化しているわけではないんですね。

 常連の80代のご婦人に「70まではそうでもなかったけど、80過ぎると一日が過ぎる
 のがホント早いよ」と言われました。今でも十分早いのに、どんだけ!という感じで
 よね。でも最近は人生100年時代とか言われだしましたから、80,90代を迎えるのも
 十分あり得る話です。世の中も自分もどうなっていることやら、です。誰にも予想も
 つかない展開が待っているかもしれませんが、お腹は空くでしょうから、サイのツノは
 あり続けるでしょう。希望的観測。そうなんです。今年一番驚いたのが「サイのツノ」が
 15周年を迎えたこと。これですね。
 開店当時の状況を考えたら、よくここまでたどり着けたもんです。今までも何度か書いて
 いるので繰り返しませんが、本当に運が良かった、ということになると思います。関わった
 すべての人に感謝です。これからが正念場と覚悟して更なる成長を目指します。
 目標は100年続く店です。周りから必要とされ続ける。そういう場所を作っていきたいと
 思っています。これからも𠮟咤激励、よろしくお願いします。
 
 というわけで、来年一年がどんな年になるのか分かりませんが、楽しむ余裕を持ちつつ
 刻苦研鑽に努める所存です。とかっこをつけて今年を終えたいと思います。

 では、良いお年を!

 
  

神戸に帰省して、3

2018-12-29 22:16:22 | 日記

 このところテレビで「M-1」や「The Manzai」を見ていたので、 
 このブログでの関西話とつながって、東京に出てきたころの笑いの違いに
 戸惑った思い出を書いてみたいと思います。
 
今は関西芸人を見ない日はないぐらいに日常的な存在ですが、あの頃
 (80年代半ば)まだ一部の存在しか知られていなくて、関西では知らない
 人はいないという芸人さんがほとんど知られていなくて、びっくりしたことを
 覚えています。
 一番びっくりしたのは藤山寛美さんが知られていなかったことです。今、現在
 藤山寛美と聞いて分かる人がどれくらいいるのか見当もつかないですが、
 このブログを見ている方はどうでしょう?誰、それ?という反応がほとんどかも
 しれないですね。
 亡くなったのはもう20年ぐらい前ですから、今は関西人でも若い人で知らない人
 もいるかもしれませんが、当時関西で子供からお年寄りまで知らない人はまずいない
 泣き笑いの人情喜劇の役者さんでした。自分も週末になると必ずと言っていいほど
 見ていた想い出があります。
 その藤山寛美を大学の周りの友人で知っている人がほとんどいないということが
 分かり、関西というのは単なる地方の一地域なんだな、と実感した次第です。

 ところで、よく言われるように関西では普通に会話していても自然とボケとツッコミの
 掛け合いが始まります。中、高校生ぐらいですと、つまらないダジャレを
 言って相手がツッコミを入れて笑いが起こる、という流れが自然とできています。
 笑いを取る、ということが善であるという暗黙の了解があります。だから自虐で
 あろうと相手をネタにしようと笑いが起これば、それは良きことなわけです。
 
 東京で学生生活が始まっても当然その暗黙の了解は存在するものだと、世間知らずの
 自分は思っていますから、なにかの拍子に目の前の友達をネタにして笑いを取ること
 もあるわけです。これが関西なら、その相手も喜んでくれるわけです。自分をネタに
 して笑いを取ってくれた、という訳です。でもこっちは違いますよね。俺を笑いものに
 しやがった的な感じでムッととされたりして、こいつ何怒ってんだ、せっかく笑いを
 とってやったのに、と完全な行き違いになるわけです。この行き違いに気が付くまで
 しばらくかかりましたね。だから関西人は苦手みたいなことをいわれて戸惑ったりも
 しました。
  
 あと印象的だったのだ「あほ」という言葉です。これ、関西的には結構誉め言葉
 なんです。「おまえ、あほやなあ」というのは訳すと「おまえ、けっこういいやつだな」
 という感じになります。大学で友達と何気なくしゃべっていて「おまえ、あほか」と
 言ったら相手がしばらく固まっていて、その後しばらくしてからですが、あの時
 ショックだったと言われたこともありました。「あほ」なんて面と向かって言われたのは
 生まれて初めてだったとのこと。軽く笑いを取るつもりで相手を傷つけてしまことも
 よくあったようです。すいませんでした。今更ですが。
 これってコミュニケーションの話なので結構大きいんですよね。自分では馴染んでいる
 つもりがすごく浮いていたりしたみたいです。

 日を(かなり)またいで書き継いだのでとりとめのない話(いつものように)になって
 しまいました。
 最後にいきなり関西弁講座「あほ、ぼけ、だぼ、の罵倒3段活用について」で締めたいと
 思います。ますますとりとめがないですが。

  まず「あほ」、あほは軽くいなす感じで肯定的です。次が「ボケ」でちょっとムッと
  してる段階です。でもここまではまだ親しみがあります。最後が「だぼ」です。
 「おまえ、だぼか!」ときたらその人は頭に来ています。すばやく謝り和解しましょう。

  今日はこの辺で。






にわか仏教徒の集いについて

2018-12-23 17:23:23 | 日記
 
 12月23日のツイートの続きです。

 にわか仏教徒とはクリスマス時期に「予定は?」と聞かれ「ああ、ぼくは
 仏教徒なんで関係ないんです」と答え、この時期をスルーする人たちのことです。
 まあ、今は昔ほどこの時期に若者が一人でいてもさして窮屈な思いはしないでしょう
 けど。以前は結構、同調圧力みたいなものがあった気がします。
 
 自分が学生の頃の話ですが、クリスマスイブに予定がなくて、電気を消して下宿の
 部屋にこもっているやつがいました。自分はだいたいバイトを入れていたような。
 バイト先でも「なんだ、今日バイトか?さみしいやつだな」みたいなことを言われた
 記憶があります。一〇代の頃を通してクリスマスにいい思いだなんてないですから。
 それでもこうやって生きていけてるんですから、気にしないのが一番です。
 世間と関係なく、どうせなら楽しく過ごそう!という訳でサイのツノで毎年
 「にわか仏教徒の集い」を催しています。
 参加資格はありません。一言、ええ、仏教徒なんです、でOKです。
 
 することはただ一つ、お釈迦さまをほめたたえます。
 みんな「にわか」ですから詳しい知識などはないので、見た目や気が付いたこと
 など何でも構いません。とにかくほめたたえればいいのです。 
 「お釈迦さまって、やっぱりなってほしい上司ナンバー1だよね」
 「絶対怒んなさそうだしー」
 「でもお釈迦の顔も三度まで、ってことわざもあるからね」、と少しことわざの
 勉強にもなったりします
 「本名のゴータマ・シッダールタっていけてるよね。ゴータマだよ、タマ!
  、さらにシッダールタ!なんか萌えるー」
 「やっぱ髪型だよね。あれ、パンクじゃん。2千年以上前にパンク先取りかよ!
 ぶっ飛んでるね!」
 「お釈迦様が生まれたの確か二千三百年前だよね。キリストより前じゃん!」
 「偉人同士の先輩だよねー」「そだねー」歴史の勉強にもなります。
 「だいたいキリストの誕生日にこれだけ大騒ぎするのに、花まつりは黙殺って
 どうよ!」「それでもお釈迦さまは優しく見守ってくれるんだよね」
 「大きな心が必要なんだね、オレたちもあくせくするばかりじゃなく、もっと
 おおらかにいかないと」
 社会的問題にも少し目覚めます。

 と、こんな風な集まりがあると面白そうですね。
  
 とりあえず、何にも予定がないの?みたいなことを言われたら
 一言「「仏教徒なんで」これでいきましょう。




神戸に帰省して、2

2018-12-10 23:41:00 | 日記

 前回(といってもだいぶ前になりますが)書いているうちにいろいろと思い出すこと
 がありました。
 大学で初めて東京に来たわけですが、最初の頃は東京もんにバカにされるわけには
 いかへん、という東京の人にはさっぱり分からない(関西人にはなじみ深い)
 対抗意識を持っていました。
実際の生活が始まればそんな対抗意識なんて、慣れていくにしたがってなくなって
 はいきましたが。言葉自体がバリバリの関西弁で、今思えば周りから浮き上がって
 いたんでしょうが、気負いというか対抗意識というか、だんだんと抜けていくのと
 東京の言葉と同化していくのと並行していたような気もします。
 大学の時に久しぶりに帰省して地元の友達と会ってしゃべっていたら「おまえ、なんや
 そのしゃべりかた、気色わるー」と言われたりしてました。

 でも、今なら笑い話ですが、これから東京での生活が始まると意気込んで神戸から
 出てきて、東京駅で新幹線から降り、ホームを歩いていた時、(こんな服装で、
 こんな歩き方してたら周りから笑われるんとちゃうやろか)と妙に意識的になって、
 ぎこちない歩き方になり、それが気になって、ますますぎくしゃくして歩いていた
 のを覚えています。だーれも自分の事なんて目にも入っていないのに。
 若さゆえの過ちです。何かの本のキャッチコピーに「確かにあのころ、我々は
 愚かだった」というのを見たことがあって、ホントにそうだったな、と深く共感
 した想い出があります。今思い出すと、ほんとに愚かなことの連続だったような。
 自分だけじゃないでしょうけど、、。ねえ、そうですよね、皆さん。

 ところで食に関する関西あるあるですが(これを書きたかったんですよね)、
 カレーに生たまごをかけるというのがあります。関西では一般的です。関東では違う
 みたいですよね。
 サイのツノのメニューにも生たまごを載せていますが、最初の頃に「生たまごをどう
 するんですか?」と質問されて気が付いたいきさつがあります。
 
 カレーに関することだとドライカレーというものも関東と関西で別ものですね。関西
 だと基本、カレーチャーハンみたいなものです。こっちだとひき肉のとろみのないルーを
 ご飯の上に乗せるのが一般的ですよね。最初見た時(なんじゃ、こりゃ)と思ったのを
 覚えています。
 
 玉子つながりだと、目玉焼きに醤油をかけるのはこっちで初めて見ました。目玉焼きに
 は、塩、コショウでしょう(でしょうではなく、やろ、だったでしょうが)。東京の人は
 やたらと醤油を使うという印象が強かったです。刺身にも醤油をべったりつけたりして。
 関西は出汁を重視するというのはありますね。たこ焼きも出汁につけて食べますし。
 ソースをかけるのは子供のおやつ用という感じです。
 関西だと飲み会の後の締めにラーメンではなく、たこ焼きというのがあります。こっち
 では見ませんがたこ焼き専門店(ラーメン屋みたいな感じでカウンターだけの作りの店)
 が普通にあります。メニューにも基本たこ焼きだけです。締めにアツアツのたこ焼きを
 食べるのもなかなかおつですよ。
 まあ、自分が生活していたのはもう20年以上前の話なので、いろいろ変わっている部分は
 あるでしょうが、こういう生活の基本的はところというのはそう変わるとも思えないですし。

 とにかく食に対して関西人はすごく真剣というのはあります。餃子のたれを気を利かせて
 作ってあげたりしたら、その配分は違う(醤油、酢、ラー油)と本気で怒り出しますから。
 怖いですよね。

 ちなみにお好み焼きと白米を一緒に食べるのは大阪です。神戸ではしません。そうなんです。
 関西と言っても細かく地域ごとにそれぞれあって、お互い話し出すと対抗意識丸出しになったり
 します。ややこしいですよね。
 それにお好み焼きについても、、、と書き出すと次々出てきますね。
 この続きはまた次回に。
 
 
 

 
 

日々雑感

2018-12-09 12:42:44 | 日記

 なんだか久しぶりの更新になりました。
 書きたいことはいろいろあったのですが、タイミングというかリズムというか
 書き始めることができなくて、まあ、そのうちと、のびのびになっていました。

 よくあることではありますよね。やらなくちゃ、と思いはするものの、それほど
 緊急性がなければ、ずるずると先延ばしになって、そのうち忘れてしまう。そんな
 ことばかりという気がしないでもないですけど。こんな過ごし方でいいのか、と
 自問しないでもないですが、普段の生活に支障がなければ、時は容赦なく過ぎ去
 りますから、しょうがない、と開き直るようにしています。
 
 開き直るというか、見切りをつけるというか、冷静になるのは大事でしょう。そうだ、
 あれをやらなきゃ、しまった、これやってない、と考えだすと次々出てきますし。
 日常を大過なく健康に過ごせていらば、まずは良し、とするのが健全ではないでしょうか。
 ただの怠惰さへの言い訳の気もしますが、、。

 11月は半ば頃に風邪をひいてしまいました。風邪と言っても熱が出るとか、食欲が
 なくなるというのは無く、のどにきて声が出にくくなったと思ったら、せきが出だして
 それがなかなか止まらなくて閉口しました。話そうとするとせき込むという質の悪い
 やつでした。ホントに何でこんなにでなきゃいけないのと、せきに?聞きたいぐらいに
 自分ではどうしようもないんですよね。自分の体なのに全然コントロールができないのは 
 つらいもんです。
 考えてみたら自分で自分のことをコントロールできているのなんてほんの少ししかない
 ですね。今日はこの一杯で飲むのはやめようと思いつつ、つぎ足したり、さあ、起きよう
 と思った次の瞬間眠っていたり。そんなもんですよね。

 できる範囲でコツコツやっていく。地味でつまらなくみえても、めげず、あせらず、
 あきらめず、で続けていきます。このブログも。
 と、久しぶりの更新の言い訳でした。
 誰に言い訳しているのかわかりませんが、、、。