この前の日曜日に私用で日帰りで神戸に帰省してきました。
いまや関西に日帰りも普通ですが、学生の頃は青春18きっぷ
(今でもありますね)で普通に乗って10時間ぐらいかけて帰ったものです。
遠い昔の話です。まだ覚えていますが、東京駅を夜の11時20分発大垣行、に
乗り、地元の須磨駅に午前10時半ごろ着いていました。この電車が結構混んで
たんです。帰省の時期とかなると座れないぐらいでしたから。
若くてもそれなりにしんどかった記憶があります。さあ、これから一晩電車に
揺られるぞ、という多少の覚悟があったような。それが今では本を読んでいる
うちに、おっ、もうそろそろか、という感じですから、時代は進んでいます。
ただいつも不思議に思うのはいろんなところで時間は短縮されていますが、(それ
こそ切符を買うこと自体窓口で並んでいましたし)、普段の生活でも、あらゆる
ところでボタン一つで終わってしまいますが、その短縮された時間はどこへいったん
でしょう?
おかげでみんなの生活がのんびりしているようには見えないですよね。逆にせわしく
なっている気がするのは錯覚でしょうか。世の中の変化のスピードが速いから、
(ちなみに学生時代はダイヤル式の黒電話というやつでした。それが手の内に収まって
話しかけたりできるんですから)人の心が落ち着かないのか、機械のスピードに生身の
体の反応が追い付かないのか、とりあえず神経にこたえることがことが多いような気が
します。
学生の時はよく授業をさぼってましたが、今は機械でチェックされたりして、ある程度の
余裕というか遊びの部分まで管理されている感じもします。
でも年齢的にそう思うような時期というのもあるのかもしれないですね。ある程度過去を
振り返って、自分に都合良く思い出しているだけという部分もあるんでしょう。
今の10代、20代からすれば、これが日常なわけですし、あなたが若い時にのほほんとしてだけ
でしょ、と言われればそうかもしれないです。
まあ、毎日がせわしいとか、世の中厳しいとか、こういうのはいつの時代でも言われる
ことで、その時その時の問題が切実に迫ってきながら、日々生きているのはどの時代でも
同じといえば同じといえるかもしれません。
久しぶりに帰省して、関西と東京の違いなどのあるある話を書こうと思っていたんですが、
東京に出てきた時の驚き(電車の本数の多さ、繁華街が延々と続く街並み、どこを見回しても
山が見えないことなどなど)みたいなこと。あらぬ方向にいってしまいました。
でも、朝ふつうに起きて、その日のうちに用事を済まして夜の早いうちに小金井に戻って、
少し店で仕込みをして自宅に戻っているというのが、考えてみたら驚きだったのかもしれないです。
あるある話は次回に。

